第31話 凱旋の夜——五人の湯けむり、一つの屋根
始源の刻印庫から帰還した夜。
五人で温泉に来ていた。エルデ近郊の天然温泉。露天風呂が二つある小さな湯治場だ。
男女別——のはずだったが。
「ゼクさーん」
壁の向こうからティアの声がした。
「壁の刻紋、読んでもらえませんか? この温泉、刻銘者の時代に作られたものみたいで、壁に古代語の碑文があるんです」
「……今か?」
「碑文が湯気で消えちゃうかもしれません! 学術的に貴重です!」
ヴァルの声が聞こえた。「ティア。それは明日でいい」
「でも——」
ニーナの声。「あたしは別にいいぞ。入ってきたら」
「ニーナ!」とヴァル。
「何だよ。碑文の調査だろ? 学術目的だ」
「学術目的で男を女湯に入れる馬鹿がいるか」
リーリアの声。「あの——わたしは、その、ゼクくんが必要なら——」
「リーリアまで!」
壁の向こうで四人が議論している。俺は一人、静かに湯に浸かりながら聞いていた。
——その瞬間、刻紋鑑定が発動した。
壁に触れていたわけではない。だが温泉全体に宿る刻紋が、湯を通じて身体に流れ込んできた。
映像が見える。温泉の過去数百年の記憶。入浴者たちの——。
「——ッ!」
慌ててスキルを遮断した。だが一瞬、壁の向こう側の刻紋が連鎖的に読まれてしまい——壁の向こうの温泉に宿る、今現在の「記録」が断片的に流れ込んだ。
湯気の中に、四つのシルエット。
立ち上がる銀白の長い髪——ヴァルの背中のライン、腰のくびれから豊かな臀部への曲線、振り返った横顔の向こうに揺れる胸の輪郭。
湯に肩まで浸かる翡翠色の髪——ティアの小さな肩、湯面に浮かぶ白い肌、水面を押し上げるように膨らむ胸。
湯船の縁に腰かける褐色の肌——ニーナの引き締まった脚、尻尾が湯面を叩く水音、振り向いた拍子に見える小ぶりだが形のいい胸。
タオルで身体を洗う蜂蜜色の髪——リーリアのふくよかな身体、泡に覆われた豊満な曲線、布で拭う仕草に合わせて揺れる胸の動き。
四人分の入浴風景が、刻紋を通じて一瞬で脳に焼きついた。
俺は湯の中に沈んだ。
「ゼクさん? 大丈夫ですか? 何か音が——」
「大丈夫だ。湯に滑っただけだ」
「碑文の調査は——」
「明日にしよう。ヴァルの言う通りだ」
「えー」
壁の向こうで、ヴァルの声がした。
「ゼク。お前、今——何か読んだか」
元副団長の観察眼は、壁越しでも機能するらしい。
「何も読んでない」
「嘘をつくな。お前のスキルが発動したとき、壁の刻紋が光るんだ。こっち側からも見えた」
沈黙。
「……事故だ。温泉の刻紋が勝手に共鳴した」
「何が見えた」
「何も」
「ゼク」
「……温泉の過去三百年分の入浴記録が見えた」
「三百年分の入浴記録」
「ああ。三百年分の。過去の。入浴者の」
「……現在の入浴者は?」
壁の向こうが静まり返った。
「……断片的に」
壁の向こうから四つの殺気が同時に飛んできた。
「ゼク・ベルンマルク」とヴァルの声。低い。
「はい」
「明日、話し合いだ。刻紋鑑定の発動制御について」
「了解」
「ゼクさん——わたしの、見ましたか」とティアの声。泣きそう。
「見てない(見た)」
「嘘ですー!」
「おい、あたしのも見たのか」とニーナの声。低い。
「見てない」
「尻尾は」
「尻尾は——」
「見たな。殺す」
「ゼクくん……」とリーリアの声。静かに泣いている。
「すまん。本当に事故だ」
四人同時に「「「「明日覚えてろ」」」」
凱旋の夜は、こうして幕を閉じた。
翌朝、ゼクの部屋のドアに「刻紋鑑定 温泉での使用禁止」という張り紙が貼られていた。
全員の直筆署名入りだった。




