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41.吸飲

「ねぇ、ミズカちゃん。俺達って、人間から生気を吸い取ったり奪ったりすることを、大抵“飲む”って言うよね? 人間に聞かれても不審に思われないようにそういった表現を選んでるってのもあるけど、実際血を吸ってるわけじゃなくて、生気を吸飲してるからでもあるんだ」

「はぁ……?」

 あれ? わたしの質問ははぐらかされちゃった……のかな?

 イスラさんは意味ありげに笑って、話の先を続けた。

「吸うでも奪うでも噛みつくでも、その行為を表すには適った言葉ではあるんだけど、それだとあまりに露骨だしね。ま、雰囲気の流れ次第では、そう言った方がごまかしきくことも多いけど」

「……?」

 わたしは首を捻った。

 露骨って、何? 何がどう露骨なんだろう? 生気を吸うってことが露骨に言い表されているだけではないみたいだ。

「あのね、ミズカちゃん」

 イスラさんは顔を近づけてきて、じっとわたしの目を見つめる。

 思わず鼓動が跳ねる。

 改めてよく見ると……ううん、よく見なくても、なのだけど、イスラさんって、とても綺麗で整った面貌かおをしてる。ユエル様とは違った美青年具合っていうのか……。美青年というより、ハンサムといった言い方が似合う端正さ。

 鼻筋がスッと通ってて少し面長で、肌色はユエル様より日に焼けてる。笑うと、多弁で表情豊かな口唇の隙間から白い歯が覗く。凜と張った涼しげな目元も爽やかだ。晴れ渡った空のような朗らかさが、イスラさんのシャープな顔立ちをまろやかにしてる。ユエル様が月なら、イスラさんは太陽といったところだろうか。

「ん? 俺の顔、なんか変なのついてる? それとも見惚れちゃった?」

「えっ、えっと、その……っ」

 イスラさんはちょっと首を傾げ、くすくすと小さく笑う。つい、まじまじ見入ってしまったのをからかわれて、照れくささがさらに増した。頬が痛いくらいに熱くなる。

 それにしても、顔が、……近い。近いです、イスラさん!

 顔を近づけたがるのはイスラさんの癖……なのかな?

 それがイヤってわけではないのだけど、つい反射的に身構えてしまう。腕が勝手に上がって、うっかりイスラさんの頬に平手を打ち付けないよう、膝の上で両手を組んで押さえつけておいた。

「話を、生気の飲み方に戻すけど」

「は、はいっ」

「飲むって行為をする体の部位は、どこか分かるよね?」

「え?」

 イスラさんの明るい茶色の瞳がいたずらっぽい光を含んでる。

 なんだろう。何か……含みのある言い方に聞こえたんだけど、気のせいかな?

 ちょっと不審に思いつつ、とりあえずはイスラさんの質問に答えた。

「飲む……のは、口、ですよね?」

「正解。それでね、実は生気も、指や掌からより、口で飲む方が早いし、体内への吸収率は高いんだ。与える時も同じ」

「そうなんですか? 知りませんでした」

「ユエルも言いにくかったのかもね。初って柄じゃねーくせに、へんに臆病なとこあるからなぁ」

「そうでしょうか?」

「うん。ユエル、プライド高いだろ? それって裏を返せば臆病ってことでもあるんだよ。そりゃまぁ、そうとは言い切れないけど、ともかく、やつにはそういう臆病な一面がある」

「…………」

「ユエルは、ああ見えて不器用だからなぁ。――いや、これに関しては誰でもそうなるか。本気であればあるほど、そうなるよな。ユエルは不慣れな分、余計に臆病になるんだろう」

 イスラさんは珍しくユエル様に同情的な意を示した。

 けれど、わたしはまた首を捻ってしまった。

 プライドが高い、というのは分かる。けれど、プライドの高さが臆病に繋がるのは、よく分からない。

 いつだって泰然と構えてるユエル様に、臆病という言葉はそぐわない気がする。不器用なんて……、そんな風に思ったこともない。

 面倒くさがりではあるけれど、順応性も高くて、なんでも器用にこなしてしまう。臆病、なのではなくて、億劫がりだというのなら分からなくはない、かな?

 それに、プライドが高いといっても、高飛車なわけではない。ユエル様はいつだってわたしを気遣って、優しくしてくれる。

 とはいえ、イスラさんの目に映るユエル様と、わたしの目に映るユエル様では差異があって当然だ。わたしの知らないユエル様を、イスラさんはきっとたくさん知っている。軽口をたたき合えるほど、遠慮のない間柄なのだから。

 わたしの知らない……気付かないユエル様の一面。

 それを知りたいと望むのは、わたしには不相応なことだ。だけど、……――


 ふと、占い用にしつらえた個室にいるユエル様のことを、思った。

 客足も途絶えたことだし、きっと椅子に腰かけたまま、じっと目を瞑っているのだろう。

 一人、黙然と目を瞑っている時、ユエル様はいったい何を考え、思っているのだろう。

 ユエル様の心緒を、わたしはいつも計り知れずにいる。長年お傍にいて、身の回りのお世話をさせてもらっているのに、ユエル様のことを少しも理解していなかった。「眷族」のことも、「生殖」のことも、何もかも。分かっていないということばかり、「分かって」いく。……それがひどく寂しくて、惨めな気すらした。

 手が届かない。

 届かないことが、こんなにももどかしいなんて……。

 口の端を締め、俯いた。


「ああ、さっきから話が脱線しまくっちゃうね」

 わたしの沈みかけた心を持ち上げるように、イスラさんが明るい声を発した。「ミズカちゃん」とわたしの名を軽やかに呼ばわる。

「ユエルの性格のことなんて、まぁ、ひとまずこっちに置いておいて」

 それからイスラさんは、小箱を横に移し置くようなふりをしてみせた。コミカルなイスラさんの手振りに、思わず口元がほころんでしまった。

 イスラさんて本当に、心を和ませたり軽くしてくれるのが上手だ。イスラさんの明けっ広げな笑顔は、安心感をもたらしてくれる。

「話を戻すけど、つまりね、俺は俺の眷属だった彼女には、口移しで生気を飲ませてたんだよ。彼女も欲しい時は、自分からそうして飲んでた。それが一番手っ取り早いし、吸収率も高い」

「あ、そう、……なんですか」

 わたしの質問に、イスラさんは答えてくれた。

 イスラさんは眷族だった方にどうやって生気を飲ませていたのか、という質問。

 その答えは、「口移しで」。

 ……え……? ……くち?

「うん、口移し。さっきも言ったけど、その方が効率いいし、気分も好い。あと、ついでっていうか」

「……気分、ですか?」

 それに、「ついで」?

 目を瞬かせ、訊き返した。なんだかとっても間の抜けたことを訊き返している気がするけれど。

「お互いが求める、自然な行為だからね。ミズカちゃんもさ、一度試してみるといいよ?」

「は?」

 イスラさんはいつも突然だ。

 いきなりわたしの顎を指先に乗せ、顔を近づけてくるんだもの……!

 驚いて、あやうく、のけぞった拍子に平手打ちを食らわしてしまうところだった。寸前で止められたのは、あまりにイスラさんとの距離が縮まりすぎていて、腕が伸びきらなかったからだ。

「たっ、ためっ、試してって、あの……っ、イスラさんっ?」

 イスラさんはにこにこ笑ったまま、わたしの真っ赤になった顔を見つめている。

「試すのはもちろんユエルに、だよ? まぁ、ミズカちゃんが予行練習したいっていうんなら、俺的には全然問題ない……っていうか、大歓迎だけど?」

「よっ、予行練習って、あの……っ!」

 練習って!

 それって、「口移し」の練習ってこと?

「口移し」って、それってつまり…………、その……、口から口へってことで!

「ミズカちゃんは俺から生気を飲むことはできないけど、その逆は可能なんだよ? 口移しでの飲み方を、実践で教えてあげてあげようか? 大丈夫、難しくないから。こう……人工呼吸の要領で」

「え、えぇぇっ?! やっ、いっ、いいです、そんなっ、いいですから!」

 ぶんぶんと、思いっきり首を横に振った。そのせいで、くせっ毛がさらに乱れてしまったけど、気にしていられない。

 イスラさんの顔が近すぎて! それに、「口移し」なんて! 練習なんて!

 どうしてそんなとんでもないこと言いだすの、イスラさん!?

 だけど、イスラさんの瞳の光や口調は明るく軽佻で、そのおかげで空気が重たくならず、背の傷も疼かなかった。心臓はバクバク喧しいほど鳴っているけどっ。

「はははっ。ミズカちゃんはほんと可愛いなぁ」

 イスラさんは破顔一笑し、それからようやくわたしの顎から手をひっこめてくれた。

「予行練習の相手になってあげたいけど、やめとくよ。ユエルにバレたら今度こそ容赦なく焼き殺されそうだし」

「えっ、あの……っ」

「それにミズカちゃんも、最初はユエルがいいに決まってるよね」

 イスラさんはにこにこ嬉しそうに笑いながら、なにやら一人で自己完結している。わたしの反応を見て楽しんでいるあたりは、ユエル様と同類だ、イスラさんって!

 動悸が激しくなり、頬だけじゃなくて耳まで熱くなってきた。

 簡易受付場のあるエントランスは、風通しがいいおかげでクーラーなんかつけなくても涼しい場所のはずなのに、急速に室温が上がってきたかのようだ。体が熱ってくる。

 だって、イスラさんが言う練習って……っ! そんなの、……そんなの無理! 想像するだけで、胸が……!

「だからさ、ミズカちゃん。ここはひとつ、本人にぶっつけ本番で、ちゅぅぅっと」

「――何が、ぶっつけ本番だ、イスラ?」

 低く、威圧的な声がイスラさんの背後から落ちてきた。

 ぎょっとしたのは、イスラさんじゃなく、わたし。思わず、息を詰めてしまった。

「……っ」

 深い緑色の瞳を剣呑に光らせイスラさんの肩を掴んでいるのは、突如として現れたユエル様だった。

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