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49.恋風

 それにしても亜矢子さん、わたしに対しては相変わらずだ。塵芥を見るような目でわたしを見る。嫌悪のまなざしに少しは慣れたつもりでいたけど、やっぱりそう容易く慣れるものでもなく、気分はあまり良くない。

 亜矢子さんは、なぜあなたがここにいるのと言わんばかりに鋭く睨みつけてきたかと思うと、その後はあからさまに無視を決め込んだ。

「ユエル様、あちらにいる私の友人たちが、ぜひともユエル様とお話をしたいと申しておりますの。紹介させてくださいますわね?」

 そう言うや、亜矢子さんはわたしを押しのけるようにしてユエル様に詰め寄り、腕を掴んだ。わたしはやむなく退いて、ユエル様の傍を離れた。

「ユエル様に占ってもらった子もいますわ。パーティーにいらっしゃると聞いて、みな、驚いて、会いたがってますの」

「…………」

「みな、待ちかねてますわ。さ、はやく、私と一緒にいらして?」

 亜矢子さんの強引さにユエル様は眉をしかめたけれど、やむを得ないといった風に嘆息した。どうやら、亜矢子さんの言葉に従うみたい。招待状の送り主なのだ。断っては礼儀を失することになる。体面を保つためとはいえ、いかにも面倒くさげな表情で、ユエル様は亜矢子さんの誘いを受けた。

「アリア、ミズカを頼む」

 去り際、ユエル様はひそめた声でそうアリアさんに言い残した。わたしには何も言わず、少しだけ気まずそうな顔をして、視線を逸らした。だからわたしも声をかけられなかった。

 ――引き止めるなんて、当然できなくて。

 置いてきぼりにされるみたいで、心細い。だけどそんなこと言えるはずなかった。アリアさんもイスラさんも傍にいてくれるのに。

 亜矢子さんはこれ見よがしにユエル様の腕に自分の腕を絡め、ぴったりと身を寄せた。わたしと一瞬目が合い、思いきり「フンッ」と鼻を鳴らして顔を背ける。ちょっと子供っぽいような、あからさま過ぎる態度の亜矢子さんを、アリアさんは呆れたように苦笑して、イスラさんは眉をひそめて見送った。

 わたしも、口を噤んでユエル様の背を見送った。ユエル様と並んで歩く亜矢子さんの後姿も。

 無意識にため息がこぼれ出る。

 亜矢子さんはわたしを思いっきり嫌い、それを態度で示してくる。

 だけど怖くはない。わたしが何を言ってもしても文句をつけてくるから苦手ではあるけど、怖いとまでは思わなかった。言葉はきついけど、鞭を振るうような乱暴はしないもの。

 それでも、どうしてだろう。亜矢子さんの言葉やまなざしは、鞭より痛い。

 どうしてこんなに胸が痛くて苦しくなるんだろう。

 ユエル様の姿が人波にかき消されて、ついに見えなくなってしまった。

「ミーズカちゃん」

 ぼうっとしてると、横からアリアさんがひょいっと顔を覗かせた。

「ね、ミズカちゃん、あっちへ行ってみない? 庭がライトアップされてて綺麗だわ。近くに行って見てみましょう? ね?」

「あ、はい」

 そう言ってアリアさんはわたしの手を掴み、歩きだした。イスラさんもその後に続く。

 アリアさんが指さした方、そこは一面のガラス張りになってて、庭が一望できるようになっていた。とっくに日は暮れて、空は藍色に染まってる。夜の暗さを一掃するように、パーティー会場内だけじゃなく、庭にもたくさんの灯りが設置されていた。ライトアップされた庭はアリアさんが言うように遠目からでもとても綺麗に見えて、どうやらその庭にも出られるみたいだった。

「ね、ミズカちゃん、あとで庭を散策してみましょ? けっこう奥行き深いみたいなの。池もあるし、薔薇の綺麗な所もあるのよ。派手じゃないイルミネーションもなかなかセンスが良くて、見応えがあるわ」

「……はい」

 頷いたけれど、ちょっと不思議で、小首を傾げた。

 そういえばアリアさん、このホテルに来たのは初めてじゃない……?

 さっきからそんな口ぶりだ。亜矢子さんのことを調べた時に、もしかしてこのホテルにも来てみたんだろうか?

 それを確認しようとしたところで、陽気な声にそれを阻まれてしまった。

「ヘーイ、アリーア!」

 突然わたしたちの前に現れた外国人男性は、アリアさんの知人らしい。赤ら顔のその人はアリアさんやイスラさんと比べたらずいぶんと小柄で、けれどたぶん見た目的にはアリアさん達より年上だ。くりんくりんの金の巻き毛とそばかすの多い赤ら顔、やや痩せ気味の身体を落ちつかなげに動かして、なんだか、いかにも外国人という風体だ。

 アリアさんを捕まえるや、その男性は早口に何かを喋ってる。英語なのはなんとなく分かったけれど、なにしろ早口で、聞きとりにくい。アリアさんも英語で話し返していた。

「ミズカちゃん」

 話がひと段落ついたのか、アリアさんはわたしの方に顔を向け直し、突然現れた男性を簡単に紹介してくれた。

「紹介するわ。彼、馬術の教室で知り合ったの。ジョナサンよ。ジョナサン、こちらはあたしの友達よ。ミズカちゃんと、イスラ」

 初めましてと会釈をすると、彼はむんずとわたしの手を握り、陽気に笑って「ハジメマシテー」と日本語で返してくれた。日本語もほどほど分かるらしい。イスラさんはさすがに英語で返してた。

 今さらなのだけど、アリアさんもイスラさんもとってもバイリンガルだ。躊躇なく二つの言語を操ってて、しかも流暢だ。

 すごいなぁ……と改めて感嘆した。

 わたしが感心してる間に、ジョナサンさんはアリアさんにお誘いをかけていたようだった。ジョナサンさんの友達も何人かこのパーティーに呼ばれているらしい。向こうにみんないるから、アリアさんに来てくれと頼んでるようだった。わたしとイスラさんも、アリアさんの友達ならぜひ紹介したいと意気込んでるようだ。

 ニホンのオンナノコ、トモダチになりたいと言ってて、ちょっと困ってしまった。

 変な意味はなく言ってるのだとは思うけど、つい警戒して、顔が自然と強張ってしまう。

「アリアたちきたら、ミンナ、ヨロコブよ」

「そうね、せっかくだから、会いに行こうかしら。イスラ、どうする?」

「そうだなぁ」

 アリアさんは一瞬ためらったけれど、結局はジョナサンさんのお誘いに乗った。どうしするかと訊かれたイスラさんは、ちらりとわたしの方を見やってから、返事をした。わたしの意を汲んでくれたみたいで、「いや」と首を横に振った。

「俺とミズカちゃんは遠慮しとくよ。あっちで待ってる」

 わたしがやたらに緊張してるのにイスラさんは気付いたんだろう。ジョナサンさんのお誘いを申し訳なさそう顔をしながらも、きっぱりと断った。ジョナサンさんは残念がったけれど、無理に誘ってきたりはしなかった。

「分かったわ。……そうねぇ、この際だからジョナサン達にも協力してもらおうかしら。人数は多い方がいいわよね」

「そのあたりは、アリアに任せるよ」

「できればすぐ戻るけど、イスラ、ミズカちゃんのこと、頼むわね?」

「分かってるって。まったく、ユエルもだが、アリアもたいがい過保護だな」

 アリアさんもイスラさんも、わたしを一人にしておけないと案じている。不慣れな場所で、わたしがどんな失態をしでかすか気が気でないのかも。わたし自身、やっぱり一人きりになるのは怖いし不安だから、アリアさんとイスラさんに、「お二人で行ってらしてください」とは言えなかった。せっかくのパーティーを、わたしの一人のせいで楽しめないのは申し訳ないのだけれど……。

 アリアさんとはここでいったん別れた。どうやらテーブルのある方に向かったみたい。なにしろ人が多くて、ユエル様の時と同様、アリアさんとジョナサンさんの姿はすぐに人波に呑まれて、見えなくなった。

 その後、わたしとイスラさんは庭が良く見える所へ移動した。ワイドビューのガラス壁はとても綺麗に洗浄されてて、見渡しがいい。わたしみたいに手をついて外を眺める人もいたから、多少手垢などはついてしまっていたけど。

「ミズカちゃん、何か飲もうか。せっかく来たんだしさ。持ってくるよ。何がいい?」

「あ、飲み物なら、わたしが」

 慌ててイスラさんの方に向き直った。

「いいよ。俺が行ってくる。ミズカちゃん、こういうとこの勝手、わからないだろ? 飲み物、何がいい? 酒はダメだよね? フレッシュジュースでいいかな?」

「……すみません、お願いします」

 イスラさんの言う通りで、どこでどうやって飲み物をもらってきたらいいのか分からない。恥ずかしさが増し、申し訳ない気分もさらに上がってしまった。

「そんな委縮しないでよ、ミズカちゃん。初めてなんだから、分からないのは当たり前。こういう時は甘えてもらえる方が嬉しいよ」

 そう言って、イスラさんはわたしの頭をぽんぽんっと軽く叩いて励ましてくれた。

「はい」

 素直に頷くと、イスラさんはニカッと歯を見せて笑った。こちらまで笑顔になるような、そんな笑みだった。

 無駄な気遣いをさせちゃいけない。だから、イスラさんのお言葉に甘えてしまおう。

「あの、それじゃぁ、果物のジュースで、炭酸じゃない物があれば、それで」

「わかった。じゃ、ここで待ってて。すぐ戻るから」

 イスラさんは軽やかに身を翻し、わたしの傍から離れた。


 イスラさんが戻ってくるのを、外を眺めながら待った。

 ガラス壁の向こうの庭には、テーブルも椅子もいくつか用意してあって、そこで歓談している人達もいた。ライトアップされているといっても派手さはちっともなく、庭木を光の中にうまく浮かびあがらせている。カラマツやモミジ、苔や羊歯の緑がやわらかな光によく映えていて、とても綺麗。庭、というよりもまるで人工林のような自然な庭の造形だ。石畳の小路もあって、路に添うようにして照明が設置されている。アリアさんが言ったように、ずいぶんと奥行きのありそうな庭だ。ホテルの敷地はかなり広いみたい。

 夜の緑は、なんて静かで深いんだろう。少し、怖いくらいだ。

 人工的な明りによって作られる葉影の色の濃さは、夜の闇をそこに凝縮しているみたい。迂闊に入り込んではいけないような雰囲気がある。それでも、人工的な灯りは不思議と安心感を与えてくれる。矛盾してるけれど、灯りってそういうものかもしれない。

 そんなことを考えながら、ぼんやりとガラスの向こうの景色を眺めていた。

 何度目かのため息が零れ落ち、俯きかけたその時だった。

 ふと、背後に人の気配を感じた。誰かが近づいて来て、真後ろに立っている。それに気づいて視線を上げた途端、ぎょっとして、固まってしまった。背後にいる人の顔がガラスに映って、目が合ってしまった。

 ガラスに映っていたのは、アリアさんでもなければ飲み物を持ってきてくれたイスラさんでもなく、ユエル様でもなかった。不機嫌極まりないといった表情の亜矢子さんが、そこにいた。

 どうして亜矢子さんがここに? 一人だけど、ユエル様は一緒じゃないの?

 疑問が頭の中で飛び交ったせいで、振り返るのに僅かの間がいった。ともかく、慌てて亜矢子さんの方に向き直る。

 亜矢子さんは仁王立ちといった様相で、二の腕を組み、わたしを射竦める強いまなざしで睨みつけてくる。

 わたしは唾を呑みこんだ。

 いつもと立場が逆転してるからか、上手く言葉が紡ぎだせない。

「あ、あの……きょう、は、今日はお招きくださって」

「あなたなんて」

 わたしの言葉を遮って、亜矢子さんは吐き捨てるように言った。

「あなたなんて呼んだおぼえはないわ。図々しいったら」

「…………」

 言い返せるはずもなく、わたしは口を噤む。謝ったところで亜矢子さんの気分が良くなるとも思えない。何を言っても亜矢子さんの癪に触るだけだ。黙っているよりほかない。

 逃げだしたかった。だけど、逃げだしようがなかった。

「まったくどこまで厚かましいのかしら。これ見よがしにユエル様にベタベタくっついて。目障りだったらありゃしない」

 唾でも吐きかけてきそうな口ぶりで亜矢子さんは忌々しげに顔を歪めた。

 どうやら、ユエル様と同伴してきたわたしに一言言いたくてやって来たらしい。

「単刀直入に言うわ」

 亜矢子さんはわたしに対する悪意を少しも抑えない。それどころか剥き出しにしてわたしを威嚇してくる。

「あなた、身の程を弁えたらどうなの? たかだか使用人風情が生意気に。ユエル様に、あなたは不釣り合いなのよ。それなのにいけしゃあしゃあと並び立って。見苦しいったら!」

「…………」

「なに、その不服そうな顔は? それにその憐れっぽい顔も鬱陶しいのよ。そうやってユエル様の気を引いているんでしょう?」

「ユエル様の気を引くなんて、……そんなつもり、わたしは……」

「何も知りませんみたいな純真ぶった顔して。ユエル様に守ってもらおうって魂胆が見え見えなのよ!」

「そん、な……」

 声が震える。

 なぜ、こんな風に一方的に責められなくてはいけないの? そう思うのに、言い返せない。喉が詰まり、唇が乾いていく。

「無駄なのよ」

 亜矢子さんは組んでいた腕を解き、片手を腰に当て、片手を胸に当てた。その僅かな動作に、わたしはビクリと肩を竦めた。殴られるのかと、一瞬身構えてしまった。

 亜矢子さんは暴力を振るってはこない。けれど早口でぶつけられる罵倒はあまりに鋭く深く、胸に突き刺さってくる。

 亜矢子さんは嘲笑を口元に滲ませた。

「気付かれないとでも思ってた? 丸わかりなのよ。ユエル様のこと、好きで好きでたまらないくせに!」

「……っ」

 断言され、とっさに亜矢子さんから目を逸らした。

「みっともないくらいユエル様に恋焦がれてるくせに! あなたなんかユエル様が相手にするものですか!」

「…………」

 頭ごなしに罵倒され、全身が戦慄いた。

 頭が真っ白になった。何も言い返せない。どうしたらいいのかもわからない。

 亜矢子さんの言葉が、石礫のように脳裏にぶつけられ、痛みを残していく。

「いいこと? 不相応な望みなど捨て、私の前から、ユエル様の前から消えて。あなたなんてもう要らないのよ! 分かったわね? その顔を、もう見せないで頂戴」

 強い口調で放言し、亜矢子さんは断ち切るように踵を返し、立ち去った。

 わたしは俯き、唇を噛みしめていた。


 ややあってからだった。

 立ち竦んでいるわたしの前に、再び誰かが立った。

「……図星さされちゃったね、ミズカちゃん」

 宥めるような声だった。顔を上げると、二人分の飲み物を持ったイスラさんがそこにいた。


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