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月の反転現象

「ぼくは……ピロットです。


絶望した月の役を与えられた子ども。


だって父は、演技が少しでも足りなければ、毎日ぼくを鞭で打つから。


だから今日は、みなさんに“いい芝居”をお見せします。


……本当に、いい芝居なんです。」


少年の声は、壊れてしまいそうなほど柔らかかった。

絶望を含んだ言葉と、陰りを帯びた表情は、不思議なほどよく調和している。

だがその瞳の奥には――密やかな毒が、確かに潜んでいた。


口にすべきでない言葉だと、分かっていながら。

すぐ近くで“彼”が聞いていると知りながらも、

少年はどうしても、軽く棘を含ませずにはいられなかった。


――残酷な養父へ。


「ベロノール」


その名を、ただ囁いただけで。

一瞬、部屋全体が――時間を止められたかのように、静まり返った。


朝の公演が終わると、子どもたちは賑やかに主室へ戻っていった。

正午が近づくにつれ、漂ってくる温かなスープの香りが、空気を少しだけ和らげる。

一日に一つだけ配られる甘い菓子を目当てに、何人もの子が急いで席を確保し、

小さな話し声と、スプーンが器に触れる音が、明るく混ざり合っていた。


ほかの子どもたちにとって、これは午後の読書までの長い休息。

外の世界が入り込んでこない、穏やかな半日だった。


――ピロットを除いては。


彼は誰よりも遅れて歩いてきた。

ただ俯き、床だけを見つめて。

まるで、誰かから身を隠すかのように。

その沈黙は、周囲の明るさとあまりにも対照的で、まるで別の世界にいるようだった。


そして、ふと顔を上げた瞬間――


彼が育ってきた世界そのものが、目の前で待っていた。


「お父さん……!」

ピロットは震える声で呼んだ。

だが身構える間もなく、激昂した父の大きな手が彼の体を乱暴に引き寄せた。


「フブ―― フブ――!」


小さな脚は床に引きずられ、もつれるように震え、歩調についていけない。


父子の私室へ向かうその道すがら、

ピロットは必死に「お父さん……お父さん……」と、か細い声で繰り返した。

少しでも、父の怒りが鎮まることを願って。


だが結局、彼はソファのある部屋へ連れて来られた。

暖炉の淡い光、古い書物の匂い。

かつて一度だけ、父が本を読んでくれた記憶が、微かに残る場所。

本来は温もりに満ちたその部屋で、今、ピロットは恐怖にすがりつく言葉を吐き出す。

――扉が閉められた後で。


「お父さん……!

ピロット……悪い子でした……だから、どうか、叩かないで……」


ベロノールは、ただ静かに腰を下ろしていた。

懇願の声を穏やかに聞きながら、薬草茶を口に運ぶ。

その声が途切れ、

“行儀の悪い子ども”の顔がはっきりと現れるまで、待つ。


そして、ゆっくりと留め金を外す。

濁った眼差しでこちらを睨むピロットに、

よく見ていろ、とでも言うように。


――月の臀部へ、容赦なく、鞭を振り下ろした。


暖炉の火がはぜる音は、

月が漏らすかすかな呻き声と、ちょうど重なっていた。

ベルトの先端が肌に触れるたび、

彼は声を上げないよう必死に耐えなければならない。

――それが、父をさらに喜ばせてしまうから。


「……理解できないわ……」


ひとりの少女の声が、ふっと零れた。


「ピロットのこと、あんなに叩いてばかりなのに……

どうして毎晩、愛してるなんて言いに行くの?」


ピロットは沈黙したまま、何も答えなかった。

ただ疲れたふりをして、その問いから逃げるように目を閉じ、

やがて皆と同じように、眠りへと落ちていった。


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