突然の来客
「ウィリアム!――ウィリアム、いつまで寝ているんだ!」
ノックもなく、足音高く寝室に飛び込んできた男の声に、ウィリアムは顔をしかめて薄目を開けた。
薄目を開けると、重厚な臙脂色のカーテンは既に左右に引かれ、空には太陽がとうに昇っている。日ごろの生活からは考え難い寝坊である。
ウィリアムは呻きながら上半身を起こした。頭が痛い。
「おはようございます、父上。そんなに勢い込んで、どうされたのです」
先ほど部屋に飛び込んできた父、グレイ侯爵コンラートに言葉を掛けるが、自分のものとは思えないほどに掠れた声に内心ぎょっとする。
なんでこんな声に。
そう思ってから一拍置いて、ようやく記憶が蘇ってきた。
そうだ。昨日は飲みすぎたのだ。
ひょんなことでエルデからの旅人と知己を得て、初対面にもかかわらず話がはずんでいるうちに気が緩み、あれこれ盛大に愚痴を言っているうちに酒が進んで、最後には酔いつぶれて寝入ってしまったような気がする。
そこまで思い出してから、ウィリアムは改めて周囲を見回した。自分の寝室だ。
ということは、昨夜の女性が迎えを手配してくれたのだろう。
ずきずきと脈打つような頭痛にこめかみを押さえながら、ナイトテーブルに置かれた水差しの水をグラスになみなみ注ぎ、一気にあおる。
ぬるい水が渇いたざらついた喉の表面を撫でて胃に落ちていくのを感じながら、ウィリアムは改めて父に目を向けた。
「どうされたのですか、だと?昨日は王宮の夜会に久々に顔を出したと思った矢先、早々に挨拶回りを抜け出して姿を消して行方知れず。あげく、夜更けになってようやく帰ってきたと思ったら、したたか酩酊して意識を失くし、従者に担がれての帰宅とは。王宮で久々に催された夜会だというのに、なんという体たらく。それがグレイ侯爵家嫡男としてあるべき振る舞いか!」
怒鳴り声が部屋をびりびりと震わせる。
年齢を重ねても衰えを知らない当主の声の張りに、後ろに控えた侍女たちが思わず肩をびくりと跳ねさせた。
父の癇癪にすっかり慣れているウィリアムは、こうして怒鳴られてももはや何も感じない。
昨日の行動にも、自分なりには理由があったのだ。ただ、今回に関しては、父の言うことがもっともであり、怒りも理解できる。
ウィリアムは殊勝な表情を作り、頭を下げた。
「申し訳ありません。私が軽率でした」
「お前は――」
「――旦那様!」
言葉を重ねようとしたコンラートを遮ったのは、壮年の執事だった。
落ち着き払った格調高い振る舞いを常としている男が、ほとんど駆けるような足取りで廊下から部屋へ飛び込んでくる。いつもの柔和な笑みの浮かんでいない、強張った表情。
「ギルバート?」
怪訝な顔を向ける主人に問われ、執事は息を整えながら深く礼をした。
「――取り乱しまして、申し訳ありません。ただいま、旦那様と若様に、急なご来客が」
「予定にない客だろう。待たせておけ」
にべもなく言い放つコンラートに、ギルバートは勢いよくかぶりを振った。
「そうは参りません。門衛の話によれば、一見ただの貴族の馬車の装いであるものの、窓枠の端に、獅子に三つ薔薇が彫られていると」
「なに」
「えっ」
コンラートが目を見開いて言葉を失う。ウィリアムも思わず声を上げた。
獅子に三つ薔薇は、現王家の紋章である。
紋章を両扉の中央でなく窓枠にのみ彫った馬車は、非公式かつ秘密裡の訪問に使用されるものだ。
「……急ぎ、出迎えの準備をせよ。私もすぐに降りる」
「私も直ちに支度いたします」
ウィリアムも寝台から跳ねるように立ち上がった。
寝起きでぼんやりしていた意識が一気に覚醒する。
浴室で顔を洗い、髪を整え、侍女が用意した服と装飾品を手早く身に着けて、足音をたてないように注意しながらも中央階段を駆け下りる。
先に着替えを済ませ、玄関の広間に姿勢を正して直立している父の隣りにウィリアムが滑り込んだのと、玄関の扉が外開きに開かれたのは、ほとんど同時だった。
「やあ、グレイ侯爵。顔を上げてくれ。先触れもない突然の訪問を許してほしい」
護衛や侍従らしき者が何名か後ろに控えているが、先頭に立つすらりとした青年の立ち姿は、差し込む陽光を背にしても見間違う余地がない。
朗らかに手を上げて、細身の青年はにこりと笑う。翳りのない、彼の清廉な性格をそのまま表したような笑顔で。
「ギルバート王太子殿下におかれては、ご機嫌麗しく。殿下が当家に足をお運びくださるとは、誠に誉れなことでございます。本日はいかがなされましたか」
コンラートは背をぴしりと立て、泰然と微笑んだ。
穏やかな口調は、つい先ほどまでの邸内の動揺や混乱を微塵も感じさせない。
王太子に限らず、王族が貴族の邸宅を自ら訪ねるのは、非常に稀だ。
必要があれば、貴族の方が王宮に出向くのが当たり前だからである。
例外もないではないが、それは例えば、王族が婚約者を訪ねるような場合だ。今回は当てはまらない。
平然と振る舞っている父も、内心はあれこれ思考を巡らせているに違いない――。
そう思って隣りの横顔にちらりと目をやろうとしたウィリアムの視線が、意図せず王太子のそれとぶつかった。とたん、ギルバートはにっこりと口角を上げる。
「やあ、ウィリアム。急な訪問で申し訳ないね」
親し気に声を掛けられ、ウィリアムは恭しく一礼した。
「とんでもございません。王太子殿下にご訪問いただき、当家一同、光栄に存じております」
「おや、今日はやけに他人行儀だな。私と君の仲だというのに」
からかうような言葉に、コンラートが目を剝いた。普段お前は王太子殿下にどんな言葉遣いをしているのだ、と言わんばかりの父の尖った視線を肌で感じる。
「お戯れを。本日はどのようなご用向きでしょうか」
「ああ、そうだった。今日は侯爵と君に用事があってね。といっても、君に用事があるのは、私じゃないのだけれど」
「え」
虚を突かれて反射的に声を上けたウィリアムをよそに、ギルバートが半歩分ほど右にずれ、自分の後ろに立っていた人影に道をあける。
その人物の姿をまじまじと見て、ウィリアムは完全に言葉を失った。
「やあ。ごきげんよう、ウィリアム・グレイ殿」
響きの深い、落ち着いた声。
艶やかな漆黒の髪に、翡翠の瞳。
「紹介しよう。私の妹、ヴィクトリアだ」
ギルバートの紹介を受けながら、唇の端を笑みの形に持ち上げたのは、紛れもなく昨夜の女性だった。




