第11話 記憶迷宮の深層部に到達できる鑑定士は俺ですけど?
ティアが書架の奥に本を戻しに行ったあと、俺は宿のヴァルに連絡するために席を立った。
その途中で、背後から小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ——」
振り返ると、ティアが書架の上段に手を伸ばし、つま先立ちでバランスを崩しかけていた。背が足りないのだ。
反射的に背後に回り、ティアの身体を支えた。細い腰に手を添えて、倒れないように押さえる。
「大丈夫か」
「は、はい。すみません、もう少しで——」
ティアが振り返った。
至近距離。
ティアの顔が、俺の顎の高さにある。視線を落とすと、ローブの襟元が開いて、白い肌と、想像以上に深い谷間が見えた。
小柄な体躯から予想する以上に、ティアの胸は豊かだった。ゆったりしたローブに隠されていたが、この距離では隠しようがない。
ティアが俺の視線に気づいた。自分の胸元を見下ろし、次の瞬間、頬から耳まで真っ赤に染まった。
「ぜ、ゼクさんっ——」
「すまん。本、取るぞ」
ティアの頭上に手を伸ばし、目的の本を取って渡した。自然な動作を装ったが、心臓は全力で鳴っていた。
この町に来てから、なぜ俺の周りには胸の大きな女性ばかり集まるのだろうか。
その時、図書館の入口付近に座っていたヴァルが、こちらをじっと見ていた。
碧い目が据わっている。
「——ゼク」
「何だ」
「何をしていたんだ」
「本を取った」
「本を」
「本を」
「……ふうん」
声が低い。ヴァルが立ち上がり、こちらに歩いてきた。ティアがおどおどしながら俺の後ろに隠れる。
「あ、あの——わたしが転びそうになって、ゼクさんが支えてくれて——」
「転びそうに。それで、密着して」
「密着は——してない」
「していた。私は見ていた」
ヴァルの碧い瞳が、静かな圧力を放っている。怒りとは少し違う。名前のつけにくい感情。
この空気をどうにかしたかったが、そのとき図書館の奥からタイミングよく司書が声をかけてきた。
「すみません、そろそろ閉館のお時間ですが——」
助かった。
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宿に戻る道すがら、ティアも一緒だった。古書店の方角が同じだったのだ。
三人で並んで歩く。俺を挟んで左にヴァル、右にティア。背の高いヴァルと小柄なティアの対比が際立つ。
「ティアは、この町にどれくらいいるんだ」
「三ヶ月くらいです。それ以前の記憶は——あまりはっきりしなくて。気がついたら、森の中を一人で歩いていました」
「三ヶ月……。封印がかけられたのは、おそらくそれより前だ。封印の紋の劣化具合から推測すると、半年から一年くらい経っている可能性がある」
「そんなに」
「封印が解ければ、もっと多くのことがわかると思う。だが今の俺の力では、封印の全容を読むのは——」
言いかけたとき、遠くの通りから魔法通信の鐘が鳴った。ギルドの通信室だ。
「——ゼクくん宛の通信だ! 王都のギルド本部から!」と、通りの向こうからギルドの職員が走ってきた。
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ギルドの通信室で、マルクスの声を聞いた。
魔導通信機越しの声は少しくぐもっていたが、内容は明瞭だった。
「ゼク。お前の近況は聞いている。記憶迷宮の攻略、見事だ」
「マルクスさんの助言のおかげだ」
「助言しただけだ。実力はお前のものだ。——だが一つ、警告がある」
マルクスの声が低くなった。
「教会が動いている。記憶迷宮の出土品に監査をかけるという通達は知っているな? あれは表向きだ。教会の本当の関心は、出土品ではなく——お前だ」
「俺?」
「刻紋鑑定の使い手。記憶迷宮の深層部に到達できる鑑定士。教会はそういう人間を——放っておかない」
「なぜだ? 教会が迷宮の鑑定士に関心を持つ理由がわからない」
マルクスは数秒沈黙した。通信機越しに、老人の深い息遣いが聞こえた。
「ゼク。ベルンマルクという名を、教会に知られるな」
「——俺の姓に、何がある」
「今は言えない。いずれ話す。だが今は——教会にその名を知られてはならない。お前の安全のために」
通信が切れた。
俺は通信機の前で、しばらく動けなかった。
ベルンマルクという名に、何が隠されている。
マルクスは何を知っている。
孤児院に俺を預けた両親は——なぜ、姿を消した。
答えのない問いが渦を巻いた。だが、一つだけ確かなことがある。
教会が動いている。俺のスキルに——あるいは俺の血筋に——目をつけている。
時間は、あまりないかもしれない。
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その夜。
隣の部屋で、ティアが泣いていた。
ティアには宿の空き部屋を取ってやった。古書店の住み込み部屋よりはましだろう。だが夜半過ぎ、壁の向こうから押し殺した声が聞こえてきた。
うなされている。
俺とヴァルが同時に廊下に出た。ヴァルも聞こえていたらしい。
ティアの部屋のドアを開けると、ティアはベッドの上で汗びっしょりになって震えていた。目を閉じたまま、うわごとを呟いている。
聞いたことのない言語だ。
——いや。聞いたことがある。ティアが手記を読み上げたときの言葉。古代語だ。
「逃げて——あの人たちが——記憶を——消されて——」
ヴァルがティアの肩を揺する。「ティア。ティア、起きろ」
ティアの目が開いた。琥珀色の瞳が恐怖に見開かれている。数秒、どこにいるのかわからない顔をして——俺とヴァルを認識した瞬間、堰を切ったように泣き出した。
「怖い夢を——白い服の人たちが、わたしの頭に手を当てて——何かが消されていくんです——」
ヴァルがティアを抱き寄せた。ティアの小さな身体が、ヴァルの腕の中に収まる。ヴァルは何も言わず、銀白の髪をティアの頬に触れさせて、静かに背中を撫でていた。
——白い服の人たち。
聖典教会の聖職者は、白い法衣を纏る。
ティアの封印と、教会。
繋がり始めていた。まだ確証はない。だが——繋がり始めていた。
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翌朝。
宿の食堂で、ガストンが深刻な顔で待っていた。
「ゼク。まずい知らせだ」
「何があった」
「聖典教会の使者が、昨日の夕方にエルデに到着した。三人。聖職者二人と、護衛の騎士が一人。——お前に会いたいと言っている」
ヴァルの目が鋭くなった。
ティアが怯えたように俺の袖を掴んだ。
教会が来た。
マルクスの警告から、二十四時間も経っていない。




