16.炎と風と
吸血鬼がもともと持っている超常的な力は、幻惑の能力。人間の記憶や思考を意のままに操作できる、一種の催眠術のような能力だ。
個人差はあるものの、吸血鬼にとって、生存し続けるために必要な能力のようで、この能力を持たない吸血鬼はいないみたい。
他に長寿で不老でなのは、
「種族的な特徴で、いわば体質のようなものだよ」
と、皮肉ったような口調で、ユエル様は述懐した。
この二つの特殊能力の他に、吸血鬼というよりは魔法使いめいた能力があることも、ユエル様から聞いていた。その能力……魔術とか超能力とか言ってもいいようなその“力”には、風・火・水の三種の力があるそうだ。
そのうちの“火”の属性の力を、ユエル様は持っている。そしてイスラさんとアリアさんは“風”。
「私が確認したのはその三種だけだが、他にもあるかもしれないね。古い血脈を継ぐ者、そして“魔力”の強い者にしか、そうした特殊能力は顕現しないようだ」
「ほら、俺達、個人主義だろ? 横の繋がりなんてないも同然だから詳しい事はわかんないんだよね。たぶんそうなんじゃねーかっていう適当な結論さ」
わたしは「はぁ、そうですか」と間の抜けたような返事しかできない。
ユエル様が有してる火の魔力については、ずいぶんと前に説明されていた。だけどユエル様がその力を行使する機会って滅多になくて、実感は乏しかった。
いつだったか、ユエル様が手の上に作って浮かべて見せてくれた蒼白い光の球体は、怪談話とかに出てきそうな火の玉か狐火のようで、きれいだなと思った憶えがある。手品を見せてもらってるような感覚で、不思議な力が“吸血鬼”にはあるんだなと、暢気に感心した。そうした能力に、少しも疑問を抱かなかった。
だって、そもそも“吸血鬼”という存在自体が現実味のない、不思議そのものの存在なのだから、例えびっくりするほど摩訶不思議な魔法を使えるのだと教えられ、それを見せられても、「そんなものなんだ」とあっさり納得したと思う。
あっさりというか、……ぼんやりと納得、というか。
それでもちょっと意外だなと思ったのは、水の属性の力だった。
吸血鬼って、水……主に雨や湿度等に弱いものだと思いこんでた。
ユエル様が雨の日をとくに億劫がっているから、そう思ったというのもあるし、後は小説か何かでそういう記述があったという憶えもあった。「流れる水」のせいで正体を現されたり、とか。だから、それほど深刻ではないにしても、ちょっとした弱点なのかなと思ってた。
「水は、とくに弱点ではないよ、ミズカ。聖水を含めてね」
「そうなんですか?」
わたしは小首を傾げてユエル様を見やった。
「ただ、自然の法則に従うように、それぞれ、その力の属性と相反するものは、弱点とまではいかないが、苦手になるということはあるかもしれない。中国の思想だったかな? 陰陽五行、というのは?」
そのあたりの知識も、以前ユエル様から教えていただいたことがある。
えーと……、たしか中国古来の哲理とかなんとかで、天地の間に循環流行して停息しない「火水木金土」の気を表わす……とか、なんとか? それぞれが相剋し相生する。
「まぁ、それに当てはまるわけではないが、相性の良いもの悪いものは確かにある。滅せられるほどの脅威にはなりえないが」
滅せられるなんて物騒な語彙を、ユエル様はさらりと口にする。
自分と人間達との差異を、そうしたさり気ない一言に含ませているように感じた。
ユエル様は時々ひどく自嘲的で、皮肉めいたことを口にする。
だけどイスラさんまでがそんなことを言うなんて、思いもよらなかった。
イスラさんはグラスを傾け、僅かに残っていたお酒を飲みほして、深々とため息をついた。そして、苦笑まじりに零した。
「俺達はさ、見た目は人間の姿をしてるけど、やっぱり魔性の種族なんだろうね、吸血鬼っていう。人間のまねごとをして“生きて”ても、人間とは交わりあえない」
イスラさんは明るい茶色の双眸を曇らせ、イスラさんに似つかわしくない寂しげな物言いをした。
「超常的っていうか、魔物っぽい異能の力を持っているのは、人間との区別をつけるためなのかもね? 俺達は本来、在ってはならないモノなのかもしれない」
「で、でもっ!」
思わず、身を乗り出してしまった。
「人間の中にだって、超常的な能力を持っている人はいます! そりゃぁ、魔法とかそういうのとは種類は違いますけど、でもっ、たとえば、すっごく足が速かったり力持ちだったり、記憶力が飛び抜けて優れていたり演算能力が高かったり、ええっと……あと、いろんな発明をしてそれを形にしたりとか! ごくごく平凡な人から見たら、そういった能力を持つ人はすごく特別な人種に思えてしまうし、魔法みたいだって思える能力もあって……。天賦の才能でも努力の賜物でも、そうした常人以上の能力を持つ人間はたくさんいて、人間社会の中で“生きて”るんです。だから、吸血鬼だって、人間と同じように“生きて”いたって構わないはずなんです。人間のまねをしていたって、こうして存在しているのだから、……在ってはいけないなんて、そんなことないって思うんです」
ずっと……ずっと、そう思ってた。
そう思っていたかった。“生きて”いてもいいんだって。
だって、そうでなければ悲しすぎる。
わたし達は確かに人間とは違う、別の“何か”だ。そのうえ、人間の生気なしには存在もできない、ひどく儚い存在でもある。
それでも、こうして存在してる。永い……とても永い時の中を、人間の世界に潜み、在り続けてきた。
たしかに、人間に害のある異端の存在なのかもしれない。そうした一面もあると、それは否定できない。
だけど、人間とは交じり合えないなんて、思いたくなかった。在ってはならない存在なんて、思いたくなかった。わたしはともかく、ユエル様の存在そのものを否定するなんて、それこそ在り得なかった。
だって……、だってわたしはユエル様に救われ、こうして存在できているんだもの。
吸血鬼とか人間とか、そんなこと関係なしに、ユエル様はわたしに優しく接してくれた。そうしてわたしを生かしてくれた。わたしのような者でも生きていて良いと、ユエル様が信じさせてくれた。
だから、これからも生き続けることを、否定したくない。
たとえ人間とは別種の存在であっても。
わたしの気持ちを、曖昧な単語でしどろもどろに繋げた言葉の羅列だけでも、ユエル様は察してくれた。
「ミズカらしいね」
そう言って、微笑んでくれた。穏やかな笑みを見せてくれるのは、なんだか久しい気がする。
恥ずかしくって、居たたまれない心持ちにもなったけれど、ユエル様の笑顔が見られたのが嬉しくて、何よりホッとした。
でも、心が和んだのも束の間、……――
「ミズカちゃん! いい子だなぁ!」
「――……っ!?」
いきなりイスラさんが抱きついてきて、声も出ないほどに驚いた。
イスラさんは、いつでも突然だ。
ついさっきまでテーブルの向こう側にいたはずなのに、いつの間にかわたしの目の前にやってきていて、ソファーに座ったままのわたしの頭を抱え込むようにして、ぎゅうっと抱きしめてきたのだ。
「あっ、あの……っ」
「う~ん、ミズカちゃん、ほんと、可愛いや!」
そう言って、イスラさんはまるで子供を褒めるみたいに、わたしの髪をくしゃくしゃと撫でてくる。
ワイングラスを両手で抱えるようにして持ったまま、わたしは硬直していた。突き放そうにも、腕を伸ばせない。
突然の抱擁に驚き、戸惑い、焦り、心臓が痛いくらいに高鳴りだした。
アリアさんとは違う。頬に当たるイスラさんの胸元の硬さが、それを体感させた。
――男の人の胸元、腕、……力強さだった。
「いやぁ、ほんと惜しいなぁ」
耳ともで、イスラさんがささやいた。少し声のトーンが落ち、そして、イスラさんの片手がわたしの背に回され、抱きしめる力が強まった。
思わず、ひゅっと息を呑む。寒くはないのに、全身が粟立った。
「ミズカちゃんがユエルの眷属でなきゃぁ、俺がもらったのになぁ」
イスラさんの声が悪戯っぽいものに変わった。からかうような声は、わたしにではなくユエル様に向けられているようだった。
「……イッ、イス……ラ、さん、あ、の……っ」
な、なに……?
急に、イスラさん、何を言い出すの……?
「ユエルになんかには、ホントもったいないくらいだよ、ミズカちゃん。俺ならもっと大事にしてあげられるのになぁ」
冗談めかしたイスラさんの声が、引き金になった。
「……っ」
――心の深いところにある何かがひび割れ、弾けた。