20.天気予報
「ところでミズカ。今日の予定だが」
当たり障りのない会話の糸口を差し出してくれたのは、ユエル様だった。
「店は開けるが、今日は、ミズカは休んでいなさい」
「え、でもっ」
お店に出るなっていう意味での「休んで」というのには、さすがに焦ってしまった。
やっぱり昨夜のこと、使用人にはあるまじき態度だと、不愉快に思ってるのかも? だから頭を冷やして、一日、じっくりと反省していなさいってことなのかな?
どうしよう、やっぱりもう一度、きちんと謝った方がいいかな。何度謝ってでも、ユエル様に赦してもらいたい。
赦してもらいたいなんて、それも我がままだと分かっているけれど、でも……っ!
「ミズカ」
くすっと、ユエル様が小さく笑った。
「そんな不安そうな顔をしないで、ミズカ。昨夜のことは、本当にもう気にしていないから」
「や、やだもう! そうやってまた考え読まないでください、ユエル様!」
わたしが情けない声を上げると、ユエル様は肩を揺らして笑った。
「そうはいっても、分かりやすく顔に出ているからね」
「そんなぁ」
わたしは頬を両手で覆い隠した。それを見てユエル様はまた可笑しげに笑う。リラックスしきった、とても柔らかい、ユエル様らしい笑顔にホッとした。
「休みと言ったが、実はアリアから、午後になったら買い物につきあってほしいという伝言を頼まれていてね。付き合ってやって欲しい」
「ああ、はい。そういうことなら、分かりました。アリアさんのお伴をすればいいんですね?」
「そういうことだ。アリアのことだ、色々と振り回されるだろうから、午前中は体を休めておいた方がいい。……ミズカ、こちらへ来なさい」
「……はい」
一瞬ためらったけれど、ユエル様の言葉に従った。
「特別サービスだ。ミズカの今日の運勢を占ってあげよう」
「はい?」
唐突に、何を言い出すのかと思えば。
わたしは目を瞬かせ、とまどいがちにユエル様の顔を窺った。ユエル様が浮かべているそれは、「営業用スマイル」だ。ユエル様の美貌観賞目的でやってくる多くの女の子達に向ける、美しくも神秘的な微笑みだ。
ユエル様はサイドボードに置かれていたタロットカードを持ち、それを数回シャッフルした後、扇状に広げてわたしに差し出した。
「一枚引いて。好きなところから」
「…………」
当たるんですか、なんて訊いたりはせず、少しだけ考え込んだふりをしてから、一枚、カードを抜き取った。そしてカードは裏向けのまま、ユエル様にお返しした。
「その顔は、信用してないって顔だね、ミズカ」
「え、それは、その……」
「本当にミズカは、嘘をついたりごまかしたりするのが不得手だね」
「うぅ、すみません」
「それは美徳といえるよ、ミズカ。まぁ、ミズカとしてはそれで困ることもあるだろうけどね?」
「…………」
ユエル様、当たってます、その「占い」。と言いそうになったけれど、堪えた。「また皮肉かい?」と返されそうだ。皮肉のつもりなんてないけど、からかわれてるのかなとは思ったから、褒められているのかもしれないけれど、少しだけ複雑な気分だった。
「大丈夫。当たるよ、私の占いは、おおよそね」
「おおよそ、ですか?」
「そう……六割弱くらいは」
「微妙ですね」
「カードを抜き取ったその時点で、占いの結果を、カードを選んだ者自身が抜き取っている。占者はそれに注釈を付けるのが役目だ」
「はぁ」
「そしてその注釈は、カード本来の意味に加え、占者の勘がものをいう。私は、勘が良いからね」
「そういえば、そうかもしれませんね」
勘というより、単にあてずっぽうという気もするけれど。それは言わずにおいた。
「まぁ、そんなわけだから、そこそこに当たるよ、ミズカが当たると信じて聞いてくれたなら」
「はぁ……そうですか」
何だか、短時間の間にどっと疲れましたけど、ユエル様……。
だけど、肩にこもっていた妙な力みが、それで落ちた気がする。疲れたけれど、気持ちは軽くなったような。
ユエル様はにこにこと笑ったまま、それからカードを表向けた。
女の子達相手に占いをする時、いつもこんなに愛想を良くしているんだろうか。
ふと、そんなことを考えて、何故だか胸がチクリと痛んだ。
「カードは『太陽』だ」
「良いカードなんですか?」
占いの店の手伝いをしているくせに、ユエル様が商売道具として使っているタロットカードについて、わたしはあまり詳しくない。
見せてもらった『太陽』のカードの不可思議な絵は、悪い結果が出そうなデザインではなさそうに思えた。けれど、『太陽』と吸血鬼の組み合わせは、果たして良い符牒なんだろうか?
「良いカードだよ、とても。……そうだな」
意味ありげに小首を傾げ、しみじみとカードを見やった後、ユエル様は視線をわたしに戻し、そしてユエル様は典雅に微笑んだ。
「少しだけ、何かトラブルめいたことがあるかもしれないけれど、結果的には良い方向へと向かいそうだ。あまり暗く考えすぎないのが良いね」
「…………」
「太陽のカードは、大アルカナの十九番。希望や完成、活力などを意味するカードだ。ミズカが引いた時には正位置だったから、そのまま良い意味を成すカードとして受け止めていい。ただし、太陽のカードは、太陽の烈しさゆえに、マイナス要素も多少含まれている。ミズカに当てはめて考えるならそれは、渇きには注意しなさい、ということだろうね。……それから」
「はい」
わたしは神妙な面持ちでユエル様の占い結果を聞いた。六割弱の当たり率なら、もしかしたら当たるかもしれないと思って。
「午後からは、晴れそうだ」
……はい?
ユエル様は窓の外に視線を流して、そう言った。
それからもう一度わたしの方に向き直り、
「天気が回復すれば、気分も良くなるだろう」
そう、付け足した。
「……ユエル様。それ、占いじゃなくて、天気予報です」
「天気予報も占いの一種だよ、古い歴史のある、ね」
ユエル様はしれっと言ってのけるけど。
でもそれって……屁理屈な気がするんですけど、ユエル様。
わたしは呆れた顔をユエル様に向けてしまっていた。ユエル様は泰然と構えていて、わたしの呆れ顔もまったく気にしていない風に微笑んでいる。
こうしたやりとりは、ユエル様なりの気遣いだったのだろう。それに気づいたのは、後になってからだった。
ユエル様はおもむろに、タロットカードを持っていない方の左手をわたしに差し出した。
「ミズカ、太陽のカードから渇きに注意の占い結果もでたことだ、一応、念のために飲んでおきなさい」
「え、いえ、いいです、あの……」
わたしはふるふると首を横に振って、身を引こうとした。
ユエル様はわたしが断るのを予想していたのだろう。強引にわたしの手を掴み、繰り返して言った。「少しでもいい、飲んでおきなさい」と。
また、ユエル様に見透かされてしまった。
もう渇き始めてる。飲ませていただいて一日、二日でもう渇き始めるなんて、今までになかった。
渇ききっているわけではないけれど、物足りなさを感じて、落ち着かない。
「すみません、ユエル様」
渇きのせいでまた倒れるようなことがあっては、さらに迷惑がかかってしまう。
そう考え直して、生気を、飲ませていただくことにした。
ユエル様の手をとり、指先から、生気を吸い上げていく。
それは、ほんの数秒間のこと。
満ちたという感ははっきりと得られなかったけれど、もう飲めないだろうと思う程充分に飲ませていただいた。
「ありがとうございます、ユエル様」
それからすぐに、ユエル様から手を離した。それと同時に、わたしは後ろへ一歩、足を退いていた。
「……ミズカ」
ユエル様の手が伸び、わたしの頬に触れかけた。けれどその手はわたしに触れることなく、空を掴んでおろされた。
「コーヒーを淹れてきてくれないかな。熱いのを、ね」
ユエル様の双眸が、艶をおびた濃緑に沈む。言いかけた言葉を無理に飲み下してしまった、そんな表情だ。
でも、わたしにそれを訊く勇気はなく、口にしたのは了解の返事。
そして、笑顔をつくった。作り笑いなのは、ユエル様には分かってしまっただろうけど。
「あの、ユエル様。……ありがとうございます」
顔を上げ、まっすぐにユエル様を見つめてもう一度礼を言った。
「礼を言われるようなことはしてないと思うが? 生気のことなら……」
「それだけじゃないです。それだけじゃなくて、ちゃんと……言っておきたかったんです」
「律儀だね、ミズカは」
ユエル様は少し呆れたように、けれどとても穏やかなまなざしをわたしに向けてくれた。
「それじゃぁ私も、どういたしましてと言っておくべきかな」
茶化すようにそう言ったユエル様の瞳は、優しくて、だけどどこか寂しげな色を含ませていた。
胸が、わけもなくドキドキしはじめる。
「あのっ、じゃぁわたし、コーヒー、すぐにお持ちしますから!」
慌ただしくそれを言ってから、わたしは踵を返し、小走りになって部屋を出た。
そして、ドアを閉めてから、
「ごめんなさい、ユエル様」
俯いて、呟いた。