90話 糾弾の会議
天照家の当主、天照……なんだったか。婆さんとしか認識してこなかったためにすぐに記憶から取り出せない。普通はそうだろう。知っている人間の苗字は覚えているだろうが、名前まで覚えている人間など、そうはいまい。この間も息子がヨミの部下の女性の名前を聞こうとして、セクハラですよと瑪瑙に怒られていたし。
決して社交に疎いわけではないと心の中で弁明しつつ必死に思い出そうとする白雲。
たしか……そう、ネネだ。天照ネネ。ひ孫までいる歳でありながら、未だに天照家の当主を勤める老婆である。70をとうに超えているだろうに、矍鑠として元気であり病気などにかかったとの噂も聞いたことはない。
押しの強さと、年齢からくる凄味。カリスマ的な存在である婆さんが声をあげると、睨み合い一触即発の空気となっていたにもかかわらず、会場は静まり返り、おとなしくなった。
「今日は日本のこの先を考えて、せっかく忙しい中に集まったんだ。遠方から来てくれた者もいる。つまらない喧嘩などやるべきではない。そうじゃないかい」
快活に笑う老婆に、仕方ないとの空気が広まり、安堵する。さすがは貴族のトップだと白雲は感謝しようと思っていたが───。
『雨屋家を糾弾する流れが微妙になってきたから口を挟んだんだよ。あのまま糾弾の流れになったら、セリフも変わっていたはずだよ。きっと、『これだけ責められては大変だろう雨屋の当主。どうだいマナタイトの精製技術をある程度他の貴族にも渡すのはどうだろう』とヨミちゃんの技術を奪い取ろうとしていただろうね』
ババァに対する感謝の念は吹き飛んだ。そういえば、たしかにタイミングが良すぎる。ヨミの言うとおりなのだろう。あのババァ許すマジ。マーライオンのように繊細な心の自分を騙そうとするなど信じられん。
好意的な視線がババァから向けられてきたが、ちょうどその話をヨミから聞かされた白雲は、ハッと呆れるように肩をすくめて見せた。
その態度にババァは目を多少見開き、予想外だと口元を面白そうに歪める。
まったくコロニーの技術を渡せるわけはないだろう。渡す権利もないのに嵌めようとしないでほしいと、憎々しげに椅子に寄りかかって見せた。
「ふん……では、いつもの議題とそれぞれの持ち寄った議題を片付けていこうか。もちろんのこと、退屈な者は料理を楽しんでな。今年もうちのコックが腕をふるった逸品だからね」
そうして、夏の貴族会議は始まったのである。
毎年のお決まりの議題とは───。
「魔物の数は増加傾向にあります。特に東京と他の地域との県境に大量に増えております。これはどちらの管理下にあるかが常に問題となっており………」
「スラム街が拡大傾向にあります。失業率が全体的に上昇傾向のためであり、なにか共通の政策が必要かと………」
「自然魔法派の活動により、亜人の数が減少しております。これは自然魔法派に亜人が多いために、警察のあたりが強いことが原因であり………」
などなど。今更そんな話をしてどうすると白雲はつまらなそうに聞いていた。挙手をして説明するのは大貴族ではなく、連れてきたエリートだ。誇らしげに説明をしている。この会議で発言したことはさぞかし箔のつくことなのだろう。
3割程度の貴族が興味深げに聞いているが、残りはというと、聞き飽きたのか酒を飲み、料理を食し歓談をしていた。
自席から離れて、酒瓶片手に、他の貴族に挨拶がてらお酌をしている者もいるのだから呆れる。これが政界の真実だった。
白雲はその状況に義憤を感じて、一喝する。
───わけもなく、運ばれてくる料理に舌鼓をうっていた。白雲も興味など毛頭ない。自分の領地が優先であり、他の領地は他の領主が頑張れば良いと考えている。
今は天女たる瑪瑙を主軸に、区の外にいる魔物を乱獲している。貴族たちは魔石の単価が下がったとは言うが、実は少しばかり違う。
魔道具に使われなくなり、魔石を仲介して売る際の単価が下がったのだ。
現地から買い入れる魔石の単価は少しだけ上がり、引き取る量も増えていた。仲介業者を挟まなくなったために、直接的な取引ができるようになったからである。
そして、こっそりと他の区の値下がりした中品質魔石をヨミが買い集めているのは秘密だ。今は低品質の魔石を加工する程度の技術だと思われているが、実際は高品質も全てマナタイトにできるとヨミからは聞いている。
台頭どころか、ミサイルが発射するみたいに周りを追い抜いて、ヨミは日本経済を支配するつもりなのだろうかと白雲は疑っていた。とはいえ、止める力など無いし、止める気ももはやない。ここまで来たら一蓮托生、栄華を極めるだけ極めてゆく予定だ。
金と力を持ったヨミがどこまでゆくのか期待もある。そのため、今は絶品料理を味わっていた。
さすがは大貴族の中でもトップの天照。食べたことの無い味の良いほっぺたが落ちるほどの料理が次々と出てくる。
『パパ! その前菜はお土産にしたいって、お願いして! あ、ステーキは10人前ね。ソースが決め手なのかなぁ。………やっぱりヨミちゃんも食べに行って良い?』
「だめだ! ヨミは出席できんからな」
ネクタイピン型カメラに映る料理に、よだれを垂らしそうな勢いでヨミはお強請りしてくるが、断固として断る。ここでヨミが出てきたら、大混乱になることは間違いない。というか、ヨミが大混乱に陥れるだろう。身体は小さいが、頭脳は大魔王みたいな娘なのだ。
『それじゃあ、食レポして! ヨミちゃんたちが一緒に食べていると錯覚するような食レポして!』
無茶を言う娘である。
たしかにこのステーキ。信じられんほどに美味い。肉の味がしつつも霜降りの甘みも感じられて、噛みごたえもある。こんな不思議な肉は初めてだ。なんの肉だろうか?
『泣いちゃうよ? ヨミちゃんはジグザグ泣いちゃうよ!』
「怖い泣き方をするな」
雑音として聞き流しながら、デザートくらいはタッパーに詰めて持ち帰ってやるかと考えていたら、なぜか周りが静まり返っていた。先程までのおしゃべりも、食器の鳴る音も聞こえない。
「で、どうだろうか、雨屋白雲殿」
大国家当主のひひ爺がなぜか白雲のテーブルに来ていた。静まり返った理由の模様。いつの間に来たんだ!?
どうやら目の前に座って話しかけていたらしい。大国家の当主、天照の当主が鬼婆なら、こっちはひひ爺である。権謀術数に長け、地獄の閻魔も騙して黄泉の世界から戻ってきたと言われる老人だ。油断できない目つきで、こちらの様子を窺っている。
料理を味わうのと、ヨミの雑音が多くて気づかなかったが、木俣たちが黙りこみ緊張の面持ちでいるところを見るに、だいぶ前から話しかけていた模様。
まずい、全然話の流れがわからん。
「ヨミ! このひひ爺はなんと話しかけに来たのだ?」
『えぇと、デザートは何にしますか? ヨミちゃんはチョコレートムースが良いな』
小声で助けを求めるが、その答えは絶望に彩られていた。多分少し先にワゴンで運ばれるデザートの数々がカメラに写ったからだと思われる。
「ふん………大国の当主殿。この話は都合が良すぎるのではないか?」
なので、賭けに出た。だいたい大負けするパターンではあるが、聞いていた風を装い、切り分けたステーキを食べる。
「ほう………。うちが高レベルの魔法使いを護衛に出すことを断るというのかい? そちらにはろくに戦力が無いであろう? 故にだいぶ譲歩したつもりだったのだがね」
「こちらにも戦力はある。いらんお世話だ」
交換条件がさっぱり分からないが、どうせ自分の方が上だと考えての取り引きを求めてきたのだろう。ちょっと偉そうに振る舞うと、ひひ爺はニヤニヤと嗤う。
「マナタイト精製の技術。独占するのは嚴しいだろうから、助けるつもりだったのだがね。大国家にマナタイト精製技術を供与すれば、親密なる同盟を結べたと思うのじゃがのぅ。雨屋家だけでなく、大国家も同じ技術を持てば、手を出す者もいなくなると考えていたのじゃが」
予想通り酷い取り引き内容だったらしい。
「雨屋殿。この提案は大国家の慈悲だぞ。受けた方が良かろう」
珍しく木俣がフォローしようと助け舟を出してくれる。その顔は焦った表情で額に冷や汗をかいている。他の面々も緊張した顔でコクコクと頷いているが、こんなに不平等な話はない。断るの一手だろうに。
「ここまで不平等な取引も聞いたことがない。断るの一言であろう?」
なので、素直に断りながら残りの肉を口に放り込む。クッチャクッチャという咀嚼音だけがする。緊張しすぎて、肉を食べることに意識を逃避させたのだ。さながら合コンでグループの話に加わることができずに、食べることだけに集中するふりをする悲しい男のようである。
大国のひひ爺は本当に想定外だとばかりに目を見開き、気迫を表に出し含み笑いをする。
「マナタイトの売上利益の50%を渡し、孫の大地を雨屋ヨミの婚約者として出すところまで譲歩しても、その答えとはな。久しぶりにあったが、その傲慢さ。いったいなにがあるのか俄然興味が湧いてきたわい」
やばい。かなり譲歩していた模様だと、内心で慌てる白雲。やはり今日の賭けも負けたらしい。
たしかに話に聞くに、だいぶ譲歩したのがわかる。大国家らしからぬその譲歩を聞いて、他の面々は青褪めていたのだ。そりゃあ、トップがここまで譲歩するのだから、当然だ。
白雲も青褪めるが、顔には出ずに肉を咀嚼するふてぶてしい態度だけが残る。
「ふむ………まぁ、良かろうて。ここで性急に結果を求めても仕方あるまい。この取り引きとは別に、孫の大地はそなたの娘ヨミを気に入ったらしいでの。この後のパーティーを楽しみにしていると言っていた。だから、この場では儂は強くは言わんよ。ただ、他の者に気をつけるべきだとは老婆心から忠告はしておこう」
「それは助かる。ヨミはデザートが好きでな。あのワゴンごとプレゼントすれば喜ぶと思うぞ」
良かった。ひひ爺は意外に良い奴じゃないかと白雲は安心しつつ、ヨミへのプレゼントを教えてあげる。あのデザートが多種多彩に乗っているワゴンをプレゼントすれば、飛び上がって喜ぶに違いない。
なぜか親切心で教えたのに、周りはギョッとした顔になっている。が、笑いを堪えることができずにひひ爺は吹き出す。
「ブハハハ、そ、そうか。それは孫に伝えんとな。………では、雨屋白雲殿。その自信が本物かどうか、今後見定めさせてもらおうか」
ではな、とひひ爺は笑いながら元のテーブルに去っていく。天照のババァがその様子を冷徹な瞳で眺めてきて、どこからか敵意の視線も感じる。
どうやらなにかを間違えたらしい。が、今のどこが変か、白雲にはさっぱりわからなかった。




