エピソード16
コン、コン、コン
「あ、はい」
彼女は、ドアを開けた。
「あのー、もしかしたら、男性のお風呂でお困りではないでしょうか」
「えっ、ええ・・・実はここに来てから、一度もお風呂には入っていません・・・」
「やっぱり、」
「失礼ですが、あなたは、」
「もう辞めましたけど、前に障害者センターに勤めてましてね。患者の中にサヴァンの人もいたんです。あなた若い女性だし、もしかして苦労されているのではと思いまして、」
「そうだったんですね・・・正直悩んでます、どうすればいいのか」
「浴槽があればいいのですけど。あっ、でも、タオルで身体を拭くだけでも全然違いますよ」
「えっ、そうなんですか」
「タオルとシャンプー持ってきました。お湯があればここで出来ますけど、持ってこれます?」
「ちょっと駅の人に聞いてきます」
彼女は駅改札へ向かった。
少しして、お湯が入ったバケツ3つを台車で運んできた。
「これで、よろしいですか?」
「はい。じゃ、はじめましょう」
突然入ってきたおばさんは、テントの中で困惑する綾部京一郎に清拭しながら、手順や注意点を彼女に教えた。
「ありがとうございました。本当に助かります。これから、これでやってみます」
「この髪とヒゲ、なんとかしなきゃですね」
おばさんはスマホを取り出し、どこかへ電話した。
「私の知り合いの娘さんが、ヘアサロンで働いてるんですよ。その子に来てもらえることになりました」
「ほんとですか!ありがとうございます!」
「来週休みがあるらしいので、その時に髪切ってもらってください」
「あっ、あのー、お金は、」
「なに言ってるんですか。あの絵は、全ての女性の希望ですよ。お金なんていりません」
彼女は、深々と頭を下げた。
「あと、亡くなった主人の服がありますが、いくつか持ってきましょうか」
「あっ、いえ、それは買ってあるので大丈夫です」
「でもズボン、結構汚れてますよ」
「それが、新しいものを着させても、いつのまにか前のズボンに履き替えてるんですよね」
「まあ、よほど気に入ってるのかしら」
「触るとすごく怒るので、洗うこともできなくて」
「いろいろ変わったところがあると思いますが、それがサヴァンの人の特徴でもあるので」
「ええ、わかってます。なので、彼のしたいようにさせてあげてます」
おばさんは、ニッコリ微笑んだ。
「大変だと思うけど、頑張ってね」
「はい、本当にありがとうございました」
彼女は、綾部京一郎と共に日々を送ることで、
彼への理解を深め、次第に扱いに慣れていった。
何も言わない彼の意思を尊重し、絵に集中しやすいように配慮した。
過ぎてゆく日々の中で、両家顔合わせ、ゲストリスト作成、招待状の作成と発送、結婚指輪や衣装選び、披露宴の演出や装飾の打ち合わせなどなど、挙式までのスケジュールが目白押しだった。
彼女は、大塚に文句を言われながらも、オンラインでも出来るものは極力WEB上でこなした。
「はい、これでどうですか?」
髪を切り、ヒゲを剃ってもらった綾部京一郎は、手鏡を持たされた。
芸能界に即スカウトされそうな端正な顔立ちに、美容師の若い女子は彼女に耳打ちする。
「痩せてますけど、めちゃくちゃイケメンですよね」
「えっ、ええ、そっ、そうですね」
「テレビにあの人が写ったら、日本中の女子が大騒ぎしますよ」
「そっ、そんな、大げさな」
「いいなー、」
「えっ?」
「じゃ、がんばってください!」
「ええっ?」
若い女子は道具を片付け、笑顔で手を振りながらドアを閉めた。
いつ倒れるかもしれない、
その緊張に中で時間はあっという間に過ぎ、1か月が経過する最後の日の朝を迎えた。
今日まで倒れなかった綾部京一郎、
もしかしたら、このまま生きてくれるのではと彼女は思った。
「先輩、おはようございます!」
ドアの前に、坂下彩が笑顔で立っている。
「おはよう、彩ちゃん」
「来ましたよー、」
「本当にいいの?」
「もちろんです。もう、決めたことですから」
坂下彩は、送られてきた招待状の欠席に丸を付けていた。
「先輩の式は死ぬほど出たいです。けど、絵のことを気にして暗い顔した先輩は見たくありません」
「でも・・・」
「その代わり、約束してください」
「えっ、何?」
「わたしの結婚式には、絶対に出席してください。それで、貸し借り無しにしますから」
「彩ちゃん・・・」
「あの絵、もうほとんど完成してますよね」
「あと、右腕が描けたら完成だと思う」
「今日が最後の日か・・・なんとしても完成してほしいです」
「・・・そうね」
「先輩、何かあったら必ず連絡しますから、安心してください」
「ありがと、彩ちゃん」
坂下彩と綾部京一郎を残して、彼女は白壁のドアを開けた。




