ひまわりが臨むのは……
前回載せた分の修正完了版です。
挿絵も描きました。若干、あれですが;;
(挿絵の方は後日載せます。なんだか容量が大きすぎてみてみんに投稿できません;;画像の容量を下げるのってどうするんでしたっけ;;;)
では、どうぞw
「これで、私のプレゼンテーションは以上です」
その一言ののちにホールを埋めるは拍手喝采の大嵐。
今日ここに新たなる歴史の一ページが刻まれる。
ステージの壇上で悠然と立ち構えるのは一人の白衣の男性。きりっと鋭角なメガネが光り、耳にかかる程度の短い茶髪と指先で鈍く輝く翡翠色の宝石が彼を際立たせている。
「榊先生、ありがとうございました」
スピーカーから出てくるのは、ステージ上の男、榊宇良に対して発せられる。
自分の目の前で、観客の全員がスタンディングオーベーションを繰り広げている。よくよく見れば、観客の誰もがこの世界で名を馳せる有名な医学界の権威達ばかりだ。
宇良は片手を観衆へと軽く上げて、ステージから退場する。
彼の背後で展開していたパワーポイントの画面にはAICと書かれた三つの英文字。それが下記にArtificial Intelligence Cellsと書かれていた……。
人口知能細胞……。人類初の知能を持った人工細胞が誕生した瞬間であった…………。
~時変わり、宇良の死後より50年~
榊宇良氏の人工知能細胞(AIC)が開発されてから世界は変貌を遂げた。
AICが人間の体に投与された場合、その細胞は独自にその人物に適応した細胞へと変化を遂げる。そして既存の細胞に浸食し、DNA細胞のコピーを行い自分の細胞へと取り込む。そうすることで体にて見つかった異常反応にすぐさま自身を適応して難病をも全て解決してくれるのだ。
たとえば、白血病患者にAICを投与したならば自然に白血球の量産を抑えて腫瘍を治療してくれる。精神病の患者に投与されたならば、脳細胞へと変化して神経を繋げたりなど画期的なことは一目瞭然だった。
そしてここにも、生まれながらに難病に苦しめられた少女がAICによって一命を取り留める。
「はい、もういいですよ」
看護婦が針を抜いて、浸されたガーゼを注射口へとあててぐりぐりと指を回す。
「ありがとうございます」
そう、鈴宮和。今日、15才になり病院へと尋ねて長年苦しんでいた病気からAICによって解放された。
AICは小さな子供に投与すると、本来の人間の細胞に干渉しすげてしまう恐れがある為日本では15才になってからの使用を規定している。
「終わったよ、蓮くん」
治療室から出た和は外の廊下のソファで待っていてくれた友人の元へと戻る。
「大丈夫、なのか?」
少年、川原蓮は立ちあがり、不安そうに和を見つめながら尋ねる。
「うん。今日一日安静にしていれば、もう発症することはないって」
「そっか。良かったな」
「うん」
和が抱えていた病気、それはハンチントン病……。舞踏運動、すなわち自分の意志に反して筋肉が動いてしまう不随意運動……一般にコレラとも呼ばれている。加えて、認識力低下、情動障害などの症状も出てくる。
昔では治療法がわからないと言われていた難病が、この時代、注射一本で治ってしまうのだ。
「それじゃ、今日はもう帰るか」
「うん、ありがとう蓮くん……あっ」
「今日の水やりは俺がやっとくよ」
「ありがとう」
13才の時に発症した和……二年目にして手足の痙攣が出始め、ハンチントン病だと診断された。和と蓮は幼馴染でもあった為、蓮はこの二年間、和と共にこの時を待ちわびていた。
「これでやっと一緒に遊びにいけるな」
「うんっ……!」
二人は明日の金曜日を挟んだ週末の日曜日に遊園地へと行く約束をして家へと帰った。
~同じ病院~
「それでは腕を出してください」
「はい……」
警察に勤めて五年目……。健康管理はしていたはずなのにな、まさか膵臓癌だとは……。
そう、この男峰岸博志は膵臓癌だと診断されて今ここで治療を受けようとしていた。
発見されるのが遅い膵臓癌は、見つかった時、それ程の大きさになっているということにつながり一刻を争う。
しかし、そんな悪性腫瘍もAICを投与すれば完璧に除去され、無くなってしまう。
これが今のふつうの治療なのだ。
よって、医者の必然性というものが皆無となった。
知能を持った細胞、それは体に入ってしまえばだれよりも体のことを一瞬で熟知してしまう。そして改善の仕方も知っている。治療を受けるのは病院でしかできないが、医者に診てもらうという定義が今は変わってしまった。
「今日一日は安静にしていてくださいね」
「本当に、一日で大丈夫なんですか?」
「はい、多少熱が生じますが副作用ではありませんので」
「はぁ……」
博志は疑心暗鬼になりつつも、今まで自分の友人もAICのおかげでいろいろと病気を治していることを思い出し、気分は軽くなりながら家へと帰宅した。
~場所変わり、和と蓮の家~
蓮と和の実家は道場であり、一風変わった建て方がされている。
都会から少し離れた住宅街にある蓮と和家の鈴宮道場と川原道場。鈴宮家が空手を教え、川原家が柔道を教えている。一つの道場を両家で使っている為、ほぼ毎日道場が開かれている。道場へと通じる門構え、そして道場の端にはそれぞれ川原家と鈴宮家の住宅が違う通りに面している。そのため、かなりの土地を有しており入り口が三つあることになる。
そしてなによりこの道場で目を見張るのは夏になれば道場へと続く石畳の通路の両側にたくさんのひまわりが展開しているということだ。
しかし、まだその時ではない。
ひまわりが咲くまで、後もう少しというところだろうか。
「蓮くん、大丈夫?」
「ああ、問題無いさ」
桶に水を入れて運んでくる蓮。そう、道場のひまわりの世話をするのは和と蓮の日課となっている。
「もうそろそろだな」
「そうだね。もう少しで咲きそう……」
和は自分の身の丈程あるひまわりの花に手を当てて愛でながらそう言う。
ひまわり達はまだ蕾のまま、しかし雄々しくも春の陽光を全体に受け止めていた。
~博志の家~
今日一日安静ということで博志は帰りがけにDVDレンタルショップでいくつか映画を借りて帰ってきていた。
「さてと……」
一人用のアパートの中で、博志は唯一こだわりを持って購入したブルーレイ対応のDVDプレーヤーに借りてきたディスクを早速入れる。
暗い室内で始まるのは一世代昔アメリカで流行っていたヒーローストーリー。それは、博志が少年時代に映画館で見た映画であり、彼が警官になろうと思い至ったきっかけをくれたものである。
「やっぱり、ヒーローってのはこういうもんだよな」
明日の仕事に控えて、博志はしっかりと休息を取ると共に映画のシリーズを一から最新作まで見たのであった。
~日曜日~
和と蓮は近くにある遊園地へとあそびに来ていた。毎週日曜日に変わったイベントが用意され、二人はもし和の病気が治ったら一緒にここへ来ようと昔から約束を交わしていた。
そして今日、それが実現する。
二人は手をつないで遊園地、サーカーアイパークの入場門前で立ち尽くす。
「やっと、来れた……」
「今日はお祝いなんだし、いっぱい遊ぶぞ和」
「うんっ!」
少し人より気弱な和を蓮が自前の元気と明るい性格で引っ張って行くという描写がしっくりくる二人は、お互いにしっかりとチケットを握ってパークへと入って行く。
サーカーアイパークは、AICの発明者榊宇良が資産を投資して建てた公共施設の一つである。宇良はAICにより世界一の大富豪となり、資金を様々な所へと投資していた。
「まずは何が良い?」
「最初は、やっぱりティーカップかな」
「和、楽しみにしてたもんな」
「あ、あんまり速く回さないでね?」
「はは、わかってるって」
和は入場門でもらったパンフレットを確認しながら、蓮に道を教える。蓮もパンフレットの地図を覗き込みながら、今日一日のルートを思案する。
そして二人の横を通り過ぎるのは一人の警官。
『この二人はカップルか……。俺も、まだ独り身だってのに…………。いかんいかん、勤務中だった』
日照りは強くなくとも、じめじめとした湿気が警官服の下に溜まり汗が滴り落ちる。今日のパークの警備と巡回を任された峰岸博志は、若干嫉妬の念のこもった視線を和と蓮に向けて自粛する。
首の襟元を緩めようとするも、きちっと着用した制服は体に張り付いており少ししか中の空気を外に逃がせない。
『シーパークの方へ回ってみるか……。少しは涼めそうだしな』
博志は入場門付近の見回りを早々に切り上げて、ウォータースライドやプールがあるシーパークの方へと向かって行った。
「ほら、時間はたくさんあっても無駄にはできないぞ?」
「はーい」
蓮と和は肩を並べあい、ティーカップのある方へと向かって歩き出す。
サーカーアイパークは、日本でも五本の指に入る程の巨大な規模のアミューズメントパークである。施設の管理を全てがコンピューターに制御されており、誤作動が生じた場合はすぐに別のシステムでスリープしているコンピューターにつなげられる為セキュリティも二重の体制をとっていた。
そしてパークの至るところには巨大スクリーンがパークの施設の紹介やイベントのスケジュールなどを逐一客へと教えている。
遊び終えるのに5日はかかると言われている、このパーク……。宇良がどういった想いでこのパークの建造に携わったのかは……誰も、知らない。
和と蓮はティーカップを堪能し、和に至っては蓮がティーカップを速く回しすぎたのに半泣きになりながら講義していた。
「もぅ、あれほど言ったのに!」
「あはは、ごめんごめん」
悪びれる様子の無い蓮に、和は膨れっ面になる。
「そう、怒るなって。ほら、クレープ。和が食べたがってたチョコバナナ」
蓮は和に気付かれないように購入したチョコバナナクレープを和に差し出す。
「わぁ……。いいの?」
「ああ、今日は俺のおごりだしな」
「ありがとう」
和の笑顔に蓮は視線をそむけるようにして彼方を向く。和の笑顔が可愛くて、顔を赤らめているのを見られたくないが為に。
「ほら、ついてるぞ」
「ありがとぅ」
蓮はハンカチで和の口元を拭いてやりながら微笑む。
「この汚く食べれるってのがやってみたかったんだよね~」
自分の隣でクレープを頬張る和を横目で度々確認しながら蓮はふと思う、
『こんな日が毎日続けばいいのにな』
それは彼の本心だった。
しかし、蓮がそう思い至ったのと同時にいきなりパーク内の照明や電飾の電気、施設内のアトラクション全てが停止した。
パーク内を照らすのは空で輝く太陽の光のみ。
突然のことに和も蓮も、周りの客も係員も呆然としていた。
そして、パーク内の至るところにあるスクリーンがいきなり光り出す。
「やぁ、みなさんこんにちは」
そこに映るのは一人の男性。
鋭いメガネに、耳にかかる程度の短い茶髪……。顎したで手を組んでいる指には翡翠色の宝石が埋め込まれた指輪が光っていた。
そう、日本で知らない人間がいない程の有名人。
榊宇良、その本人がスクリーンに映っていた。故人が、だ。彼は五十年前に他界している。なのに……。
「きっと私がここに映って不思議がっている人がほとんどでしょう。確かに、この時代私は死んでいることでしょうね。でもこれは私が死ぬ前に撮った映像ですから」
意味あり気な笑み……。それはパーク内の人間全てに動揺と不安を募らせるには十分だった。
「みなさんはAIC、すでに試された方もいるでしょう。予防接種の一種としても、もうそろそろ実施されるんじゃないですか?」
本当に生前に撮った映像なのか? そう思わせる程に宇良の言うこと一句一語が国の近況を反映していた。AICの効力が世界的にも認められ、15才になったら全ての国民に予防接種の一環としてAICの投与を促そうという動きが最近では目立っている。
「ですが、そうなりますと私も必要なデータが取れず理論が立証できなくなる……。今日はみなさんに、お願いがあります」
彼が何を言っているのか? それをわかる人間などこのパーク内にいるはずもなかった。
「AICの本当の意味を……私がAICを開発した本当の理由をここに実証しましょう。逃げようなんて考えないでくださいね。助けも来ませんよ? では」
宇良が自分の右手でパチンと指を鳴らし、そこで映像が途切れる。
蓮は和の傍に寄り、和も不安がりながら蓮に密着する。
「蓮くん……?」
「大丈夫、すぐに説明があるさ」
「う、うん……」
しかし蓮は係員もが困惑したような表情を浮かべているのを見て、眉を寄せる。
「があああああああっ!?」
そして突然、蓮が観察していた係員が大声をあげて悶えはじめる。
「なっ?」
「え?」
そして次々と蓮と和の周りで雄叫びや悲鳴を上げながら、身悶える人々。
蓮や和のようにきょとんと立っている人もちらほらといるが、それは本当に少数だった。
本当の悪夢が始まろうとしていた―――。
『おいおい、何がどうなってんだ?!』
シーパークでも同じような現象が生じ、博志は周りで突如として叫び声を上げる群衆に委縮していた。
さっきの榊宇良にもびっくりしたが、現状に博志はどう対応していいのかわからなかった。
すると、頭を抱えていた一人の青年が静かになった。だらんと腕を垂らし、沈黙する。
「おい、君大丈夫か?」
博志は無事を確認するように青年に近づいて、肩に手を置こうとした瞬間、
「死ねっ!」
「おわぁっ!」
いきなり顔面に殴りかかってきたのだ。
博志はすかさず攻撃を避けて、青年に向かって吼える。
「おい、何をするっ―――?!」
博志が周りを見渡せば、先ほどの青年のように他に悶えていた人間が博志のような何もなかった人達に襲いかかっていたのだ。襲いかかり、殺していた。
そして博志に気付いた幾人かの男女が、各々に近くにあった物を構えて博志に迫る。
『っ!! 冗談じゃないっ!!』
身の危険を感じ取った博志は一目散に駆けだした。
制服内に溜まっていた熱気は、恐怖と驚愕に奪われてしまっていた。何が起きているのか、何が起ころうとしているのか、そんなことを考慮する猶予などあるはずもなかった。
「和、大丈夫か?!」
「う、うん!!」
蓮は和の手を握り、パーク内を走っていた。
なるべく建物添いに走り、襲われないようにする。
博志同様に、蓮達もわけもわからずに襲われた。蓮は実家が道場ということもあり、なんとか一人二人を撃退することに成功したが、あまりにも多勢に無勢だった。
『なんなんだよ!?』
楽しい一日のはずだった。今日が出発点のはずだった。だったのに、なんで……? そんな思いが蓮と和の中で葛藤する。
「とにかく、人目のないところに逃げるぞ!」
「うん! 次の角を右!」
和は右手で必死にパンフレットを見ながら、蓮に道を教える。ハンチントン病で苦しんでいた二年間、彼女は外で遊べない為にかなりの知識をそのうちに蓄えた。蓮に高校受験の勉強を教えていたのも彼女であり、地図を把握するのも誰よりも早く熟知できる。
阿鼻叫喚が繰り広げられる中、榊宇良の移っていたモニターは一向に付く気配を見せない。そしてパーク内では突然の殺戮が繰り広げられるのであった。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ……!」
こんなに体を動かしたのは実技訓練以来だ、と肩で息をしながら博志は警備室の壁に背を凭れさせる。
警備室はパーク内の管制塔と呼ばれている、パークの制御をおこなっているメインコンピューターが置かれている建物の中にいた。この、サーカーアイパークのシンボルと言っても良い中央にそびえる管制塔……それは、建設当時からパークを見守ってきた存在である。
博志はとにかく救援を呼ぼうと、外線にかける。しかし、
「くそっ! つながらない?!」
警備室内のモニターでは至るところで過激な殺しが行われていた。被害者は全て、博志と同様に何も起きなかった人々。その中には達人も多いのか、幾人かは華麗に襲来を避けては返り討ちにしているが、望ましい光景ではない。
「早く、どうにかしないと……」
唯一の望みの綱が潰えたことによる絶望感が博志に焦燥感を掻き立てる。
そう思っていた矢先に、警備室のドアをたたく音。
「っ!?」
博志は驚きドアから遠退くが、すぐさま聞こえてきた声に我に返る。
「助けてください、お願いします!」
「お願いします!」
若い男女の声。その声に、博志は聞き覚えがあった。
咄嗟に警備室の扉を開けて、二人の少年少女が駆け込んでくる。
「君達は……」
そう、博志が入場門前でちらりと見ていたカップルの蓮と和だった。
「警備員さん、どうなってるんですか?!」
現状を早く把握したい蓮は博志に問うが、博志も訳が分からないでいた。
「わからない。自分もどうにかしなければならないとわかっていても、外線は繋がらない」
「そ、そんな……」
博志のそんな言葉に和は不安を募らせる。
「一体、何がどうなってるんだよ……」
三人が無言で立ち尽くしていると、再び外部モニターが付く。
そう、榊宇良の顔がモニターいっぱいに広がる。
「さぞ楽しい光景が繰り広げられていると思いますが、私の予想が正しければ今は大乱闘の最中でしょうね」
サディスティックな共感を得れない嫌な笑みを浮かべながら宇良は続ける。
「生存者のみなさん、これは私からの挑戦です。生き残ってみてください。AICを投与された人間は私が設定した時間の間、AICを投与していない人間を本能的に判別して襲います……AICを起用させる電波を流させてもらっていますからね。それと、ここ一週間以内にAICを投与した人達はまだ正気を保っているでしょうが、時間の問題ですかね。逃げ回ってください普通の人間よ……私に証明してください、科学の力に頼らない本来の人の力というものを」
少しの間を置き、榊は続ける。
「おっと、言い忘れましたがタイムリミットは三時間。それが過ぎれば、AICを投与した人達は停止します。文字通りの、肉体の停止です。三時間以内にAICを投与されても発症しない人は、運が良くて生き残れるかもしれませんね」
その言葉に、和と博志が言葉を失い、顔色が青ざめていく。
そして蓮は歯を噛み締める。
「おいおい、待ってくれよ……俺は二日前にAICを投与したばっかりだぞ?」
わなわなと手を震わせ、博志は目を見開いて痙攣させる。
「れ、蓮くん……っ!」
「大丈夫だ、和、大丈夫だから」
半べそをかきながら、和は蓮へと向いて立ちすくむ。
唯一三人の中でAICを投与していないのは蓮。しかし、二人は難病と言われる病気からAICによって解放されたばかり……。宇良の言う発症というものは遅いのかもしれないが、どうなるかは誰にもわからない。
自分の中に、いつ爆発するかもわからない爆弾を抱える見えない恐怖が和と博志を襲う。自分が、ああなってしまう? という思念に囚われてしまう。
「とにかく今は榊宇良が言っていたことを信じるしかない。三時間……生き残ろう」
蓮が和の肩の上に置く両手に力を込める。
「蓮くん……」
「警備員さんも、一緒に生き残りましょう」
博志は絶望を感じつつも、蓮の瞳を見て幾分か正気を取り戻す。驚愕と動揺から訪れる恐怖……それは相当な精神力を持ち、自身を律することができる人間以外ならば打ちのめされて仕方がない。
「……ああ、そうだな。俺が君たちを守らなきゃならないのにな」
子供にこんなこと言われるなんてな。自分の役職を思い出し、博志はそう自分に言い聞かせる。そう、自分が研修のときに教官から習った教えを貫くために。
「とにかく作戦を練ろう。いざとなったらここに立て篭もることもできる」
「「はい」」
博志の指導の元、二人は警備室の扉を閉めて鍵をかける。
最寄りの持ち物なども見せあい、集めて何ができるかを試行錯誤する。
三人のいる警備室は係以外立ち入り禁止区域の、このパークの管理棟の中にある。その為、襲われる心配は外より低いが油断はできない。
「ここに近づいてくる連中はモニターで監視できる。それにここが襲われたら、この扉から外に出ることもできる」
博志が指さしたのはロッカーの影にあってわからなかったが、入り口とは違った扉。
「わかりました」
博志はそれで話を終えて、和に扉の先の地図を渡して説明を済ませる。
「それにしても、なぜ榊宇良が……」
蓮はそう思い、口に出す。
和も同じように蓮と思考するも答えは出てこない。しかし博志は、宇良の言っていた言葉を思い出して憶測を立てる。
「もしかしたら……榊宇良は、人の未来のためにAICを開発したのかもしれない」
博志の独り言に蓮と和は顔を見上げる。
「AICにもし今のように人を人で無くなるようなデータがもともとインプットされていたのならば、彼はきっとAICを投与していなかった人間が何をできるか見てみたかったんじゃないか?」
もしかしたらな、と博志は濁すが蓮と和は合点が行ってしまう。
「完璧なものを開発して、それが間違っていないかを確かめるためにですか?」
蓮はそう推測してみせる、だが和は隣で違ったことを言い出す。
「ううん、もしかしたらその完璧を本来の人間に乗り越えてほしかったんじゃ……」
博志は和の方を見て、同意する。
「ああ。AICという人間にとっては大きすぎる力……榊宇良は人がそれに依存しすぎないように今回のことを企んだのかもしれない……。AICに頼らず、いや、AICを踏み台にしてでも新たなる躍進を、進化を望んでいたのかもしれない」
「だからって、こんなこと―――」
蓮は眉をひそめ、奥歯を噛み締める。
「ああ、だがこれは間違っている。それに、それを表明できるのは俺達が生き残った時だけだ」
博志の言葉に蓮と和は頷く。
すると、突如として警備室の扉を叩き殴る音が響く。
話に夢中になり、近づいてくる人影に気づかなかったのだ。
モニターを確認し、扉の向こうにいるのは三人……。
「君達は逃走用の扉から行ってくれ。ここはなんとか俺がしのいでおく」
博志がロッカー内から警棒とスタンガンを取り出す。
「で、でも峰岸さん!」
「一緒に行きましょう!」
蓮と和がすがるが、博志は首を横に振る。
「いや、警官というのは市民を守るのが仕事で生きがいだ。それに、もうすぐタイムリミットも近い……何、生き残ってやるさ。明日の新聞に一般市民を守ったヒーローとして俺の写真が大々的に貼られる予定なんだからな」
その言葉は博志が昨晩見ていた映画のヒーローが良く言う決め台詞であった。
博志が無理にそう言って、意地を張っているのが子供の蓮と和にもわかった。だが、それを無視して自分達の望みを貫き通す程に蓮と和は子供でもなかった。
「峰岸さん……ありがとうございます」
「絶対、一緒に新聞に載ってくださいね」
蓮と和は無理にでも笑顔を作る。
「もちろんだ」
そして博志のその力強い言葉に後押しされるようにして蓮と和は逃走ルート用の扉から飛び出す。
博志は二人が出て行った扉をロッカーで隠すと、肩で息をする。
「はぁ、はぁ……頭が痛いな…………。なるほど、脳を浸食するのか」
自分が自分で無くなって行くことがわかる。そして頭痛は更に加速を始める。
「今の内だな……」
博志は入口の扉を開けて、警棒を振りかざし目の前にいた大男の頭部を粉砕する。
博志の登場に気付いた他の連中が、博志に襲いかかるが、
「警官をなめるな!」
電気スタンガンを次々に決めては、頭部を警棒で殴り倒す。
足元に倒れる、元人間だった者達を眺めて博志は頭を抱える。激しい頭痛が頭の中で巨大な鐘を鳴らすように、その衝撃は体全体を支配する。
「ヒーローてのは儚く散るもんだろ?」
博志は薄れ行く意識と遠のいていく理性という激痛の狭間にスタンガンの出力を最大に変える。
「生き残ってくれよ」
そして、心臓にスタンガンをあててスイッチを入れた……。
「はぁはぁはぁ!」
「っ」
和と蓮は階段を駆け上がっていた。
博志の教えたルートは途中までは良かった。だが、この管制塔から出る出口の全てがふさがれており、出ることはかなわない。
最上階までの階段を駆け上がり、屋上へと出る。
そこはヘリポートになっているのか、中央には円の中に巨大なペンキでHという文字が書いてある。
「大丈夫か、和?」
「う、うんっ」
病気持ちで運動をしていなかった和は、胸を抑えて必死に息を整える。
パーク内ではたくさんの人々がさまよい、ところどころで血を流したり倒れている人達の姿もある。
「ひ、ひどいっ」
「見るな和」
屋上から下を眺めながら、蓮は和の視界を防ぐようにして手をかざす。
そして榊宇良が映っていたモニターには赤いカウントダウンの文字。それが示すタイムリミットは後五分。
「後、五分だ……」
「うん……これで助かるんだね」
蓮は屋上へと続く扉に、警備室で調達した強制ハンドロックをドアノブにかけて内側から開けられないようにする。
太陽が無常にも燦々と照り、コンクリートの屋上は熱気を放つ。
しかし蓮と和は影のあるところで身を寄せ合って、静かに時間が過ぎるのを待つ。
「ごめんな、和……」
「なんで?」
「俺がここに行こうなんて今日言わなければ……」
「やめてよ……。それに、私だってここに来たいって言ったんだし」
和が蓮の手の上に自分のを乗せる。
「ありがとう」
「うん……。まったく蓮は私がいないとしっかりしないんだかっ―――!!」
突如として和が頭を抱える。
「あ、あ゛、あ゛ぁ!!」
「和? 和!!」
異変に気付いた蓮は焦燥する。
『そんな、後、二分だっていうのに!!』
和は蓮の服にすがり、彼女の指が生地の下に食い込み皮膚に爪がつきささる。
「しっかりしろ、和! もうちょっとだ、もうちょっとで!」
すると蓮達が屋上へとやってきた扉の内側を鋭く殴る音までもが響いてくる。
和は蓮の腕の中で痙攣し、叫び声をあげている。
和は蓮を見つめるも、瞳孔が激しく動き、標準が定まらない。
「れ、れ゛ん、ごめん、ごめんね」
震える唇から洩れる和の声に、蓮は首を横に振る。
「和……?」
どんっ! と和はありったけの力で蓮を突き飛ばす。
「くっ!」
和は屋上の端っこまで駆け、苦しそう顔を歪めながら蓮の方を振り向く。その両目には激痛によるものなのか、それとも悲愴によって呼び出されたものなのか、涙が流れ頬を濡らしていた。
「や、やめろ、やめてくれ和!」
蓮の悲痛なる叫びはしかし、和に届けられるも彼女はとどまることはなかった。和は笑ったのだ。自分の理性が吹っ飛びそうな激痛の中、和は蓮に向かって笑みをつくったのだ。
彼女の口元が開閉し、蓮は和に腕を伸ばすも何もできずにいた。
『ありがとう』
蓮には和がそう口を動かすのが見えた。あんな表情を浮かべながら、和は蓮にそう言い残した。
そして和は屋上から飛び降りる。蓮を守るために。自分が蓮を苦しめないように。自分を犠牲にして……。
空中にいる間に和の理性は完全に吹っ飛び、脳はAICによって支配された。それが彼女にとってせめてもの救いであるかのように……。
ふっと自分の視界から消えていった和に腕を伸ばしたまま蓮は俯いていた。
何も、できなかった。
しかし彼にそんな懺悔の時間を残さんと扉が破壊されて、十数人のAICにより操られた者達が襲いかかってくる。
蓮はぼーっと彼らを見つめながら、何も感じていなかった。むしろ和の後を追わせてくれるのであればさっさとしてくれという想いまでもが浮かび上がっていた。
しかし、蓮の目の前で次々に連中は倒れていった。
まるで糸が切れたパペットのように、その場に全員が無言で崩れ倒れる。
そして蓮がモニターを見つめれば、そこには赤い数字で00:00:00とカウントダウン終了を示していた。
「生き残った人間の諸君、おめでとう。そして、ありがとう。君達は人間の無限の可能性を私に証明してくれた。これからはAICに頼らない、さらなる人類の進化を望もう。たくさんの人間が死しただろう、しかしこれで痛感するはずだ……AICの本来の意味をね」
榊宇良がそう言い残し、モニターは途切れる。
蓮は生き残ったのだ。
AICの恐怖に打ち勝った。
しかし、彼に残されたのは虚無感と喪失感。
『何が、おめでとうだ。何が、ありがとうだ……』
蓮の両目に涙が溜まり、それは屋上の地面に落ちる。
蓮の右手に握られたのは和がこの日の為に買ったポーチ。その中には和が記念として取っておいたバナナチョコクレープの包みだった。もう捨てるしかないはずの包みを、和は大事にポーチにしまっていたのだ。
その場で蹲りながら、蓮は和のポーチを握って悶え嘆く。
彼の頭上に一機のヘリコプターが姿を現し、うるさいプロペラの旋回音を上げながら屋上に着地する。
「おい、君大丈夫か!!」
しかしそんなレスキュー隊の声さえも今の蓮には届かなかった……。
この事件は世界の各地でも同時多発し、どれも生前の榊宇良が携わっていた大型公共施設で行われた。
世界中の国はすぐさまAICの使用を凍結した。今までAICに依存しすぎていた人類はAICの使用を禁止し、AICの研究に専念しはじめたのだ。
世界はゆっくりとまた進化を遂げるのだろう。未知なる生物の仕組みに毎夜悩み、日進月歩でその軌跡を紡いでいくのだ。
~数週間後~
サーカーアイパークは事件の後、死んだ人達を弔う場所として墓地へと変えられた。
その建ち並ぶ墓地の中でも見晴らしの良く、海側へと面している高台には仲良く並んだ二つの墓石が存在する。
蓮は右手に花束を持ち、左手にビニール袋を持って現れる。
彼は救出された後に、パーク内で唯一の生存者として大々的に取り上げられるも心ここにあらずという心境が長く続いていた。
そしてパーク関係者の意向で蓮は博志と和の墓を特別にこの場所に建たせてもらうことにした。
峰岸博志(享年23歳)。鈴宮和(享年15歳)。
蓮は博志の墓石に綺麗なスイレンの花を添える。
「峰崎さん。峰崎さんは、本当にヒーローです。ありがとうございました。これからも、和のこと守ってやってください」
懇願するようにお辞儀をする蓮。
蓮は博志がどういった状態で発見されたか聞かされていた。短い間だったが、彼らしい死に方だと蓮は悟ったのだ。
そして蓮は和の墓石にひまわりの花とビニール袋からチョコバナナクレープを取り出す。
「和、お前が育ててたひまわりが昨日咲いたんだ。明日、ここにお前と俺が育てたひまわりを植えてもらえるんだ。それなら、寂しくないだろ?」
蓮は微笑みを向けて話しかける。
「それとお前の好きなチョコバナナクレープ……」
墓石にクレープを差しだして、その上に蓮の涙が落ちる。
「うまいぜ? 和も食べろよ」
その言葉が意味することが現実になることがないとわかっていても、蓮は静かにそう告げてクレープを口へと運ぶ。
「甘くて……でも、優しくて味はしっかりしてて……お前みたいだよ、和」
和に買ってきたクレープを口に頬張りながら、蓮は涙を流す。
「……ありがとう」
蓮の口から漏れるのは、和に対してなのか? それとも和が最後に残した言葉を反復しただけなのか? 噛み締めるように、その言葉を呟き蓮は和の墓石を一撫でする。
「ありがとう、和」
そう言い残して蓮が立ち去った後、和の墓石の上に置かれたひまわりの花が海を臨み、しっかりと沈んでいく夕陽を眺めていた。
それは終わり行く一日を見届けるのではなく、また始まる明日を臨むかのように……。