王妃とのお茶会6
「今更ですが、なぜ幼少期より婚約者をお決めになっていらっしゃらなかったのでございますか?」
わたくしがかねてより疑問に思っていたことを尋ねますと、今度は王妃様が、失敗したのだ、と苦笑いをされました。
「そもそも、家を継がなくても問題ない高位貴族の令嬢で、エドワードと歳の釣り合う侯爵家以上となると、エリザベスとイグナ侯爵家のアンジェリカくらいしかいないじゃない。」
これは王妃様のおっしゃる通りです。
イグナ侯爵家のアンジェリカさんは第三子でございますし、我が家はエリザベスちゃんに家を継ぐことを強要しておりません。
「私たちがあなたたちに、ギルシュ侯爵家にエドワードの婚約を打診したと噂になった時点で、イグナ侯爵家と大公家との婚約が進んでしまってね…。」
王妃様はそこでいったん言葉を区切り、お茶を一口飲まれてから続けられます。
「私が、もっと早く出産できていれば良かったんだけどね。
みんな、私たちの婚姻に合わせて出産したから…」
それでもエドワード殿下と同年代に生まれた子もおります。ですが本当に偶然、令息が多く令嬢が少ないのでございます。
王妃様は膝の上に置かれた手を強く握り直されました。
わたくしはそっと王妃様の肩に手を置きます。もう二十年近く経ちますが、婚姻から出産前までの十数年にわたり陰口を叩かれた傷は、まだ王妃様の中にあるのでございましょう。
「アンジェリカは大公家に取られてしまっているし、当時、大きく対立していた伯爵家からひとつを選んでしまっては国が荒れるかもと思ってしまって、選ぶのをやめてしまったの。」
「当時を思い返せば、無理の無いことでございます。」
伯爵家の対立は、当時ほどでないにしろ今も続いております。伯爵家のいくつかは力も拮抗していることから、一つの家に大きな力をつけさせることで国益を損なう可能性があったのかもしれません。
当時の陛下と王妃様のご判断は政治的に致し方ないことだったと思われます。
婚約者選びで家どうしのいざこざを生めば、陛下とエドワード殿下の瑕疵となってしまうのです。傷は治ることもありますが、化膿してしまうこともあります。どちらにせよ、最初から無ければ何も起こりません。
「そうなのよね。だからエドワードが恋愛で相手を選ぶのが妥当だと思ったのよ。もちろん候補は絞って、この中の誰かから選ぶのが妥当だ、とは伝えたわ。各家との背景も教えた。」
「エドワード殿下はその事をどのように思われていらっしゃったのでございますか?」
「…あの子は、いつも煩わしいと言う様な雰囲気だった。婚約者の話をきちんと伝えたのは十一の時。社交での立ち振舞を教えるのと同時にね。そこから学園への入学まで、時折話したのよ。必要な背景とか、会っておくかとか、始めから候補の家を集めて周知しとくか、などと聞いたの。でも、あの子が嫌がるから、自分の婚約者だから自分でやるって言うから、それを優先したの。私たちも方針をあぐねいていたから、エドワードに任せてみるのも良いかもしれない、って考えてしまって…。だってこんな結果、想像なんてできないじゃない。せいぜい候補以外の伯爵家か伝統と財のある子爵家くらいから選ぶと思うじゃない!」
一気におっしゃられた内の後半は、自責するような口調でございます。
確かに子の行いは親の責任でございます。ございますが、七つまでは親の責任とも申します。
裏を返せば、七つより先のことは親の手を離れた子の意思なのです。
親として向き合う必要はございますが、子は子の意思で動きます。
その思考と自ら判断する力を育てるには、親が全てを管理してしまっては培われることがありません。
エドワード殿下に対し、王妃様は十分に向き合われたのではないでしょうか?
殿下の意思を尊重し、ある程度の逸脱を予想され、それでも受け入れる覚悟をお持ちだったのです。
それに、殿下は学園で学ぶ事のほか、国王となるための教育を受けていらっしゃるのです。
歴史、教養、関係性、権力の大きさなどあらゆる知識を与えられ、受け入れ、用いなければならない立場になるお方です。
そのお立場ゆえに、妃を選ぶ国内外の政治的な意味を多方から学ばれているはずでございます。
その重さを重ねて教えられながら、親の言葉が煩わしい、しつこいと簡単にはねのけ、論外を選ばれることは、余りにも幼稚でございます。
「いつもこうなの。十歳を過ぎた頃から、政治に関してあまり隠さず話していたのだけれど、物事を天秤に乗せ、傾きすぎないように心を配る事を全く理解しようとしないの。エドワードは、力があるのに何で下の者におもねるんだ、って言うのよ。言うたびに諭したのだけれど、変わらなかった。」
お読みいただきありがとうございます。
誤字報告感謝いたします。
※七つまでは親の責任、は作者の祖母の地元で昔に使われていた言葉です。
7歳までの子の行動は親の責任。それより大きくなれば子は子の意思で動く。
と言う意味の言葉です。今は使われていないと思いますし、検索しても出てきませんでした。七つまでは神のうち、とは異なる言葉です。




