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52.眷族

 亜矢子さんの望みは、わたしの予想していた通りのものだった。

 ユエル様の正体を知っているだけじゃない。眷族が何かを、亜矢子さんは知っているんだ。そしてその眷族に、亜矢子さんはなろうとしている。

 不安で胸が締めつけられる。

 苦しくって、堪らず胸に手を押し当てた。指先の感覚がない。冷たくなって、まるで凍ってしまったみたいだ。それなのに震えている。

「ユエル様の眷族には、私こそが相応しいと思いますわ」

 亜矢子さんの一言一句がわたしの胸に突き刺さってくる。

 ユエル様は、動揺の色を見せない。微細な表情の変化はここからではさすがに窺い知れないけれど、前髪を掻きあげた手をおろし、ふたたび腕を組んで亜矢子さんを見据え、ややあってから言葉を返した。

「眷族がどういうものか、分かっての発言かな、それは?」

「ええ、もちろん」

 亜矢子さんは即座に答える。声に迷いはなく、居丈高な物言いだ。

「吸血鬼の子を成すための存在、でしたわね? 吸血鬼とおなじように、不老不死の」

「……不死ではないが」

「あら、そうでしたわね? ともあれ、眷族は子を成すための存在。それで合ってますわね?」

「…………」

「私がユエル様の子を生んで差し上げますわ。私を眷族にしてくだされば。だってユエル様、あの子に生ませる気がないのでしょう? あのミズカとかいう、みすぼらしい子」

 せせら笑うように亜矢子さんは言う。

「あの子じゃぁユエル様も子を生ませようなんて気、起こらないですわね。だから使用人のままにしておいたのでしょう? ええ、わかりますわ。あんなつまらない子、ユエル様の傍に在るのは、相応しくありませんわ。使用人としては重宝しているかもしれませんけど」

「…………」

「ユエル様がお望みとあらば、子の一人くらいは生んで差し上げますわ。眷族になれるのなら、そのくらいはお安い御用ですもの」

「……なるほど」

 ユエル様の声に笑みが含まれたように聞こえた。呆れて、鼻先で笑ったような。

 けれど、ユエル様は亜矢子さんの申し出を即座に断りはしなかった。思案しているように、見えなくもない。

 眷族は、一人でなければならない、というわけではない。何人も眷族がいたっていいって、聞いた。

 わたしじゃ、だめなんだ。

 ユエル様の真の意味での眷族に、わたしは相応しくない。だから亜矢子さんを……?

 亜矢子さんを眷族にするんだろうか、ユエル様。

 そうしたら、わたしはどうしたらいいの? 今まで通りユエル様のお傍にいられる? ユエル様と亜矢子さん、二人が並んでいるのを見ていられるの?

 想像するだけで、胸がこんなにも痛むのに? 死んでしまいそうなくらい、苦しいのに。

 ユエル様は暫時沈黙していた。

 亜矢子さんに「いかが?」と返答を求められ、ようやく口を開いた。

「……眷族になるということがどんなことか、それを理解していないことは、分かった。都合のよいように解釈していることも。まぁ、盗み聞きで得た情報だ、片手落ちにもなろうね」

 笑みを含んだままの声で、独り言のようにユエル様が言った。風に乗って聞こえるユエル様の声には皮肉めいたものを感じる。いつもそういった口調といえば、そうなのだけど。

「どういう意味ですの?」

 亜矢子さんは持っていたビデオカメラを腕に提げているハンドバッグにしまい、怪訝そうな声でユエル様に問うた。

「…………」

 ユエル様はため息をついたようだった。それから断じるような口調で亜矢子さんに言った。

「君がなりたいものは吸血鬼の眷族であって、"私の眷族"ではないね?」

「あら。ええ、そうですわね。この際包み隠さず申し上げますわ。もちろん、ユエル様の眷族になれれば、それがベストだとは思ってましてよ? けれどユエル様に随従したいわけではありませんわ。ユエル様が望まないのであれば、私を愛して下さらなくても結構です。私も、ユエル様一人に縛られるのはごめんですわ」

 ――……え?

 思わず耳を疑った。

 亜矢子さん、何を言ってるの?

 愛してくれなくてもいい? それって……?

「割りきった関係の方がお互い楽ですわね。ですからこれは"取引"といたしましょう。私が欲しいのは不老不死の肉体、永遠の若さですから、それが叶うなら、対価として、子を生むくらいのことはしますわ」

 耳を打つ亜矢子さんの平然とした声が、耳鳴りとなって頭の中で渦巻いてる。

 どういうこと……?

 わたしはてっきり……亜矢子さんもユエル様に恋をしていて、だからユエル様の眷族になりたいと申し出たのだと思ってた。わたしを目障りだと思っていたのは、ユエル様に恋をしていたからではないの?  わたしがユエル様の眷族だから疎んじていたのではないの?

 ううん。わたしのことはいい。わたしが亜矢子さんにどんな理由でどんな風に思われていようと、それはこの際どうだっていい。

 亜矢子さんの目的は、ユエル様の眷族になることじゃなくって、永遠の若さを得ることだったの? ユエル様の眷族になることで、「不老不死」の肉体を得ようとしていたということなの?

 ……ひどい!

 そんなの、ただユエル様を利用しようとしてるだけみたいだ! ユエル様の気持ちなんてまるっきり無視で! ユエル様がどんな気持ちで「生殖者」でいるのか知りもしないで!

 亜矢子さんはさらに続ける。

「ユエル様にとっても悪い話ではないでしょう? あんな冴えない子に種を継がせるための子を生ませるより、私に方が優れた種を残せますもの」

 ざわざわと、葉擦れの音が夜の空気をざわつかせる。微かな音なのにひどく耳について、不安感を煽ってくるようだ。体が強張って動かないのに、今すぐ飛び出して亜矢子さんを詰りたくなるような衝動にも駆られる。けれどやっぱりまだ立ち竦んだまま、わたしはユエル様と亜矢子さんのやりとりを盗み見ている。

「お受けくださいますわよね、ユエル様? よもやお断りになるとは思えませんけれど、……そう、もしお断りになるようでしたら、撮った映像……ユエル様が人間ではなく、吸血鬼というモンスターである証拠の映像を、世間に公表しますわ。テレビでもネットでも、容易く世界中に情報を拡散できますから。センセーショナルなニュースになること、間違いありませんわ。そうなればユエル様、さぞや人間社会での活動がしにくいでしょうね? なんといっても人間の生気がなければあっけなく死んでしまうんですもの」

「…………」

 ユエル様は微動だにせず佇んでいる。焦燥の色をまったく浮かべず、亜矢子さんの恐喝などどこ吹く風といった体でいる。そのせいなのか、逆に亜矢子さんの方こそが焦り、苛立ちに語気が荒くなっているみたいだった。

 亜矢子さんは、ユエル様が狼狽し、脅しに屈して自分の要求をすぐさま飲んでくれると見当をつけていたのかもしれない。なのにあてが外れて焦っている……ようにも思える。

 ああ、でも。でもユエル様、亜矢子さんの要求に「諾」とも「否」とも、はっきり答えていない。さっきからひどく曖昧な受け答えばかりを返し、いつものユエル様らしくない。

 亜矢子さんの無礼極まりない要求なんて突っぱねてほしい。

 そう願うのは、わたしの身勝手な願いだ。

 だってユエル様には「時間」がない。

 生殖者であるユエル様には眷族が必要なのだ。子を成さねば、生殖者は「死んで」しまう。

 ユエル様が、……死?

 そんなの、いやだ。そんな恐ろしいこと想像したくもない。

 だけどそれ以上に、亜矢子さんがユエル様の眷族になる方が、辛くて苦しいなんて……。

 止めようもなく涙が零れ落ちてくる。嗚咽を堪えるのが精いっぱいだ。

 わたしも、わたしのことばかり考えてる。亜矢子さんを詰る資格なんて、わたしにはない。わたしの方が亜矢子さんよりずっとずっと身勝手で、最低だ……!

 ユエル様のことを思えば、亜矢子さんを突っぱねてほしいなんて、言えないはずなのに。

「たしかに、吸血鬼などあっけなく弱いモンスターだ」

 そう言って、ユエル様は鼻先で笑った。それから踵を返し、池の方へ歩を進めて、亜矢子さんから距離をとった。池の辺に立ち、ユエル様は再び亜矢子さんの方に体を向けた。

「その吸血鬼の眷族になりたいなど酔狂なことだ。そういう人間も、今まで何人かはいたが。……まぁ、それほどに望むなら、眷族にしてやってもいい」

 ユエル様の言葉が、わたしの耳朶を冷たく打った。


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