39.違い
ユエル様に手当てをしていただいた時に、気がついた。
手当ての方法と生気を飲ませる方法は同じなのかもしれないって。
イスラさんは、眷族からも生気を飲ませることはできると言った。つまりそれは、わたしの生気をユエル様に与えることができる、ということ。
生気を与えることができるようになれば、手当てもできるようになるんだろうか?
もしできるのなら、その方法を会得したい。
そうすれば、少しはユエル様の役に立てるかもしれない。
そうすれば、昨夜みたいなことにはならないかもしれない。
何もできず、ただ助けを待つしかできないなんていやだ。あんな思いは、もうしたくない。何もできずにいるよりは、ほんの少しでもユエル様の役に立てるようになりたい。
ユエル様の傍に居られるように……――
* * *
本日、「占いの門」の開店時間は、午前十時。
間をおかずして、待ちかねていたらしい数人のお客様がやってきた。
梢から梢へと忙しなく飛び渡り囀っている小鳥達のように、女の子達のお喋りはとてもかまびすしく賑やかで、さっきまで静寂に浸されていた屋敷の空気ががらりと変わった。
団体客はないから行列ができることはないけれど、思いの外途切れず、お客様はやってくる。来客のほとんどが女性客で、男性客だけの来館はまったくない。亜矢子さんみたいに一人でやってくる常連客もいるけれど、大抵は三、四人のグループでやってくる。まれに、恋人同士もしくは夫婦という二人連れもあるけれど、どちらにせよ男性の方は待合室で結果待ちをしていることが常だ。
女の子達の目的は本来「占い」のはずなのだけど、その目的はユエル様を見た瞬間に、忘却の彼方へ飛ばされてしまう。
仄暗い個室で、艶めく銀の長髪と翳りを帯びた深緑の瞳を持つ白皙の美青年と間近に対面する。ほとんどの女の子達はユエル様に見つめられただけで陶然とし、度を失う。優しく甘い調べの声を聞き、時には手が触れることもあるのだ。若い娘なら……ううん、年なんか関係なく(場合によっては男も、かもしれないけど)、ユエル様の優麗な美貌に圧倒され、心を蕩けさせてしまうのは無理からぬことだと思う。
媚薬でも飲まされたようにうっとりとし、呆けた顔をして帰っていく女の子を何人見送ったことか。
そうした女の子達を眺めては、ため息をつく。
胸がざわざわと騒ぐ。どうしてこんなに切なくて、辛いんだろう。
今までも、たしかにあまりいい気分ではいられなかった。だけど、重い塊が喉を伝って落ちるような苦しさと痛みを抱えるのは、初めてだ。
わたし、どうかしてるんだ。
だって、昨夜からずっと何かがおかしい。胸が熱くなって、落ち着かない。
ユエル様のことを思い浮かべるだけで、きゅぅっと胸の奥が締めつけられる。
気付けば、ため息ばかりついていた。
「はーっ」
と、これはわたしのため息ではない。
受付、というか主に接客を手伝ってくれていたイスラさんのため息だ。
「しっかし女の子達の口コミっていうのは実際スゴイもんだね。こんな辺鄙な場所だってのに、閑古鳥より女の子達の鳴き声の方がよく響くなんてなぁ」
感心しきったように、イスラさんはしみじみと言った。
「はぁ、そうですね……」
わたしはちょっとだけ苦笑まじりに相槌をうつ。
ユエル様目当てでやってくる女の子達に気軽に声をかけ、打ち解けた隙を狙ってちゃっかり生気を頂いているイスラさんもスゴイと思うのだけど。
「もしかしてユエルのやつ、生気飲むついでにここの噂を広めさせるような幻術でもかけてるの?」
「それは聞いてませんけど……、でも、してないと思います」
だってユエル様、面倒くさがりだもの。もっと客を呼ぼうなんて考えていないと思う。
この屋敷を買い取って商売を始めると決めた時に、不動産会社に多少の宣伝は依頼したみたいだけど、そんなに積極的ではなかった。なにしろ夏の観光地だから、たとえ来客がなくとも、生気は充分に得られるだろうと言っていた。
「ふぅん? まぁ、そうかもね」
イスラさんは頬杖をつき、もう片方の手で受付帳をパラパラと捲った。
わたしとイスラさんは、エントランスホールに簡易的に設けた受付場にいる。今はちょうどお客様もなくて、受付場で来客待ち。ふと置時計を見ると、時計の針が正午をさした。
今朝、定刻通りに店をオープンしてから今まで、手伝いを買って出てくれたイスラさんは接客に回り、順番待ちをしている女の子達の退屈しのぎにつきあっていた。
そういえば、イレクくんも接客上手だったっけ。朗らかで陽気なイスラさんと物静かで穏やかなイレクくん、二人の接客の仕方は似てないようで似ている。さり気なく会話の主導権を取って話の流れを自在に操ってしまう強引さがあって、それを相手に気取らせない巧みさだ。
女の子の扱いに慣れているっていうと聞こえが悪いかもしれないけど、愛想のよさが女の子達には受けがいい。それを心得ている、といった感じだ。
人懐っこい性格も同じで、やっぱり親子なんだなぁと納得してしまった。
「ここの客って、リピーターが多いね」
イスラさんはポンッと音を立てて、受付帳を閉じた。
「今日来た女の子達は別荘組かな。ああでも、ホテル組もいたなぁ」
「どうして分かるんですか?」
わたしは首をかしげた。
だって、受付帳に書くのは名前と生年月日と血液型と生地だけで、現在の宿泊先なんかは書かなくていい仕様になってるから、別荘かホテル、どちらに泊まってるかなんて、受付帳を見ただけでは分からない。
だから受付帳を見ての判断ではなく、待ち時間中に聞きだして得た情報なんだろうと想像はつく。だけどそんな取り調べみたいな質疑はしてなかったはずだ、わたしが見ていた限りでは。
それでも分かるんだろうか。女の子達の外見だけで?
わたしの不思議顔を受けて、イスラさんは「まぁね」と、余裕ありげな笑顔で応えた。
「たいていは身なりで分かるよ。別荘組はとくにね。きちんとしたっていうのかな、カジュアルな格好でも、軽装過ぎず、ちゃんとお洒落に気を遣ってて、化粧ののりもいい子が多い。ホテル滞在組もその点似てるんだけど、ちょっと慌てちゃったかなって感じのメイクの子が多いし。あと、やたらとよく喋るんだよ、ホテルのこと。食事はどうとか部屋はどうとか、聞きもしないのにね」
イスラさんは、人間……とくに女の子達に対する観察眼が、実に鋭い。身なりや会話から、おおよその情報を得られるようだった。
「今日の女の子達はホテルに宿泊してる子が多かったね。中流クラスのホテルかな。ツアー客じゃないね。けど、滞在期間はせいぜい二日か三日ってとこか。予定びっしり入ってるっぽくて忙しないから、こういうところでも別荘組と違いが出るよね」
偏見もかなり入ってるから、当てにはならないけどねとイスラさんは笑う。
女の子達と他愛ないお喋りを楽しみつつ、イスラさんは些細なことでもリサーチを欠かさない。
イスラさんとユエル様って、こういうところに差異がある。
ユエル様は、「人間」にほとんど関心を抱かない。必要な情報は、必要な時に最低限のことしか拾わない。状況に応じて愛想よく振舞うこともあるけれど、それはあくまでその場限りのお芝居。そして、そういう時のユエル様の作り笑いは、花さえ恥じらって蕾んでしまうほど、あでやかで美しい。ただし、仮面のように白々として冷酷な美しさだ。
イスラさんは大らかな性格で、吸血鬼だなんて恐ろしげな存在にはとても見えない。気さくで社交的。イレクくんは「軽薄なお調子者なんですよ」って評していたけれど、明るく振舞えるのって、すごいことなんじゃないかなって思う。
わたし達みたいな人外的存在の生き物って、どうしたって人目を気にして行動しなきゃならない。人間ではないことを悟られまいと慎重になる。
「うん、だからなんだよ、観察癖がついたのは」
イスラさんはちょっとだけ苦っぽい表情になった。
「俺達はいつ人間に狩られるともしれない、異端の存在だろ? だから狩られるんじゃないかっていう恐怖心が、周囲の観察を怠らない習性を磨き上げていったんだよ。我が身かわいさの防衛本能ってやつさ」
イスラさんは片目をつむり、軽く笑った。
でも、「笑って」話せることじゃないはずだ。人間に狩られるだなんて……、そんな恐ろしくて、悲しいこと。
憶測だけど……人間に追われたことが、……狩られそうになったことがあったんじゃないかな、イスラさん。アリアさんとイレクくんも。ユエル様だってそういうことはあったって、いつだったか漏らしたことがあったもの。詳しくは話してくれなかったけれど……。
わたしの顔を、イスラさんはひょいと覗きこんできた。
不安げな顔をしていただろうって、自分でもわかる。イスラさんはにこっと優しく笑って、それからわたしの頭をそっと撫ぜてくれた。
「ごめん、不安がらせちゃったね、ミズカちゃん」
「あ……、いえ、その……、わたしこそ、すみません」
「ん、なんで?」
「あまり思いだしたくないことですよね? 異端とか、そんな……」
言葉が上手く続かなかった。言えば言うほど、わたし達が人間から見れば異端の存在であることを自認させるようで、胸が苦しくなってくる。
「ミズカちゃんは優しいね」
「……そ、んな……」
わたしは顔をあげていられず、俯いた。イスラさんはわたしの頭にぽんっと軽く手をのせた。それから髪をくしゃくしゃと撫でる。イスラさんの手の感触は温かくて、くすぐったい。重みのある、大きな男の人の手だ。ざっくばらんな触れかたをしてくるからなのか、ちょっとだけどきどきもするけれど、安気にもなる。
同じようでいて、……ユエル様とは違う。
ユエル様に触れられた時と、こうしてイスラさんに触れられている時の自分の感覚が、何か違う。
何が違うんだろう。何故違うなんて感じるんだろう?
イスラさんの手と、ユエル様の手。どちらも優しい手なのに。
わたしはハッと思いだし、顔をあげた。
――そうだ、「手」!
「あの、イスラさん!」
思いきりよくわたしが顔をあげたせいで、イスラさんの手が、宙に浮いてしまっていた。驚き顔のイスラさんは、明るい茶色の目を瞬かせた。
「イスラさんにお願いがあるんです」
「お願い? そりゃぁミズカちゃんのお願いなら喜んで聞くけど。何?」
「わたしに、生気の飲ませ方を教えてほしいんです。できれば、手当ての方法も」
「手当て……?」
イスラさんの眉間に、浅い皺が刻まれた。困惑したような顔でわたしを見つめ返してくる。
「生気を飲ませる方法と、傷を癒す手当ての方法って、似たようなものなんじゃないかって思ったんです。だから、わたしにそれができるなら、できるようになりたいんです」
「ユエルのために?」
イスラさんは温良な笑みをわたしに向けて、まっすぐに問いかけてきた。
わたしはこくんと小さく頷いた。少し、頬が熱くなった。
「わたし、少しでもユエル様の役に立ちたいんです。そりゃぁ、身の回りのお世話はさせていただいてますけど、それだけじゃなくて、もっと肝心なところで、必要なことができるようになりたいんです」
生意気な発言かもしれない。今以上の待遇を求めるかのような発言にもとれるから。
わたしは膝の上で拳を握った。
空を掴むしかないわたしの弱い手。この手が、ほんの少しでもユエル様にとって役立つものになれたらいい。空を掴むばかりではなく、ユエル様の一部でもいいから掴んでいたい。
「ミズカちゃん」
さり気なく、イスラさんはわたしの手に、自分の手をそっと重ねてきた。イスラさんの大きな手が、わたしの手の甲を、宥めるようにして押し包んだ。
「ミズカちゃんのね、ユエルの役に立ちたいって気持ちは分かるよ。だけどね、役に立ちたいと思う前に、もっと大切なことに気づいた方がいい」
真摯な目をし、イスラさんは諭すように語りかけてくる。
「俺が言うべきことじゃないんだけど、ミズカちゃんはユエルにとってもう必要な存在になってるんだから、あまり気負って考えない方がいいよ」
「負担になるってことですか?」
「や、そういうんじゃなくて。んー、なんてのかな……」
イスラさんはわたしの拳から手を離した。
イスラさんはどう言ったらいいのかなと呟きつつ顎を掻き、首を捻っている。
「ユエル様にも、イスラさんにもご迷惑なら、今の話は、なかったことに……」
「や、待ってよ、ミズカちゃん。迷惑とかそんなんじゃないから!」
「でも……」
「ごめん、言葉足りなさすぎた。ミズカちゃんにそんな顔させるつもりはなかったんだ。ただ、俺から言っちゃマズいだろうって。もどかしい思いしてるのはミズカちゃんなのに」
イスラさんはわたしの顔を覗きこんで、明るく笑った。
「うん、よしっ、教えるから。だからミズカちゃん、そんなに悲しそうな顔しないで。ほんと、迷惑とかそんなのは全然ないからさ。生気の飲ませ方、だよね? といったって、コツを教える程度しかできないけど、それでいいかな?」
本当にいいんですかなんて、聞き返さない。念を押すなんて失礼だろうと思ったし、これ以上イスラさんを困らせたくなかった。
素直にイスラさんのご好意を受けよう。
笑顔を作って「ありがとうございます、お願いします」と、軽く頭を下げた。