49話 支配者につき
現れた大蛇は巨大であった。高層ビルよりも高く、その胴体の太さはどんな巨木よりも太い。その鱗の一枚一枚が戦車の装甲のように分厚く大きい。存在自体が見る者の魂を畏れで鷲掴みにする。
「このアイトワラスの邪魔をするとは、何者だぁっ!」
大きく口を開けて咆哮をあげる。その咆哮は兇器となって世界を震わせる。地面にヒビが入り、草原に生い茂る草木がみるみるうちに枯れ落ちて、周辺に存在していた魔物たちが息絶えて、ドミノのように倒れていく。
死の波動となった咆哮に髪が靡き、服がはためく中で、月は涼しい顔で立っていた。
「うるさい蛇ですこと。吠えれば跪くのはそこらにいる虫だけでしょう」
『あれが魔溜まりの本当のボスなの?』
ヨミちゃんは幻で視覚のみの人形であり、影響は受けないけど、とりあえず吹き飛ばされそうなふりをしなくちゃと、月の肩にしがみつき寝そべり足をパタパタと振る。無駄にリアクション芸人な少女である。
「そのとおりです。この世界の人間では捕まえるどころか触れることもできない、存在の位相がずれて認識不可能なモノですわ」
『でも引き出せたよ?』
「あの蛇の『繋』を奪い取るために私が位相を合わせたからです。ヨミの力を使いましたの。雑魚だからこそ、今のこの身体でも可能であったのですが」
平然とした顔で、薄笑いを浮かべる月。もっと質問したいとヨミちゃんが口を開く前に、アイトワラスが唸り声をあげる。
「位相を合わせただと? そのようなことができるとは………」
「あら、盗み聞きとははしたないですこと。所詮は蛇に品格を求めても仕方のないことですが」
「ぬふふふ、我は幸運だ! 見たところ、そのようなだいそれた力を持っている割には、その身体は弱い。ならば、その力、貰ったぁ〜っ!」
軽蔑の眼差しを向ける月を気にすることなく、口元を歪めて、下衆な嗤いを蛇なのに浮かべて襲いかかってくる。存在は偉大だが、性格は狡いようだ。
「自己紹介もまだなのに、戦いを始めるとはさすがは爬虫類ですこと。脳味噌はあるのかしら?」
呆れたと、鼻で笑う月。
倒れてくる高層ビルのような迫力を見せて、アイトワラスは噛みつこうと、いや、丸呑みしてこようとしてきた。
「では私も劇を楽しみましょう」
『人形特性共有』
荒御魂のステータスを共有して、月は大幅に身体能力が向上する。一歩で数十メートル先に移動できる速さを持って、余裕の笑みでその場を移動する。
すてててと走り出して、すぐに石に躓いてコロコロと転がった。ドジっ子月ちゃんである。
その後ろで瀑布の如き土塊が舞い上がり、アイトワラスが地面へとぶつかり、そのまま潜っていく。危機一髪で回避できたが、もう少し遅かったら呑み込まれていただろう。
「痛いです。ちょっと速すぎますね、この身体」
『自分のスキルだろ! なんで転倒するの!』
いたたと立ち上がる月に、頭にしがみついて、ヨミはペチペチと叩く。ハリーハリー、急いで行動しないとヤバい!
「妾は身体を動かすのが、すごーーーーーく苦手なのです。いつも力押し、数で押し、全てを吹き飛ばして勝利してきたのですよ」
『この間は、上手く闘ってたじゃん!』
「あの時はヨミは意識を失っていたから、あなたの知識を利用してその経験を元に身体を動かせたのです。今は知識を共有して使い方を理解しただけで、身体は思い通りに動きません! げーむでいうとぱりぃの方法は知っていても、下手なので失敗してガスガス敵に攻撃を受けるぱたーんですの! ぱりぃって、しすてむてきに必要ないと妾は常に思ってます」
『わかりやすすぎる説明どーも』
力説しちゃう月。ミステリアスレディは運動音痴だった模様。まぁ、人形遣いは捨て身の攻撃を人形にさせて勝利する戦法だから仕方ないか。
「貴女の心を私と一つにしてくださいませ。貴女が十字キーを操り、妾がABボタンを押す要領でいきましょう!」
『例えるコントローラーが古すぎるよ! ったく、了解!』
自身の心を深く沈めて、意識を、力を、その経験を送り込む。その方法はなぜか感覚でわかるのだ。
「おーけーです。では、戦闘再開といきましょうか」
目に宿る光が不敵な輝きを見せて、月は跳躍する。立っていた場所が噴火するかのように大量の土砂が吹き上がり、アイトワラスが地面から姿を現してきた。
目の前を蛇の鱗でできた壁が上へと登っていき、再びアイトワラスが首をもたげる。
「その拙い動きでは躱しきれまい!」
「さてどうでしょうか。蛇の勝つちゃんすは終わったようですが」
またもや突撃してくるアイトワラスを今度は余裕の笑みで月は立ち向かう。トンと軽く地を蹴るだけで、瞬時に横数十メートルは離れた場所に移動する。その動きは洗練されており、無駄がなく、華麗なる様相へと変わっていた。
「ぬ!?」
アイトワラスは予想よりも鋭い動きに僅かに戸惑いながら、地面を削っていく。巨体である分、どうしてもその動きには無駄が多く、その胴体は隙だらけとなっていた。
「荒御魂、おやりなさい」
指を曲げて糸を繰り、月が荒御魂をアイトワラスへと向かわせる。虫の機人は膝を曲げ、跳ねるように走り出す。砂煙が微かに舞い上がり、数十メートルは離れた距離を数歩で詰めると、荒御魂は蹴りを繰り出す。
その踏み込みから、蹴りのインパクトまで、完全なる力の流れを持って最大威力でアイトワラスの胴体へと荒御魂の足は食い込んだ。
『龍燐』
だが、命中した箇所が光るとあっさりと弾かれてしまう。鱗の表面に光の障壁が発生したのだ。
『今のはスキルか!?』
「アイトワラスの鱗を傷つけることができると考えていたか! この鱗を傷つけることができるものなどおらぬ!」
「むむっ!」
哄笑するアイトワラスが身体を弛ませる。その挙動を見逃さず、月は糸を離れた地面に放って巻き取ると、高速機動にてその場から離れようとする。
アイトワラスが尻尾を横薙ぎに振ってきたのだ。
だが、驚くべきことに、巨体であるにもかかわらず、アイトワラスの尻尾は速かった。土塊を津波のように捲れ上がらせて、高速で飛び退く月へと追いつく。
荒御魂が盾となり防ごうとするが、巨大なる質量と込められたる莫大なマナの力の暴威の前に、まるで津波を防ぐために立てられた一枚の木切れのように、あっさりと吹き飛ばされてしまう。
「ぐっ!」
月も直撃は免れたが、尻尾が掠り、舞い上がる瀑布のような土塊に巻かれて強烈な衝撃を受けて、意識を失うほどの激痛が身体に奔る。
空中を吹き飛ばされながら、思わず呻き声をあげて苦痛に堪えるべく口を噛みしめる月。自分のダメージを確認するが………。
「酷い有様ですこと。ここまで傷をつけられるのは久しぶりです……コフッ」
口元から泡混じりの血が流れて咳き込んでしまう。手足はボロ雑巾のように捻れて折れ曲がり、内臓も破裂しているだろう。骨が突き出し視界も乱れているので目も損傷したようだ。命の灯は蠟燭の炎のように消えかけていることを月は理解し、苦笑する。
だが、命が消えていくのを諦めるはずもなく、その瞳は紅く紅く血のように輝く。
『血糸』
自らの身体から流れ落ちる血が、髪の毛よりも細い何十もの糸へと変じると、月は死の波動を受けて死んでいた魔物たちへと放つ。
放射状に無数の紅き糸が広がっていき、死骸へと張り付くと、スキルを発動させる。
『身代わり人形』
血とマナを埋め込まれた死骸たちは月の身代わり人形へと変じて、次の瞬間には頭から雑巾のように絞られてズタズタに千切れてしまう。
「数十の身代わり人形が一瞬で破壊されるとは、かなりのダメージでしたか」
その代わりに月の姿は元の神秘的で可愛らしい元の姿へと戻っていた。捻れて折れ曲がっていた手足も元に戻り、身体には傷一つなくなり、艷やかな肌を取り戻していた。
『許容量を超えたダメージを肩代わりすると破裂しちゃうんだ』
「そのとおりです。ですが、大量の人形があって助かりました。……しーちゃんは逃しておきましょう」
ヨミロイドが驚くが、平然と答えて少し離れた所ですやすやと気持ち良さそうに寝ているしーちゃんへと血糸を付ける。
『しーちゃんの召喚権を取得。操作可能』
『血により人形強化』
血が流しこまれたしーちゃんが目を覚まし、莫大なるエネルギーが宿り、その真の姿を取り戻す。
柔らかく艷やかな毛並みとなり、そのつぶらな目は愛らしさの光が宿り、体からはお風呂に入ったばかりのように、石鹸の匂いが微かに漂い、1キロほど体重が増えた。
「ヒャンヒャンッ」
『しっぺい太郎:Aランク。咆哮に強き退魔の効果が宿るポメラニアン』
ついに真の姿を取り戻したポメラニアンが千切れんばかりに尻尾を振る。
「さぁ、そこの使い魔を連れて逃げなさい」
「ヒャンッ」
わかったよと、しーちゃんは寝ている太郎の足を咥えると、戦場から離れるために猛然と駆け出す。砂煙を残して、アクセルベタ踏みの軽トラのような速さで離れるのであった。
もうあれで戦いに巻き込まれて死ぬことはないだろうと、安心の笑みを浮かべて、アイトワラスへと向き直る月。引きずられている使い魔が傷だらけになりそうだが、しーちゃんがぺろぺろと舐めてあげれば回復するに違いない。そうに決まっているのでスルーしておく。
「むうっ! 怪我を癒やす能力かっ!」
身代わり人形の力で体を癒やした月へと唸るアイトワラス。
「そのとおりです、蛇さん。そしてお返しといきましょう!」
酷薄なる笑みを浮かべて両手を交差させると、月は煌めく鋭き刃を持つ糸を繰り出す。その糸は数万、数十万本はあり、空中で翼のように広がっていった。それは巨大なるアイトワラスの身体をも包み込める糸で形成された翼であった。
「斬糸鳳凰翼」
名刀よりも鋭き切れ味を持つ月の斬糸。その糸が数十万本寄り合わさり、アイトワラスを包み込むべく翼が閉じる。
「ぬぬうっ!」
あまりの巨大なる翼に回避することは不可能で、アイトワラスは死の斬糸に包み込まれて切り刻まれる───。
そのはずであったが、浅く切り傷が入るが、それだけで、アイトワラスが軽く身震いし魔法を発動させると、斬糸の翼は脆く儚く消えていく。
『龍燐残火』
アイトワラスの身体は焔に包まれて、その熱が糸を溶かしてしまったのだ。
「ぬっはー! 笑えるな小さきものよ。力の格差がこれ程に惨いとは同情しよう」
余裕の態度で嗤うアイトワラス。その身体にできた切り傷もすぐに塞がり治っていってしまう。
「なるほど、未だに弱きヨミの身体では少しばかりきつい支配者でしたか」
だが、月も余裕の笑みを浮かべて対峙する。
「ですが、本来の妾が使わなかった技があります。その力を観てから判断をなさったらどうでしょう」
ツイと人差し指を振るうと、地面からバラバラになってしまった荒御魂が月へと飛んでくる。
「さぁ、今宵最後の幕としましょう」
『魔人装』
破片が液体のように姿を変えると、月の身体を包み込む。そうして、液体が鎧へと形成されると、月の姿が一変した。
腕は剥き出し、へそ出しルック。頭にはヘッドギアをつけて、胸を覆う装甲、手甲と脚甲が手足に装着する。
荒御魂のパーツが鎧となって、月の身体に装着されていた。
「変幻少女那月ヨミ、ただいま見参です!」
右手を伸ばして、左手を腰に、足を伸ばしてポーズを取る。
ちょっとヘッドギアや鎧がデフォルメされて、凶悪なる甲殻から、可愛らしい人形のように変わったパーツを着込んだ可愛らしい魔法少女がそこには現れたのであった。
やはりこの娘も那月ヨミだねと、ドールなヨミちゃんも頭の上で同じくポーズをとって、納得していた。




