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2.訪問者

 窓越しに、臨時休業の看板を見て、残念そうに立ち去っていた女の子達を見送った。

 きっと情報源の曖昧な口コミを聞きつけて来たのだろう。再訪問の子達もいたかもしれない。

 絶世と称してもあながち言い過ぎともいいきれない美形の占い師を一目見ようとやってきた女の子達に、無駄足を踏ませてしまった。

 申し訳ないような、ほっとしたような。

 ユエル様の食事となる女の子達の大半は、学生のようだ。あとは主婦かな?

 まだお盆前だけど、存外客数は多い。もう夏休みには入ってるから、さすがに観光地なだけあって、ぼちぼち賑わいをみせつつある。

「それで? お客様はいついらっしゃるんですか?」

 ミントティーを用意し、テーブルに置いた。

「さあ。今日中には来ると思うが」

 わたしがミントティーを用意している間に、ようやく着替えを済ませてくださったユエル様は、書斎ではなく、居間の方へ移動し、そこで寛いでいる。

 臨時休業ということもあって、着替えてはきたものの、夜着よりはきちんとしているという程度の衣服だ。

 グレンチェックのパンツをはいた長い足をゆったりと組んで座り、ソファーの背もたれに片腕を投げ出すように置いている。長袖のシャツだから、露出は少ない……と言いたいところだけど、淡い浅黄色のシャツのボタンは下半分しかとめてない。

 もうっ、ユエル様! 目のやり場に困るんですけど!

 と、苦情を申し立てたいところだけど、恥ずかしくって、とても言えない。

「……あの、ユエル様。一応確認しておきますが、お客様というのは、その……やっぱり同族の方々でいらっしゃるんですか?」

「ん、ああ、そうだよ。……そう、“同族”だ」

 ユエル様は冷えたミントティーをとり、口をつけた。氷がカランと涼やかな音をたてる。

 わたし達は、固形物は食べられない。けれど液体ならば、摂取できる。

 どういう仕組みなのかは解からないけれど、なんでも液体は体内で蒸発するらしい。だから「飲む」ことはできて、ゆえに味覚もちゃんとある。

 付け加えると、わたし達は人間の生気を「吸う」わけだけど、それを「飲む」という言葉に置き換えている。誰が聞いても怪しまれないように、ということらしい。

 ユエル様はミントティーで喉を潤し、一息ついてから話し出した。

「ミズカに話しておかねばならないね、私達のことを」

「はい?」

 私達のこと?

 吸血鬼だということ以外に、まだ何か説明が必要なことが?

 珍しく真面目な顔つきのユエル様だ。深刻な話なのだろうか。

 ユエル様に座るよう促され、差し向かいのソファーに腰かけた。

「もっと早くに話しておくべきだったかもしれないと、今さらに思うが」

「…………」

 戸惑っているユエル様を見るのは、ずいぶんと久しい。

「長寿の代償として、子孫を残すことはできないと、これは以前話したね?」

「……はい」

「だが、私達は不死ではない。どんな形であれ、いずれ死は訪れる」

 消滅する、らしい。人間の死とは違う。塵になり、肉塊は残らないと聞いた。

 それを怖くないといえば嘘になるけれど、人間だって死んでしまえば骨が残るだけ。さほどの違いはない。自分に、そう言い聞かせていた頃もあった。

「さて、ミズカ。不思議に思わない?」

「はい?」

「私達は長寿だが、いずれは消える。そして伝説の吸血鬼のように、血を吸う行為で仲間を増やすということはしない。とすれば、私達は自然全滅してしまってもおかしくないのでは、と思わない?」

「あ…っ!」

 その通りだ、言われてみれば。

 わたしは目を瞬かせ、ユエル様を見つめた。



* * *



 かつて、ただの人間だったわたしは、ユエル様によって、吸血鬼の「眷族」にされた。

 血を吸われると吸血鬼になる、という伝説に多少は似ているけど、実際はそんなものではない。

 わたしはユエル様によって、生気を分け与えられ、たしかに吸血鬼の仲間になった。

 わたしのような存在を「眷族」というのだという。そして、「眷族」は「主」の生気のみを糧に生かされている。

 だからわたしはユエル様の生気しか受けつけない。人間の生気を直接「飲む」ことができないから、ユエル様がいなくなってしまったら、わたしは飢えて消えてしまう。……それだけの存在だ。

「ミズカ、誤解をしないで。“眷族”はただ従属するだけの存在ではないのだよ。とても……大切な存在なのだから」

 ユエル様が悲しそうに、そう言った。本当に、申し訳なさそうな顔をしたのだ、あの時。

 わたしを眷族にし、吸血鬼たる自分の素性を明かした、あの時に。




 ――遠い……遠い記憶。

 不思議と、いつまでも色あせない思い出もある。


 雨の港で行き倒れている銀髪の異人さんを見つけた。

 放ってはおけず、行き倒れていた異人さんを、奉公していた屋敷に連れて帰った、あの日。

 あの日が、すべての始まりだった。


 わたしの雇い主は当然いい顔をしなかった。

 わたしがとるに足らない下賎の奉公人だということもあったろうし、そのわたしが引きずるようにして連れ帰った異人さんの正体も不明で、厄介事に関わりたくないと思ったのだろう。

 部屋も貸してはくれず、風雨をどうにかしのげる程度の、狭い使用人用の宿舎で、わたし一人、意識の混濁している異人さんを介抱するしかなかった。

 意識もなく、苦しげに息をつく異人さんを薄っぺらな布団に寝かせ、その上にわたしの持ち合わせのぼろ服をかけて、温めた。そして一晩中、手を握っていた。そのくらいしかできなかった。ただ傍についてあげるだけしか。

ぼろ布を被せているのが申し訳ないほど、異人さんは美しかった。

 介抱の甲斐があったのかどうなのか、翌朝目を覚まし、意識を取り戻した異人さんは、わたしと、そして一応はわたしの雇い主に礼を述べ、屋敷を出て行った。

 それから数日後、異人さんが現れた。

 身なりを整え、豪奢な格好し、最新式の車に乗って。

 外国の貴族の子息で、相当な財産家だと知り、わたしの雇い主はあからさまに態度を変えた。

 米搗きバッタもそこのけにぺこぺこし、両手をこすり合わせて言い訳と世辞とを繰り返した。けれど、異人さんは表情一つ変えず、淡々とした口調で用件のみを述べた。

「その娘を買い受けたいのだが、幾らならば手放してくれようか」

 その娘……つまり、わたしのことだった。

 来訪の理由に、わたしは仰天した。

 ――結局。

 わたしはあっけなく売られてしまった。

 わたしは、ただの一面識しかない異人さんのお屋敷に上がることになった。

 わたしが働いていた子爵家の屋敷の何倍もある立派な邸宅を唖然と眺め、…………絶望した。

 手のあかぎれが消えないほどの掃除が、わたしを待っている。朝から晩までこき使われるに違いない。

 そう思っていたのに。

 わたしを買い取った新しいご主人様…ユエル様は、わたしの手をとって、「すまない」と謝ったのだ。買い取る、という行為に対して、ユエル様自身、気分を悪くしていたらしい。

「人身売買など、恥ずべきことだ」と。

 ユエル様はわたしにキレイな服を着せてくれ、女学校で習うような勉強は一通り教えてくれた。

 仕事も、させてもらった。これは、わたしの方から頼み込んで。ただ飯食いなんてイヤだったから。

 でも使用人は他にも沢山いたから、残っている仕事は僅かしかなかった。せいぜい、ユエル様の私室を掃除させてもらうくらいで、いつの間にか、わたしの手からはあかぎれが消えていた。

 どんな目的でこんなに優しくしてくれるのかと、最初は気味が悪かった。

 でも、いつしか、わたしは現状に慣らされた。不安感と疑問は僅かに残ったものの、暗い疑惑は薄れていった。

 ユエル様の元に召されて、二年が経った。瞬く間に。

 ……そして、その二年の後。

 わたしはユエル様の「眷族」になった。



* * *



 わたしは話の続きを急かすようにユエル様を見つめた。

 ユエル様はふうっと長い息をつき、わたしから目線を逸らした。

「眷族の意味についても、ちゃんと話しておかねばならなかったんだが」

「え?」

 話が逸れた? 吸血鬼の絶滅危機についての話じゃなかった?

 わたしが首を傾げ、ユエル様が再びわたしのほうに向き直った、その時。

 ビーッという、味気ない電子音が鳴った。

 玄関のドアの横に設置された呼び出しブザーの音だ。

 わたしは腰を浮かせた。中座することに多少戸惑ったけど、行っておいでとユエル様の目に促され、急いで玄関へ向かった。その間にもブザーは三度ほど鳴った。

 せっかちな人だな。

 施錠していなければ、勝手にドアを開けて入ってきそう。

 ドアを開けると、そこにユエル様目的の訪問客がいた。

「あら、あなた」

 反射的に、わたしは軽く会釈をした。

 茶系のサマーニットと麻素材らしいドレープのきいた膝丈のスカートを召している、権高な態度の若い女性客。

 日よけのためにではなく被っているつばの狭い帽子の下から、突き上げるようにしてわたしを見る。美人といえなくもないけど、赤く塗りたくった口紅と、キツイ香水の匂いが、美しさを損なわせている。

「ユエル様はいらっしゃる?」

 客には違いないけれど、ユエル様が待っているというお客様ではない。

 この方は常連客だ。ここ一週間、ずっと通い詰めている。

「あの、今日は臨時休業なのですが」

「でもユエル様はいらっしゃるのでしょう?」

 言葉遣いは丁寧だ。だけどそれは礼儀正しいと同義語ではない、この方に限っては。

「あなたに用はないの。ユエル様を呼んで」

「…………」

 一歩、彼女は前に進んだ。わたしを押しのけて屋敷に入ろうとする。

「ちょっとあなた、邪魔。ユエル様にお会いしたいのよ。どいてくれないかしら」

「あの、ですね」

 あまりに不躾ではないかと、非難しようとした。

 裕福な家のご令嬢であるらしいけれど、あまりに礼儀を失している。

「お待ちください、今、わたしが」

「どいてったら。……あらっ」

 屋敷内に侵入しようとする彼女の足を踏みとどまらせるのに成功したのは、結局、ユエル様だった。

「ユエル様」

 声も顔も、さっきのそれとはまったくの別人に成り変り、彼女のわたしを押しのける手にさらに力が加わった。

 ほんの少しわたしがふらついたのをユエル様は見過ごさず、とっさに手を差し伸べて、わたしを寄せた。というか、わたしを盾にしている。背後からわたしの肩に手をおいて、そして押しかけてきた来客と対面した。

「やあ、いらっしゃい。……亜矢子さん」

 名前を呼ぶ一瞬前の「……」は、名前の記憶をたどるための「……」だ。思いだせたのは良かったけれど、その短い間と、わたしの肩に置かれている手が、「亜矢子さん」はお気に召さなかったようだ。

 紅く濡れたような唇が、歪む。そして鋭くわたしを睨みつけてきた。

「今日は、店は休みなのですが」

「看板を見ましたから、それは存じておりますわ」

 それなら何用ですか。そうユエル様が問う前に、亜矢子さんは片手に持っていた瓶を差し出した。

「こちらをお持ちいたしましたの。シュペートレーゼの白ワインですわ。それから」

 ユエル様は瓶を受け取った。紙に包まれているから、ラベルは見えない。ドイツのワインらしい。

「こちら、招待状ですの」

 つまり、こちらが本命ということだ。

 ユエル様は、亜矢子さんが差し出した封筒を、ワインの時とは違ってすぐには受け取らなかった。

「三日後、わたしのホテルでパーティーがありますの。ぜひ、ユエル様もいらしてくださいな」

「…………それは、ありがたいお申し出ですね」

 ユエル様は返答を避けた。けれど亜矢子さんは諾と取ったみたいだ。満足げな笑みを浮かべている。

 亜矢子さんはたぶん、脳内でユエル様の了承を聞いたのかもしれない。あるいは、断られるはずがないと高をくくっているのか。

 それにしても「わたしのホテル」とはまた、ずいぶんと簡略したものだ。「わたしの泊まっている(だけの)ホテル」という意味ではないことくらいは、わたしにも分かるけれど。

 とりあえず招待状は受け取った。わたしが、代行で。

「それでユエル様。今日はこれから、お時間をとれまして?」

 せっかく訪ねてきたのだ。何の収穫もなく帰るつもりはないらしい。

「もしお時間がおありでしたら、わたしのホテルへ遊びにいらっしゃいません? ちょうど昨日……」

「亜矢子さん」

 ユエル様は優しげな、それでいてきっぱりとした声と態度で、亜矢子さんのお誘いを断った。

「残念ですが、実は今、来客中なんです。とても大切な客なのですが、亜矢子さんがいらしたようなので中座してきたのですよ。が、そろそろ戻らなくては。ミズカ」

 ユエル様の手が、わたしの肩から離れた。

「ミズカ、そこまで亜矢子さんを送ってさしあげなさい」

「あ、はい」

「いいえっ、結構ですわ」

 この時の亜矢子さんの表情は、とても複雑なものだった。

 亜矢子さんが来たから、わざわざ顔をだしたのだと言ってくれたそのことは特別扱いされているようで嬉しかったみたいだけど、反面、追い出されている気分にもなったらしく……実際、追い返そうとしているのだけど……ユエル様の申し出は即座に「遠慮」した。

 もちろん、ユエル様は断るとわかっていて、わざとそう言ったのだろう。それまでは気付かなかったようだ。

「それではまた、ユエル様。ごきげんよう」

 挨拶だけ聞いていると、育ちも品も良いお嬢様そのものなんだけどな、亜矢子さんって。

 小走りになって屋敷から遠ざかる亜矢子さんの姿をユエル様は一瞥もせず、そのまますぐに踵を返した。

 ようやく帰ったかと、ほっと胸を撫で下ろしている。

「ユエル様、そのワイン、ワインセラーにしまっておきます」

「ああ、頼むよ」

「それにしても、とっさの機転でしたね、来客だなんて」

「いや」

「え?」

 居間に戻ると、さっきまでユエル様が座っていたソファーに見知らぬ美女が座って、微笑んでいる。

「ええっ?」

 わたしは思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。



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