26.火の元にご用心
アリアさんから「明日の夜パーティーに行くことなったのよ」というだけの簡単な説明を聞き終えてから、イスラさんは当然といった顔で、「俺も行くぜ」と言った。そしてくるっと首を回してわたしに目を向けた。
「明日は、ミズカちゃんも行くんだろ?」
「え、と……それは……」
返答に困り、ユエル様を見やってその答えを求めた。
「そう、ミズカにも一緒に行ってもらう。……いいね、ミズカ?」
ユエル様の手はわたしの肩に置かれたままだ。軽く添えられている程度だから痛くはないのだけど、無言の圧力……みたいなものを感じる。
「あの……」
わたしは戸惑いつつ、確認した。
「お供をすればいいんですね?」
「ただの付添ではないよ、ミズカ。私のパートナーとして同行してほしいのだから」
ユエル様はわたしの肩から手を離すや、さり気ない口調でさらりと、とんでもないことを言った。
「ええっ? そんな……っ、待ってください、ユエル様っ! パートナーって!」
動揺しまくって、声がつっかかってしまう。
「だめです、そんな! パートナーだなんてわたしには……! それにわたし、パーティーになんて行ったこともないのに!」
ユエル様はわたしがそう言って断るのを、おそらく予想していたのだろう。「大袈裟だね」と微笑んだ。
「ウィンナワルツを披露する社交界デビューのパーティーのような、そんなたいそうなものではないよ」
「でもっ」
「察するに、バイキング形式の立食パーティーだろう。飲み食いしながら、自慢話をしたり世辞を言ったりする、そんな程度の集まりだろうから、肩肘を張る必要はないよ、ミズカ」
イスラさんが「そうそう」と頷き、ユエル様の語を継いだ。
「歌を歌えだの演説しろだの、そういうことは招待状に書かれてないんだろ? だったら気楽に招待されちゃえばいいんだよ。タダで酒を飲めるってさ!」
アリアさんもイレクくんも、イスラさんの意見に賛同している。さすがにイレクくんは、「イスラはちょっとお気楽過ぎですが」と呆れ顔をしていたけれど。
「だけど……」
わたしを躊躇わせているのは、パーティーに行く、そのことだけじゃない。
だって、ユエル様の「パートナー」なんて……そんなのわたしがなっていいものじゃない。ただお伴をするだけとは意味合いが違ってくるはずだもの、「パートナー」だなんて。
俯き、下唇を噛んだ。胸の痛みを、そこにすりかえるようにして。
そこへ、イスラさんが声をかけてきた。
「あ、もしなんなら、ユエルじゃなくて俺と一緒に行く、ミズカちゃん?」
「えっ?」
イスラさんの突然の申し出に、わたしは驚き顔を上げた。
イスラさんはにこにこと朗笑を浮かべつつ、その一方で挑むような眼光をユエル様に向けていた。ユエル様は表情を凍らせ、何の反応も示さない。
「ユエルのパートナーが不服ってことなら、俺が立候補しようかなーって。パーティー行くんなら、女の子の同伴者がいた方が見た目にいいしね」
「不服なんて、そんな!」
やだ! イスラさん、なんてことを言うの!? 不服なんて、そんな意味で「ダメ」って言ったんじゃないのに!
わたしは狼狽し、大慌てでイスラさんの発言を否定した。
イスラさんは意味ありげな笑みを浮かべて、わたしとユエル様とを見やっている。
「いや、だってさぁ? ユエルのパートナーは嫌なのかなって思って。――違う?」
「違いますっ!」
「じゃぁ、パーティーに行くこと自体がどうしても嫌ってこと?」
「それは……その、別に、……どうしても嫌という程では……」
「じゃ、行くよね。えぇっと、……俺と?」
これは誘導尋問だ。それを分かっていても、回避できなかった。
「あのっ、わたしは……っ」
いったい応えたらいいのか、頭の中は混乱しまくっていた。
ユエル様のパートナーなんてわたしには恐れ多いことだ。それを伝えれば済むことなのに、焦り、泡を食らっているわたしは、声を発するのも上手く出来なかった。
ああ、どうしよう。
無用なことをいってユエル様やイスラさんを不快にさせたくない。けれど、こんな風に言葉を詰まらせているのも、ユエル様を困らせるだけだ。
どうして、さらりと受け流してしまえないんだろう!
こんなにみっともなくうろたえて! 自分が情けなくてしようがない。
「はい! 意地悪はそこまでよ、イスラ」
アリアさんがぱんぱんっと手を打ち鳴らした。
「もうそのくらいにして。ミズカちゃんをいじめたら、ユエルだけじゃなくってあたしも赦さないわよ?」
アリアさんに諌められ、イスラさんは首をひっこめた。そのおどけたような仕草に反省が見られないと思ったのか、続いてイレクくんも厳しい顔をしてぴしゃりと窘めた。
「そうですよ、父さん。悪ふざけが過ぎます。波風をわざとたてて事を動かそうとするにも、加減があるでしょう? 加減を誤ってミズカさんを苦しめるなど、言語道断です。――ミズカさん、すみません、不肖の父がくだらないことを言って」
「い、いえ、そんな……」
心底申し訳なさそうにイレクくんに謝罪され、わたしは首を左右に振った。
――なんだか、わたしの方が申し訳ない気分になってしまう。
「イスラ、下手な横槍は入れないで。余計に事の進みが遅くなっちゃうわ。ミズカちゃんはユエルと。そしてイスラ、あんたはあたしと行くの。それで決定。いいわね?」
場を取り仕切るように、アリアさんはそう結論付けた。イスラさんは「はいはい」と投げやりに応え、嘆息した。けれど、アリアさんの決定に異論はないようだった。
ユエル様はふっと小さく息を漏らした。話が収束するのを待っていたようだ。
「と、いうことだ、ミズカ。アリアの言うとおりでいいね?」
ユエル様に改めて確認され、わたしはもう、頷くしかなかった。
「はい、わかりました」
「パーティーなど面倒なだけだが、仕方ない。……カタをつけなければね」
ユエル様は物憂げな面持ちになり、白銀の髪を払いのけるようにして指先を額にあててひとりごちた。
一瞬、冷たい微笑が緑色の双眸と端正な口元に浮かんだ。それは、ぞくりとするほど冷淡な表情だった。
わたしは思わず膝の上で両手を組んで、強く握り締めていた。
……なんだか、怖かった。
こんな言い方は今さら妙だし、嫌なのだけど、酷薄で残忍な「吸血鬼」みたいな微笑だったから。
憤怒の形相ではなかったけれど、蒼白い焔が腹の底で燃えているような、静かな威圧感があった。
こんな表情をするユエル様を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。
ユエル様は目線を落とし、
「ともあれ、明日は少々忙しくなりそうだ」
そう言ってから、深いため息をついた。
それからユエル様は、昼までは店を開くこと、わたしの支度はアリアさんに任せること等、明日の段取りをおおまかにだけど、決めてくれた。わたしはそれらのすべてを承従し、多忙な一日になりそうだと、ぼんやり考えを巡らせていた。
ユエル様の話がほぼ済んだ頃、イスラさんが「俺もなんか手伝おうか」と、申し出た。ユエル様にではなく、わたしに顔を向けて。
わたしが返答に窮していると、イスラさんをつれなく無視して、ユエル様はイレクくんの方に目をやり、話を続けた。
「あとはイレク。準備をつつがなく頼む。必要な物があれば言ってくれ」
何やら暗黙の了解が二人の間にあるみたいだ。イレクくんは了承の返事をするや、席を立った。
「ありがとうございます。おおよその材料は手元に揃ってるんですが、足りない物もありますし、ちょっと出掛けてきます。そのついでに手配りもしておきます」
「諸々のことはイレクの判断に任せるよ。急なことですまない。手を煩わせるね」
「お気になさらないでください。他人事ではありませんしね。それに、僕の趣味がお役に立つなら、いくらでも協力します」
ユエル様、イレクくんに何を頼んだのだろう?
それを訊こうとし、けれど躊躇していたわたしを越して、イスラさんが声を上げた。
「って、イレク! おまえまさか、またやんの? おいおい、勘弁してくれよぉ」
イスラさんは大げさに身体を仰け反らせた。
「こんな人気の多いリゾート地で爆発騒ぎはごめんだぜ?」
爆発騒ぎ!?
わたしとアリアさんはびっくりして、瞠目してイレクくんを凝視した。ユエル様ですら驚き、目を見開いていた。
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ、父さん」
イレクくんは決まりの悪そうな顔をしてイスラさんを睨みつけた。
爆発って、いったいイレクくんは何をするつもりだったの?
まさか爆弾作りが趣味とか? イレクくんと爆弾って、まったくイメージが結びつかないのだけど!?
目を白黒させているわたしに気付いて、当のイレクくんではなく、イスラさんが代わって説明してくれた。
なんでも、イレクくんは化学実験が趣味なのだという。
さらにイスラさんは、
「俺が知る限りで、爆発事故を起して家屋全壊が三件、半壊が十件。実験中にね」
と付け足した。
「あくまで俺が把握してる数だから、ほんとはもっと多いはずだぜ、爆発事故」
「人死には出してませんよ。人里はなれた場所でしたから、他に被害が及ぶようなことはありませんでしたし」
イレクくんは少し恥ずかしそうな、バツの悪そうな顔をして言った。
けど、否定しないってことは、イスラさんの言ってることは「言い過ぎ」とか「虚偽」ではないってこと?
「それに今回は、とくに危険な薬品は使いませんから、大丈夫です」
「おまえの大丈夫は全然当てにならねーと思うけど」
「その点、父さんに似たようですね。不本意ながら」
わざとらしく大きなため息をついたイレクくんは、微苦笑を浮かべているユエル様に視線を流した。
「ユエル様がもしご不安なようでしたら、別の場所で精製します。この付近にも空いている別荘はたくさんあるようですし」
「その必要はないよ、イレク。場所を移すのは時間の無駄だ。それに、この屋敷が全壊しようが半壊しようが、それ自体は別段構わないからね。だがまぁ、騒ぎになっては面倒だ。できる限り慎重に行ってくれ」
ユエル様はあっさり許可を出した。
でもですね、ユエル様! 家屋全壊は「構わないこと」じゃないと思うんですけどっ! それに爆発なんて起こったら命の危険もあるし!
「心配性だね、ミズカは。命の危険を案じているのなら、大丈夫だ」
「もう、ユエル様! 考え読まないでくださいっ!」
「いやそんな、いかにもおろおろと慌てふためいて、あ然としたびっくり眼を向けられて、読むなと言われてもね」
ユエル様は相好をやわらかく崩して、くすくすと忍び笑っている。
「ミズカの不安は分かるが、まぁ、大丈夫だろう。爆発を起こした当人がこうしてピンピンしているのだからね。それに、ここも仮住まいの屋敷だ。吹き飛んだところでさほど支障はあるまい?」
「支障は大ありだと思うんですけど!」
ユエル様の大雑把過ぎる性格や対応には慣れてきたつもりでいたけれど、こればかりはあまり鷹揚に構えてはいられない。
ユエル様のみならず、アリアさんやイスラさん、それに爆発を起こすかもしれない当のイレクくんの身が危険にさらされるとなれば、「まぁいいか」では済まされない。
だいたい、爆発なんて……怖いじゃないですか!
「まぁ、怖がる気持ちも分かるが、大丈夫だと言っているイレクを信じてあげられないかな、ミズカ?」
「……そ、それは……」
イレクくんを見ると、申し訳なさそうにしつつも、懇願するような顔をしている。そしてユエル様は優艶に微笑み、「どうかな?」と小首を傾げてわたしの顔を覗き込んでくるのだ。
卑怯ですっ! ずるいですっ!
そんな顔を二人にされて、「ダメです、断固反対です」なんて言えるわけないじゃないですか!
「……もう……っ」
結局わたしは、消極的ながらも認めざるを得なかった。
「防火用水だけはちゃんと側に用意しておいてね、イレクくん」
イレクくんは「もちろんです」と応じた。「今まで以上に慎重にしますから」、と。
アリアさんは「ほんとに大丈夫かしら?」と不安げに柳眉をしかめ、イスラさんは「無事を祈るしかないね、こりゃ」と天を仰いだ。
それからわたしは再びユエル様に目を向け直した。
ユエル様はわたしの視線に気づいて、優しい笑み双眸に浮かべた。けれどすぐにその深緑色の瞳を逸らし、窓の外へと目線を移した。
ユエル様の端正な横顔に憂色がさし、翳をつくっていた。
ユエル様の一挙一動に、わたしは過敏すぎるほどの反応を示してしまう。それは今に始まったことではない。
――いつだって不安はあった。
だけどこんな不安は……知らない。こんなにも胸が苦しくなる、不安と懼れは。
ユエル様に目を逸らされる度、胸がきゅっと締めつけられる。まるで警告のように。
ユエル様、わたしは……――
わたしはユエル様の横顔を見つめ、問いかけた。
「……大丈夫ですよね?」
ユエル様はわたしに顔を向け直した。その表情は風のない湖のように静かで、凪いでいる。何が大丈夫なのかと、ユエル様は問い返してはこない。代わりに微笑みを返してくれた。
「大丈夫。……たぶんね」