42話 座式和
座式和は回復魔法使いだ。一族は回復魔法使いの一門であり、昔から有名であった。回復魔法使いは戦闘以外にも役に立つ魔法の中では一番だ。
それは弱い回復魔法使いでも、傷を塞ぐことができるし、簡単な毒や病気も即座に治せる。ポーションでも同様のことはできるが、ポーションは効果が出るまでタイムラグがあるという弱点があった。体に染み渡るまでに時間がかかってしまうのだ。
そのため即効性は遥かに回復魔法が上であり、医術を修めていれば外科手術で開腹したりしたり、メスを入れた内臓の傷を即座に治して役に立つし、病気などでも初期状態であると確認できれば癌でさえ治せる。
なので、弱い回復魔法使いでも重宝されてきた。
ただし、それもDランク以上の回復魔法使いはとの条件がつくが。
そして座式和はEランクだ。かすり傷しか癒せない和は重宝されるはずの回復魔法使いの中で、唯一役に立たない魔法使いであった。
「ただいまですよぅ」
お腹いっぱいまで食べて、久しぶりに幸せな気分になった和は帰宅の挨拶をした。貴族らしく庭もあり、そこそこ大きな屋敷で召使いたちも数人いる。
だが、和が屋敷の扉を開けて中に入っても、たまたま玄関口で仕事をしていたメイドは、ちらりと見るだけで、挨拶を返すこともなく、再び仕事に戻る。
そのあり得ない失礼な態度を見ても、和は肩を寄せて縮こまるだけで叱責もせずにその横を足早で通り過ぎる。
「ぷっ。金食い虫のお荷物よね」
後ろからメイドの馬鹿にする声が聞こえても、耳に入らないふりをして廊下を歩く。
途中で執事ともすれ違うが、冷たい視線を向けられるだけで、無言であった。
足早に移動して、辿り着いた居間の前でおずおずとノックをする。
「誰だ?」
「和ですぅ。ただいま帰りました」
「あん? 入れ」
野太いザラッとした男の声が部屋から聞こえてくる。いつも聞いている不機嫌そうな声だ。
「入学式を終えて、無事に帰宅しましたぁ」
中に入ると、不健康そうな顔色で、痩せて幽鬼のような中年男性がソファに座っていた。内装はやけに大きな絵画や彫像、金ぴかな調度品が置かれており、センスの欠片もない成金のような部屋だった。
テーブルにはウィスキーとクリスタルガラスのグラスが置かれており、夕方から酒を飲んでいたことがわかる。
屏風屋久。和の叔父であり、両親の亡くなった和を引き取った保護者でもある。いや、座式家を乗っ取ったと言えるだろう。
「ったく、随分と遅かったなぁ、あぁん? 金ばかりかかって、弟の娘でなければ放り捨てているところだ」
酒臭い息を吐いて、小馬鹿にした視線で和を見てくる叔父。その視線には面倒くさいとしか感情は浮かんでいない。
「あぁ、この娘は座式家の嫡子ですか?」
対面に珍しくお客が座っており、和を見てくる。誰だろうと見て、ゾクリと背筋が泡立つ。
その男は漆黒であった。黒よりも闇に近く、闇夜よりも深い暗闇であった。意味がわからない考えだが、本能的にそんな感じを和は受けて、顔を青褪めさせる。
狼の亜人なのだろう。ピンと立った狼の耳を頭に生やし、口元からは鋭い牙を覗かせている。服装も上から下まで黒いスーツをきっちりと着こなしており、その清潔な姿がますます違和感を与えてくる。危険な人間だ。まともな生業の人間には見えない。
「無能者だ。せっかく引き取ったのに、マナ量はE。回復魔法も初歩も初歩、かすり傷しか治せない魔法しか使えん」
「あぁ、それはそれは。役立たずですか、残念です。回復魔法使いならば、私たちの手伝いをお願いできると思ったのですが」
Eランクと聞いた途端に、興味を失い男は叔父に向き直る。叔父はその態度にフンと鼻を鳴らして、グラスを揺らす。
「安心しろ。俺が手術は全て行っている。今回も役に立ったはずだ」
「えぇ、デモンストレーションはバッチリでした。助かりましたよ、どこの回復魔法使いもこの依頼を受けて頂けなかったので」
「当然だ。俺様は偉大なる回復魔法使いだからな。亜人のわんころが行えない奇跡も軽々とできるんだよ」
叔父は相手を馬鹿にして薄ら笑いをして、グラスに口をつける。その態度に相手の男はピクリと反応はするが、にこやかに笑みを返す。
「本当に屏風さんには助かっています。では、次は来週までに頼んだ人数の手術を終えて頂きたい。これはお礼です」
男は取り出した小箱をテーブルに置く。叔父はその小箱を見て、目を輝かせて野良犬が餌を見つけたかのように飛びつく。
「うむ、うむ……。あぁ、問題はない。これはたしかに頼んだ葉巻だな。うん、良い香りだ。ウンウン」
叔父が小箱を開くと、大粒の宝石が何個も入っていたが、そのことを気にもせずに同じように入っていた葉巻を手に取り、鼻で嗅ぐと口元をだらしなく緩ませる。
今にもよだれを垂らしそうな表情だ。その表情から、和は違法な葉巻だと気づく。幻覚を齎す魔物から採った物を加工した常習性の高い幻覚剤だ。多幸感を齎すが、体を蝕み禁断症状もあるというやつだ。
「偉大なる回復魔法使いへのちょっとしたプレゼントです。では、お願いできますか?」
「あぁ、任せておけ。『臆病栗鼠』と『エスケシープ』、『人食い昼顔』が融合しても意識を失わなかっただろう? 安心しろ。ほら、さっさと帰れ」
早く葉巻を吸いたくて仕方ないのだろう。乱暴に手を振って叔父は男を追い出そうとする。そのセリフに眉を顰める男だが、にこやかな笑みは崩さずに立ち上がると一礼する。
「そうですね。貴方の腕はしっかりと確認させて頂きましたし、問題はありません。それでは失礼致します」
そういうと、男は部屋から出て行く。扉の前に立っていた和が横にずれると、ジロリと見てきて、心臓を掴まれたかのような感覚に陥ってしまう。
扉を開けて去っていったのを見て、ホッと安堵してしまう。手のひらがじっとりと湿っており、無意識に男を恐れていたのだと自覚する。
「お、叔父さん」
「なんだ、まだいたのか?」
葉巻を切って、数秒でも惜しいかのように火をつける叔父。ても震えており、明らかに中毒症状だ。止めれば殴られるかもしれない。
だが、ここで忠告しなければ危険な結果になるとわかりきっている。なので、こみ上げる恐怖を押さえて、和は口を開く。
「その、今の話を聞いちゃいましたが、亜人手術に魔石を3つも使っているのですか? それは違法です。魔石を3つも使ったら、その者は魔物の意識と化して、人を襲いますぅ。それにその手術をした回復魔法使いは死刑ですよぅ、死刑」
亜人を作る手術には魔物の魔石を使用する。魔石から魔物の能力を手に入れるためだ。だが、その手術は魔石を一つまでしか使用してはいけないことになっている。それ以上は魔石からの異なるマナと呪われた本能に支配されて魔物に変じてしまうからだ。
しかも人間の知識を持っているうえに、いくつもの魔物の特性を手に入れたキマイラは通常よりも遥かに強い。町が一つ滅ぼされたとの話もあるくらいに極めて危険な魔物となるのである。
「ひひっ、大丈夫だ。大丈夫。俺様はそんなミスはしないし、奴らも精神の強い奴を選抜して送り込んできている。万が一もない」
「いくら精神が強くとも、いずれ魔物に変ずるのは昔から知られたことですぅ。止めてください」
和の言葉に、叔父は危険な目となり睨んでくる。その獣のような目に、和は話を聞いてもらえないと悟る。
「うるさいっ! 俺様はBランクの回復魔法使い、屏風屋久だぞっ! 貴様の父親よりも腕は上なのだ。まったく問題はない!」
「Bランクならお金は稼ぎ放題ですよぅ。まともな仕事につけば」
「うるさいうるさいっ! 貴様も座式の人間だな。俺様の愚かな父親や弟にそっくりだ。あれをやめろ、これを止めろと。嫡男であり、誰よりも優秀だった俺様を当主にせずに弟に任せたおろか父親たちにそっくりだ!」
苛立ちながらグラスを和へと目掛けて投げてくる。酔っているために、和から外れて壁に当たり、砕け落ちる。
「俺様よりも魔法の腕に劣る奴らが忠告などと。金になるのだ。この方法は金になるし、こうやって珍しい物も手に入る。わかるか?」
叔父は本来ならば座式家の次期当主であった。しかし、違法な薬にハマり、その次期当主の座を弟である和の父親に奪われたと考えているのだ。
「なんだ、その目は? そもそもEランクの癖に生意気な。わかる、わかるぞ、ヤク中な俺様はいつおかしくなってもおかしくないと思っているのだろう? ケヒヒッ、だが俺様は偉大なる回復魔法使いなのだよ。見せてやろう、この俺様の力を」
叔父は胸に手を当てると魔法を発動する。
『中位解毒』
『精神疲労除去』
純白の光が叔父を包むと、肌に血色が戻っていく。
「見たか? 俺様の回復魔法は違法薬物の害を取り除けるし、禁断症状すらも打ち消す」
禁断症状を楽しんでいた叔父は冷静さを取り戻し、手のなかの葉巻をくるりと回す。先程までの葉巻への執着心がきれいさっぱり消えていた。
そうなのだ。世間では危険なる違法薬物も、Bクラス以上の回復魔法使いならば完全に癒せてしまう。だからこそ中毒症状すらも治してしまう魔法の偉大なる力を叔父は悪用していた。
中毒症状になればなるほど、深い多幸感を得られるからと、ぎりぎりまで癒やすことはせずに違法薬物を楽しむ悪癖があったのだ。
たしかに理論的には問題はないともいえるが、その行動は目に余り、叔父は放逐されたのである。
「せめて、手術は止めて欲しいのですぅ」
「うるさいっ! レアな魔法薬を手に入れるのに金がかかるのだ。回復魔法もろくに使えない小娘が」
なおも言い募ろうとする和は、頬に強い衝撃を受けて、床に倒れ込む。殴られたのだと理解する前に、髪の毛を強く引っ張られる。
「良いか? 役立たずの貴様の言うことなど誰も信じない。おとなしく卒業まで過ごしていろ。そうしたら金のあるひひ爺と結婚させてやるからな!」
バシンと頬を殴られて、放り投げるように掴んだ髪を放す。
「そら、わかったら、さっさとでていけ! あぁ、俺様に逆らった罰で今日と明日は飯抜きだ。硬いライ麦パンが食べられなくて残念だったな」
ケラケラと笑い、叔父の声を後ろに和は顔を俯けて部屋を出るのであった。
バケツやモップが置いてあり、小さなホコリまみれのベッドだけが置いてある物置小屋で和は疲れてベッドに倒れ込む。
「はぁ………同じ養女でもよーちゃんと全然違う………。私もよーちゃんのように堂々と生きたいなぁ」
涙が自然と流れてきて、さっきまであった幸せな気持ちは消え失せていた。
『私の部下になって!』
よーちゃんの言葉を思い出す。
「雨屋区に住む………でも、叔父が私を手放すわけないよね」
寂しげにポツリと呟くと、じんじんと痛む頬を押さえて、眠りにつくのだった。




