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エピソード15

翌朝、彼女は始発で秋葉原に向かった。

白壁のドアの前に着くと、段ボールを被って寝ている綾部京一郎がいた。


 「ちょっと、起きて!」

 

ゆっくり目を開ける綾部京一郎。


 「どうして・・・なんで、こんなとこで寝てるの?」

 

 「・・・」

 

 「まさか、教えたあのベッドで寝てない?」

 

 「・・・」

 

彼女は綾部京一郎を立たせ、ドアのロックを解除した。


 「これも教えたわよね。ドアの開け方」

 

 「・・・」

 

 「全部忘れちゃったわけ?」


 「・・・」

 

彼女は一瞬貧血のような感覚を覚えたが、気を取り直した。


 「とにかく入って」

 

テーブルのサンドイッチとお茶は、買ったままの状態だった。


 「これも食べなかったんだ」

 

 「・・・」

 

 「もう、どうしてよ!」

 

彼女は、足場に登ろうとした綾部京一郎の腕をつかんだ。


 「あなた、わかってるの!一分一秒もムダに出来ないのよ!」

 

 「・・・」

 

 「しっかり食べて、しっかり寝なきゃ、いい絵なんて描けるわけないじゃない!」

 

綾部京一郎は彼女の腕を振り切り、足場へ行こうとした。


 パアン

 

彼女の右手は、綾部京一郎の頬を叩いていた。


 「あたしが、この絵のためにどれだけ犠牲にしてるか、あなた全然わかってない!」

 

 「・・・」

 

 「あなたも残りの人生を賭けたんでしょ!もっと、しっかりしなさいよ!」

 

叩かれた勢いで膝をついたが、彼は起き上がり足場に登った。


  ・・・コミュニケーションが全然取れない

  

  あの静岡の女性が言った通りだけど、

  ここまで厳しいとは思ってなかった

  ドアの開け方、しっかり教えたつもりなのに

  

  一体どれだけの時間が、ムダになったのよ・・・

  

彼女はテーブルの丸イスに座り、頭をかかえた。


  ダメだ、

  こんな感じじゃ、とてもじゃないけど完成なんてしない

  

  どこかで拾った段ボールで寝てたってことは、

  ベッドで寝てないよね

  

  食べない、

  ベッドで寝ない、

  お風呂も入ってない、

  

  時間が無いっていうのに・・・


  なんとかしなきゃ、  

  なんとか・・・

 

頭を掻きむしった末、彼女はある結論に至った。


 「マンションになんか帰ってる場合じゃないわ」



彼女は自宅に戻り、パジャマ代わりのスエットに下着、アメニティと常備薬、それにビタミンサプリをトランクに放り込み、

パソコンをバッグに押し込んで、秋葉原に戻ってきた。


 「あのー、彼が使わしていただけるシャワー、あたしも使っていいですか?」

 

 「ええっ?」

 

近くのアウトドアショップから、キャンプテントと寝袋を2セット購入し、駅まで運んでもらった。

説明書を何度も見ながら、悪戦苦闘の果てにテントを設営。

ペグは打てないので、緑の養生テープで固定した。


 「ねえ、ちょっと降りてきてくれない」

 

振り向く彼に、彼女は手招きした。

コンビニのレジ袋にサンドイッチを捨て、買った弁当をテーブルに置く。


 「ごはん、ちゃんと食べて」

 

ペットのお茶のフタを開け、彼に差し出した。

こぼしなら飲んだが、弁当は食べようとしない。

彼女は割りばしを勢いよく割り、

おにぎりをつかんで、彼の口元へ運んだ。


 「お口、開けて」

 

驚く表情を見せる。


 「お口を開けてよ」


長いまつ毛、切れ長の二重に茶色の瞳、通った鼻筋。

前髪のピン止めのせいか、ヒゲが生えた女子のような顔になっている。

少し震える手で、小さく開けた彼の口におにぎりを入れた。

口をモグモグさせている彼は、困ったような表情だ。


 「あっ、後は・・・自分で食べて」

 

差し出した割りばしを、彼は受け取ろうとしなかった。

彼女はため息をつきながら、弁当を全部食べさせた。

味わっているというより、無理に食べてる感じだ。

お茶を飲むと、彼は立ち上がりドアを出た。


しかし、いくら経っても帰って来ない。

探しに行こうとドアを開けた時、彼は駅員と二人でドアの前に立っていた。


 「改札から外へ出ようとしたので、思わず止めたんですよ。構内を迷った感じでしょうね」

   

中に入った彼は、すぐに足場に登り絵を描き始めた。


  そういうことか・・・

  

  食事もトイレも、そしてお風呂も、

  あたしが付き添わないとダメなんだ


痩せている綾部京一郎は、幸せそうな顔で鉛筆を動かしている。

その背中を見て、彼女は思った。


  この人は、この絵を描くこと以外何も出来ない

 

  でも、それは彼のせいじゃない

  彼は、一生懸命生きてる


  本当は、もっともっと

  自分の口でお話ししたい、誰かとしゃべりたい

  でも、それが出来ない

  

  悲しいけど、

  自分じゃ、どうしようもないって、

  きっとわかってる

  

  それでも、

  この世に生まれた限り、

  精一杯、生きようとしてる

  

  静岡から秋葉原に来たのも、

  ここで、この絵を描くために来たに違いない

  この絵を描くことが、彼の生きてる証なんだ



  もしかしたら、

  自分の命が長くないことを、

  初めからわかってたの

  

  

 -あの子の生き様を、最後まで見届けてあげて下さい-



  出来ないことを、なぜ出来ないのと怒るばかりで、

  あたしは、全然理解してあげてなかった

  一生懸命に生きてる彼を・・・

 

彼女は、綾部京一郎の頬を叩いた右手を握りしめた。


 「あたしは、なんてヒドイことを・・・」

  

うつむいた彼女の頬に、一筋の涙がこぼれた。


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