12.コスチューム
イスラさんから贈られた服は、とんでもない服ではなく、クラシカルな雰囲気のワンピースだった。――「とんでもない服」がどんなものかは、想像がつかなかったのだけど、ともあれ、着てみるのに戸惑いのある服ではなく、その点は一安心だった。
着方が難しい服でもなかったから、簡単に着られた。
着替えたものの、似合うのかどうかは自分では判断がつかない。
ともかく、身なりを整えてから階下の居間に向かった。わたしが降りてくるのを、皆が待っているのかもしれないと思い、なるべく急いで。
リビングには、ユエル様、イスラさん、アリアさん、イレクくん、全員が揃っていた。久しぶりの再会に会話が弾んでいるようだった。ユエル様を除いて。
リビングのドアは開け放たれていて、こそっと覗きこんでから足を踏み入れた。一応、「失礼します」と声をかけて。小声すぎて聞こえなかったろうけど。
そんな中、アリアさんが一番に、わたしがリビングにやってきたのに気がついた。アリアさんは「まぁ!」と声を上げるや駆け寄ってきて、出逢いの時と同じように、いきなりぎゅうっと抱きしめてきた。
「……っ!」
「やっだもうっ、ミズカちゃんったらなんて可愛いのっ!」
この日、アリアさんは短めの丈のTシャツとカプリパンツという軽装だ。腕を伸ばすと素肌が覗くほど短い丈のTシャツは、豊満な胸がより強調されているようで、ついそこに目がいってしまう。その、「つい目がいってしまう」部分に顔を押しつけられて、心地いいやら、気恥ずかしいやら、反応に困ってしまう。
「ミズカちゃん、それ、とってもよく似合ってるわ!」
そう言って、アリアさんは体を離してくれた。目を輝かせて、わたしの全身を見やり、感嘆の声を上げた。ユエル様、イスラさん、イレクくんの視線も一斉に集まり、なんだかとっても恥ずかしい。
「父さ……イスラですね、あの服を贈ったのは?」
呆れたようなため息をついて言ったイレクくんに、イスラさんは親指をたて、自慢げに応えた。
「おう。どうよ、ミズカちゃんに似合ってるだろ?」
「ほんと、可愛いわぁ。そうねぇ、どうせなら髪もこう……二つに分けて編んでみたらもっと可愛いんじゃないかしら」
「そうだ。これこれ、オプション。白レースのカチューシャもつけたら可愛いんじゃないかと」
「あら、いいかも。似合うかも」
アリアさんはイスラさんがすかさず差し出したカチューシャを嬉々として受け取ると、早速わたしの頭に装着し、髪も整えてくれた。
「…………」
迷惑なんてことはちっともないんだけど、どのような反応を示してよいのか分からず、困ってしまう。
それにユエル様の反応も気にかかった。だって、さっきから黙ったままで、一言も声をかけてくれない……。
ためらいつつも、わたしは一人がけのソファーに深く腰を沈めているユエル様に目を向けた。
ユエル様は僅かに眉をしかめ、驚きつつも可笑しがっているような、けれどちょっと呆れてもいるような、そんな複雑な顔をしていた。不快げな顔をしてはおらず、ホッと胸を撫でおろした。
ユエル様の反応を気にかけていたのは、わたしだけではなかったみたい。
「申し訳ありません、ユエル様。イスラの悪ふざけにミズカさんを巻き込んでしまって」
すまなそうな顔をして父親の所業を謝罪するイレクくんに、ユエル様は苦笑で答えた。
ユエル様はため息をついてから、苦虫を噛み潰しているような顔を、再びこちらに向けた。
そして、わたしを見つめる。
目があって、途端、胸がドキドキと早鐘を打った。
ユエル様の深緑色の双眸に、イスラさんから贈られた衣服を着ているわたしは、どんな風に映っているんだろう。
いま、わたしが着用している服は、イスラさんの説明によると、「メイド服」という「制服」らしい。
こげ茶色のワンピースの総丈は、膝よりやや下の長さで、裾の部分に白いレースが施されている。袖の付け根部分はやや膨らんでいて、長袖の先は折り返されていた。そこにも白いレースが縫いつけられていて、高めの衿にも控えめなレースが施されている。肩がけの白いエプロンは、肩部分も裾部分も、ギャザーの寄せたレース仕様になっている。装着されたカチューシャとエプロンはおそろいらしい。
メイドというのはつまり「女中」のこと……よね?
女中の制服にしては、ひらひらとしすぎて非機能的で、掃除もしにくいと思うのだけど。
そんなことをぼんやりと頭の隅で考えている間に、アリアさんはわたしの肩より少し長めの髪を二つに分けて編み、結んでくれていた。
「もうっ、ミズカちゃんったら、お人形さんみたいで、ほんとに可愛いわ! ねっ、そう思うでしょ、ユエル?」
「ナイスチョイス、俺! どうよ、ユエル? いい感じじゃね? アレだ、アレ。なんだっけ、萌えとかいうヤツだ」
アリアさんとイスラさんは、わたしを間に挟み、大喜びではしゃいでいる。イレクくんはソファーに腰かけたままこちらには来なかったけれど、「よくお似合いです」と笑顔を向けてきた。
「クラシカルな雰囲気がミズカちゃんには合うだろうなとこれを選んできたけど、正解だったな」
アリアさんとイレクくんの賛辞に、イスラさんはほくほく顔だ。
ちなみに、わたしに「メイド服」を贈ってくれたイスラさんはというと、「メイド」とか「萌え」とかとは縁のなさそうなラフな格好をしている。
Tシャツにジーンズという軽装なのだけど、Tシャツに描かれてあるプリント文字がいかにもイスラさん的で可笑しかった。
黒地に真っ赤な毛筆描きで、背中に「送り狼」と。
「送り狼」って、イスラさんはその意味は知っているのかしら?
「いや、俺さ、漢字はまだいまひとつ読めないから、実のとこ、意味はよくわかんないんだよね。で、他にこんなTシャツも勧められて買ってみた」
と言って見せてくれた真っ青なTシャツは、やはりプリント文字があって、「軟派一筋」。
イレクくんは呆れかえり、「まったく、呆れますね」と呟き、その後「まぁ、似合いの言葉ですが」と揶揄した。どうやらイレクくんは漢字が読めるらしく、意味もわかるようだった。
わたしはというと、「送り狼」と「軟派一筋」の意味はなんとなくわかるけれど、イスラさんの言う「萌え」という言葉の意味が今一つ理解できなかった。わたしの知っている「萌える」の意味とは、なんだか少し違う気がした。意味を訊いてみると、
「や、俺もよくわかんねーけど。ミズカちゃんみたいな可愛い娘を“萌え”とか言うらしいぜ?」
イスラさんはなんとも曖昧な返答をくれた。
「現代用語ですね。一部の方々が頻繁に使う俗語、といっていいでしょう」
イレクくんが横から補足してくれた。「僕も、詳しくはありませんが」と苦っぽい笑みを目元に浮かせて。
そんなことはどうでもい言ったいった風に、イスラさんは話を戻した。
「他にもロリータ風とか、ネコ耳とネコ尻尾付きのワンピもあったんだけど、ミズカちゃんにはやっぱこれでしょと思って」
「……はぁ」
イスラさんは、日本人のわたしでもよくわからない流行にうっかりのせられてしまっているみたいだ。イスラさん達は、もしかしたらけっこう長い期間日本に滞在していたか、頻々と来日していたのかもしれない。三人とも、日本語がとても上手だし。
それにしても、こういう……何だかよくわからない情報や流行に慣れきってしまうところも、ユエル様とイスラさんはちょっと似てる……なんて言ったら、二人とも真っ向否定するんだろうな。
それはそうと、「メイド服」をいただいたお礼をまだちゃんと伝えてなかった。遅まきながらそれに気付き、急いで謝辞を述べた。
「あの、イスラさん、ありがとうございました。喜んでもらえたのならよかったです」
「うん、俺こそすっごく嬉しいよ、ありがとね、ミズカちゃん」
そう言って、イスラさんは満面の笑みを浮かべた。
「やー、ほんと贈った甲斐があったってもんだぜ! よし、次はロリ系でいこう。ミズカちゃんにめっちゃ似合いそうだし! 不思議の国のアリスとかオズの魔法使い的なやつで何点かいいのあったんだよね。それまた買ってくるから、お楽しみに!」
「えっ、えーっ……と」
お楽しみにと言われても、「はい」とは頷きがたく、無下に断るのも失礼だろうと、言葉を濁した。
アリアさんは「それは楽しみね」と嬉しげに微笑み、わたしの顔を覗き込んでくる。
「ミズカちゃんって、ついついいじりたくなっちゃう小動物系の可愛さよね。目もくりっと大きくて、見つめられるとどきどきするわ」
「そんな……」
見つめられてどきどきするのは、アリアさんこそだと思う。
優麗な微笑みはまぶしいくらいだ。まじまじと見つめられて、赤面してしまった。
「イスラもアリアさんも、そろそろミズカさんを解放してあげたらどうです? 困ってらっしゃいますよ?」
イレクくんは助け舟を出すのがとっても巧みだ。本日二回目の船出に、わたしはまた助けられた。
イスラさんとアリアさんに挟まれて、迷惑とかじゃないのだけど、ちょっと困ってしまっていた。ユエル様に声をかけるきっかけがつかめなくて。
「あ、あのっ」
わたしはようやくユエル様の方に体を向け、声を発した。
ユエル様は体を少し傾けて、頬杖をついている。物憂げな様子で、けれどわたしをじっと見つめていた。目が合うと、少し目をやわらげてくれた。
ユエル様の友人に服を贈られ着てみせたことで、その友人……イスラさんには喜んでもらえたけれど、ユエル様はどう思ってるんだろう。訊くべきなのかな、「どうですか?」って?
でも、どう言って訊けばいいのかわからない。わからないし、訊く勇気もなかった。
だから、発した台詞はまったく別のことだった。声が、ちょっと上擦った。
「あ、あの、ユエル様、お茶をお持ちしましょうか?」
「……」
「皆さんの分のお茶も、お持ちします」
そしてわたしは、ユエル様の了承も得ず、逃げ出すかのように早足でリビングから出て行った。
深い緑色のまなざしを背中に感じながら。