23話 ログアウトにつき
私はログアウトをして、カプセルポッドの中で目覚めた。これでゲームは終了だ。
金を貰って、お高いケーキでも妹と姪っ子に持っていってやろう。
そのはずだった。
────でも、実際に目覚めた先は
「な、なんでログアウトしてないの?」
暖かいぬくぬくの布団の中で、ぱちくりと目を覚ました。布団の中でである。カプセルポッドに掛け布団なんかあるわけない。
即ち、ログアウトしていなかった。
「うにゃ〜、もう食べられないよぅ」
となりにはいつもの寝言を口にする瑪瑙ちゃんの姿がある。嬉しい反面焦りも噴出し、小声で呟く。
「緊急脱出プログラム発動せよ。認識プロトコル0365791」
使うつもりはなかったコマンドだ。もしものために伊崎が伝えてきたゲームから強制脱出するコマンド。デスゲームではありませんが、念の為にと渡されたのだ。
プロゲーマーとしての矜持から、こんなコマンドは使うつもりはなかったが、もはや試遊期間はすぎている。遠慮するつもりはないし、想定外の出来事だ。プロゲーマーとしても問題はない対応である。
直ぐにボードが目の前に映し出されて、待つこと数秒。
『あぁ、良かった。遂に連絡が来ましたか』
胡散臭い営業マンである伊崎が映し出された。そのことにホッとしてしまう。なんとなくだけど、繫がらないかもしれないという恐れを持っていたからだ。
小説などでよくあるパターン。ゲームに閉じ込められて、元に戻れない。そんなテンプレを頭の隅で思い浮かべていた。
「繋がって良かったですよ、伊崎さん。ログアウトができないんです。もしかして、時間単位でした? とすると、あと半日はあるかもしれないので、申し訳ないと謝りますが、事情が事情でして、焦るのも無理ないかと」
弱冠早口になり、伊崎へとにこやかに申し訳なさげに伝える───ガクリと体が揺れる。
視界が揺れて、背筋がゾッと冷たくなる。この感覚は知っている。恐ろしい早さで私のマナが減っているのだ。
「こ、これは……」
『良かった。ヨミさん、お伝えしたいことがあります。時間がありませんので手短に言います』
動揺する私へと、真剣な顔で伊崎が口を開く。
『この通信は数カ月に一度となります。こちらの準備が必要でヨミさんのマナも必要です』
ふざけんな、マナってゲームの話だろうが、なんでリアルの通信に必要なんだよと伝えたいが、口を閉じておく。なにか絶対に伝えたいことがあるようだからだ。
『実を言うと、ログアウト不可能となっています。これは想定外のことでして、緊急脱出プロトコルも起動しておりません』
「なら、ログアウトする方法は? 自殺とか言うなよ?」
『死亡しても無駄です。精神が漂う状態になるだけです。復活するにもログアウトするにも方法は一つです』
嫌な予感がする。伊崎は真面目な顔ではあるが………この状況を知っていたのだ。なぜなら焦りがない。この状況を予測していたからだ。
案の定、次の言葉は私の心を落ち込ませるのに十分だった。
なぜなら───。
『エンディングに到達してください』
嫌なテンプレを口にしたからだ。
「エンディングとは、どんなエンディング? 皆は仲良く? 人類絶滅? 断罪ルート? このゲームはマルチエンディングだろ!」
声を荒げて詰問する。昨今のゲームはクエスト自動生成。エンディングは星の数ほどあると言われている。この『パラドックスマジック』も同じ仕様だ。
即ち、どれがエンディングなのかわからないということだ。悪役令嬢らしいエンディングになればよいのだろうか。
『そのとおりです。ですが、貴方のエンディングを目指してください。メインストーリーを気にすることはありません。メインストーリーの流れは強い可能性もありますが、そもそも自由なのです』
「そんなことを言われても困るよ。マルチエンディングの方向性を決めてよ!」
夕飯なにが良いと聞いて、何でも良いと答えられるのが一番困るんだよ。で、適当に作ると怒るタイプ。文句を言おうとするが、映るボードが乱れてくる。
『こんなはずでは───ヨミさん以外───誰も───してこないのか───』
「ちょ、ちょっと、え? どうすれば」
叩けば良いの? 右上斜め45度の角度?
『強くなり、この世界にエンディングを───』
その言葉を最後にボードはプツンと消える。そして私も崩れるようにベッドに頭からダイブする。
マナが尽きたのだと自覚した時は、視界は闇に支配されていた。
◇
「ヨミちゃん、朝だよ」
身体が揺さぶられて、目をゆっくりと開ける。………頭がガンガン痛くて、虚脱感で身体がダルい。マナが枯渇した影響だ。
───そして、それ以上に精神的ショックが大きい。
「大丈夫、ヨミちゃん。酷い顔だよ? 寝れなかった?」
「瑪瑙ちゃんの寝相が悪かったからだよ〜」
無理矢理笑ってみせる。瑪瑙ちゃんには心配をかけたくはない。
──私はしっかりと笑えているだろうか? 瑪瑙ちゃんの瞳に映る私は酷い顔に見える。
ログアウトができない。ゲームをやめることができない。
「熱があるのかなぁ。辛そうだよ、もう少し寝てなよ」
心配げに私を寝かそうとしてくる。その優しさが嬉しいけど、ゲームのNPCにしても、細かい心遣いにゾッとする。
薄々変だとは思っていたのだ。ヨミちゃんの記憶があまりにも細かくてリアリティがあること。ヨミちゃんの自我が強すぎて、私の自我が影響を与えるファクターにしかなっていないのではと疑問を覚えたこと。
今もなぜこんなにショックを受けているのかと、ヨミちゃんとしての自我が不思議に思っていることを感じている。それが酷く気持ち悪い。
ここは本当にゲームの世界なのだろうか。装甲バスでの戦闘前の恐怖は本物だった。脚は震えて喉は枯れて、逃げ出したくなったものだ。
プロゲーマーとして数多のゲームをやってきた私がである。それはありえぬことで、ゲームとして致命的な欠点が存在していた。
キャラ独自の『恐怖』。プレイヤーを邪魔するその心情は、絶対に必要がないものだった。
私はそのことをあえて無視して、見なかったことにしていた。12日間のゲームを終えれば、この危険な遊戯から逃れられると、心の隅で思っていたからだった。
その前提が崩れた。いくら見ないふりをしている私だってわかる。
現実の運営との通信にマナを必要とするゲームなど決してない。他のプレイヤーはどうなのだろうか。
今まで気取った言動や思い切った行動をしてきたのはゲーム内だからだ。そうでなければ、最初の廃ビルであんな細い糸を頼りにした作戦など立てないし、落下に使ったりしない。
「ねんねーやーころーこーろ」
「大丈夫。起きるよ〜、朝ご飯が待っているからね」
ポンポンと掛け布団を優しく叩いてくれる瑪瑙ちゃんに、心配をかけまいと起きることにする。
布団を掴む小さな手。サラリと流れる青い艷やかな髪。若々しい肌。私とは何もかも違う。
『強くなり、この世界でエンディングを目指してください』
あの一言が脳裏に焼き付いている。
そして、このゲームを始める際のカプセルポッドに入る際の伊崎の一言。
『申し訳無い。貴方たちだけが頼りなのです。実はですな、姪御さんを助けたのは、科学の力でも、再生治療でもなく……』
その次の一言。
『魔法なのです』
普段なら一笑するセリフ。見間違いだと思って、無視した内容。
この世界は本物なのだろうか。それとも全て巧妙に精緻に作られたゲームの世界なのだろうか。
瑪瑙ちゃんは本物の人間なのか。それともただのゲームデータなのだろうか。カーラの存在だってある。
わからない。わからないことばかりだ。
現実だとすれば、なぜストーリーを知っているのか?
現実だとすれば、なぜミッションがあり、ポイントで成長できるゲーム仕様なのか。
ゲームの世界ならば、何故ここまで精緻に作られているのか。キャラの気持ちが、自我が大きすぎるのか。そしてどうしてログアウトできないのか。
だが一つだけわかっていることがある。
「強くなれ……か。そしてエンディングを目指せ………」
ならば、少しばかり無茶をする必要があると強く拳を握りしめて、私は悲愴感に包まれて食堂へと向かうのだった。
◇
「あー、実はだな瑪瑙。えーと、天女のお披露目会として来週鎧白蟻を退治する催しをしたいのだがどうだろうか? 分家が提案してきてな。学園に通う前に、新たなる天女が現れたことを雨屋区にアピールしたらどうかとのことだ」
食堂で白米味噌汁卵焼きと、相変わらず質素な朝食をまぐまぐ食べてると、パパが咳払いをして提案してきた。くそっ、素朴な味だけど、この卵焼き甘くて美味しいな! なんか悔しい!
「えぇと、鎧白蟻退治ですか?」
地獄の最下層まで落ちた私の気分が悪いことを気にして、チラチラと見ていた瑪瑙ちゃんが戸惑った顔になる。
「鎧白蟻はビルや家屋を食べるんだよ、瑪瑙ちゃん。だけど身体能力は大人と同じくらい。硬いのが厄介で数が多いからCランクなんだ。けど、『柔雲の舞』なら敵の物理と魔法両方の防御を下げられる。そして、天女はその効果も範囲も大きいんでしょ?」
ぶっきらぼうに答えてパパを睨みつける。『舞踊魔法』は記憶にしっかりと入っているのだ。知らないのは天女の性能だけ。ギロリと私に睨まれて気まずそうにパパは頷く。
「そのとおりだ。恐らくは半径1キロの範囲の敵に効果が出る。来週までに練習をしてくれれば、間に合うだろう。それに鎧白蟻は最近数を増やしていてな。討伐の必要があったのだ。瑪瑙は遠い場所で踊るので安全だから安心しなさい」
半径1キロとは効果範囲が広すぎる。チートジョブすぎるだろ。なるほど、弱くても23区の大貴族の一つだということが理解できるよ。それにしても……。
「瑪瑙ちゃんはこれから猛勉強して、学園に備えないといけないのに、舞踊をもう一つ覚えろってことですか? 石英さんが突撃したらどうでしょう。彼はランクBレベルになったはずです」
他力本願にも程がある。分家の小遣い稼ぎに使うつもりだとピンと来たよ。ランクCはそこそこ価値が高い。金のない本家としては、金を使わずに天女の力を示して、勢力を固めたいのだろう。
やはり根底は家門を守る貴族らしい。
「俺っち、いや、俺はたしかに潜在能力が解放されたけど、まだまだ使いこなすには時間がかかる」
ぶっきらぼうに不機嫌極まる私の様子を見て、嫌な予感がしたのか石英が真面目に答える。なるほど、まだまだステータスどおりには動けないのか。
「うーん………私はその提案受けます!」
「瑪瑙ちゃん!? 来週までって、とても大変だよ!」
まさかの発言に驚いて、ガタリと椅子を蹴って立ち上がる。
「でも、これからのことを考えると必要でしょ?」
太陽のようににっこりと明るく笑う瑪瑙ちゃん。どうやら色々考えたらしい。その笑顔にささくれだった心が多少落ち着く。
たしかに未来を考えると必要がある。瑪瑙ちゃんが当主になるためのステップだ。ゲームでないのなら、いや、ゲームであってもエンディングを目指すのなら、瑪瑙ちゃんには幸せになってもらいたい。
パパとママは経営力や性格を含めて、いまいち信用できない。悪いね。
借金を返済した際に私に一言も礼を言わなかったことが、どうにも気にかかるんだ。ゲームだからと見過ごしてきたけど、これからは現実だと考えて行動するつもりなんだ。
「私も戦いには加わるね! 瑪瑙ちゃんが弱らせた白蟻をバッタバッタと倒しちゃう」
それなら……私も参加する。ランクCの群れを倒せる機会なんかあまりない。
強くならなければならない。いつものようにコソコソ隠れて行動するのではなく、大胆な行動も必要だ。
それには戦闘を繰り返す必要があるのだ。
「強くなれ……」
この世界から脱出するため、ヨミは凄絶なる笑みを浮かべるのであった。
その心にいつもと違う焦りがあることにヨミは気づいていなかった。




