9話 妹と姪っ子につき
ある中年の話をしよう。
その男は若い頃にプロゲーマーとなることを決意した。
そして、プロゲーマーになった。
終わり。
まぁ、私の若い頃の話などどうでも良いだろう。ようは学歴も金もコネもない私が一攫千金を求めて、夢を追った。ただそれだけの話だ。
うちは両親が亡くなって以来、どん底の貧困層にいた。学費などは用意できずに、私の最終学歴は……止めておこう。不幸自慢をしても仕方ない。
幸か不幸か私はダイブ型VRゲームの才能があったようだった。爪に火を灯すような暮らしの中でバイトをしながらも、レンタルVR用カプセルを借りて賞金を稼いでいたが、それが結構な儲けになったのだ。
一念発起して、金を貯めて性能の良いVR用ダイブカプセルを買ってからは、専業でプロゲーマーとして生活できるようになった。唯一の肉親である妹には大学まで進学できる学費を用意することもできた。
そして、3年前にお高い分譲マンションを買って、これからの未来に展望が初めて見えて……。
どん底に落ちた。
結婚して4歳の娘を持つ妹が交通事故にあって、夫を亡くし娘も半身不随となり意識不明となったとの連絡が入ったのだ。
ちょうどマンションに引っ越したばかりの頃だった。慌てて妹に会いに行ったら、姪っ子は酷い姿だった。愛らしい顔は重度の火傷で見られなくなり、呼吸器が無いと生きられない状態であった。
そして、生命維持装置は月に3万ドルかかるとのことだった……。
以来、俺は稼ぎのほとんどを妹に渡している。医者がそんな大金を用意できたことに驚いていたのが印象的で妙に記憶に残っている。
妹のためじゃない、私のエゴのためだ。家族がこれ以上亡くなるのは嫌だった。そう妹には伝えて、半ば強引に金を渡していた。
結婚した幸せそうな妹。赤ん坊を嬉しそうに見せに来た時の記憶が強く残っていた。兄妹、たった二人での苦労をしてきた人生がようやく報われたのだと、幸せを噛み締めたものだったからだ。
だからこそ妹が反対をしても、助ける方法を探すことにした。なに、私はこれでも稼いでいる。大丈夫だと、金のことは心配するなと説得した。
妹も娘の回復を望んで強く頷いて……3年が経過した。
そして今、生命維持装置を外さなくてよかったと、私は感涙していた。
「おじちゃんが泣いてるよ、ママ! あ、ママも泣いてる!」
「ふふ、そうね。私たちは泣き虫ね」
涙ぐむ妹にしがみついているのは、ほとんど回復の見込みがないと医者から言われていた姪っ子だった。
重度の火傷の痕などどこにもなく、髪もショートヘアだが、艶かに生えている。肌も子供らしく滑らかで水を弾く若さを見せていた。ベッドから飛び降りた時には慌てたが、行動に支障はなさそうだ。
「信じられない……。これは奇跡なのか?」
呆然と私は呟く。夢なら醒めないで欲しい。そして、この光景は夢ではない。
病室で妹にしがみつく幼い少女の姿は元気いっぱいで妹の方が入院が必要なほどに窶れているので、どちらが患者かわからないほどだ。
「夢ではありませんし、奇跡でもありません。サイバネテックヒラサカは、本来は細胞再生研究や脳の研究をしていたのです。これぐらいの怪我なら我が社の技術で完治できます。ですが昨今のVRゲームの隆盛に釣られてゲーム制作で一つ金を稼ごう。そういった話が出たのですよ」
「正直、信じていなかったんだが、ありがとうございます伊崎さん。この恩をどうやって返せば良いのやら。戸惑っています」
「私からも感謝を。ほら、おじさんにお礼を言いなさい? このおじさんが治してくれたのよ」
「はぁい。ありがとうございます、おじちゃん!」
病室の入り口に立っている伊崎さんへと、私たちは心の底から感謝を告げるのだった。
───ラーメン屋で出会ってから、一ヶ月後の話である。
◇
またあとでなと、幸せそうな笑顔の妹と姪っ子に伝えて私はサイバネテックヒラサカの本社へと訪問していた。
40階建ての高層ビルである。ビル一棟を買い占めたのか、元々ビルのオーナーなのか、ビル前には『サイバネテックヒラサカ』と書かれた黒曜石のような綺麗な石版に見える看板がビルの入り口前に置かれていた。
「いやぁ、良かったですよ、もしかしたら逃げられるかなぁと心配してまして」
上品な内装の応接室で、対面のソファに座った伊崎さんが笑う。目が少し本気なので、冗談ではないだろう。
「恩を返さずに逃げるなんてしませんよ。どんなに危険なゲームだとしてもね」
私がテーブルに置かれたコーヒーを飲みながら答えると、満面の笑顔で伊崎さんは頷く。
「治療に一ヶ月という長い時間をかけた甲斐があったというものです。では、この契約書にサインをお願いできますか?」
「えぇ。条件は姪っ子の回復。それが前払いの約束でしたから当然です」
スッと差し出してくる契約書は、悪魔の契約書にも似ていると、柄にもなく考えて苦笑してしまう。
「ですが、本当にフルダイブにチャレンジするのですね。正直言うと……怖い」
それに違法ではないかとの台詞も口にしそうになるがぐっと堪える。恐らくは違法だ。
だが政府がこの実験には関わっている可能性が高い。なにせ、死にかけの少女をリハビリの必要なく治してしまう技術の企業の名を聞いたことがないからだ。いくらなんでもおかしい。
「大丈夫です。怪我一つ肉体には受けません。日本はもはや経済において追い詰められていると言って良いでしょう。先の見えない未来にてフルダイブに希望を持たせるという考えも必要なのですよ。貴方はその先駆者となるのです」
伊崎さんはにこやかな笑顔で、悪魔みたいな勧誘をしてくる。
───フルダイブ。全ての感覚をVR内で再現するのは国際法で禁じられていた。今のVRは極めて感覚は鈍く、匂いも味覚も感じないシステムだ。
なぜかというと、極めて簡単な話だ。
美味い飯を食べて、浴びるように酒を飲み、絶世の美女を抱く。ゲームで再現するのは簡単だし、簡単だからこそキャラの感覚が現実と同じとなれば、もはや現実では食料品は売れないし、結婚をして子を作ることも止める人間が大勢現れる。
誰もが羨む高級マンションもゲーム内の城には敵わないだろうし、贅沢品もゲームの大粒の宝石を前に見向きもされなくなるだろう。
なにせ、ゲーム内の方が魅力的なのだ、現実に戻る者もいなくなる。なので、禁止とされており、製造メーカーは重罪とされていた。
私も一ヶ月前にラーメン屋の後に連れられたバーで説明を受けた時には驚いたものだ。
簡単に言えば日本はこのシステムが流行れば滅ぶだろう。だが……姪っ子を救えばやると私は条件をつけて、見事サイバネテックヒラサカは応えてくれた。
断ることはないが、それでも最後に確認をしたい。
「五感を再現するのも驚きですが、時間感覚延長も行う? 一時間を一日に感じさせる?」
「はい、そのとおりです。日本は今や自国通貨も価値が無くなり使えず、貧困層は大きく拡大。景気は悪くなる一方です。ここらへんで新しいエデンの林檎たる起爆剤が必要なのですよ」
罪悪感なく答える伊崎さんの笑顔が崩れることはない。
時間感覚延長。それこそ一番信じられないことだ。これを使えば、赤ん坊が一ヶ月で大人の精神を持つことも可能になってしまう。精神だけ大人になった姪っ子ができたら泣く自信があるぞ。
「最後に……ゲームキャラの生い立ちを記憶としてインストールするとは……本気ですか?」
「より良いゲームを求めた結果です。やはり生い立ちが記憶にあるとないとでは大違いですからな。このゲームの一番の売りです。プレイヤーはまるで転生して記憶を取り戻したかのような感覚となるでしょう」
熱心な恍惚とした顔で言えば良いのに、台詞と違い声音は淡々としたものだった。物凄い胡散臭い。
殺人鬼の記憶をインストールしたらどうするんだと尋ねたいが……諦めた。真っ当なテスターをやらせるとは思えない。
……だが、それでも良いだろう。妹と姪っ子の笑顔が見れたのだ。後はまともな精神でこのテスターが終わるのを祈るのみである。
「わかりました、サインしましょう」
義理人情を大切にするタイプではないが、それでも返しきれない恩がある。なので、私は契約書にサラサラとサインをするのであった。
───サインを終えると、待ってましたとカプセルへと案内された。真っ白な清潔感ある部屋に何個ものカプセルがあり、その一つを勧められる。
「いやぁ〜、良かった。一ヶ月の遅れはすぐに取り戻せると思いますよ」
私は何人もの白衣の者に囲まれて、電極やらなにやらよくわからないものをつけられていた。その様子を伊崎さんが見ながら嬉しそうにする。
一ヶ月……なるほど。私は出遅れたのか。
周りに置かれているカプセルの中には人の姿が垣間見える。他のテスターなのだろう。私だけ姪っ子の回復を待っていたからおいていかれたのか。
「スタートダッシュが遅れても大丈夫ですよ。良いキャラを貰いましたし」
「でしょう。あのキャラは主要キャラの一人です。ご期待ください」
カプセルの中に入り寝そべりながら伊崎さんを見ると、そうですなと嬉しそうにする。
「ここ数年は良いキャラをやっていなかったので、楽しみにしておきます」
節約するためにオークションで主要キャラの入札はしていなかったのだ。だからこそ、少し嬉しい。
「お渡しした設定資料もしっかりと読み込んでもらえたようで何よりです」
基幹となるメインストーリーや主人公キャラ、ライバルキャラ、そして様々な世界観などの設定資料を渡されたので、しっかりと読み込んでおいた。テスターだから、色々な事前情報を教えてもらっている。
マルチエンディングで、クエストも自動生成のため、どう変わるかはわからないがこういうのはだいたいメインストーリーに沿ってイベントも起こるから覚えておいて損はない。
私を満足げに見ながら伊崎さんは話を続ける。
「では最終確認を。そのキャラはサバイバルモード。死ねば消えてしまいます。それと報酬はクリア後に支払いますが、他にもインセンティブ契約となります。ゲーム時間は12時間。ゲーム内時間では12日を遊んで貰います。後は様々な検査となりますのでご了承ください。問題がなければ、引き続きゲームをして頂き、また検査となります」
ゲーム時間でたった12日間。しかし、残りの大部分は健康診断となるらしいから、このゲームの危険度がわかる。検査ばかりだからこそ、一ヶ月間出遅れたとはいえ、初期プレイヤーとそこまで差はないだろう。そこまでゲームをやっていないはずだからな。
「ありがとうございます、報酬を楽しみにしておきますよ」
生きて使えればなと苦笑しながら、頼むからデスゲームとはならないように祈る。危険なゲームだ。ゲーム内で死ぬのではなく、ゲームの副作用による体調不良で死ぬ新たなデスゲーム。斬新だよな。これで小説は書けそうもない。
「それとプレイスタイルは完全にお任せします。それが貴方の持ち味ですから。メインストーリーのままでも、反対に善人プレイでも問題はありません」
「そう言って頂けると助かります。なにせ、私のプレイスタイルはあまり好かれないですから」
カプセルの蓋が閉まり始めて、伊崎さんが申し訳なさそうな最後の言葉を口にする。
「申し訳無い。貴方たちだけが頼りなのです。実はですな、姪御さんを助けたのは、科学の力でも、再生治療でもなく……」
なにか気になることを口にしていると伊崎さんを見るが、蓋が完全に閉まってしまう。
口パクでなにを言っていたのか想像はつくが……まさかな。
そうしてヘルメットが降りてきて、世界が真っ暗になり……。
「グウウゥッ」
まるで脳に錐でも差し込まれたかのような強い痛みが発生する。あまりの痛さに呻いてしまう。恐ろしく痛い。脳が溶けて、手足が、肉体が消えてゆくようだ。
これがフルダイブかと思いながら、私の意識は暗闇に解き放たれる。
なぜか川の流れを下るように、私は流れてゆく。
人間の時、虫の時、時には植物にと姿が変わり記憶が薄れてゆく。
自我が消えていき、暗闇の中で私の意識は無くなろうとして……。
再び目を覚ました時は、戦いの最中であった。
そう、ゴブリンリーダーとの戦闘時に目覚めたのだ。