3.佳風
ゆるやかに波うつ豊かな長い金の髪、シミ一つない白珠の肌、瞳は海面を映したかのような青色。
黒ずくめの衣装なのに、全身から煌めくような輝きが溢れだしている。
黒地のノースリーブカットソーには、有名な国外ブランドのロゴが左胸に小さく入ってて、ブランドに疎いわたしでも、そのブランド品がいかに高級か知っているほどに有名なデザイナーズブランドだ。きっとスカートも同じブランドのものだろう。黒地のスカートは、膝上何センチなのか、ついはかりたくなってしまうほど短い。マネキンも尻ごみするくらいの美脚を惜しげもなく見せてくれている。
露出の多い格好なのに、下卑た感はない。高級な衣服につりあう雰囲気があって、シンプルなデザインがよりいっそう美しさを際立たせていた。
目を奪われるような美女っぷりに、わたしは、それはもう間の抜けたようにぽかんとして、突如現れた美女に魅入っていた。
豪華絢爛という言葉がぴったりの美女ぶりで、映画女優か一流のモデルのようなスタイルのよさは、なるほど、吸血鬼のイメージを損なわないと思う。
「あらぁ、あなたがユエルの眷族になった子ね! 嬉しいわ、会いたかったのよぉ!」
したったらずな口調だけど、妙な訛りのないきれいな日本語だ。
金髪碧眼の美女はやにわに立ち上がり、わたしに近寄ってきたかと思うと、――
「――っ!」
いきなりわたしに抱きついてきたのだ。
わたしは声も発せず、そのまま硬直してしまった。
もちろんイヤじゃないんだけど、なにしろ突然でっ!
「話で聞いていたよりもずっと可愛いわ!」
と言って、わたしの髪を撫でたり、頬擦りをしてきたりした。
「ちっちゃくてふわふわしてて、ほんとになんて可愛いの!」
「……っ」
もしわたしが男だったら、きっと鼻血を出して卒倒したに違いない。だって、……頬にあたる豊満な胸の感触や、甘くて爽やかな香水の匂いが心地好くて。
「アリア、そろそろ離れたらどうだ。ミズカが固まってる」
「あんっ」
ユエル様は金髪美女の肩を掴んで、半ば強引にわたしから引き離した。
「んもぅ、ちょっとくらいいいじゃない」
「せめて自己紹介を済ませてからにしたらどうだ?」
「あら、そうね」
ここは神々のおわす天空の国か、はたまた極楽の園かと思うくらい、目も眩むような美しい情景が、今、わたしの前にある。
白銀の髪の美男と黄金の髪の美女が並んで立っているのだ。
目がチカチカしてしまう!
美男の方は不機嫌そうに眉をしかめているけれど、美女の方は大輪の花のように微笑っている。
「あらあら。呆けちゃってるわね、大丈夫かしら?」
だっ、大丈夫なんかじゃないません!
ユエル様の美貌にすらまだ慣れず、ドキドキしてしまうというのに。
眼前に、衝撃的とも言える美女と美男が並び立っていて、平静でなんかいられません!
「――ミズカ」
「はいぃっ」
ユエル様の冷たい手が、わたしの頬に触れた。
「ミズカ、落ち着きなさい」
「はっ、はいっ、すみません」
我ながら、持っていたワインを落とさなかったのは上出来だった。
「紹介しよう。彼女は古くからの友人の――」
「アリアレーリ・ロズモントよ。アリアって呼んでちょうだい。みんなそう呼ぶわ。よろしくね」
「……っ!」
言うのと同時に、アリアさんはまたわたしに抱きついた。
「アリア」
そしてまた、ユエル様に強引に引っぺがされた。
「はっ、初めまして。ミズカと言います、わたし、あの……っ」
「あなたのことは聞いていたわ、ユエルからね。会えるのを楽しみにしていたのよ」
「は、はあ……」
「聞いていた通りね。ユエルがようやく眷族を持ってくれて、それがあなたみたいな子で、本当によかったわ」
「え?」
「あたしの人を見る目は確かよ。ねぇ、ユエル?」
「…………」
アリアさんは暁の女神のように笑み、その笑みを受けてユエル様は苦虫を口に入れられたような渋面になっている。気恥ずかしげにも見えたのは、きっとわたしの目の錯覚なのだろうけど。
そういえば……
わたしは首を傾げた。
眷族といえば、その説明をしてもらえるところだったんだ。
そう思ってユエル様を見ると、また、ユエル様はわたしから目を逸らした。
「アリア、一人なのか?」
「ええ。でも、あいつもすぐに来ると思うわよ」
「来るのか、結局」
「そりゃぁ、来るでしょう。先輩風吹かしにね」
「…………」
ユエル様は小さく舌打ちして、黙ってしまった。
「あっ、あの、ユエル様。わたし、お茶を淹れてきます」
気まずい沈黙が流れているようなことはないのだけど、ユエル様が困っているような気がして、なんとなく、話題を転じる必要を感じた。
「ああ、そうしてくれ。アリア、まずは座って。話したいことがある」
わたしは「はい」と応え、アリアさんは「はいはい」と応えた。
声が重なって、ユエル様が呆れたようにため息をついた。
ユエル様のリクエストで、アリアさんに、とっておきのアールグレイティーを用意した。
「ミズカは茶を淹れるのが上手い」
そう言ってくれたことがあった。
食事をしなくていいわけだから、料理の腕はあげようがなかったけど、その分お茶を淹れるのは上手くなろうと頑張った。その努力を認めてくれて、すごく嬉しかった。
その自慢の腕をふるうべく、骨董品的価値のある(らしい)磁器のカップに、紅茶を注ぐ。
わたしがお茶を用意している間、ユエル様とアリアさんは居間で何やら話を続けていた。
わたしが居間に戻ると話は中断してしまい、何を話しているのかはわからなかった。けれど、どうやら眷族のことを話していたらしい。
アリアさんがわたしに訊いてきた。
「眷族のことについて、詳しい説明はされてなかったのね?」
わたしはユエル様を見ることで、その問いに答えた。
そしてまたユエル様は、今度は瞼を伏せるようにして、わたしから目を逸らしたのだ。
……いやだ。どうしてそんな顔をするの、ユエル様?
まるで悪いことをしたみたいに。それも、わたしに対して。
「話そうとしていたところに邪魔が入ったんだよ」
「それ、あたしのことを言っているのかしら?」
「……否定はしないが」
わたしは運んできたお茶をテーブルに置いた。
反論しかけたアリアさんの注意が、甘い香りのたちのぼるアールグレイティーに移ってくれるように。
「あら、よい香り」
うまくいったみたいで、ほっとした。
一口飲んで「美味しい」とも言ってくれて、その一言にも安堵した。
「ミズカの淹れる茶がまずいはずがない」
とユエル様が付け足してくれて、もっと嬉しかった。
「あらあら」
アリアさんはからかうように笑って、わたしとユエル様とを見比べる。何か言いかけたようだったけれど、ユエル様に睨まれて、肩をすぼめるにとどめた。
「そういえば、アリアさん」
「なぁに?」
「アリアさん、どこから屋敷の中に入ってらしたんですか?」
「二階からよ。二階のベランダの窓が開いていたから。人が来るのが見えたから、玄関は避けたの」
ということは、亜矢子さんが来た時とほぼ同時にやって来たということなのかな?
それにしても、二階のベランダなんて……。よじ登ったとも思えないし、どうやってベランダに上がったのかな。
それに、泥棒じゃあるまいし、どうしてそんなところから屋敷内に入ってきたんだろう。
こそこそしなくちゃならない理由なんてないはずなのに、どうして人目を避けるのか、まずはそれを訊いてみた。
「そうねぇ、つい、身を隠す癖がついちゃってるのよ」
アリアさんは述懐し、苦笑した。
人間に、「人間ではない」と知られるのが怖い……というより面倒なのだと。同じことを、ユエル様も言っていた。
「余計な手間を増やしたくないってこともあるわね。面倒事は、極力起こしたくないの」
アリアさんは穏やかに微笑んでいるけれど、ちょっと寂しげにも見えた。
「それにしても占いとは、いい商売を思いついたのね、ユエル。容易く人間の生気を得られそう」
「ああ」
ユエル様は素っ気なく応えた。そんなユエル様を、アリアさんはなんだか可笑しげな様子で眺め、真意を窺測しているようだった。
「このためにわざわざ手相を研究したりはしてないんでしょう、ユエルのことだから。というより、そもそも占い自体まともにやってあげてないんじゃない?」
「たしかに手相に関しては詳しくないが、占いらしいことは言ってるさ」
「ユエルらしいこと」
アリアさんはころころと笑い、ユエル様は眉をしかめてため息をつく。
わたしの知らないユエル様の一面が、その美麗な容貌に表れていた。……新鮮で、少しドキドキする。
ドキドキするといえば、生気の飲み方もそうだ。
首に牙をたてる必要はないわけだけど、生気の得やすい場所というのはあって、首もその一つ。こめかみもそうだし、あとは手首もそう。軽く指先を当てれば、生気はそこから流れ込んでくる。
今回、この避暑地でユエル様が思いついた商売は、容易く生気を得るのが第一の目的だった。
占いにかこつけて、お客様の……女性客の手を取り、そこから生気を吸い取る。
拒む人なんているわけもなく、生気は飲み放題だ。
「あたしも何か考えなくっちゃねぇ。人通りの多い所に出向いて手当たり次第…っていうのは面倒そうだし。ここまできて飢えて消えちゃうなんて嫌だもの」
ワイン色のマニキュアが似合う細い指を唇にあて、アリアさんは小首を傾げる。
見た目判断なら二十代後半くらいに見えるアリアさんだけど、仕種は少し子供っぽい。
ユエル様が「抱きつく癖をなんとかしろ」と言っていたみたいに、すぐにスキンシップを取りたがるのも、子供っぽい一面を表わしているともいえる。
「それなら、乗馬クラブにでももぐりこんだらどうだ? 以前、観光客相手の講師を募集していた。ここから少し離れているが、車で十分ほどだろう。周辺にはペンションもある」
「あら、それ、いいわね! 若い男の子や女の子が沢山いそうだし」
「もう募集は締めきっているかもしれないが、まぁ、そのあたりはなんとでもなるだろう」
「ええ、そうね」
ユエル様の提案にアリアさんは即座に乗った。
ちなみに、吸血鬼たるこの方達は、一種の魔法みたいなものを使える。“幻惑術”と言っているけれど、つまり洗脳みたいなものかな。人の思考や記憶を操作できる。
「人聞きの悪いことを言うね、ミズカは」
せめて催眠術と言いなさいとユエル様は言うけれど、大差ないと思う。
この屋敷だって、たぶん不動産屋を幻惑の術でだまくらかして手にいれたのに違いないもの。
学校にもぐりこむ時だって、そう。
ユエル様は教員免許なんて当然持っていない。というより、もっと重要な戸籍すら持っていないのだから、人外的な手段をとらなくちゃ、教師になんてなれるわけがない。それは、わたしにしたってそうだけど。
「アリアさん、こちらでのお住まいはどちらなんですか?」
「まだ決めてないのよ。あまり人目につきたくはないけど、一人じゃ寂しいし」
「それじゃぁ」
主人の許しも得ず、つい口を出してしまった。
この屋敷に滞在すればいいではないか、と。