17話 雨屋の屋敷につき
この国の名前は日本大連合という。
日本大連合は貴族制だ。各地に領地を持つ貴族たちが毎年どこかの都市に集まり会議をして、共同で国の政治を行う共和国みたいなもんである。合議制とかいうやつだっけ?
王は存在せずに貴族の中でも領地持ちが力を持っている。その中でも東京23区を支配している23人の貴族たちは他の貴族よりも頭一つ抜けた強大な家門だ。
雨屋家もその一つである。地方の領地名を知らなくても、23区の領主の名前を知らない者はいないくらいに有名だ。
「ここが雨屋家ですか?」
車から降りて、私はほぇーと口を開けて驚いていた。
「へへへ、びっくりしたか? こここそが栄えある23家門の一つ。雨屋の本家だ」
鼻を擦って、石英が得意げにする。
たしかに驚いたよ。この滅亡した世界の世界観で、土地なんか高いのにサッカー場が三面はとれそうな庭に、宮造りの広大な屋敷。平屋ではなく、3階建てなのがまだ救われるかな。何に救われるかは不明だけど。
うん、驚いたよ。うんうん。
私は瑪瑙ちゃんと目を合わせて頷く。心はどうやら同じらしい。
「汚いところに驚いたよ。もっと掃除をしたらどうかな?」
「庭が雑木林になっていて、魔物が潜んでそう」
「扉も錆びだらけだし、傾いてるよ。それにここから見える屋敷の窓が汚れで曇ってる」
「………ま、まぁ、少し汚れてるかもな、うん。ほんの少し」
引きつった顔で気まずそうにどもる石英。少しじゃねーよとツッコミを入れてほしいのかな?
23家門の一つのはずなのに、屋敷は荒れ果てていた。広大な庭には放置されて半年は立っているのか、元は綺麗な砂利道や石畳だったのだろうけど、雑草が繁茂して、若い木々が成長して雑木林になっている。
池があるが、藻が繁茂して緑色だし、池の上には羽虫がぶんぶんと飛んでいる。
屋敷も同じように荒れ果てて、窓は汚れがついて真っ白だし、壁には蔦が張っており、鳥のフンがついていて汚らしい。屋根も元は立派な瓦葺きだったはずなのに、ところどころ壊れており、たぶん屋敷内は雨漏りしているだろう。
ようはまったく手入れをされていない。お化けとか怨霊が住んでいそうな不気味な屋敷だった。カァとどこからか聞こえてくるカラスの鳴き声が侘しさを増す。
金属製の門扉を見ると、たしかに『雨屋本家』と書かれた立派な表札が掲げられているので、偽の屋敷に連れてこられたわけではなそうだ。
どうなってんのこれ?
「どうなってんの。このボロ屋。金持ちじゃないの?」
あ、つい本音が。
「あ、ごめんなさい。こんな幽霊屋敷のようなボロ屋だとは思わなかったんです」
素直にペコリと頭を下げる。謝ることができるヨミちゃんなのだ。
「い、いや。本当のことだから別に気にしてないっすよ。本当に気にしてないから」
顔を見ると俯けて、がっくりと肩を落とす石英。悪かったよ。本当のことを言って。もう少しオブラートに包むべきだった。
「おぼっちゃま。この魔導兵器はどこに置いておけば良いでしょうか?」
「あぁ、庭においておいてくれ。それで良いよな?」
「はい、ありがとうございます」
送迎車という名称が付けられていた軽トラに乗った老執事が尋ねてくる。荷台にはラクタカーラが乗せてあるのだ。
雨屋家の一族である石英を迎えに来た送迎車に私たちも一緒に乗せてもらったのである。もう既に軽トラの時点で嫌な予感はしてたよ……。
いや、まぁ、この世界では車は魔法で封印していないと、精霊が悪戯してエンジンが爆発したりするから、大商人とか金持ちしか持てないけど? それでも軽トラはないよね。
「それでなんの用で来たんだ? ヨミっちたちに見覚えはないんだが」
老執事と一緒にラクタカーラを降ろしてくれながら、石英が尋ねてくる。
悪役令嬢をしにきたの。
とは言えない。
本来のメインストーリーでは、那月ヨミは雨屋家に瑪瑙ちゃんの持っていた指輪を持ってきて、偽物の令嬢として潜り込む。
そして、ブラッディパペッティアの力を使い、家門を裏で支配して、人々を影で殺して回る殺戮の悪役令嬢をするわけだ。悪役令嬢っていうか、単なる殺人鬼にしか聞こえないけど、悪役令嬢らしい。
私はストーリーを変えて、正しい直系である瑪瑙ちゃんを連れてきたわけなんだけど………わけなんだけど……。
な、なんでこんな貧乏なんだ!? 庭師どころか、召使いの姿も見えないよ! 貧乏悪役令嬢なんてありえないからね?
「えっと………お母さんの形見を持ってきました。この指輪を雨屋家の人たちの前で光らせて見なさいって」
迷う私を他所に、瑪瑙ちゃんは指輪を見せてマナを込めて光らせる。パアッと柔らかい青い光が空に流水のように流れていく。その光に照らされて、石英たちは驚きで目を見張る。
「な、そんな!? その指輪は失った天舞の指輪! それを光らせるとは……。お母さんと言ったな? ま、まさか、駆け落ちした雲母おばさんの娘か?」
「はい。でも……助けてくれませんよね……?」
この状況では、明らかに助けを求める方だと気まずそうに瑪瑙ちゃんが尋ねると、石英はダダダと駆け寄って、瑪瑙ちゃんの手をぎゅっと握りしめてきた。
「とんでもないっす! やったぞ、洗馬! 雨屋家の待望の娘だ!」
歓喜の表情で石英が執事さんへと話しかける。
「おめでとうございます、おぼっちゃま。この洗馬、この日が来ることをどんなに待ち望んだことか。うぅ………」
ハンカチを取り出して目頭を押さえる執事さん。洗馬っていうのね。
「あ、あの……歓迎されてるのかな?」
「あぁ! 今代は雨屋家には直系の女性が生まれなかったんだ! 助かったっす!」
興奮すると軽くなるのか、口調を変えて瑪瑙ちゃんの手をぶんぶんと振る。そして、ハッと気づいて、私へと石英と洗馬は顔を向けてくる。
「ま、まさかのヨミっちも?」
あぁ、そう思ったのか。残念ながら違うよ。
メインストーリーを変えたし、瑪瑙ちゃんをここの養女にして、私はその侍女とかになるんだ。目立たない悪役としては良い立ち位置だと思う。
だから、違いますよと答えようとして───。
「そうなんです! 私たち双子なんです。二卵性双生児だから似てないんですけど。ヨミちゃん、指輪を光らせてあげて!」
とんでもないことを瑪瑙ちゃんは口にした。
ええっ、駄目だよ、私は小悪党ポジションに……。
断ろうとして、瑪瑙ちゃんの強い目力にウッと怯む。光らせることができると信じ切っている顔だ。
「さぁ、早く! 私たちが姉妹だって見せてあげようよ」
「むにゅう」
指輪を私の頬に押し付ける瑪瑙ちゃん。わかる、これは絶対に引き下がらない。長年の付き合いだからこそわかるよ。
「落ち着いてマナを送り込むの。できなかったら二人でお家に帰ろう」
光らせないと帰るよとも脅迫してくる瑪瑙ちゃん。これを光らせることができる意味がわかってるのかな?
「選ばれた人間だもんね、ヨミちゃんは」
「はぁい」
仕方ない。そこまで言われたらやるしかない。
ここで帰るのはノーサンキューだしね。
ちっこいおててに乗せられた指輪を見て、そのマナパターンを読み取る。私の前にマナ認証はただの簡単なパズルゲームでしかない。
マナを指輪に送り込み、カチカチとパターンを変えていく。すぐに鍵穴に合う鍵が完成して、指輪は光り始めた。
空中を流れる水のような美しいマナを見て、感極まったように泣き始める執事。信じられないと、石英はその様子を見て呆然としていたが、すぐに気を取り直す。
「やった! やったぞ! しかもバスでの戦闘を見るにBランク以上だ。これで雨屋家は救われる! さぁ、すぐに屋敷に来てくれ。両親に紹介するぞ」
たらったーと呟き、スキップのつもりか、ドスドスと地面を踏む猪みたいな足踏みで、石英は先導する。
「早く来てくれ!」
その喜びの笑みは、拉致に成功した山賊にしか見えないが……ついていくしかなさそうだ。
横目でジロリと瑪瑙ちゃんを睨むと、チロリと小さく舌を出して、パチリとウィンクをする策士瑪瑙ちゃんなのであった。
やれやれと肩をすくめて良いかな。やれやれ。
「どこか痒いの?」
私の背中をかいてくれる瑪瑙ちゃん。残念ながら渋いくーるなヨミちゃんは無理な模様。
庭というジャングルを踏み越えながら、この状況を考える。どう考えてもこの状況はおかしい。メインストーリーが変わってるのかな?
……違うな。設定資料では、雨屋家の状況については言及されてはいなかった。ということは、困窮している状況だった?
そうかもしれない。いや、きっとそうだ。反対に困窮していなければ、スラム街の少女を簡単に養女にはしないだろう。
困窮しているからこそ、簡単に養女になれたんだ。
そして金を稼ぐことは、本来のヨミにとっては赤ん坊の手をひねるよりも簡単なことだったろう。金持ちの神人を操れば良いんだからね。いくらでも金は手に入り、こんな貧乏状態なんか改善できたに違いない。
マジか。ブラッディパペッティア用のストーリーはどこまでも私を苦しめるのね。
……そして楽しそうだ。困窮した名門を復興させるなんて、こんなに面白いことはない。
指を動かすだけで大金が手に入るのは、現実ならウェルカムだけど、ゲームではノーサンキュー。
「なんか楽しそうな顔になってる」
「そう? これからが楽しそうだと思ってるの」
瑪瑙ちゃんが顔を窺ってくるので、ムフフと悪戯そうな笑みを見せちゃう。
道を邪魔する小枝を払い、羽虫が飛び交う雑草を踏みしめる。困窮具合が半端ない。
雨屋家の特徴ってなんだっけかな。設定資料に書いてなかったよなぁ。だって、本来はこの家門はあっという間にヨミの支配に落ちるからね。
家門の特徴なんか関係ないパワープレーを行えるのだから、当たり前である。省略されてしまったのだろう。
未知の情報を前に胸が踊りワクワクしちゃう。スキップをしてコテンと転ぶくらいに楽しい。転んでちょっと痛いけど。
さて、まずはこの家門が落ちぶれた理由を探ろうかな。
ようやく広すぎるジャングルを超えて、屋敷の扉に辿り着くと───。
「セイ! 帰ったか! お前の帰りを待っていたぞ!」
「見て頂戴、この水晶は人の潜在能力を引き出すんだって! たった500両で買えたの。早速セイちゃんに使ってみましょう」
中年の男女が勢いよく飛び出してきて、手に持つ水晶を石英に渡そうとする。
……なるほど、困窮している理由の一つがわかっちゃったよ。
それにセイだって? その名前は聞いたことがあるぞ。ブラッディパペッティアの名前と共に。
はぁ〜とため息を吐き、私は肩をすくめる。
「やれやれ」
「ここらへんが痒いの?」
渾身のやれやれも駄目みたい。やれやれ。
あ、瑪瑙ちゃん、左のそこらへんをかいてくれるかな。




