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40.たなごころ

 イスラさんはわたしの手を取ると、そのまま引き寄せて、自分の首に触れさせた。

「ここ、気の流れが分かる?」

 少し湿り気のあるイスラさんの首から、じわりと熱が伝わってくる。体温だけではない熱さ。火に直接触れているような熱さだ。

「俺の生気をミズカちゃんは飲めないけど、それでも感じ取ることはできるね?」

「はい」

 頷いて応えた。そのまま俯き、肩をすぼめた。

 ……なんだか緊張して、それに妙に照れくさい。

 向かい合って座っているせいで、イスラさんの膝にわたしの膝がほんのちょっと触れあっていた。至近距離にイスラさんの顔があって、さらにわたしの手はイスラさんの首に触れている。茶褐色の髪が指先に当たって、くすぐったい。

「流れてるのも分かるよね?」

「は、はい」

 イスラさんの首に当ててる左手がさっきよりもさらに熱くなってきた。生気の熱を一番に感じ取っているのは、人差し指と中指だった。それから、手のひらの中心。熱くて、少し汗ばんできた。汗ばみ始めたのは、生気の熱を受けたからだけではない気もするけれど。

「指からなら、気の流れる方向に、自分の気を押し流し込むような感じで、っていうのが生気の与え方なんだけど、分かるかな?」

「昔、ユエル様に、深呼吸の要領だって言われましたけど……」

「ああ、飲む時?」

「はい。息を吸う時に、その勢いで吸い取るように飲みなさいって」

「なるほど、的確だ。生気を与えるのはその逆だと思えばいいよ。息を吐く要領で流し込めばいい」

「…………はい」

 と、応えたものの、試してみることはできない。わたしはイスラさんの眷族ではないから、生気をもらうこともできないし、流し込むこともできない。生気を感じとれるだけ。

 ユエル様やイスラさん、アリアさん、それにイレクくん、つまり吸血鬼同士は、互いに生気を与えあうことができる。イスラさんが昨夜ユエル様に生気を分けてくださったように。ただ、滅多にしないらしい。

 何故なのかと尋ねたら、イスラさんはちょっと気難しそうな顔をした。

「生気にも相性みたいなものがあって、吸い取った生気が体内で和合せず、拒絶反応を起こして死に至るケースも、稀にだけど、あるんだ。人間の輸血と似たようなものなんだろうけど、吸血鬼同士の“輸血”は極力避けるようにってことなのかなぁ? 魔力の属性が関係してると思うんだけど、詳しくは分からないな。とにかく厄介なことだらけだよ、吸血鬼ってのは」

 イスラさんはおどけたように両肩を竦めて笑った。だけど自嘲を含んだ影が口の端にさしていた。

 ちなみに、ユエル様とイスラさんの生気は交換可能とのこと。アリアさんもおそらく大丈夫だろうとのことだった。

 わたしはイスラさんの首から手を離した。手にはまだ、イスラさんの熱の名残がある。

 吸血鬼はたしかに厄介な存在なのだろう、この人間の世界では。映画や小説のような禁忌はほとんどないけれど、それでも面倒な事柄が多い。

 吸血鬼の中でもさらに厄介で面倒な制約が多いのが「生殖者」と「眷族」だと、イスラさんは語った。重要な存在なだけに「縛り」が多いのだと。

 生殖者は、たしかに重要な存在なのだと分かる。種の存続のための存在だから。――じゃぁ、眷族は?

 眷族は、人間から直接生気を飲むことができず、主の生気だけを命の綱に生きている。主に寄生しているといっていい、そんな頼りない存在。それでも大切な役を与えられた存在のはずだ。

 ――わたしは……?

 わたしは、できそこないの「眷族」なんだ。だって、眷族がすべき事、それを今まで聞かされてさえいなかったのだから。



 眷族になったばかりの頃のことを、ふと思い出した。

 あの頃、自分からはうまく生気を飲めなくて、しばらくの間は、ユエル様に飲ませてもらっていた。眠っている時に、そっと。

 そのうちに、起床時にも飲ませてもらうようになり、それにやっと慣れた頃に、ユエル様に教えられて、初めて自分から生気を吸い取った。指先と手のひらから、ユエル様の生気を吸い取って、「飲んだ」。

 あの時の感覚は、今でも忘れられない。

 火が、全身を巡り、焦がすような熱さに眩暈を覚え、少し……怖かった。身体を作る組織の何もかもが変質してしまったことを直に感じられて、それが怖かったのかもしれない。

 あの時、わたしは初めて自分が「吸血鬼」になったのだと、自覚したのかもしれない。

 怖くて、泣いてしまいそうになった。身体も震えてしまった。けれど、後悔や恐怖に震えたのではなかった。

 ――嫌悪感はなかった。ただ、変わってしまった事実がほんの少し、怖かっただけ。

「焦ることはないよ、ミズカ。慣れるまでの時間はたっぷりとあるからね」

 ユエル様はそう言って、わたしを宥めてくれた。

 吸血鬼なんていう、妖しくて恐ろしげな存在とは思えないくらい、優しいまなざしでわたしを見つめて。

 今でも、ユエル様はわたしを導き、待ってくれている。

 突き放したりせず、置き去りにもせず、傍にいて見守ってくれている。

 けれどユエル様は肝心なことを話してはくれなかった。わたしもまた聞けずにいた。

 繰り返し、心の中でその問いが巡っている。

 どうしてわたしを眷族に選んだのですか? 同情から? それとも成り行きで?

 そして……――

 わたしを眷族にしたことを、ユエル様は今、どう思っているのですか……?




「そうだ、ミズカちゃんさ」

「え、……はい?」

 イスラさんが、ぼうっとしていたわたしの顔を覗き込んできた。

 わたしははっとして顔をあげる。つい沈思してしまっていた。

 イスラさんは心配そうな顔をしながらも、何を考えていたのか、とは聞いてこない。尋ねてきたのは別のことだった。

「ミズカちゃんは、どうやって……っていうか、ユエルのどこから飲んでるの?」

「どこって……、手から飲ませてもらってます」

「手? 手からだけ? ユエルの手から指先で吸い取ってるの?」

「はい。あ、たまに首からも飲ませてもらってますけど……」

「それも、指から吸い取る方法?」

「はい、そうです」

「あぁ、そうなんだ。手かぁ。うーん、せっかく眷族だってのに、もったいないっていうか素っ気ないっていうか」

「素っ気ないと言われましても……」

 返答に窮して、語尾が尻すぼみに途切れてしまった。

 素っ気なくない飲ませ方って、いったいどんなだろう。

 イスラさんやアリアさんは違ったのかな? 眷族には眷族特有の飲ませ方とか作法とか、そんなのがあるんだろうか?

 それに、「せっかく」って、どういう意味なんだろう?

 そういえば、アリアさんにも似たようなこと言われたような? 「色気のないこと」って。どういう意味なのかよくわからなかったけれど、なんだか赤面してしまった。

 ――……あの時のことを思いだしたら、またちょっと、頬が熱くなった。

 ユエル様のことを思うと、胸がぎゅっと締めつけられて、熱くなる。苦しいような、くすぐったいような、……温かくて、甘いような。

 この不思議な感覚はなんだろう……?

 胸を押さえていると、イスラさんが、今まで何度かそうしてきたように、わたしの髪を「よしよし」とあやすように撫でつけてきた。

「ミズカちゃんは、気持ちが顔に出るよね。でも、その顔が自分では見られないから、自分で自分の気持ちが掴みにくいのかな」

「え……?」

「ミズカちゃん見てると危なっかしくて、ちょっともどかしくって、でもそれがまた可愛いんだよなぁ。心配で、ほっとけない」

 心配、と言いながら、イスラさんの声音はなんだか楽しげだ。

 心配させちゃってるのかなと思うと申し訳なさもあったけれど、それ以上にイスラさんの直截的な優しさがくすぐったい。

 それに、わたし……感情が顔に出ちゃってる?

 そりゃぁ、うまく隠せているとかごまかせてるとは思わないけれど、そんなに分かりやすいのかな? 分かりやすいって、……わたし、どんな気持ちを顔に出しちゃってるんだろう?

「あ、あのですね、イスラさん!」

 恥ずかしくなり、強引に話を変えた、というより元に戻した。

「イスラさんは、えっと……奥さんに……眷族だった方に、どうやって生気を飲ませてたんですか?」

「うん? 俺?」

「はい」

 イスラさんはくすっと小さく笑った。なんだか、悪戯を仕掛けようとする子供みたいな目をしてる。

「うーん、そうだな、手から飲ませることもあったけど、それよりもっと吸収率が高い飲み方があるんだから、そっちで飲んでもらってたよ。眷族なんだし、それが当然っていうか」

「……はぁ……?」

 わたしは小首を傾げた。

 眷族だから当然? それに、吸収率が高い飲ませ方があるなんて初耳だ。

 それっていったい、どんな飲ませ方なんだろう?

 吸収率が高い飲み方があるなら、わたしもその飲み方に切り替えた方がいいんじゃないかな。

 生気の吸収率が高まれば、頻繁に飲まなくても済むかもしれないし。そうすればユエル様の負担も減る……はず。

 わたしはちょっと身を乗り出して、訊いてみた。

「あの、イスラさん、その吸収率の高い飲み方って、逆に、生気を与えることもできたりするやり方ですか?」

「うん、もちろん」

 イスラさんは晴れやかに笑って首肯した。

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