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42.気掛かり

 突如現れたのは、ユエル様だけじゃなかった。

「んもぅ、イスラ! 何度言えば分かるの? ミズカちゃんにちょっかいを出すのはほどほどにしなさいって言ったでしょ?」

 ぴっちりフィットした白いTシャツとジーンズという軽装で現れたアリアさんは腰をかがめ、わたしの頭を豊満な胸元に寄せてぎゅむっと抱きしめてくる。

「……っ」

 上半身が傾いで、とっさに身を硬直させた。

 アリアさんの胸元は柔らかくて、甘い香りがする。低反発のクッションをあてがわれたみたいな弾力が気持ち良くって、一瞬うっとりするのだけど、すぐさま気恥ずかしくなって、また肩に余計な力が入ってしまう。

 き、気持ちいいんだけど、落ち着かないっていうか……!

 心臓が、どきどきと高鳴る。

 それに、ユエル様の苛立った声がわたしを焦らせた。不機嫌極まりないといった顔でイスラさんをきつく睨みつけている。

「イスラ、ミズカに馴れ馴れしく触れるな」

 何度も言わせるなと、ユエル様は眉をしかめ、イスラさんの肩を掴んだ。きっと掌に火の魔力をこめている。ユエル様の緑色が険悪な光をはらんでイスラさんを睨めつけていた。

 だけどイスラさんは恐れげもなくユエル様の手を払いのけ、それどころか口元にちょっぴり意地悪な笑みを浮かべて喧嘩腰に言い返した。

「ユエル、おまえホント余裕なさすぎ。見苦しいったらないね。そういう自分に酔ってるのか? 酔っぱらいの面倒を見るのは誰か、ちっとは考えろってんだ」

「言いたいことはそれだけか」

「いーや? もっと言ってやりたいところだがミズカちゃんの手前もあるし、我慢してやってるんだぜ? おまえと違って余裕あるからね、俺は」

「減らず口を」

「叩いちゃうね、いくらでも。だいたい俺はなぁんにも悪いことなんてしてないし。てか、感謝されてもいいくらいだよなぁ? 昨夜のことだって、ひとっことも聞いてないぜ、感謝の言葉。俺の世話になっておきながら」

「……イスラ」

 イスラさんは座ったままユエル様を睨み返し、せせら笑ってユエル様を煽った。

 ユエル様は声を荒げこそしないけれど、憤然たる面持ちになり、イスラさんの挑発に乗ってしまっている。

 どっ、どうしようっ!? なんだかものすごく険悪で、一触即発といった雰囲気だ。

 そこに割って入って仲裁するなんてわたしにはできるはずもなく、ただおろおろとするばかりだ。

 ユエル様の不愉快指数が瞬く間に上昇していっているのが分かる。ユエル様を取り巻く空気が張り詰めていく。

 ユエル様は振り払われた手を再びあげ、掌をイスラさんに向けた。火の魔力がそこに集中しているのが分かった。

 ――だめ、ユエル様っ!

「もぅっ!! じゃれあうのもいいけど、たいがいになさい、二人とも!」

 わたしが腰を浮かせたのとほぼ同時に、アリアさんが憤然と声をあげて二人の間に割って入った。そして、ぴしゃりとユエル様の手を軽くはたいておろさせた。

「ユエル! 八つ当たりしたくなる気持ちは分からないでもないから止めはしないけど、イスラを叩きのめそうというのなら、場所を選んでちょうだい!」

 アリアさんは両手を腰に当て、目を吊り上げてユエル様を睨みつける。舌足らずな声のせいか、怒声も威圧的なものにはならない。けれど美女の憤怒の形相は迫力がある。

 ユエル様はアリアさんの叱咤に気勢をそがれてしまったのか、押し黙り、ばつが悪そうに視線を逸らした。

「そうだわ。いっそのことイスラに手袋投げつけて、決闘宣言でもなさい」

 喧嘩はだめよと叱りつけるのかと思えば、アリアさんは突飛なことを言い出した。

「それで思う存分やりあえば少しはすっきりするでしょ? でも今はダメ。ミズカちゃんのいる前ではダメよ。それとイスラ、あんたも!」

 アリアさんはくるりと首を巡らして、イスラさんを睨み据える。

「急きたてる加減を過っちゃダメ。もう子供じゃないんだから、遊びたい気持ちは分かるけど、ちょっとは自重なさい。喧嘩を売ろうが買おうがそれは好きにすればいいけれど、せめてこちらに飛び火しないようにして」

 アリアさんは、「まぁまぁ二人とも、そのくらいにして」と、宥めたりはせず、かえって喧嘩をけしかけることを言う。

 さすがに堪らなくなって、「だめです、そんなこと!」と口を挟んだ。

「決闘なんてそんな物騒なこと! だ、だめですからね、ユエル様!」

 立ち上がり、ユエル様の傍へ寄り、胸元をぎゅっと掴んだ。そうしてユエル様を見上げ、とにかく気を落ち着けてくださいと懇願した。

 胸が、騒ぐ。

「決闘なんてやめてください! そんな危ないこと……! ユエル様に何かあったら、わたし……っ」

 昨夜の……昏倒したユエル様を思いだしてしまった。

 ユエル様の身に何かあったって考えるだけで、不安に胸が潰れそうになる。

 それに、旧友と争うなんて、決闘なんて、そんな悲しいこと! しかもその争いのきっかけがわたしだなんて……!

「ミズカ」

 ユエル様は躊躇した様子でわたしを見つめ返してきた。

 動揺のあまり声を詰まらせるわたしを見かねてのことだろう、アリアさんが横合いから言葉を掛けてくれた。

「ほら、分かったわね、ユエル? ミズカちゃんをこれ以上困らせちゃダメ。分かってるでしょう? ユエルばかりが辛いのじゃないのよ?」

 アリアさんの声は、窘めながらもやわらかくて優しい声音で、ほんの少しからかうような笑みが含まれているようにも感じられた。

「ミズカちゃんが心に掛けているのは、いつだってユエル、あなたなんだから。無用な心配をかけるようなこと言っちゃダメ。とくに今日は。いわゆる正念場、なんでしょう?」

「だよなぁ」

 さっきまでの喧嘩腰はどこへやら、イスラさんは暢気に笑ってアリアさんに追従した。

「ミズカちゃんを不安にさせたくないってんなら、そっちから矛をおさめてほしいね」

「…………」

 ユエル様は苦りきった顔をしてため息をついた。「しかたがない」といった態でアリアさんとイスラさんの言を入れ、それからわたしの両手を軽く握って、そっとはずした。

「決闘などしないから、安心していいよ、ミズカ」

「……ほんとですか?」

「しない。第一イスラ相手に七面倒な手順を踏むのもばかばかしい。どのみち勝敗は決まっている」

「…………」

 しない、と断言はしてくれたけど、ユエル様の辛味のききすぎる言葉にホッと胸を撫でおろすことはできなかった。不承不承、いたしかたなく矛をおさめたというのが、ありありと表情に出ているのだもの。

 心配になって、イスラさんの方に目をやった。

 イスラさんは不服そうな顔をしていたけれど、売り言葉を買ったりはしなさそうだった。「勝手に言ってろ」と、呟きはしたけれど。

 わたしは肩をすぼめて、ユエル様から身を離した。

 ユエル様は脱力したように、また、小さなため息をこぼした。微かに笑んでわたしを見つめる。

 ユエル様の深緑色の目とぶつかった。

「あ、あの、ユエル様」

 ユエル様、と呼びかけ、けれど言いたかったことは形になる前に霧散してしまった。

「ん? 何?」

 ユエル様の表情がふとやわらいだ。目を細め、ちょっと小首を傾げてわたしを見つめる。

「……あ、の――」

 結局、それ以上言葉は続かなかった。

 言いたいことは山ほどあるはずなのに、それはいつだって言葉にならず、心の奥底に沈んでしまう。

 ユエル様に、わたしは何を伝えたいのだろう。

 胸がチリチリと痛んで、締めつけられる。――この痛みを、訴えたいの……?

 わたしが言葉を紡ごうとするより早く、アリアさんが行動を起こした。わたしの両肩をがっちり掴み、引き寄せた。

「さぁ、そんなことよりも! 準備しなくちゃ、ねっ、ミズカちゃん?」

 場の空気を変え、和らげるようにアリアさんは明るい声を発した。アリアさんは満面の笑みを浮かべ、わたしの顔を覗き込んでくる。朱唇の端に指をあて、片目を瞑るその仕草は子供っぽくもあるのに、あでやかな女性らしい色香もある。

「あ、あの、準備っていったい……」

 訳がわからず、目を瞬かせた。アリアさんはくすっと小さく笑う。

「もちろん、パーティーのよ。今夜は、なんとかいうお嬢さんの招きでパーティーに行くんでしょう? うんとドレスアップしなくちゃ! そのためにミズカちゃんを呼びに来たのよ」

「えっ、でも、パーティーは夕方からですよね? 今まだ、やっと十二時を回ったばかりで、支度をするには早すぎるんじゃ……」

「あらぁ、早いなんてことないわ。ユエルからも言いつかってることだし、たっぷり時間をかけて、おめかししてあげる」

「えっと、……――」

 でも、と言葉を継いで、ユエル様の方に顔を向け直した。アリアに任せてあるから、言う通りにしなさいとユエル様の深緑色の瞳が語っている。わたしはとまどいつつも、ユエル様とアリアさんの意向に唯唯として従った。

「そういうわけだから、イスラ。お店はもう閉めていいわ。ここの後片付け、しておいてちょうだい。それからユエル、あなたは用意しておいたっていうミズカちゃんのドレスをあたしの部屋に持ってきてちょうだいな」

 アリアさんに命じられ、ユエル様とイスラさんは文句もつけずに「わかった」と即諾した。

 ユエル様もイスラさんも、アリアさんには頭が上がらないみたいだ。

 きっと、アリアさんの包容力の広さと深さが、ユエル様とイスラさんの抵抗力を奪ってしまうんだろうな。アリアさんには敵わないって分かってるのだと思う。

 アリアさんって、何気に無敵だ……。

 しみじみ感心していると、アリアさんは浮かれ調子で声を弾ませ、「さぁ、行きましょ、ミズカちゃん」とわたしの背中を押して歩きだした。

「うふふ、楽しみだわ。ミズカちゃんっていじり甲斐がありそうなんだもの」

「えぇっ!?」

 楽しみって……い、いじり甲斐って、なんなんですか、アリアさんっ!?

 怖気づいて、腰が引けてしまった。

 アリアさんはそんなわたしを宥めるように優しく笑う。ちょっとだけ、青色の双眸が悪戯っぽく光った気がしたけれど。

「あら、いじり甲斐って言い方はよくないわね? 磨き甲斐がありそうって言ったらいいかしら? ふふっ、楽しみにしてて、ミズカちゃん」

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