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51.暗影

 聞き馴染みのある、その声。

 男性の声で、少し不機嫌そうな、突き放したような声音。

 ――ユエル様だ。

 いつもよりずっと刺々しく鋭い声だけど、ユエル様の声を聞き違えるなんてあり得ない。

 わたしは息を詰め、木の影からこっそりと顔を出す。

 ユエル様一人じゃない。誰かといる。その誰かが、ユエル様の問いに応じた。

「あら、私が何を求めているか、ユエル様は察していらっしゃるのでしょう?」

「さて、ね」

 ユエル様と一緒にいるのは亜矢子さんだ。甲高く、居丈高な声。

 こちらに背を向けて立っているのは亜矢子さんだ。顔は見えないけれど、あの赤いチュールのドレスは間違いない。手に何かを持ってるみたいだ。片手に何かを載せてる。

 ユエル様は亜矢子さんと向かい合っているのだけど、距離は余り近くない。両腕を組み、亜矢子さんを視線の端でとらえているといった風だ。表情は遠目だし薄暗くてよくは見えないけれど、微笑を湛えているようには見えない。

 ――どうしよう。

 また立ち聞きだ。これで何度目だろう。

 顔を引っ込め、木の幹におでこをくっつけて瞼を伏せた。

 こんなのよくないって思うのに、でも、どうしよう。今さら立ち去ることなんてできない。だってやっぱり、……気になってしまう。

 ユエル様と亜矢子さん、何を話してるんだろう。こんな人気のないところで、二人きりで。

 皓々と点る筒状のガーデンライトが複数設置してあるおかげで、辺りはそんなに暗くはない。周りの人工林は夜闇に包まれているけれど、ぽっかりとひらけたようなその空間は明るく、それなりに広いようだった。ユエル様と亜矢子さんの佇むすぐそばには噴水のある池泉があって、それもけっこうな広さのある池だ。昼間の明るい時に見たら、きっと素敵な庭園なのだろう。

 池の端で、噴水が控えめな水音をたてている。それが周りの音を消してるみたいだった。パーティー会場の喧騒も微かに聞こえるけれど、誰も来ないみたい。人が来る気配が、まったく感じられない。

 たぶん……亜矢子さんがユエル様を人気のないところまで連れて来たんだろう。二人きりになるために。

 木の幹に体をくっつけて、そうっと顔を出して、再び二人の様子を覗き見る。

 ユエル様と亜矢子さんの間の距離は全く縮まってない。ユエル様の歩幅なら、三歩くらいの距離。近いような、けれど微妙な距離。

「私の気持ち、あえて口に出さずとも、ユエル様は察してくださっていると思っていましたわ」

「なぜその必要が?」

「まぁ、つれない仰りようですこと」

 亜矢子さんは肩を揺らして笑う。ここからは亜矢子さんの後ろ姿しか見えずどんな表情をしているのかは窺い知れないけれど、ユエル様に対し、いつにない権高な物言いをしてる。『占いの門』にお客様として通ってた亜矢子さんとはまるで別人みたい。良いところのお嬢様らしく言葉遣いは丁寧といえるけど、ひどく慇懃無礼だ。

「では、単刀直入に申しますわ。ユエル様は人間ではなく、そう……吸血鬼、ですわね? お連れのお二方も。ええ、存じ上げていますわ。すべて」

「…………」

 ――やっぱり。

 そう思ったのは、もしかしたらわたしだけではなく、ユエル様もかもしれない。

 ユエル様は無言で応えた。組んだ腕をほどくこともなく、彫像のように微動だにせず、ユエル様はその場に佇んでいる。

 わたしはユエル様のように泰然と構えてはいられなかった。動揺のあまり声をもらしそうになり、慌てて片手を口に当てた。心臓がバクバクいってる。

 やっぱりとは思ったけれど……でも、どうして? どうして亜矢子さんはユエル様の正体に気づいたの? 出逢ってからまだ間もないのに。顔を合わせ、話す機会は、たしかに他のお客様……女の子達より多かったけれど、正体を知るようなきっかけなんてなかったはずだ。

 そもそも、どうして「吸血鬼」だなんてことを信じられるの?

 だってあまりにも現実離れしていて、ふつうならそんなこと、容易く信じたりはしない。

 吸血鬼なんて伝説上の怪物だって考えるのが「ふつう」だって、そうユエル様は教えてくれた。吸血鬼であることを人間に告白したところで、それを真に受けるような人間は現代にはほとんどいないのが通常だって。

 なのに亜矢子さんは「真に受けて」いる。吸血鬼の存在を信じている……?

 ユエル様の怪訝そうな表情を受けて、亜矢子さんは答えた。

「はじめは私も信じられませんでしたわ。吸血鬼だなんて、そんなくだらない冗談。けれどどんなに検証しても、このビデオに映った映像は"本物"で、それが何よりユエル様達の正体を如実に現していると納得せざるを得なかったんですもの。ここに、映像を持ってきていますわ。ご覧になります?」

「…………」

 ユエル様は口を噤んだまま。何をしようともしない。

 亜矢子さんが片手に持っていたのは、ビデオカメラのようだった。片手に載るくらいの大きさのそれを何やら操作し、ユエル様に向けた。

「ふふ。さすがに私も、これを見ても、俄かには信じられませんでしたわ。電磁波の影響かカメラの故障か、いろいろと原因を考えてもみたのですけど、カメラの以上ではなく、ユエル様が"異常"だった、というわけですわね?」

 愉快げな口調で亜矢子さんは喋り続ける。そうやってユエル様の反応を引き出そうとしてるみたいだ。

「ユエル様がカメラ撮影を厭われるわけが分かりましたわ。安っぽい心霊写真みたいになる可能性があるんですのね。ビデオに、衣服は映っているのに、それを着ているはずの人の姿が透けて見えたり、突然見えなくなったり……。姿が消えても声だけはして、服は動いて。なんとも不気味で滑稽で、シュールな映像ですわね?」

 亜矢子さんは笑っているようだった。なんだか余裕たっぷりといった感じで。

 一方のユエル様は、少しだけ顔を動かし、ようやく亜矢子さんを真正面から見た。きっと剣呑な目をしている。ユエル様の周りだけ空気がピリピリと鋭く尖っていくような、そんな気配がする。

 だって、胸がこんなにもどきどきして、痛くて、苦しい。ユエル様の緊張……怒りが、わたしに伝わってくるみたいだ。

「盗撮とは、悪趣味このうえないね」

「あら、セキュリティチェックですわ。昨日も申し上げましたけれど。得体の知れない方にあの稀少な物件を売却して、そのまま放ってはおけませんでしたもの」

「なるほど。あの不動産会社は桜町の系列だった、というわけか。が、盗撮をセキュリティとは言わないだろう。気づかれぬようなところに設置しておいて、会話まで盗み聞くなど下種の極みだ」

 ユエル様の言葉に、ギクリとして肩をすぼませた。今この場で、もの影に隠れて「盗み聞き」をしているわたしだ。しかも最近盗み聞きばかりしてるんだもの。ちょっとどころか、かなり居たたまれない……。

「なんとでも。悪趣味と言われれば、たしかにそうですわね。それは否定しませんわ。私の興味を引くような事がなければビデオも電源を切っていたでしょう。けれど、予想以上の結果でしたわ。見逃すことなんて到底できない程の」

 ――ああ、そうか。ひとつ、謎が解けた。

 亜矢子さんがどうやってユエル様の……わたし達の正体に気づいたのか。

 わたし達が仮住まいをしているあの屋敷に盗撮用のビデオカメラが仕込まれていたんだ。それでわたし達の会話を盗み聞きしていた。だからアリアさんのこともイスラさんのことも、知っていた。

 アリアさんとお出かけした昨日、帰ると亜矢子さんがいて、ユエル様と立ち話をしていた。その時も、今と同じような会話をしていた。もしかしたら亜矢子さんは盗撮したという映像をネタにしてユエル様を強要したのだろうか。今宵、パーティーに来るようにと。ユエル様は億劫がって、パーティーに参加するつもりはなさそうだったもの。

 でも、変だ。

 盗撮された映像を盾に強要されたからって、唯々諾々と従うようなユエル様じゃない。

 ひとつの疑問が解けると、また別の疑問が湧きあがってくる。そして自分の中で勝手に推測が膨らんでいってしまう。不安が、胸を犇めかせて、苦しくさせる。

 どうして。どうしてなの。

 その言葉がどんどん膨らんで、胸の中で吹き荒れて、とまらない。

 その時、ざぁっと、風が起こった。木々が梢を大きく揺らして音を立てる。空から落ちてきたような、一瞬の強い風。

 わたしは肩をすぼませる。震えるほど……寒い。

「……それで?」

 ユエル様は組んでいた腕をほどき、風に乱された髪を鬱陶しげにかきやった。そうして亜矢子さんを見据えた。

「私を……吸血鬼を退治したいわけではないね?」

「ええ。退治なんて、そんなつもりは毛頭ありませんわ」

「…………」

 煩わしげにユエル様は問う。「目的は」、と。

 亜矢子さんは答えた。

「私を、ユエル様の眷族に」

 ひどく確信的な口調で、さも当然のことのように。

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