お盆の頃
八月に入った週末
温泉旅館の川床には
清流の音が絶えず流れていた
菫は一人 川に面した席に腰を下ろす
観光客は未だまばらで
この時間帯は村の人のほうが多い
女将が手書きのメニューを置いた
「今日はな いちごの冷やし甘味と
シャインマスカットの冷製デザートがあるよ」
菫は思わず目を落としたまま止まる
どちらもこの村のものだ
春に話題になったいちご
最近 少しづつ評価が上がってきた
シャインマスカット
いちごは甘くて分かりやすい
村の人にも 観光客にも受けがいい
シャインマスカットは「これから」の存在
値段も高く 出すのをためらう店もある
どっちを選ぶかで
何を応援しているか分かっちゃう気がするな
菫は苦笑いした
「悩んでるねえ」
女将がからかうようにいう
「両方っていうのは…」
「今日はやめとき ちゃんと迷った方がええ」
その言い方…少しだけ真剣だった
菫は少し考えてから言った
「シャインマスカット お願いします」
女将は何も言わずに頷いた
運ばれてきた皿には
冷やされたマスカットと 透明のジュレ
一口食べて 菫の目は瞬いた
ちゃんと 美味しい 派手じゃない
でも確かに丁寧な味だった
川の流れを見ながら思う
この村も こんな感じなのかもしれない
直ぐに分かりやすく評価されなくても
ゆっくりと ちゃんと前に進んでいる
川床を離れる頃
水面に夏草が揺れていた
どっちが正解かは まだわからない
でも迷える場所にいるのは 悪くない
帰る時何故か
メニュー表が
「村娘一押しの
シャインマスカットの冷製デザート」
になっているのをみた
お盆の頃
私は隣村の青月にある実家へ
ほんの短い時間だけ顔を出していた
仏壇に線香をあげ
母と二言三言近況を話す
「今は役場で働いとるんやろ」
「うん まあ そんな感じ」
詳しくは話さない
自衛隊を辞めた理由も
夜勤の施設警備員だった事も
ここに戻ってきた理由も
縁側に座ると
母はぽつりと言った
「ええ村なん?」
私は少し考えて
「静かな村や」
「それは分かる」
母は笑った
「田舎やろ」
「まあな ここよりは まし」
少し間が空く
母はまた聞いた
「人はおるん?」
「ここよりはおるよ 減ってるけど」
母は黙って聞いていた
「店も無くなっている」
私は言う
「移動スーパーが来る」
「そんな時代なんやな」
「でもあんたは
そういうとこに行くんやな」
私は少し笑った
「縁やろな」
「震災の時」
母の手が少し止まる
「東北行ったやろ」
「うん」
「町が無くなっていた」
母は何も言わない
私も静かに言った
「家も店も」
少し間が空く
「でも 一番きつかったのは」
言葉を探す
「人がいなくなることやった」
母はゆっくり頷いた
そして小さく
「そうやな」
沈黙が流れる
「その村は今はどうなっているの?」
私は少しだけ笑った
「少しづつ戻っているらしい」
「ほな ええやない」
母は言った
「時間かかっても
人がおったら町は残る」
私は黙っていた
母は麦茶を飲みながら言った
「その漁村も あんたの村も」
「村ってな」
少し間が空く
「人や 人がおったら村や
おらんようになったら
ただの海や ただの山や」
「夜になったら分かるやろ」
「なにが?」
「村 灯りついとるやろ
灯り消えたら そこはもう村やない」
間がある
「そう言えば 夢はみるんか?」
母は直球だ
私は少しだけ空を見た
「前よりは減った」
それは本当だった
「俺な たいぶ平気になったよ」
母は何も言わない
「助けられなかった顔 全部覚えている」
「今は 仕方なかったと割り切っている」
母は小さく息を吐く
「そうか」
それだけだった
けれど
私は分かった
安心してくれている
「今は ちゃんと働いているで」
「知っとる」
「もう逃げていない」
母は 静かに頷いていた
私は村の境目にある山の稜線を眺めていた
子供の頃と何も変わらない景色
自分の中だけが少しだけ遠くへ行って
戻ってきた




