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37.治癒

 その後すぐイスラさんはユエル様に部屋からすげなく追い出された。

「もいいい。出ていけ、イスラ」

 蹴りださんばかりのユエル様の冷ややかな顔つきと口調に、イスラさんはおどけたように肩をすくめてみせた。

「はいはい、分かりましたよ。それじゃまぁお邪魔虫は退散するとしますか」

 イスラさんは、ユエル様に睨みつけられてもまったく恐れいったりもしないし、懲りる様子もない。余裕綽々に憎まれ口をたたいて笑っている。

「眉間に皺寄せてばっかいると自慢の美貌が崩れるぜ?」

 なんて、さらにユエル様を茶化して煽るくらいだもの。

 そうやって、イスラさんはきっと場の空気を和ませてくれようとしているのだと思う。皮肉っぽい軽口をたたいたとしても喧嘩腰ではないし、加減は心得ているように思う。

 そんな風にイスラさんが悪ふざけを楽しむのは、多少なりわたしを気遣ってくれてのことかもしれない。思い上がりを赦してもらえるならば。

 ユエル様をからかってその反応を楽しんでいるのも本心だろうけど。

 一方、満面笑顔のイスラさんを冷淡に鼻であしらうユエル様だけど、あしらいきれてないのが口惜しいみたい。

「害虫駆除のスプレーを用意しておくべきだったな。いや、いっそ塩を撒くのでもいいが」

 ユエル様は忌々しげに舌打ちをして、毒づいた。

 手元に除虫スプレーがあったら、絶対に容赦なく、イスラさんに向けて噴きつけたに違いない。そうなったらなったで、イスラさんは負けじと応戦しそう。なにしろイスラさんは“風使い”なのだし……。

 ともあれ、イスラさんは退散していてもうこの場におらず、除虫スプレーを噴かれも塩を撒かれもしなかったからよかったけれど。

「でもユエル様。塩を撒くのは魔除けで、虫の駆除はできないと思うんですけど……。というか、害虫はちょっとひどくありませんか?」

「やつは、自ら虫と言ったろう? 第一、酷いのはやつの態度だ」

「虫って言ったのは比喩的なことなんじゃぁ」

「まぁ、邪魔者と自認している点だけは、褒めてやってもいい」

「え? えぇ……と、……あ、……あ、れ?」

 今さらながらにわたしは首を捻った。

 えぇっと、お、お邪魔虫って……? どうしてイスラさんはそんなこと言ったの? どういう意味で「お邪魔虫」なんて? 使いどころを間違ってると思うんだけど!?

 おさまったはずの顔の火照りが、ぶり返してきた。

「ミズカは、……いや、……――」

 ユエル様は含み笑って、言いかけた言葉を飲み込んだ。わたしを見つめる緑色の瞳が柔らかな光を内包している。

 ユエル様のまなざしは優しいけれど、鋭い。いつだってわたしの心を見透かして言い当ててしまう。隠そうと思っている気持ちほど悟られてしまう。とくに我慢してる痛みや心の揺らぎは敏感に察して、窺ってくるのだ。

 だからちょっと、……困ることもある。

 たとえば、いきなり胸元で押さえていたわたしの手に触れ、

「手、痛む?」

 と、訊かれたりなんかした時には。

「……っ」

 思わず息が止まる。同時に硬直してしまった。

 ユエル様の指先が、わたしの指に触れている。そしてユエル様は少し腰をかがめ、わたしの顔を覗き込んできた。

「赤くなってる」

 ドアノブにぶつけたところは見られていないはずだけど、どうやらわたしは無意識に手の甲をさすっていたようだ。目敏いユエル様はそれを見過ごさなかった。

「あのっ、平気です。軽くぶつけただけですから」

「見せて」

「えっ」

 引っ込めようとしたわたしの手を、ユエル様は半ば強引に掴んで引き寄せた。

「痣になるといけないから」

 わたしの右手に、ユエル様の左手が重なった。当てられたユエル様の手は少し冷たい。なのに、手のひらから熱が伝わってくる。

 それは、今まで何度もしてもらったことがある。切り傷や擦り傷を負った時にしてもらった。

 治癒の術だ。患部に手を当て、そこから生気を流し込んで傷を癒す“魔法”。まさしく「手当て」だ。その手当ての効力は、小さな切り傷や打撲傷なら、短時間……ものの数秒で完治させられるほど。

 いつだったかユエル様は、

「“手”当てよりもっと効力のあるやり方があるんだけれどね」

 と、言ったことがある。

 その方法を尋ねたのだけど、笑って、かわされてしまったんだっけ。

 いつか教えてあげようとユエル様は言ってくれたけど、結局、未だにその方法は教えてもらってない。

「どう、ミズカ? まだ痛む?」

 ユエル様は少しだけ手を離した。それでも、熱はまだ伝わってくる。

 だってユエル様の右手はまだわたしの手を握ってる。離されたのは手当てを行ってた左手だけだ。

 わたしの手は、ユエル様の手の中にすっぽりとおさまっている。ユエル様の手が存外大きなことに改めて目が入った。白い指はすらりと細いのに、握る力も強い。

 今は血豆もあかぎれもないわたしの手を、ユエル様の綺麗な手が優しく包んでくれている。手から伝わるユエル様の熱が全身に回ってきてるみたいだ。

「…………」

 胸が熱くなる。

 ――この手が。

 ユエル様のこの手がいつもわたしを救ってくれる。わたしに生きる力をくれる。優しく包み込み、守ってくれる……。

「あの、ユエル様、もう……大丈夫です。もともとそんなに痛くはなくて」

「そう? じゃぁ、こっちは?」

「え?」

 ユエル様は今一歩近づいてきたかと思うと、わたしの手の甲に当てていた左手を、さり気ない動作でわたしの背後に回した。そして、後頭部に当てた。

「は……わ……っ」

 突然のことにまたしても硬直してしまった。とっさに「なんですかっ」と声を上げてしまった。

 ユエル様はわたしの後頭部を優しく撫ぜる。右の手はまだわたしの手を握っていた。

「昨夜、思いきりぶつけたろう? 相当な音がしたし、たんこぶができてるんじゃないかと」

「あ……」

 そういえば、そうだった。

 昨夜、イヤリングを探すためにテーブルの下に潜り込んでいた時に急にユエル様に声をかけられ、びっくりして立ち上がった拍子に後頭部をそれはもう、目がチカチカするくらいの勢いでぶつけたんだっけ。

「あの……大丈夫です。わたし、体だけは頑丈で、それに頭も石頭みたいだから。たんこぶもできなかったみたいです」

 そりゃぁ、かなり痛かったけれど。

 ユエル様は目を細めて、可笑しそうに笑った。

「なるほど。たしかにミズカは少々頑固で堅いところがあるから、後頭部もそのようになっているのかな?」

 ユエル様はまだわたしの後頭部をさすっている。わたしのおさまりの悪い髪をも梳いてくれていた。そうして、さりげなく治療してくれていた。

「ともあれ内出血はしていないようで、よかった」

「……ありがとうございます」

 ユエル様の顔が近すぎて、わたしはまぶしさを堪えるように、何度も瞬きをしては、落ち着きなく視線を泳がせる。

 一言お礼を言うのが精一杯だった。



 わたし達“吸血鬼”は、人間よりずっと怪我の治りが早い。先日捻った足首の腫れもすぐに引いて、もう完治してる。

 治りは早いけれど、だからといって痛覚が無いわけでも鈍いわけでもない。挫いたり捻ったりすれば当然痛いし、皮膚を裂けば血も出る。そのあたりは人間と変わらない。

 怪我の治りが異常に早いのなら、いっそ痛覚も鈍くなっていたらいいのにと時々思う。だけどそう都合良くはいかないみたい。

 実は昨夜ユエル様に圧し掛かられた時、背中や肩、肘なんかも床にぶつけ、体中が痛かった。けれど、朝になった今、痛みはほとんど残ってなかった。打身に痣くらいはできているかもしれないけれど、確認してないから分からない。

 ユエル様のことが気がかりで、体の痛みなんてどうでもよかった。だから今それを思いだしても、体の痛みよりも、心の苦しみの方がずっと強い。

 昨夜ぶつけた体中のそこかしこは確かに痛かったし、ついさっきドアノブにぶつけたばかりの手も痛かったけれど、それよりも高鳴る鼓動の方が苦しくて堪らない。

 この胸の動悸は、きっと“手当て”では治らない。

「――ミズカ」

 ふわり、と、風が動いた。ムスクのような甘い香りが微かにわたしの鼻をかすめた。かと思うと、次の瞬間、その香りがわたしを包み、ユエル様の長い銀の髪がさらりと流れて頬に触れた。

「……っ!?」

 ユエル様の二の腕がわたしの背後にまわり、緩く抱き寄せられていた。


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