23.フレンズ
スワロフスキー専門のアクセサリー店のすぐ隣にオープンカフェがあって、わたしとアリアさんはそこで一息入れることにした。
昼食を摂る必要のないわたし達だけど、喉は渇く。汗だってかくから、嗜好品としてだけじゃなく水分を取るのは必須のこの季節だ。
吸血鬼であるわたし達が熱中症にかかるかどうかは分からないけれど、渇ききって倒れてしまうのはあり得ることだ。……身に覚えがあるもの。気をつけなくちゃ。
だからわたしの方から、喉も渇いたことだし、お茶でも飲みませんかと誘った。
アリアさんは「ええ、そうしましょ!」と即答してから、うふふと悪戯っぽく笑って語を継いだ。
「さすがに歩き通しで渇いてきちゃったから、さっきのお店でちょっと飲ませてもらっちゃったのよ」
「もしかして、店員さんからですか? ……いつの間に……」
「ふふっ」
アリアさんが浮かべるそれは気紛れな妖精のようで、魔性っぽさがないでもないけれど、人口に膾炙してる吸血鬼のイメージからかけ離れてるだろう、まろやかで明朗な笑顔だ。
わたしが言った「渇く」って、そっちの意味ではなかったのだけど……。
でもまぁ……事なきを得、アリアさんの渇きが癒されたのならよかった。
「それはそれとして。何か冷たいものでも飲んで、一息つきましょ。ね、ミズカちゃん」
「はい」
頷いて、わたしはアリアさんの後に従った。
お昼過ぎ、オープンカフェはほぼ満席の状態だったけれど、運よく席が空いてそれほど待たされることもなく、席につけた。
ところで、ユエル様はあの美貌ゆえに、こうした人の多い場所に来ると非常に目立って、四方八方から視線が集中し、ざわめきが起こることもしばしばある。ユエル様はそれを辟易しつつも、やむないこととして諦め、且つ近寄りがたい雰囲気を全身に漲らせている。
目立つという点では、アリアさんも同様だ。
アリアさんがカフェに足を踏み入れた瞬間、波立つようなどよめきが起こり、好奇に彩られた視線が集中した。金髪碧眼の外人が物珍しいというだけでなく、アリアさんの華やかで美麗な容姿はどうしたって注目を浴び、窺い見られてはひそひそ話され、関心事の的になってしまう。
けれど当のアリアさんは注がれる視線を不快に感じたりはしないようで、すっかり慣れきっているようだった。不愉快な顔一つせず、見知らぬ人でも目が合えば、さり気ない微笑みで受け流すという余裕もある。アリアさんはコミュニケーション上手な方だと、つくづく思う。人懐こい性質だから、きっと友人も多いのだろう。
「ね、ミズカちゃん」
ふっと思いだしたかのように、アリアさんはぱんっと軽く手を叩いた。
席に着き、オーダーしたアイスコーヒーで渇いた喉を潤した、すぐ後のことだ。
「あのね、ミズカちゃんにお願いがあるの」
「はい、何でしょう」
「お願いというのもおかしいかもしれないけど、ミズカちゃんのこと、友達だと思っていいかしら?」
優しく笑って、アリアさんはそう言った。
「とっ、友達って……、わたしがですかっ?」
「迷惑?」
「迷惑なんかじゃ! で、でもっ、友達だなんて、そんなの、とんでもないです!」
わたしは両手をぶんぶんと振った。暑さのせいではなく、汗が額から流れる。
だって、友達だなんて! そんなの恐れ多くて、簡単に頷いたりなんかできない。
アリアさんはちょっと上体を前に傾けて頬杖をついた。もう片方の手でストローの先をつまみ、グラスの中の氷をカラカラと音をたててかきまわしている。
「同性の友達って、もういないのよねぇ。同族で同性って、なかなか見つけられないし出会えないのよ。だからちょっと淋しいなって思ってて」
ユエル様のお母様とは親しい友人だったそうだけど、その方が亡くなって以降、同族同性の友達はいなくなってしまったのだとアリアさんは語った。
親しくなった人間の女友達はたくさんいて、中にはアリアさんの正体を知ってもなお変わらずに友情を示してくれた人も複数いたという。けれど、人間と吸血鬼であるわたし達では、過ごす時の長さがあまりに違う。
映画や小説の中の吸血鬼のように、血を分け与えて“仲間”にすることもできない。
「私達は、酷く孤独な種なのだよ」と、いつだったユエル様も自嘲めいた口ぶりで零したことがあった。
その通りだろうと思わざるを得ない。
「耐え難い、というほどでもないのよ? ただ、ほんの少しだけ淋しくなるの。語りあえる誰かが傍にいたらいいのにって。女同士でね」
「……」
アリアさんの気持ちは、なんとなく分かる。
同性の友達がいたら、どんなにか心強いだろうと思うもの。
役立ったりそうでもなかったりする情報を交換し合ったり、他愛無い悩み事を相談したり、くだらない時事を笑いあったり、……そんな友達がいたら、どんなに楽しいだろう。
友達という存在自体、わたしにはなかったから。
正体を隠し、期間限定で学校にもぐりこんだこともあったけれど、友達を作るほどの時間はなかったし、勇気もなかった。どうしたら作れるのかも、分からなかった。
――だからずっと憧れてた。高望みだと分かっていたけど、友達ができたらいいのにって、夢見てた。
アリアさんはわたしの動揺を宥めるかのように、ふわりと包み込むような穏和な笑みを浮かべた。
「ユエル達も、もちろん大切な友人だと思ってるわ。でもね、同性の友人がいないのは、やっぱりちょっと物足りないっていうか、淋しいの。だからだからミズカちゃんと知り合えて、本当に嬉しいのよ。ミズカちゃんもそう思ってくれたなら嬉しいわ」
「それは……っ、わたしもとても嬉しく思ってます。だけど、……――」
「それならもう友達ね、あたし達」
「そんな!」
「あら、やっぱりこぉんな年上の友達はいやかしら?」
「いえ、そんな! そういうことじゃなくて!」
お年のことも、それは……ちょっとはあるけど。嫌とかではなくて、単に目上の方なのにって。でも、とまどうのはそれ以前の問題で……!
「友達だなんて、そんな、滅相もないですっ!」
思わず声が上擦ってしまう。
「……あのね、ミズカちゃん」
アリアさんは穏やかに凪ぐ海面の青を思わせる双眸をわたしに向け、静かに語りだした。
「ミズカちゃんの昔のこと、少し、ユエルから聞いたわ。ユエルと出会う前、どんな境遇にいたのか。どんな身の上だったのか」
「…………」
「でもね、ミズカちゃん。もう、今は違うわ。ミズカちゃんがユエルの眷族になる前の頃は、たしかに身分階級に囚われ、差別される時代だった。だけど、今はそうじゃない。それは知ってるわね?」
「…………」
わたしは無言で頷いた。だけど、戸惑う気持ちは拭えない。
「差別がなくなったとは言わないわ。だけど、ミズカちゃん自身がそれに囚われたままではダメよ? いつまでもそんなことにこだわらないで、ね?」
「……わたし、そんな、こだわってなんか……」
「しみついた習慣というのは拭いにくいものかもしれないけれど、時々、ミズカちゃんは意識してそれを口にしてるように思うわ。違う?」
「…………」
わたしは俯いた。
アリアさんの言う通りだったから、今度は「そんなことはありません」って答えられなかったし、気まずかった。
今ほど自分が情けなく感じたことはなかった。
なんて言葉を返せばいいのか、ただの一言すら思い浮かばない。
「もっと自由になっていいのよ、ミズカちゃん。そして自分自身を解放してあげて。ミズカちゃんのためにならないわ。ううん、ミズカちゃんのためだけじゃないわ。そんなミズカちゃんを見ているのはとても悲しいし、……きっとユエルは、ミズカちゃんと同じくらいに辛いと思うの」
わたしは顔をはっとして顔をあげた。
――ユエル様が……辛い?
そうかもしれない。
ユエル様は優しい方だもの。わたしが過去に囚われているのを気がかりに思っているかもしれない。だからこそ、……あの記憶を封じ込めていてくれた。
それなのに、いつまでもわたしが辛気臭い顔をしていては、ユエル様を落胆させてしまう。
そんなのわたしの望むところじゃないのに、どうしてうまく立ち回れないのだろう。
ユエル様の負担になんかなりたくないのに……。
アリアさんは気遣わしげな表情をし、眉を下げ、わたしを見つめて「ごめんなさいね」と語を継いだ。
「あたしったら言い過ぎちゃったわね。ミズカちゃんのこと、責めるつもりなんてないのよ? ただ、すこぉしもどかしくって、心配だから、つい無遠慮なこと言っちゃって。……あらあら、ミズカちゃん、そんな泣きそうな顔しないで? 気に障ったのなら謝るわ」
「そんな……わたし、気になんて……」
「あたしね、ミズカちゃんがとても好きよ。もちろんユエルも」
アリアさんはわたしの様子を窺いながら徐にそう言った。
「だから二人には、今よりもっと幸せになってほしいの。そのためにミズカちゃんを応援したいって思ってるわ。友達として、ミズカちゃんを手助けしたいの」
「……っ」
泣きだしてしまいそうになったけれど、寸前で堪えられた。
ううん、堪えきれなかった。だって鼻が赤くなってるだろうことは容易に想像できるもの。鼻先がツンとして、痛い。視界がちょっぴり滲んで、アリアさんの顔がまともに見られない。
優しさって涙腺を緩ませる。嬉しいのに、どうしていいのかわからなくなってしまう。
何か言わなくちゃって思うのに、言葉が出ない。喉の奥が締まって、一言発したら、それを機に泣きだしかねなかった。
アリアさんは少し困ったような、心許なげな顔をしてわたしの様子を窺う。何かを言いかけたようだったけれど、代わりに小さく息を吐き、話をかえた。
「――ミズカちゃん、そろそろ帰りましょうか。あんまり遅くなるとユエルも心配するでしょうし」
「あ……そう、ですね」
応えてから、わたしは大急ぎで半分以上残っていたアイスコーヒーを飲みほした。
水出しコーヒー(ダッチコーヒー)のコクのある濃い目の味は、口当たりも良くてとても美味しかったけれど、わたしにはちょっと苦く感じられるコーヒーだった。
「荷物もたくさんあることだし、タクシーで帰りましょ。ちょっとずるをして、店員さんに呼んでもらうわね?」
どうやら幻術を使って店員さんに言う事を聞いてもらうようだ。アリアさんは近くにいた店員さんを呼び寄せると、にこりと微笑みかけて、こともなげに術をかけた。
「タクシーを呼んでちょうだい、今すぐ」
笑みの優しさとは裏腹に、語気はとても鋭い。店員の女の子はこっくりと木偶人形のようにぎこちなく頷くと、身を翻してレジのある方へと向かった。
程なくして、タクシーが店の前に着き、アリアさんは支払いを済ませて「いきましょ」とわたしを促した。
「今日はいっぱい買い物できて楽しかったわ。寄りたいお店はまだまだあったし、また一緒に来ましょうね、ミズカちゃん」
「あ、……はい。わたしも楽しかったです。いろいろ買っていただいて、あの……ありがとうございました」
素直に賛同し、礼を述べると、アリアさんはちょっと小首を傾げ、円やかな笑顔を返してくれた。
「どういたしまして。そう言ってもらえて、とっても嬉しいわ」
アリアさんの笑顔は、美しいだけではなくて大らかで、包み込んでくれるような寛容さがある。
その笑顔に、胸がきゅぅっと締めつけられる。
温かな何かが胸に……全身に沁みいってくる。甘い芳香に抱擁されているようで、その安堵感に切なさすら覚え、泣きたくなってしまう。
――アリアさんに、記憶にすらない人への思慕を重ねているのかもしれない。
どんな女性だったのかと想像することすら能わない、見知らぬその人……。
だからやっぱり戸惑ってしまうのだ。アリアさんの「友達」という言葉に。