第2話 裏切り者の女
翌朝。王都ルクレインの南門。
必要最低限の荷物を背負い、門をくぐろうとしていた。行き先は決めていない。まずは王都を離れよう。ここにいれば、「元Aランクの追い出された鑑定士」という看板が纏わりつくだけだ。
「——待ちなさい」
背後からの声に振り返ると、冒険者ギルドのギルドマスター、マルクス・オーゲンが杖をつきながら歩いてきた。白髪に深い皺。七十は超えているだろうが、背筋はまっすぐで、目の光は若い冒険者よりも鋭い。
「マルクスさん。わざわざ見送りですか」
「見送りではない。助言だ」
マルクスが俺の顔を、正確に言えば俺の目を覗き込んだ。
「辺境にエルデという町がある。小さい町だが、周辺に未攻略の記憶迷宮がいくつも手つかずで残されている。どの探索者も攻略できずに引き返した迷宮だ。——通常の鑑定では、歯が立たないのでな」
「通常の鑑定では」
「そうだ」
マルクスの目が、俺の琥珀色の瞳を映している。何かを確かめるように。
「お前のスキルには、まだ先がある。ゼク。お前自身がまだ見ていない紋の層が、必ずある」
「……なぜ、そう思うんですか」
マルクスは答えなかった。代わりに、俺の顔をもう一度じっと見つめた。長い沈黙のあと、小さく頷く。
「エルデに行け。自分の目で確かめろ」
背を向けて歩き出す。数歩で足を止めた。振り返らず、独り言のような声で言った。
「ベルンマルク、か。——懐かしい名だ」
俺は聞き返そうとしたが、マルクスはそのまま雑踏に消えていった。
懐かしい?
俺は孤児院育ちだ。ベルンマルクという姓は、院長が「お前を預けた人物がそう名乗った」と教えてくれただけで、どこの家系なのかもわからない。
——まあ、今考えても仕方がない。
南門をくぐった。
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王都を出て三日。街道を南に歩き、辺境の町エルデが見えてきた。
石造りの城壁に囲まれた、人口三千ほどの小さな町。王都の喧騒とは無縁の、埃っぽくて穏やかな空気が流れている。冒険者ギルドの支部はあるが、常駐の探索者は少ないらしく、門番は退屈そうに欠伸をしていた。
正門を抜けながら、ふと指先に意識が向いた。
——また、あれだ。
刻紋鑑定を使っているわけでもないのに、指先がちりちりと痺れる。視界の端に、あるはずのない紋様が一瞬だけ明滅して消えた。断片的で、意味のとれない、壊れた模様。
昔から、この現象がときどき起きる。俺はずっと「ノイズ」と呼んでいた。スキルの誤作動。刻紋鑑定がEランクの不完全なスキルである証拠——そう思ってきた。
でも、マルクスは言った。「まだ見ていない紋の層がある」と。
このノイズが、もし——誤作動じゃないとしたら?
考え込みながら歩いていた耳に、喧騒が飛び込んできた。
町の中心にある酒場から、怒声が漏れている。
「おい、聞いたぜ! お前、騎士団を追い出された裏切り者の女だろ!」
「ルクレインじゃ有名だぞ、『銀白の裏切り騎士』ってな!」
下卑た笑い声。複数の男。それに混じって、一つだけ、静かな声が返った。
「——手を放してもらおうか。私は酒を飲みに来ただけだ」
凛として、よく通る女性の声。怒りを殺している。だが震えてはいない。
俺は足を止めた。
見知らぬ土地で、見知らぬ他人のトラブルに首を突っ込むのは賢くない。追放されたばかりの身で、余裕なんてどこにもない。
——だが。
酒場の中から、金属音が響いた。
「おっと、いい剣じゃねえか。こんなもん持ってるから調子に乗るんだよ——」
男が剣に手をかけた——次の瞬間、白い閃光が酒場の窓から溢れた。
男の悲鳴。テーブルが吹き飛ぶ音。
直後、酒場の扉が蹴り開けられて、一人の女性が飛び出してきた。
腰まで届く銀白色の髪。碧い瞳。身長は俺より高い。
そして——。
駆ける動きに合わせて、騎士鎧の胸当てに収まりきらない豊かな双丘が大きく揺れた。金具が軋む音がする。本人も走りにくいのか、片手で胸元を押さえている。
女性が路地に飛び込もうとした瞬間、こちらを見た。
碧い瞳に、怒りと、悔しさと——ほんのわずかに助けを求める色が混じっていた。




