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1.深緑の森にて

 針葉樹の緑が艶やかな、今は葉月。

 わたしとわたしのご主人様は、避暑と商売を兼ねて、高原の別荘地に来ている。

 お盆前後の夏季は大賑わいを見せる、観光地としても有名な高原の別荘地。

 わたしのご主人様は何度か訪れたことがあるようだったけど、わたしは初めて訪れる所だった。

 唐松と苔と羊歯の緑が美しい閑静な別荘地で、木々の隙間から寄棟屋根や三角屋根の木造建築が広い距離を置いて建てられているのが窺える。場所によって、ぎゅうぎゅう詰めに並んで建っているところもあるらしい。コンクリート舗装されている道もあれば、土が剥き出しになって轍が続いている道もあって、行き止まりになってしまう道も多かった。

 わたしのご主人様が選んだ現在の住処は、賑わった場所から少し離れた、奥まった場所にある。

 木造総二階建てで、銅板葺の白い洋館。緑の中にあって、白がよく映える。それほど大きくはない建物だけど、もとはどこかの国の貴族だか富豪だかの別荘だったらしく、外装もさることながら、内装も美しい。何度か修復・改装工事はしたらしいから、百年近く前に造られたとのことだけど、古びた感じはしない。半円形に張り出されたベランダが殊に目を惹く。

 どういう経緯でこの屋敷を手に入れたのか、ご主人様にはあえて訊かない。どうせ、「あまり大きな声では言えない」手を使ったに違いないから。


 その洋館の、正面入り口に看板が立てられている。

『占いの門』

 ネーミングセンスを疑う店名だけど、商売の名が記されているのは、わかりやすくていいのかな。

 この看板を見るたび、毎度首を傾げてしまう。

 こんな胡散臭そうなネーミングの店にも来客はそこそこあって、このひと夏である程度は稼げそうだ。

 ……愉快なことじゃないけれど。

 いかにも重々しいチーク製の建具枠の外側に、石製の太いアーチ状の額縁が廻らされている。

 それを何とはなしに眺めやり、ひとつため息をついてから、重い扉を開け、屋敷の中に入った。

 朝の散歩から帰宅したわたしを出迎えてくれる人はなく、広い屋敷の中、おそらく一階の書斎か二階の寝室のどちらかにいるだろうご主人様の元へ向かった。



 わたしのご主人様は、意外なことに、書斎にいた。

 ゆったりとくつろいだ姿勢で寝椅子に腰かけ、本を読んでいる。熱中している風ではなく、ぱらぱらと流し読みしているようだった。

「ただ今戻りました、ユエル様」と報告すると、本に落としていた緑色の目をこちらに向けて、「おかえり、ミズカ」と微笑みかけてくれた。

 それはもう目も眩むような美しい微笑みで。

 自然と紅潮してしまう頬と胸の動悸をごまかすために、平静な口調でユエル様に尋ねた。

「何を読んでいるのかと思えば……。いったいいつの間にそんなに揃えたんですか、ユエル様?」

 サクラ材の丸卓子に山積みになっているのは、少女漫画と小説。小説は、「ライト」が上につく類のもの。表紙を見ただけでは小説とは分からないような、そんな装丁の本だ。

 小説と「ライトノベル」の違いについて、いつだったかユエル様に説明してもらったことがあるけれど、なんだかよくわからず、結局ちゃんとは理解できなかった。少女向けと少年(青年?)向けでは、文体や内容に差異があったりするそうだけど、

「それもまた、その時の流行次第で変わるから、一概にこうだ、とは言い切れないジャンルで、良くも悪くも、不変のものではないね」

 とのことらしい。

 ユエル様が勧めてくれた何冊かの本は、ノベルの上にライトがつくかつかないかの区別はよくわからなかったけど、大抵のものは読んでみて面白いと思った。すらすらと読めてしまって頭に残らないものもあったけれど。

「久しぶりにミズカも読んでみる? こっちの少女向けファンタジーならミズカでも楽しめると思うし、なかなか興味深いよ」

「今はけっこうです。そんなことよりユエル様、せめてお召し替えなさってください」

 だってユエル様、夜着のままなのだ。シャツのボタンは上四つをはずしているせいで、胸元がはだけてしまっている。女ではないから見えても……まぁ、いいのだけど。

 それでもやっぱり目のやり場に困るんですってば、ユエル様!

 わたしが仕えている「ユエル様」は、貴公子然とした青年。年の頃は、見た目で二十代半ばといったところ。

 緑色の瞳が白絹のような肌に映える。白髪と見まごうつややかなプラチナブロンドは長く、肩にかかっている。

 ユエル様が手にしている少女漫画に登場してきそうな耽美な容姿で、「白皙の美青年」の見本みたいな美貌の持ち主だ。もちろん、日本人ではない。

 わたしは日本の生まれだけど、ユエル様の生まれ故郷は北欧の方らしい。

 詳細を聞こうとしても、

「国名? さあ、当時は何と言ったかな?」

 ユエル様はそう言って微笑み、はぐらかされてしまった。だから詮索されたくないのだろうと、それ以上聞くのはやめた。

 ただ、ヨーロッパ中を転々としていたとのことで、ユエル様は何ヶ国語かを自在に操れる。日本語も、日本人のわたしより流暢に話せるぐらいにお上手だ。英語にフランス語に、ポルトガル語、それにドイツ語なんかも不自由なく喋れるユエル様だけど、それらを披露する機会はめったにない。

 実のところ、不思議だったりする。

 ユエル様はどうして日本に来て、そして居続けているんだろう……?

 不思議なことだらけのユエル様は、わたしに着替えをせっつかれてもなかなか腰を上げてはくれない。不思議で、ちょっと困った方なのだ、わたしのご主人様は。

「ユエル様、もういい加減、着替えを済ませて、開店準備をしてください。そろそろ開店時間になりますよ?」

「ミズカ、これを表に下げてきて」

「なんですか?」

 手渡されたのは、木材の小さなプレートだった。そこには、『臨時休業』の文字が記されている。

「お休みするなんて聞いてません」

「臨時の休業だからね」

「……ユエル様」

「そうしかめ面をしないで、ミズカ。実は今日……だと思うんだが、客が来るんだよ」

「お客様、ですか? 占いのお客様ではなくて?」

「そう。遠方から遥々とね。連絡があったことを忘れてて、それでミズカに知らせるのが遅くなった。たぶん、二人……だと思うが」

「ユエル様のご友人ですか?」

「一人はたしかに友人だが」

 ユエル様は苦笑して答えた。ちょっと意味ありげで複雑そうな微笑みに見えた。

「わかりました。でも、その漫画は片付けてください」

「何故? 面白いのに」

 どういう意味の「面白い」かはわからないけど、ユエル様のような美貌の青年が読み耽っていていいものじゃない気がします。……なんてことは言えなかったけれど。

「吸血鬼を題材に扱った漫画や小説というものは、少女向けに多いのだね。しかも偏っていて興味深い」

「吸血鬼って……ユエル様」

 今度はわたしが複雑な表情をする番だった。

「吸血鬼とやらは切なく哀れで耽美な存在のようだな。残忍で酷薄、しかし意外に一途、と」

 それが今まで読了した漫画や小説から集積した「吸血鬼」の総イメージらしい。

「私に男色の趣味はないが、……たしかにそうした趣味の奴もいたな」

 くすっと、悪戯っぽく笑う。まさに、艶然と。イメージ通りに。

「的を射ていることもあるね。血を吸うのではなく、“生気”を吸うというのは、確かにその通りだ。不老で長寿なのも、たしかにそうだね」

 かつての吸血鬼のイメージといえば、血に飢えた亡者、牙をむいて処女に襲い掛かる怪しい夜の魔物、といったところだろうか。ブラム・ストーカーが書いたような。

「にんにくや十字架、日の光が弱点じゃないことも、よくわかっているね。まぁ、作者によってそのあたりは変わってくるようだが。人間の信仰心が弱点と描く者もいるが、これはどうだろうね?」

 こういう場合の信仰心というのは、主にカトリックだろうか?

 そうしたことに詳しくないから何とも言えないけれど、実際、現代の日本で、カトリック教の信仰心の篤さに畏怖するような場面には出くわさない。

 だから、「どうだろうか」と問われても、わたしとしては答えようがなく、困ってしまう。

 それよりも……――

「……ユエル様、吸血鬼という言い方は嫌ってらっしゃったのに」

「他にないからね、日本語では。妖怪という言い方は広義すぎるしね。化け物には違いないが」

「…………」

 ――つまり、「吸血鬼」なのだ。わたし達は。生き物の“生気”を吸って生きる、不老で長寿の「吸血鬼」。

 厳密にいえば、わたしはユエル様とは違う。

 ともあれ、人間ではない、人外的な存在であることはたしかで、便宜上「吸血鬼」と言っている。誰に言うでもないのだけど。

 占いなんてふざけた商売を、ひと夏限定で始めたのは、容易く人間の生気を得るため。もちろんお金も要るので、「一石二鳥のいいアイディアだろう?」と、ユエル様は言うけれど。

 もっと他に方法はなかったのかしらと思う。

 当たるのかどうか微妙な占いなのに、客の入りはいい。それも女性ばかり。占いが目的というよりは、鑑賞に値する美青年を一目見ようとやってくる。しかも料金を払って。

「当然のことだね」

 と、ユエル様は嘯く。

 まったくもって、自意識過剰なユエル様だ。もっとも自惚れてもいいほどの美貌の持ち主には違いないのだけど。

 謙遜という言葉を教えてさしあげたい……。

 ため息まじりにうっかりこぼしたわたしの独語を、耳ざといユエル様はしっかと聞きとっていて、不快な顔をするどころか慢気な笑顔を浮かべている。

「謙遜よりも、自己を正しく評価することこそ、美徳だと思うが?」

「過大評価に陥りがちなんです、ユエル様は」

「ミズカは私と違い、遜恭としすぎるきらいがある。ミズカこそ自己を正しく評価しても良いと思うが、まぁそれが、ミズカの美徳でもあるから、相変わらずでいてほしいとも思うよ」

「ユエル様こそ相変わらずの驕気っぷり、ある意味、安心します」

 本当は、驕り高ぶったような人じゃないって分かってるから、優しさに甘えて、つい軽口をたたいてしまう。

 だけどユエル様は怒りもせず、

「それはよかった」

 と言って、艶然と微笑んだ。



 気恥ずかしさをごまかすために、別室から段ボールを持ってきて、そこに漫画本を詰めこむ作業を始めた。

「ミズカ、それらをどうするつもり?」

「売ります。たいした金額にはならないでしょうけど、邪魔になりますから」

 吸血鬼のわたし達の食料は、人間の生気だ。

 だから食料を調達する費用は必要ないけれど、人間のフリをし、生活をしていくには何かとお金がかかる。そのために働くこともある。

 そうしなくても、ユエル様には豊富な私財…主に貴金属類…があって、時々それを現金化して持ってくる。贅沢さえしなければ、それで一、二年は楽に暮らせるくらいのお金をぽんっとわたしに渡してくる。

 何もせず遊んで(というか、だらけて)暮らすこともあるけれど、何食わぬ顔で学校に通ったこともあった。

 わたしは生徒、ユエル様は教師になりすまして。

「秋になったら、またどこかの学校にもぐりこもうか。生気が楽に得やすい場所だしね」

「ユエル様がそうなさりたいのなら」

「ミズカも、短い間だが、学生生活を楽しめるだろうしね?」

「…………」

 かつて……ただの人間だったわたしは、学校などに通える身分ではなかった。だから学校に通えたのがすごく嬉しくて、その時のわたしのはしゃぎようをユエル様は思いだしたのだろう。

 ユエル様は優しく微笑み、わたしを見つめてくる。穏やかなような、切ないような、深い深い、緑の双眸を。

「ミズカは、たしか十七歳……だったね?」

「たぶんそうだと思います。はっきりとは分かりませんけど……」

 もう何十年……いや、百何年か前の話だ。わたしが「十七歳」くらいの年齢だったのは。

 わたしが、わたしのことで知っている事といえば、「水果」という名前と、孤児だということ、そしてたぶん十七歳くらいだということ。

 親なしだったわたしは孤児の収容所のような施設にいて、読み書きを覚えた頃になってから、とある子爵家のお屋敷に奉公にあがることとなった。そこにどのような経緯があったかすら、知らない。

 下働きとして雇われたわたしの待遇は、「下の上」といったところだった。残り物の寄せ集めという内容の食事が二度と、蚤の涙ほどの給金。給金が出るだけでもありがたかった。

「みすぼらしいという言葉がぴったりだったね、あの頃のミズカは」

 あの頃、たしかに、みすぼらしいの一言に尽きるわたしだった。

 身なりもまともに整えられず、痩せて、這いつくばるようにして働いていた。

 今では小奇麗な服を着られて、一般常識や勉強もユエル様に教えてもらい、学校にまで通わせてもらった。

 食事の心配は……ユエル様が傍にいる限り、保障されている。

「ユエル様のおかげです、何もかも」

「もうすっかり、みすぼらしさは抜けたね、ミズカ」

「……っ」

 わたしの手を取り、ユエル様は匂いたつ薔薇のように笑う。

 突然手を握られて、胸がドキリと高鳴った。

 ユエル様の幻術に、わたしはかからない……はずなんだけど。

 顔どころか、全身熱くなってきて、慌てて手をひっこめた。

「のっ、喉、渇きませんか、ユエル様! 何か冷たいものでもお持ちします」

「…………」

「あ、温かいものの方がいいですか? 目が覚めるように、コーヒーとか」

「……いや」

 ユエル様は何かを言いかけ、けれど一度口を噤んだ。

 それから、ふっとため息をつき、

「そうだな、冷たいミントティーがいい。淹れてきてくれるかな?」

 そう言った。きっと、言いたかった事ではないだろう。なんとなく、そう感じた。

「わかりました。すぐに用意しますね! それじゃぁユエル様、その間にこの本、段ボール箱に詰めておいてください」

「はいはい」

 主人に対しての口利きは、かつて奉公に上がっていた家で身につけたはずだった。

 ましてや主人に「命令」するなど、言語道断。

 だけど、過去の思い出と一緒にそれらは忘れてしまった、現在のわたしだ。

 ユエル様は、困ったような、呆れたような、そして安堵したようなため息をついて、笑う。

「ミズカの分も淹れておいで。一緒に、朝のティータイムといこう」

「はい…っ」

 応えてから、わたしは大急ぎでキッチンへと向かった。

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