20話 覚醒の儀式
一人の女性が舞い踊っていた。外は暗闇の帳が降りて、パチパチと篝火が燃える中で、神楽鈴の音がシャンシャンと鳴る。
その一挙手一投足。流れるように伸ばされる白魚のような指先、しなやかな脚、目線ですらも緻密に考えられており、その肢体が優美に舞うたびに目を奪われた。
魅了され、心が震えた。羽衣を纏いし者が踊る様子は幻想的であった。
夜であった。暗闇の中で篝火に照らされて天女のように美しく踊る姿は人ならざるものだと心を打たれた。
幼い頃の春屋家の当主。春屋他長が目に焼き付けた光景であった。
そして一人の男の子の純粋なる感動と尊敬は長き時を経て、悪辣なる執着へと変わる。
◇
────春屋が雨屋家を訪れてから一週間後。
春屋他長は満足げに集まった者たちを眺める。分家の当主全員を招待した結果が目の前にあった。
落ちぶれた雨屋家の儀式場に、全員が集まっていた。
全員を集めるのは大変だった。未だに雨屋家に忠誠を誓う小物の分家や中立を気取る分家に対して、時には大金を積み、時には脅しをかけて、苦労して集めたのである。
全体が宮造りの木造建ての施設だ。マナの宿る高価な魔木を使用し、燃えないように何重にも結界魔法を付与した本家に相応しい古代の失われた技術で建てられた伝統ある儀式場だ。
道場として昔は使われたのか、通常の体育館の2倍はある。これを売れば大金が入るとは思うが、物が物であるために本家の象徴でもあるので、売却できないのが残念だ。
まぁ、私が本家となれば、ここは宴会場に変える予定だ。その方が自身の威信を見せることができるだろう。
世の中は金と力どちらかを持っていれば良い。そして金も力もない雨屋は本家に相応しくない。
雨屋の天女が舞い踊る姿に、かつては感激して、心が震えたものだ。これが真の魔法使いかと魅了された。
───そして、それ以上に羨み嫉妬した。
踊り子たる天女にではない。その周囲に澄ました顔で座る本家の男たちに。
まるで自分たちも踊り子のように偉いのだと威張る勘違い野郎たちに。
なんの儀式かは覚えていない。しかし、ただ本家に生まれただけでたいした力も持たないゴミたち。自分とその力はほとんど変わらないのに、傲慢に天上から見下ろすように偉ぶる奴らに。
「うむ、春屋の嫡男か。今後とも雨屋の為に精進するように」
挨拶に向かったところ、返ってきたのは天女からの言葉ではなく、なぜかその夫の方であった。
踊りが終わったあとに、分家たちの挨拶へ鷹揚に頷き、これからも雨屋の下で精進するようにと語る者たちに。
奴らはたかだかCランクかDランクの中級魔人だった。稀にBランクもいたが、本家の直系にするには力不足。23区の家門は最低でもAランク。Sランクもいて、SSランクという人類最高の戦闘力を持つ者もいるのに、彼らは恥ずかしくないのだろうか?
天女は紛れもなくSSランクだ。だからこそ彼らの滑稽ぶりが目についた。
そして、その嫉妬と憎しみは本家に誰も女性が生まれなかったことで、噴出した。
あろうことか、一世代前から彼らは男を家長としていたのだ。一人、女性がいたにも関わらず駆け落ちを許し、男が家長についた。支配欲に駆られたのだろう。きっと女児が生まれないなど、当時の家長は思いもよらなかったに違いない。
それを見て、金を稼ぎ、傭兵を集めて、違法行為にも手を染めて、春屋他長は力をつけた。
雨屋区の治安を悪くするために、荒くれ者たちに金をばら撒き、警察には袖の下を使う。邪魔者を殺し、魔物を密かに侵入させて、街を荒らす。
段々と治安が悪化する中で、女性が生まれなかったことで魔物退治にも支障が出始めて、金に困った本家に親身なふりをして金を貸した。
本家は思惑通り、治安維持と民の生活の為に財産を崩し、やがて没落していった。
そして、春屋は遂に行動に移した。分家を抱き込み本家を挿げ替える。その目論見がうまくいけば、分家に落ちぶれた雨屋家は借金塗れで雁字搦めとなり、たとえ今後女児が生まれても本家には返り咲けない。
借金を盾に春屋の男と結婚をさせれば、後々も安泰となる。
雨屋はまだまだ知らないだろうが、実は奴らが借金をした証文は全て買い取り自分が持っている。金を返せと文句をつける奴らから返していけば、とりあえずはなんとかなると考えていたら大違いだ。
それを知った奴らの絶望の顔を想像してニヤニヤと口元を愉悦で歪める。
これからはこの地区は金と暴力の支配する地区にするのだ。そうして力を持ち、春屋の名前は日本に轟くであろう。
「それにしても……しょぼいものだな。本当に本家の集まりなのかこれは?」
目の前に置かれた膳。そこにあるのはお猪口一杯の酒であった。それを見て軽蔑と呆れを込めて、わざと大きな声で言う。
「え、えっと……御神酒だそうでして……儀式にはこのお酒だけとなるんだそうです」
春屋の前に置いた女中らしき少女がオドオドと返事をしてくる。
まだ幼そうで、その身体は痩せっぽっちで貧相だ。狼に狙われたうさぎのように震えており、魔人に憧れているのか、髪を青色に染めている。
一応前回会った時に調べたのだが、何も出ては来なかった。お人好しの石英が保護したのだろう。それか困窮した子供を安くこき使うためか。
ピンク髪の少女も合わせて謎の存在であった。何も出てこないとは珍しい。殺す予定だった石英と共に装甲バスに乗っていたらしい。
まぁ、どうでも良い。もはや雨屋家に逆転の目はない。装甲バスを転倒させて、殺す予定だった石英もたいした力は持っていない。念の為に殺そうと思っていただけだ。
御神酒と称するたった一杯の酒に、困窮しても頭は回るらしいとセセラ笑い……ふと、疑問に思う。こんな気の利いたことに頭が回る奴らだったろうか? いや、危機に瀕して練ったくだらないアイデアなのだろう。
一瞬でも不安になった自分に怒りを覚えてコップを掴む。
「おい」
「は、はい」
「酒が温い」
バシャリ
振り向いた青髪の少女へと酒をかけてやった。髪が濡れてポタポタと雫が毛から落ちていく様子を見て、片目を細めて怒るふりをする。
「御神酒といえど、客に飲ませるものだろうがっ! 冷えた酒を持ってこい。まったく気の利かない奴だ。それでも本家の女中か?」
「ご、ごめんなさい。えっと冷えたお酒はないんです。ごめんなさい、ごめんなさい」
酒をぶっかけられたにもかかわらず、ペコペコと頭を下げる気の弱い少女に嗜虐心が煽られて、ニヤリと嗤う。
「もう少し考えろ、クズがっ!」
「あうっ」
口元は嗤い、怒っている口調で今度はコップを投げつけてやる。ゴツンと少女の額にコップがぶつかり、畳に落ちる。少女は頭を押さえて蹲り、ぶるぶると震える。
「春屋っ! 貴様、なんてことをっ!」
「あぁん? なんかありましたかな? うちのもんにわびをいれさせればよいですかね?」
雨屋寄りの分家の一人が立ち上がり、責めてくるが、眦を吊り上げて凄む。抗議をしてくる男は悔しそうに唇を噛むが、それだけで座り直す。
クククと春屋は嗤う。この雨屋区は最高だと改めて思う。春屋は私兵を持っている。その数は多いが、その質は悪い。
これだけ煽れば他の区の者なら決闘か戦争騒ぎになるだろうに、雨屋の一族はその舞踏の特徴で戦闘力は弱い。数を揃えて、金で殴れば誰も逆らえない。
自分も弱いが、雨屋区だからこそトップに立てるのだ。そのことを再度自覚して、転がってきたグラスを拾い上げて、再び蹲る少女へと投げつけてやった。
「ふははは、まったくつまらない催しだ。私も忙しいんだ。さっさと本来の儀式とやらを終わらせてくれないと困るもんなんだがなぁ」
春屋の横暴に、さすがに取り巻きも気まずそうになり、空気が凍りつく。それでも気にすることなく馬鹿笑いを続ける春屋だが───。
「ならば、貴様の言うとおり、さっさと終わらせよう」
本家の当主。白雲が紋付袴の正装でその妻と息子の石英と共に儀式場に入ってきた。
───そして、巫女服姿で羽衣を纏う少女も後からしずしずとついてきていた。
その服装は年寄りたちには見慣れたもので、中年男にも記憶にあり、騒然となる。
「だ、誰だ、あれは?」
「まさか……」
「しかし、いや、あの髪の色は」
春屋もその服装には記憶があった。いや、ここにいる誰よりも強烈に記憶していたと言える。
だからこそ、このタイミングでと顔を青ざめさせて、思わず立ち上がってしまう。その横を青髪の少女が通り過ぎていき、巫女服の少女の後ろに怯えた顔で隠れる。
儀式場の上座に立つ5人。
「さて、皆には報告がある。この場で石英の潜在能力を呼び起こす儀式を行うつもりだが、その前に雲母姉さんの娘たちが見つかった。もちろん我が家の養女とするつもりだ」
予想していた答えに、それでも衝撃の宣言に皆が驚きざわめく。
このタイミングでと、春屋も歯噛みして白雲を睨みつける。これだったのだ。潜在能力の発言など嘘っぱち。本当は直系の天女が見つかったから、本家の復活を宣言するために分家を集めたのだろう。
天女が見つかれば、かつての栄光を取り戻すことも時間の問題だ。借金など時間の問題で返すことができるだろう。
「雨屋瑪瑙です。皆様方、これからは雨屋区のため、家門のために精進したいと思いますので、よろしくお願いいたします」
皆の注目を受けて、瑪瑙という少女は怯むことなく堂々たる態度で真っ向から挨拶をする。その態度は雨屋の本家に相応しく、後ろの山賊モドキの男たちとは格が違った。
「妹の那月ヨミです。よるしく。あ、よるしくじゃないや、よろしくします」
対してもう一人の少女は先程の女中であった。気の弱そうな少女で、挨拶も噛んでおり、こちらはたいした力を持ってはないのだろう。どうでも良い。
「おぉ、本家の天女が見つかるとは!」
先程抗議をしてきた男が立ち上がり、真っ先に拍手をすると、他の者たちも立ち上がると拍手をする。
「やりましたな、これで雨屋も復活の時!」
「待ち望んでいた天女です。おめでとうございます」
「これはお祝いをしないといけませんな」
祝いの言葉を口々に言って、皆が歓喜の表情となる。その中には取り巻きたちもいて、どれほど天女が待ち望まれていたかがわかる。
春屋の根回し。金と暴力で支配を広げていた今までの苦労が一瞬で無になるほどに。
「まてっ! だが、その『舞踊魔法』はまだ覚え始めばかりであろう。その前に借金は返済できまいっ! 私の持っている債権。すべて返せるか? しめて、3万2千両!」
このまま今までの苦労を無にしてたまるか。どれほどの苦労をしてきたと思っている。
春屋は激昂して、皆に見せながら本家の価値無しと告げる予定だった雨屋の証文を取り出す。
慌てふためくだろう。だが、迎え入れたばかりではろくに『舞踊魔法』も使えまい。あと3週間で返済は不可能だ。
目を血走らせて、春屋は怒鳴る。周りの分家達が非難の目を見せてきても、宝物のように証文を振り、天女が復活したのならと金を貸す者が現れる可能性を意図的に無視して。
だが、春屋の知ってる白雲なら慌てふためく筈なのに、寛容に白雲は笑う。
「そのとおりだ。しかし、一つだけ『舞踊魔法』を覚えてもらったのだ。この水晶『天界の珠』の真の力を引き出す『天の迎え』をな」
「な、なんだ、それは?」
その意味ありげな言葉に戸惑い、背中が総毛だつ。その水晶の名前など初めて聞いたし、単なる古い遺物と聞いていたのだ。
「さて、この水晶は『天の迎え』を踊ることにより発動する。譲ってくれて春屋よ感謝するぞ」
白雲が不敵に笑うと、皆の中央に瑪瑙は立つ。そして、羽衣をひらりとはためかせて、僅かに腰を屈めると、柔らかな笑みを見せる。
「では、『天の迎え』を踊ります」
そう言うと、天女は踊りだす。
昔の記憶どおりに美しく。
されど春屋の破滅を教えるかのように。




