80話 屏風
薄闇が青空を駆逐して、静寂が訪れる宵闇の時間。
座式和の後見人である叔父の屏風は苛つきながら、部屋をまるで餌を探す野良犬のようにウロウロとしていた。
「まだ連絡は入らんのか? 未だに?」
「はい。未だに連絡はありません、屏風様」
先程から同じ話を繰り返して、うんざりとしているが、それでも給金の一部だと我慢して、執事は顔色を変えずに答える。
「くそっ、作戦は失敗しても良い。儂には関係のない話だ。だが、和が捕まるのは困る………いったい何をしているんだ?」
屏風の心にあるのは、保身の一言だ。自然魔法派の口車に乗ったものの、それは薬が自然魔法派から手に入らなくなることを恐れたからであり、那月ヨミに恨みがあるわけでも、風神の扇を破壊したいわけでもなかった。
だからこそ、作戦は失敗しても、自身の逮捕に繋がる『精神隷属』の魔法を使ったことがバレるのはまずかった。
普通に考えれば、今回の作戦は失敗はしない。失敗しても姪は死んでいるはずだった。その連絡はすぐに入るはずだった。
しかし、まったく連絡が来ない。急に不安が心に押し寄せて、小心者の屏風は落ち着きなく、心配し始めて彷徨いていた。
カリカリと爪を齧り、イライラと貧乏ゆすりをする。
数分して、またも同じ会話を執事と行おうと口を開こうとする時であった。コンコンと心持ち焦った様子のノック音が聞こえてきて、屏風は執事が開けるのを待つことなく、自身が近寄り扉を開ける。
「ようやく小娘かられんら───」
最後まで言い切れずに口を噤み、眼前を凝視する。
「な、なんだ。帰ってきておったのか。どうやら無事のようで何よりだ」
安堵の息を吐き、屏風は落ち着く。目の前には。姪の和が立っており、その姿は無事のようで服にも汚れはない。作戦が失敗したようではなさそうだ。
安堵したのは、自身が捕まるか心配していただけで、屏風は和のことなど心配の欠片もしていなかった。それどころか、平然と立っている姪に段々と苛立ちが生まれて、これだけ心配をさせていた愚か者を睨みつける。
執事へ人払いを命じておき、退出させておく。
「遅かったではないか。で、上手くやったか? 那月ヨミは殺したか? 最低でも風神の扇は破壊できたのか?」
大丈夫だったかの一言もかけることのない屏風に、和は表情を変えることなく、ゆっくりとした口調で話す。
「風神の扇は破壊しましたぁ。もう修復することは無理かと思いますぅ」
「おおっ。役立たずでも、それくらいはできたか。そうでなくては『精神隷属』をかけた甲斐もない。で、那月ヨミは殺したのか?」
満面の笑みになる屏風を見て、冷たい眼差しを向ける和。だが、和のことなど眼中にない屏風はその様子に気づくことなく、成果を求める。
ここで那月ヨミを殺せば、あいつも満足だろうし、しばらく文句もないだろう。薬も面白く刺激的な物を用意するように望めるかもしれない。
実に自分に都合の良いことを考える屏風に、いよいよ冷たい視線を向けて、呆れたように息を吐く和。
そのいつもと違う態度に違和感を持つ。弱々しく人の顔色ばかり窺っていたはずの少女はきつい目で屏風を睨んできている。
「よーちゃんですかぁ。よーちゃんならぁ、後ろにいますよぉ」
「は? う、後ろだとっ!」
慌てて後ろを振り向くと、屏風の腰ほどの背丈しかない小さな少女がいつの間にか立っていた。
「な、那月ヨミか?」
青い髪の幼い少女と聞いていた。情報だけで手渡された写真すら確認しなかったが、間違いない。青い髪の幼い少女だ。
可愛らしいワンピースを着て、ちょっとおでかけに出たかのような姿。本当に高校生なのかと疑う背の低さ。小学生と言っても良いだろう幼い顔立ちと背丈だ。しかして、その表情には大の大人である屏風すら怯む冷徹さが潜んでおり、ゾクリと背筋を震わす。
「こんにちは、屏風さん。突然のお邪魔申し訳ありませんでした。ご容赦頂けるとよろしいのですが」
丁寧な言葉でスカートの裾を掴み、カーテーシーを行う。まるでパーティーにでも参加したかのような丁寧で上品さを感じさせる所作に、なぜか威圧されて無意識に後退る。
だが、屏風はそれ以上後退ることはできなかった。背中に手のひらがつけられて押し留められる。姪が後ろで抑えてきたのだ。
「叔父さん。警察に自首してください。『精神隷属』の魔法陣は重罪です。隠し持っていたことは許されません」
「『精神隷属』? はは、な、なにを言っているんだい和。そんな魔法を使うはずがないだろう?」
空笑いをして、惚けようとすると、後ろから呆れた少女の声がする。
「誰も使ったとは言ってないけど? 所持していたことを和は追求していたはずなのに、使った記憶があるようですね」
「い、いや。違うんだ。所持しているのならば、使ったこともあるのではと思ってね、あはは」
「はぁ〜……語るに落ちたとはこのことなんですね。もうバレバレですよ。つまらない言い訳をしないで貰えますでしょうか?」
誤魔化そうとするが、当然誤魔化されることはなかった。屏風自身無理があるとは考えていたが、今は他に確認することがあるのだ。
「叔父さん、ここで罪を背負ってください」
「あぁ………。どうやって『精神隷属』を解除したのかはわからないが、言い訳は無理があるか。そうだな、儂が自首すれば家門は助かるということかね?」
嘆息しつつ、諦めたかのように手を振り応接室の奥へと歩く。顔を俯けて項垂れたふりをする。
「申し訳ありませんけど、そのとおりですぅ。両親の残してくれた座式家を潰すわけにはいきません。私に『精神隷属』をかけたことは黙っておきますから、所持の罪だけとってください」
「そうか、そうだな………そう言うと思ってたよ。家門を守るためにとは、なかなか頭が良いじゃないか。儂も死刑を免れることができるから、Win-Winと言いたいのか?」
「そのとおりですぅ。使用がバレたら死刑は確実。屏風家が単独で所持していたことにしておいてください。襲われたことはよーちゃんは黙ってくれるし許してくれると言ってくれましたぁ」
「そうか………。だとするとこれは和と儂の中だけの話で終える。それで良いのかな、那月さん?」
「うん、そのとおりだよ。だから、皆には黙っている。和の叔父さん、おとなしく自首してください」
那月ヨミが告げる言葉は予想通りであり、望んでいたものであった。そうだろう、それしかないと考えていた。座式家を救うには屏風の暴走とするしかない。
高校生らしい浅知恵だ。お友だちとの友情を優先し、大人たちに隠すことにしたのだろう。
ドラマなら改心して謝る展開だろうが、ここは現実だ。甘い友情ごっこには苦笑しか浮かばない。見た目通りに幼いのだろう。悪女との噂もあるが、幼女のように小さな背丈の少女を実際に見れば、我儘な少女という噂は本当に違いない。
「仕方ない。仕方ないなぁ」
「叔父さん、それじゃあ自首してくれるんですね?」
屏風の呟きに勘違いをして安堵の息を吐く姪。その能天気で楽観的なお花畑の頭に心底馬鹿にする。
壁際に辿り着き、チェストの飾り棚に触る。
「二人だけしかこのことは知らないというのは本当かね? 間違いない?」
「うん。ここでバレるとまずいからね。誰にも言ってないよ。でも和ちゃんのお家に遊びに行くと家族には伝えたから、殺そうとしても無駄と伝えておくよ」
それくらいは予想していたか。まぁ、それはそうだな。アホでもなければ口封じに動くことは予想できる。
「たしかに、君たちが行方不明となれば儂が疑われるだろう。ここで殺すことはできない」
チェストの隠されたスイッチを押すと、隠し棚が姿を現す。棚には禍々しい瘴気を纏った魔石がおさまっていた。
「そうだよ。だから、その手にしている魔道具を置いてほしいんだけど?」
那月の警戒心がその言葉に混ざる。だが、手放すことなく、宝石を手にすると、ゆっくりと振り返る。
「君は儂が非合法の亜人作りもしていたことを知っているのかね? あぁ、その目から知っていることはわかるよ。だが、儂が深くその研究をしていたことは知っていたかね?」
「研究? 亜人作りの研究ですか?」
眉をピクリとさせて、那月が睨んでくる。姪は予想外の言葉に驚いていた。どうやら淡々と亜人作りをしていただけだと考えていたのだろう。馬鹿にされたものだ。
あれだけの亜人を造るのに、淡々と行うわけがない。
「知らなかったか。そうだろうな、和にしてみれば薬が欲しくて、複数の魔石を融合させた亜人を造っていただけだと見えただろう」
ゆっくりと見せつけるように宝石を、いや、自身の研究の集大成を掲げてみせる。
「儂はこれでも昔は研究者でもあってね。あれだけの素材があったんだ。研究もしたくなるというものだ。安全な亜人の作り方。魔法使いも使えるようにする方法」
ニタリと嘲笑うと、マナを宝石に込め始める。宝石が禍々しい光を発して、空気が変わっていく。
「回復魔法使いのように、マナは多くとも戦闘が不得手なものに必要な技術。これがその結果だ!」
宝石から蠢く肉塊が生み出されて、あっという間に増えていく。肉塊は屏風の身体を包み込み、肉襦袢のように変わっていく。
背中から10本の触手が生えて、痩せた身体を灰色の肉塊が覆う。肌は鮫のように変わり、触手は抜身の刀のように鋭い光を見せる。
「こ、これは叔父さん!? 何をしたんですか?」
「くくく、ふははは、これこそが新たなる亜人装備。魔物を肉の鎧として纏う、『魔獣装』だ!」
顔すらも三角形の白き顔に覆われて、完全に身体が隠れる。
「ククク、名刀のように鋭い切れ味の鮫肌を持つAクラスの村鮫と、無限の再生力と怪力を持つ同じくAクラスのクラーケンを掛け合わせて造った『魔獣石』。見事なものだと思わんかね? 名付けてシャークラーケン!」
底には灰色の肌を持つ異形の亜人が存在していた。刀のように鋭い触手を蠢かし、怪力と再生能力を持つ化け物が現れていた。
「……肉……その覆っている肉は人の変形したものだ。神人を殺して魔石に魂ごと封印したな!」
「おっと、理解が早いな。そのとおり、この二つの魔石と融合できる素質の神人を探すために何人実験したかわからないよ」
楽しげに哄笑する。
「ここで貴様らは自然魔法派のテロにあったということにしておく。なに、シャークラーケンが暴れれば魔物の仕業だと疑われることはあるまいて」
ここでこいつらは殺す。執事たちは黙らせておくし、魔物の姿となっているために気づかれることはない。
「残念だったな。ここで死ぬことは自身のマヌケさが原因だと地獄で後悔せよ」
死の宣告を告げると、那月が鋭い視線で睨んできていた。
「人々を非人道的な実験の研究にしたな、屏風博士、いやシャークラーケン。その許されざる行動、人を道具として使うものを罰する那月一門たるヨミが断罪する!」
指を突きつけてきて、那月ヨミは叫ぶ。
「やってみろ、那月ヨミ! 貴様がEランクであることは聞いている。儚い抵抗をしてみせるが良い!」
屏風は勝利を確信して哄笑するのであった。




