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第3話 呪いの紋

 考えるより先に、身体が動いていた。


「こっちだ」


 俺は彼女の腕を取って裏路地に引き込んだ。角を二つ曲がり、古い倉庫の陰に滑り込む。


 追ってきた男たちの足音が通り過ぎていく。


 しばらくして、静寂。


 息を整えながら、隣の女性を見た。


 近くで見ると、さらに圧倒される。白い肌。だが腕に剣だこがある。戦う女の手だ。身長も体格も、騎士としての鍛錬を物語っている。


 そして——胸当てのフックが外れかけている。先ほどの激しい動きのせいだ。隙間から覗く白い肌と、窮屈そうに圧迫された胸の膨らみが、嫌でも目に入る。


 本人も気づいたのか、慌てて手で押さえた。


「み、見るな」


「……すまん」


「いや——助けてもらったのに、こちらこそすまない。感謝する」


 彼女は深く息をつき、倉庫の壁にもたれた。


「私はヴァレリア・ヴァルハイト。——元、王国騎士団第三部隊副団長」


 元。


 その一文字に、影が差した。


「俺はゼク・ベルンマルク。元、Aランクパーティーの鑑定士」


 元。

 ——俺たちは、同じ接頭辞を背負っていた。


 ヴァレリアが苦笑した。唇の端が、わずかに上がる。


「お互い、『元』がつく身の上か」


「そうらしい」


 俺はふと、ヴァレリアの鎧に視線を留めた。


 フックの外れだけじゃない。鎧全体に違和感がある。鑑定を使うまでもなく——いや、正確には、使おうとする前に指先が反応していた。痺れるような感覚。ノイズ、ではなく、もっとはっきりした衝動。鎧の内部に、何かの紋が眠っている。


「ヴァレリアさん。一つ聞いていいか」


「ヴァルでいい。——何だ」


「その鎧——最近、急に身体に合わなくなっていないか」


 ヴァルの碧い目が、大きく見開かれた。


「なぜ——それを——」


「俺のスキルは、物に刻まれた紋を読む。完全にじゃない、断片的にだが。……その鎧の内側に、本来あるべきでない紋が仕込まれている。それが、鎧の形状をわずかに歪めているんだと思う」


 ヴァルは数秒、無言で俺を見つめた。


 それから、腰に佩いた剣に視線を落とした。白銀の刀身に、淡い光が宿っている。自発的に。まるで俺の言葉に応えるように。


「——この剣の名はオーリエル。暁光のオーリエル。騎士団から下賜された聖剣だ。だが近頃、この剣も鎧も、おかしい。力がうまく通らない。まるで——」


「呪いがかかっているみたいに?」


 ヴァルの碧い瞳が、真っ直ぐに俺を射た。


「お前には、それが見えるのか」


 俺は手を鎧に近づけた。触れる寸前で止める。許可なく他人の装備に触れるのは、冒険者の礼儀に反する。


「触れてもいいか。もっと正確に読める」


 ヴァルは逡巡した。ほんの数秒。


 それから、静かに頷いた。


「頼む」


 指先が鎧に触れた。


 瞬間——琥珀色の光が、指先から広がるように鎧の表面を走った。


 俺の視界に紋様が浮かび上がる。通常の刻紋鑑定で見る淡い紋とは違う、禍々しく歪んだ赤黒い線。呪術の紋だ。


 そして、その紋の奥に——映像が見えた。


 断片的な映像。暗い部屋。誰かの手が、鎧の内側に紋様を刻んでいる。呪いの紋。手の主の姿は見えないが、袖口から覗く布地は——。


 高位の軍服。


 騎士団の上級士官の軍服だ。


「……見えた」


 俺は指を離した。指先が熱い。今の読み取りは、これまでの刻紋鑑定とは明らかに次元が違っていた。物の名前や素材ではなく、刻まれた記憶そのものを見た。


「この鎧に呪いの紋を刻んだのは、騎士団の内部の人間だ。かなりの高位の。そして——」


 指先が、今度はオーリエルに引き寄せられるように動いた。剣の柄に触れた瞬間、鎧を読んだときの比ではない情報量が一気に——


 だが、断片で途切れた。頭がくらりと揺れる。今の俺では、ここまでが限界だ。


「すまない。全部は読めなかった。だが、確かなことが一つある。鎧と剣に呪いを刻んだのは同一人物で、騎士団の上層部にいる」


 ヴァルの手が震えていた。


 怒りではない。


 それは——安堵だった。


「やはり——嵌められた、のか」


 声がかすかに濡れている。銀白の髪の向こうで、碧い目が潤んでいた。


 俺には事情はわからない。騎士団を追われた理由も、着せられた罪の内容も。


 ただ、一つだけわかる。


 この女性は、無実だ。


 そして、俺のスキルは——他の誰にも見えない紋を、読むことができる。


 ゴミスキル?

 そうかもしれない。

 だが、このゴミが読んだものを——Sランクの鑑定は、一生読めない。


「ヴァル」


「……何だ」


「俺はしばらくこの町にいる。記憶迷宮を攻略するつもりだ。もしよかったら——」


 言い終わる前に、ヴァルが口を開いた。


「頼む」


 涙の痕を残したまま、碧い瞳が真っ直ぐに俺を見た。


「私と一緒に、記憶迷宮に潜ってくれないか。——この剣の刻紋を、全て読み解いてほしい」


 俺は、頷いた。


「ああ。読んでみせる」


 辺境の町エルデ。

 追放された鑑定士と、冤罪の騎士。


 こうして、俺たちの物語は始まった。

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