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13.過現

 わたしは色々と自覚が足りないのだと思う。迂闊で、鈍い。

 ユエル様にも、「ミズカは基本的に敏いのだが、思いがけず鈍感なところがあるね」と苦笑されたことがあった。

 何事にも、気付くのが遅すぎるきらいがある。それは自覚しているのに……。

 足の力が抜け、リビングを出てキッチンへ向かうその途中、へたり込んでしまった。

 眩暈を覚え、目の前がぐらりと歪み、立っていられなくなった。足元が崩れ、その場に膝をついた。

 こうなって、やっと気付く。

「……っ」

 こんなこと、以前もあった。しかも一度じゃない。何度も同じことを繰り返してきた。

 前兆はあったはずなのに、それに気付かなかった。……ううん。それから目を逸らして、気付かぬふりを決め込んだんだ……。

「――ミズカ」

 名を呼ばれ、ハッとして顔を上げた。

「……ユ、エル様」

 片膝をつき、わたしの腕をそっと掴んだのはユエル様だった。眉宇をしかめ、厳しい面持ちでわたしを見つめている。

「だから言っただろう、くれぐれも無理はするなと」

「……足は、もう痛くないです」

「足ではなくて」

「…………」

 ユエル様はわたしの手を取った。そしてわたしの指先を、そっと自分の首筋にあてがう。

「渇いているのだろう? 飲みなさい」

「……あ、の……」

「限界まで我慢をするから立ってもいられなくなるんだよ。いつまでたっても慣れないんだね、ミズカは」

「……すみません」

 ユエル様の目を見ていられず、俯いた。ユエル様の首にあてがわれた手に、無用の力みがこもる。指先から、生気がゆっくりと流れ込み、全身に熱が伝わっていく。

 わたしに生気をくれる時、ユエル様の緑色の瞳はさらに深みを増して美しく熱帯びる。深緑色の燠火のように麗しく、ひどく悩ましい。

「あ、あの……すみません、もう、いいです。ありがとうございます」

 いつまでたっても慣れない、そのことが申し訳なかった。

 生気を飲むことに対するとまどいはなかなか消せない。それをユエル様は責めたりはせず、かえってすまなそうな顔をする。だから早く慣れなくちゃと思うのに、気後れして自分からはうまく飲めず、いつだってユエル様の手を煩わせてしまう。

「ミズカ、立てる?」

「あ……、はい。すみません」

 ユエル様は手を離さず、わたしの体を支えるようにして立ち上がらせてくれた。

「私こそ、悪かったね」

「……え?」

「ミズカが慣れないのは仕方のないことだ。私がもう少し気をつけてあげるべきだった。限界まで我慢させて、悪かったね」

「いっ、いえっ、そんなっ!」

 思いがけずユエル様の謝罪を受け、わたしはうろたえた。

 以前、今と同じように渇ききって倒れこんだ時は「渇ききる前に自分で気づきなさい」と窘められたのに……。どうして急に、「悪かった」なんて。

 いったいどうしたの、ユエル様? 何か……違う。今までのユエル様と、何かが違う。違和感が拭えない。

 眷族の話をしてくれてから、ユエル様のわたしに対する態度が少し変わってきている。気のせいかもしれない。ふと見せる物言いたげで差し迫ったような表情は、いったい何なのだろう……?

「ミズカ、もう少し飲んでおきなさい」

 わたしの手を握り直して、ユエル様が言った。

「まだ足りないだろう? 今夜あたり天候が崩れるから、もっと飲んでおいた方がいい」

「でも、ユエル様は大丈夫なんですか?」

「私なら大丈夫だ。毎日新鮮な生気を飲んでいるから」

「…………はい……」

 促されるまま両手を握り、そこから生気を飲ませてもらった。

 生気を分けていただいているその途中、「あらあら」と背後から声がかかった。振り返るとそこにアリアさんがいた。

「ずいぶんと色気のない飲み方だこと」

「色気?」

 訊き返したのはユエル様だった。

 わたしはというと、訳もなく赤面してしまい、その顔をユエル様に見られなくてホッとしていた。

「なんて色気のない生気の飲ませ方かしら、と思って。いつもそうなの?」

「余計なお世話だ」

 思ったとおりの返答だったらしく、アリアさんはクスクスと可笑しげに笑う。

 ユエル様は眉をひそめ、渋面をつくった。でも、わたしの手は握ったまま。

 生気はもうたくさん飲ませいただいたから、手を離してくださいとも言えず、ちょっと困ってしまった。生気のせいではなく、手や頬が熱い。

「ふふ。ユエル、変わったわねぇ。それとも相変わらずと言うべきかしら?」

「…………」

 変わったけれど、相変わらず……?

 わたしはユエル様とアリアさんとを繰り返し見やって、首を傾げた。

 それに気付いて、アリアさんは笑みを深くした。

「ユエルの素直じゃなく不器用なところは相変わらず。でも、ずいぶん変わったのよ。そう、むかーし昔のユエルとはね。顔つきまで変わっちゃって、驚いたくらいよ?」

「そう……なんですか? 顔つきまで?」

「反抗期の子供みたいな捻くれて顔をしてたのに、とっても柔和になったわ。イスラもびっくりしてたもの。ちょっとは成長したみたいだなって」

「アリアやイスラの言うことは、信用しない方がいいね、ミズカ」

 耐えかねたように、ユエル様が口を挟んできた。

「特にアリアは物事をオーバーに言い過ぎる。それに、そんな昔のことをいちいち憶えている連中じゃないからね」

「はぁ……」

 たしかに「昔」の年数単位が、一年、二年という単位じゃなさそうだから、憶えていなくても当然かもしれない。アリアさんの言う「むかーし」って、いったいどれくらい前のことなんだろう?

「あら失礼ね、ユエル。イスラはともかく、あたし、記憶力はいいほうよ? なんなら話して聞かせてあげましょうか、ミズカちゃんに。ユエルのあんなことやそんなことを?」

「同じように、私も思いださせてあげようか、アリア? あんなことやそんなことを。ミズカに聞かせても良いのなら?」

 焦る様子もなく、ユエル様は不敵に笑ってアリアさんに言い返した。

「ま、いやね。可愛げのない子。そういうところは相変わらずなんだから」

 アリアさんは子供っぽく拗ねて、そっぽを向く。

「顔立ちだけじゃなくって、そういう不遜な性格も母親譲りね」

「アリアさん、ユエル様のお母様をご存知なんですか?」

 アリアさんの付け足した言葉に、速攻で反応してしまった。

 ユエル様はご自身の過去を詮索されるのを好まれないようだったから、家族のことなど、ほとんど聞いたことがなかった。母親のことも、銀髪緑眼の美しい女性だったくらいにしか聞かされていない。

 ユエル様が話してくださらないのなら、わたしから聞くべきではないと、我慢してた。でも、知りたい気持ちはやっぱりあって、出きれば知りたいと、ずっと思ってた。

「ユエルの母親? ええ、もちろん知ってるわ。ユエルが生まれる前からの友人だったもの」

 わたしはまじまじとアリアさんを見つめた。

「ユエルの母親は、あたしが初めて出逢った生殖者だったわ。彼女の方がずっと年上だったのだけど、同じ生殖者で、生殖の時期も重なっていたから、相談相手になってもらってたの。子供を産んでからもずっと付き合いは続けてて、大切な友人だったわ。……もう、いなくなってしまったけれどね。あらあら、ミズカちゃん、そんな哀しそうな顔をしないで?」

「……すみません」

 ユエル様の、わたしの手を握る手に力が入った。少し汗ばんでいるように感じるのは気のせいかもしれないけど、わたしは無意識的にユエル様の手を握り返していた。

「人のこと言えないけれど、ユエルの母親は子沢山だったのよ? だから、生きているのかどうかはあたしには分からないけど、ユエルには兄弟がたくさんいるはずよ」

「そうなんですか? 初耳です、ユエル様」

 顔をユエル様の方に向きなおした。

「……そうらしいね。会ったことがあるのは二、三人だけだから、兄弟が全員で何人いるかなど、私もいちいち把握していない。それに兄弟の父親が全部同一人物とは限らないからね」

「…………」

 言葉に詰まってしまった。もしかして、言いたくないことをユエル様に言わせてしまったのだろうか。別段不機嫌顔ではないけれど、淡々とした口調は他人事を話すみたいだ。

 聞いてはいけないことだったのかなと、後悔した。

「父親のことは、しばらく一緒にいたから憶えているが」

 ユエル様は嘆息した後に、語を継いだ。声に険はなく、微風がかすめていくような静かな声音だった。

 ユエル様は、わたしが「すみません」と言うのを予測して、先回りをしたのかもしれない。そしてユエル様は半ば強引に話をすり替えた。

「アリアにしたって、あれだけ生んでおきながら、一緒にはいないだろう? 兄弟達もそれぞれ別の場所にいるのだし」

 ユエル様の言に、わたしは「そういえば」と思い立ち、再びアリアさんに目線を戻した。

 訊いてみたかったことだった。

 アリアさんも生殖者なのだからお子さんがいて、旦那様もいるはず。旦那様……つまりアリアさんの眷族は今現在どうしてらっしゃるのか、と。

 アリアさんは澄んだ青い双眸を優しく細めて、語ってくれた。

「ダーリンとは、生殖者になったと気付く前に出逢ってたの。色々とあったけれど、あたし的には生殖者になれてラッキーだったわ。おかげで彼と永い時をずっと一緒に過ごしてこれたのだもの。でも、もう二百年近く経つのかしら? 彼ったら、先に逝っちゃったの。彼以外の眷族はいなかったから、今は独り身よ。生殖の期限は過ぎちゃったから、もう眷族は持てないわ」

 あっけらかんとした口調でアリアさんは言うけれど、やはり淋しそうだ。

 アリアさんがどれほど“眷族”だった旦那様を愛してらっしゃったのか、切なくなるくらいに分かる。切ないけれど、アリアさんの微笑みは優しく穏やかで、悲しい気持ちにはならなかった。

「もう眷族は持てない」というアリアさんの言葉に、わたしは改めて“眷族”の存在理由を知りたくなった。理由というか、存在意義……だろうか。

 いまひとつ理解していない、“眷族”のこと。それをもっと詳しく知りたかった。

 だけどユエル様がいる前では訊きづらかった。またユエル様に突き放されたらどうしようと不安が先に立って、口から出かかっていた質問は、再び喉の奥にしまわれた。

 代わりに別のこと……アリアさんのお子さん達について尋ねてみた。お子さんは、なんと五人いらっしゃるとのこと。わたしはあんぐり口をあけ、まじまじとアリアさんを見つめた。

「五人とも生きてはいるみたいね。元気でいるようだけど、いちいち連絡を取り合ったりはしないから、どこにいるかまでは分からないわ。兄弟でつるんでた時期もあったみたいね」

 ちなみに、男の子四人と女の子一人、だそうだ。

 アリアさんはそのぷっくりとした唇に人差し指を当て、気紛れな少女のような仕草で小首を傾げた。

「五人とも、あいにく生殖能力は持たなかったけど、吸血鬼らしく好き勝手にやってるでしょう。生殖能力を持たなかったからこそ、好き勝手やってるとも言えるわね。まぁ、吸血鬼らしくしすぎて退治されちゃったりなんかしないよう注意はしておいたけれど、どうかしらねぇ」

「そうなんですか……」

 気の利いた言葉の一つも出ず、ぼんやりとした声を発した。

 話を聞くだけでは実感はわきにくいけれど、やっぱり驚いた。

 アリアさんは見た目年齢……二十代半ばから後半といったところで、五人の子持ちにはとても見えない。

 お話を伺う前からユエル様より年上でいらっしゃることはなんとなく察していたけど、ユエル様のお母様とご友人だったということは、いったい、お幾つでいらっしゃるのだろう。さすがにそれは訊けなかった。……知りたくもあり、知るのがちょっと怖い感じもする。

 でもわたしだって、見た目は十代だけど、生まれてからは百年近くが経ってて、「何歳なのか」と問われたら、きっと戸惑ってしまうだろう。

 ユエル様の眷族になって、もう随分と経つ。そろそろいろんなことに慣れ、ちゃんと自覚しなくちゃいけない。ユエル様を困らせないためにも!

「あ、あの、ユエル様! わたし、お茶淹れてきます!」

 唐突に、切り出した。ユエル様は少し面食らったような顔をし、目を瞬かせた。

「ん? ……ああ」

 ユエル様から手を離し、わたしは意気込んでみせた。

「すぐに用意しますから、リビングの方で待っててください。アリアさんも!」

「ミズカ、もう……」

「もう大丈夫です!」

 こぶしをつくって両腕を上げ、元気ですというポーズをして見せた。

 するとユエル様は、ちょっと呆れたようにため息をついて、やわらかな笑みを浮かべた。そして、

「その服、なかなか似合っているよ、ミズカ。その格好で給仕されるのも、悪くはないかな」

 少しからかうような口調で、そう言った。

 わたしが耳まで赤くなったのは、至極当然のこと! だって、目も眩むような艶然とした微笑を向けてくるのだもの!

 もうっ、ユエル様、勘弁してください!

 照れ隠しも手伝って、わたしは虚勢を張って言い返した。

「わたし、女中ですから! メイド服が似合うのは当たり前なんです!」

 その一言が、ユエル様の眉目を曇らせてしまうなんて思いもせずに。


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