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25.不安定な釣合

 ユエル様の言いつけ通りにお茶を用意してリビングへ戻ると、あらかた話は済んでいたようだった。わたしがリビングに入ると同時に話し声がやみ、三人分の視線がこちらに注がれた。

「ありがとうございます、ミズカさん」

 一番初めに声をかけてくれたのはイレクくんだった。

 わたしより一足先にリビングに戻っていたイレクくんは、わたしがリビングに入るや否やこちらに歩み寄ってきて、「お手伝いしますね」と言って、お茶のセットの乗ったお盆を奪っていってしまった。わたしは進むことも退くこともできず、リビングの出入り口の所で、とまどい顔で突っ立っている。

 ふと見ると、思案顔で柳眉をしかめているアリアさんは、ソファーに背を預け、何やら考え込む風に人差し指を唇に当てていた。両腕を組んで立っているユエル様に視線を流し、けれど何か問いかけるでもなくまた視線を戻して軽く嘆息した。

 なんだろう……ちょっと深刻というか、話しかけにくい雰囲気だ。中に入っていくのを躊躇わせる空気が漂っていて、尻込みしてしまう。

「どうしたの、ミズカちゃん? そんなところにいないで、中に入ってらっしゃいな」

 アリアさんは何事もなかったかのように、微笑みかけてくれた。イレクくんも同様に笑いかけ、「ミズカさんの分も淹れましたよ」とお茶を勧めてくれる。

 アリアさんもイレクくんも、わたしを気遣ってくれている。

 それは分かるのだけど、……――なんだろう。漠然とだけど、何かごまかされた、隠されたような感じがした。

 立ち入ってはいけないような気がして、わたしは知らず足を竦ませていた。

 案山子よりも役立たずな態で佇立しているわたしを、ユエル様が呼んだ。

「ミズカ」

 ユエル様の若干低めで抑えた声が、鼓膜を叩く。打てば響くような返事で「はいっ」と応え、わたしはしゃんと背筋を伸ばしてユエル様の方へ顔を向けた。

 わたしの過剰な反応にユエル様は可笑しげに含み笑った。いつもならここで、わたしをからかうようなことを言って話の腰を自ら折ってしまうユエル様だけど、今日はそんな余裕がないのか、笑いをおさめて話を進めた。

「今、アリアとイレクにも話したのだが」

 ユエル様は一人掛けのソファーに腰かけ、長い脚を組み、それからふぅっと大きなため息をこぼした。

「明日の夜、出掛けることになったから」

 そう言って、ユエル様は額にかかる白銀の髪を後頭部に流すようにして梳きあげ、また物憂げにため息をついた。そしてこちらに向けて、白い封筒をひらひらと振って見せた。

 それが何であるのか、気づくのには数秒の間が要った。

 ――あれは、そう……たしか……。どこにしまっておいたのかもすっかり忘れていたものだ。

 ユエル様の指に挟まれているそれは、二日前に亜矢子さんから押しつけられた「招待状」だ。パーティーがあるから、ぜひお越しになってと、ワインと同時に手渡されたのだっけ。今の今まですっかり忘れていた。

「面倒だが、今回は仕方がない。行くことにしたから、そのつもりで」

 イレクくんに仕事をとられてしまったわたしは、未だにリビングの入り口で突っ立っている。空になってしまった手を組んだり揉んだり軽く抓ってみたり、我ながら落ち着きがない。

「そうですか。……あ、それじゃぁ、もしかしてアリアさんとイレクくんもご一緒に?」

「いえ」

 お茶を淹れ終え、元いた場所に戻って座り直していたイレクくんは、品の良い微笑をわたしに向けて答えた。笑う時の目元が父親のイスラさんとよく似ている。瞳の色はイレクくんの方が薄く、レモンティーのような甘さと爽やかさがある。外見はイレクくんの方が子供なのに、全体的に感じる雰囲気が大人びてて、父親であるはずのイスラさんの方が少年っぽいくらいだ。

「僕はここに残ります。いろいろとやることがありますから」

 イレクくんは言葉の先をぼかし、代わりにユエル様の方に顔を向け、目配せをした。ユエル様は小さく点頭して応じた。

 アリアさんはにっこり笑って、「あたしは行くわ」と答えた。

「あの礼儀知らずなお嬢さんに“また”会いたいし、何より逃げたなんて思われるのは癪だもの」

 アリアさんはまるで喧嘩でも売られたような、勝気な少女の表情をしていた。そこにはやや不快げな色も含まれていたけど、怯みのない好戦的な笑顔だ。荒海の波を思わせる激しい色を、長い睫毛の下で光らせていた。

 人懐っこくて穏やかなアリアさんも、やっぱり亜矢子さんのあの不躾で不遜な態度には腹が立ったのだろう。

「攻撃は最大の防御ですものね」

 なんて、不穏なことをさらりと言ってのける。

「それに護衛も兼ねてよ、ね、ユエル?」

「そうだな。まぁ、念のためだ。私一人で対処できないことがあるかもしれないからね」

 ユエル様は足を組み替えてから、またわたしの名を口にした。――「ミズカ」。呼ばれる度に、心が縮むような気持ちがする。

「――それで、ミズカにも」

 言いかけて、ユエル様は唐突に口を噤んで眉をひそめた。そしてわたしを……わたしの後方を睨みつけた。

 どうしたんだろうと思った首を傾げたその次の瞬間、背後に人の気配を感じ、両肩にぽんっと何かが乗った。

「――っ!」

 肩に乗ったそれが人の手だとわかったものの、いきなりのことでびっくりして、とにかくそれを払い除けようとした。……それはもう思いっきり、力いっぱいに!

 わたしはとっさに身を硬くして、振り向きざまに肘を曲げ、それを後ろへ突き出した。ほとんど無意識的な行動だった。

 ――あっ、と既視感が脳裏をよぎった。

 でも、時すでに遅し。

 左肘が何かにめり込んだ感触と、「ぐげっ」というくぐもった奇声が、すぐさま状況を把握させた。

「イ、イスラさんっ!?」

 振り返ったそこにわたしが見たのは、前のめりになって腹を抱えているイスラさんの姿だった。

「おいててて」

 振り向きざまに突き出されたわたしの肘を腹部にまともにくらったイスラさんは、痛そうに頬をひきつらせ眉根を寄せながらも、愉快げなニヤニヤ笑いを浮かべている。

「まいったなぁ、これで三度目かぁ」

「かっ、重ね重ね、すみませんっ!」

 平手打ちを二度も食らわせたあげく、今度は肘鉄っ!

 どうしてこんなことになっちゃうんだろう!? イスラさんにばかり暴力ふるって!

 ユエル様が突然背後に立ったって、肘鉄食らわせたりしないのに! 寝ぼけ眼にユエル様の美貌が飛び込んできたって、平手打ち食らわせたことなんてないのに!

 わたしは顔を真っ赤にし、冷や汗をかきつつひたすら低頭した。

「すみません、イスラさんっ、すみません」

 恐縮しまくって謝罪するわたしに、イスラさんは前回、前々回同様、笑って応える。

「いいっていいって。驚かせた俺が悪いんだしさ。つっても、今回は強力だったなぁ。いいトコ入っちゃって、目の前で星が飛んだよ、そりゃもうチカチカと」

 イスラさんは腹をさすりながら上体を起こし、ようやく体勢を直した。

 大丈夫ですかと問うと、「平気平気」と笑ってくれたけど、笑い方にちょっと含みがある……気がした。なんだか可笑しがっているような、からかいたがっているような、そんな感じを受けてしまう。

 痛そうなのに、なぜそんなに嬉しそうなんだろう……?

「しっかしなんか俺、目覚めちゃいそうだなぁ、そっちの方面に。もちろん相手はミズカちゃん限定で」

「えっと……」

 目覚めるって、いったい何になんだろう?

 イスラさんの言っている事の意味が分からず、どういうことなのかと説明を求めようとしたところへ、いつの間にか傍に来ていたユエル様に腕を掴まれ、引き寄せられた。

「あの、ユエル様?」

「何にどう目覚めようと勝手にすればいいが、ミズカを巻き込むな」

 不愉快極まりないといった表情で、ユエル様はイスラさんを睨みつける。

 わたしはユエル様とイスラさんとを見やって、首を捻った。

 何に「目覚め」るのか、ユエル様はわかってるみたいだ。だけど訊かない方がいいの……かな?

「ミズカ、腕は大丈夫か?」

「いえ、あの……っ、わたしよりイスラさんの方が大丈夫じゃないと思います、けど」

「イスラのことなど心配しなくていい。ミズカ、こちらへ来なさい」

 半ば強引に、ユエル様はわたしの肩を掴んで歩き出した。そして、さっきまで自分が座っていたソファーにわたしを座らせた。反射的に立ち上がろうとしたのだけど、ユエル様に「そこにいなさい」と窘められてしまった。

 わたしは身を縮こまらせ、「はい」と応える。

 もう、何が何だか分からないうえ、色々と居たたまれないんですけど、ユエル様……。

 そんなわたしをよそに、肘鉄を食らったイスラさんはすでに回復したようで、さっさとリビングに入ってきた。

「そーいや、みんなして集まって、何の話してたわけ?」

 場の空気を読んでいるのかいないのか、イスラさんは陽気な口調で尋ねた。アリアさんの方に顔を向けて。

 ユエル様にではなくアリアさんに尋ねるあたりは、やっぱり多少なりとも気を遣ったのかもしれない。

 単に、ユエル様に訊いたところで返答は得られないだろうという理由からかもしれないけれど。

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