表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/34

第31話 凱旋の夜——五人の湯けむり、一つの屋根

 始源の刻印庫から帰還した夜。


 五人で温泉に来ていた。エルデ近郊の天然温泉。露天風呂が二つある小さな湯治場だ。


 男女別——のはずだったが。


「ゼクさーん」


 壁の向こうからティアの声がした。


「壁の刻紋、読んでもらえませんか? この温泉、刻銘者の時代に作られたものみたいで、壁に古代語の碑文があるんです」


「……今か?」


「碑文が湯気で消えちゃうかもしれません! 学術的に貴重です!」


 ヴァルの声が聞こえた。「ティア。それは明日でいい」


「でも——」


 ニーナの声。「あたしは別にいいぞ。入ってきたら」


「ニーナ!」とヴァル。


「何だよ。碑文の調査だろ? 学術目的だ」


「学術目的で男を女湯に入れる馬鹿がいるか」


 リーリアの声。「あの——わたしは、その、ゼクくんが必要なら——」


「リーリアまで!」


 壁の向こうで四人が議論している。俺は一人、静かに湯に浸かりながら聞いていた。


 ——その瞬間、刻紋鑑定が発動した。


 壁に触れていたわけではない。だが温泉全体に宿る刻紋が、湯を通じて身体に流れ込んできた。


 映像が見える。温泉の過去数百年の記憶。入浴者たちの——。


「——ッ!」


 慌ててスキルを遮断した。だが一瞬、壁の向こう側の刻紋が連鎖的に読まれてしまい——壁の向こうの温泉に宿る、今現在の「記録」が断片的に流れ込んだ。


 湯気の中に、四つのシルエット。


 立ち上がる銀白の長い髪——ヴァルの背中のライン、腰のくびれから豊かな臀部への曲線、振り返った横顔の向こうに揺れる胸の輪郭。


 湯に肩まで浸かる翡翠色の髪——ティアの小さな肩、湯面に浮かぶ白い肌、水面を押し上げるように膨らむ胸。


 湯船の縁に腰かける褐色の肌——ニーナの引き締まった脚、尻尾が湯面を叩く水音、振り向いた拍子に見える小ぶりだが形のいい胸。


 タオルで身体を洗う蜂蜜色の髪——リーリアのふくよかな身体、泡に覆われた豊満な曲線、布で拭う仕草に合わせて揺れる胸の動き。


 四人分の入浴風景が、刻紋を通じて一瞬で脳に焼きついた。


 俺は湯の中に沈んだ。


「ゼクさん? 大丈夫ですか? 何か音が——」


「大丈夫だ。湯に滑っただけだ」


「碑文の調査は——」


「明日にしよう。ヴァルの言う通りだ」


「えー」


 壁の向こうで、ヴァルの声がした。


「ゼク。お前、今——何か読んだか」


 元副団長の観察眼は、壁越しでも機能するらしい。


「何も読んでない」


「嘘をつくな。お前のスキルが発動したとき、壁の刻紋が光るんだ。こっち側からも見えた」


 沈黙。


「……事故だ。温泉の刻紋が勝手に共鳴した」


「何が見えた」


「何も」


「ゼク」


「……温泉の過去三百年分の入浴記録が見えた」


「三百年分の入浴記録」


「ああ。三百年分の。過去の。入浴者の」


「……現在の入浴者は?」


 壁の向こうが静まり返った。


「……断片的に」


 壁の向こうから四つの殺気が同時に飛んできた。


「ゼク・ベルンマルク」とヴァルの声。低い。


「はい」


「明日、話し合いだ。刻紋鑑定の発動制御について」


「了解」


「ゼクさん——わたしの、見ましたか」とティアの声。泣きそう。


「見てない(見た)」


「嘘ですー!」


「おい、あたしのも見たのか」とニーナの声。低い。


「見てない」


「尻尾は」


「尻尾は——」


「見たな。殺す」


「ゼクくん……」とリーリアの声。静かに泣いている。


「すまん。本当に事故だ」


 四人同時に「「「「明日覚えてろ」」」」


 凱旋の夜は、こうして幕を閉じた。


 翌朝、ゼクの部屋のドアに「刻紋鑑定 温泉での使用禁止」という張り紙が貼られていた。


 全員の直筆署名入りだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ