120話 襲撃
天照区の学園地下に眠る『次元動力炉』。だが、その場所に向かう通路は一つではない。学園長の部屋にある隠し通路がその一つだが、その通路は狭く人一人が歩ける程度で逃げ場がないため、襲撃には向いていないし、防衛する方も守るのに容易い。
なので、ここから潜入するのはよろしくない。
しかながら、元は旧日本の誇るトラムを管理する『次元動力炉』のある場所だ。もちろん、工事や搬入路などが存在し、しかも全国へと繋がる緊急時メンテナンス用の通路だ。そんな便利なものを封鎖するわけがなく、通路は現在も天照家で使われている。
そこは天照家の離宮とも呼ばれている風光明媚な庭園を擁した土地にあった。表向きは通常の搬入路にしか見えない。
その分、警備は厳重であり、侵入者を許さない。警備の者たちは精鋭であり、そんじょそこらの貴族の私兵などはあっさりと撃退できる。しかも『次元動力炉』へと至ることができる扉は各家門の持つ鍵が必要。まさに完璧なる絶対の防衛であった。
誰もがそれを信じており、もちろん天照鏡花の身体を乗っ取った男も知っていた。
◇
「あんたの持つ知識ってのは凄いもんだね。魔道具の魔石消費量が3割も減るなんて、別世界の技術ってのは馬鹿にできないもんだ」
「あちらでは常識の技術なのですが、お役に立てて幸いです。まるで砂糖や香辛料のようで笑いが止まりませんけど」
天照家の持つ最新の研究所の一室で、白金の髪を持ち、まるで美術品のように整った顔立ちの天照鏡花は、作りかけの機械を横において、振り向くとにこやかに笑う。
その笑みは美しくひと目で恋に落ちそうな程に凛々しく、それでいて女性らしい魅力も兼ね備えていた。しかし、その笑みはよくよく見れば、乙女にあるまじき歪んだ醜悪さを見せている。
乙女にあるまじき笑みに気づいている天照家の当主の天照ネネは一瞬小馬鹿にする目つきとなるが、すぐにいつもの飄々とした笑みと変える。
「一攫千金を目指す船の何隻かは遭難して海の藻屑となるからね。気をつけた方がいいんじゃないかい?」
「ご安心を。その場合、たとえ遭難しても私は家に帰ることができますので」
「だといいんだけどね。嵐というものは突然巻き起こるもんだからさ」
「そのためにも備えのために、目立つようにしているのです。これだけの技術を見ればここに私が隠れているとわかるはず。きっとこの研究所に侵入もしくは襲撃を仕掛けてくるはずです」
そのために、わざとマナ感知の装置を学園に送ったのだ。あの技術水準を見れば、確実に鏡花がこの区に、天照家の庇護下にいると勘づく。
「侵入でも、襲撃でも、迎撃できる人員は揃えてもらいましたからね。こちらの準備は万端です」
「あんたの言うとおり、那月ヨミがあんたレベル以上の技術を持っているなら、たしかに捕える価値はあるけどね」
自身の孫が怪しげなモノに憑依されているにもかかわらず、老婆は気にしない。相手が世界を変えるほどの技術を持っているのならば、孫を駒にしても家門の利益を求める冷酷なるスタンスであった。
鏡花の語った那月ヨミの持つ転生者としての知識。それは鏡花を遥かに上回る。数多の世界の同一存在を覗き見ることができるが、エンジニアである自分はどこにもいなかった。精々パソコンを組み立てることができる程度の素人レベル。
専門家であるエンジニアである那月ヨミにはとてもではないが敵わない。その那月ヨミを襲撃時に返り討ちにし、捕縛して密かに知識を奪うことにしたのだ。
「ん? なにか通信が来たね。少し席を外すよ」
「えぇ、どうぞ。こちらは次の魔道具を設計しておきますのでお任せください」
ネネが部屋から出ていくのを冷たい笑みで見送って、鏡花は作りかけの魔道具を強く握りしめる。
鏡花の身体を操る男はネネの利益を求める態度をまったく気にしない。目的ははっきりしている。後少しのところまで来ているのだ。
本当はもっと早く目的は達成していたはずであった。邪魔をしている者がいなければ。
────この天才化学者である伊崎柱の邪魔をしている者がいなければ。
「おのれ、那月ヨミ………。存在が消えたと思っていたら、隠れていたとは………。しかも私の邪魔をしてくれるとは………」
歯が砕けん程に悔しげに憎しみを込めて歯を噛みしめる。
他の次元の存在を知ったのは偶然だった。夢の研究という毒にも薬にもならない研究でVRポッドを使って被験者を調べていた時だ。
どうにも夢には思えぬレベルの現実感のある、いや、ありすぎる夢を見る者がいた。しかも通常は夢を見てもすぐに忘れるはずなのに記憶しており………時折身体能力に異常な数値を出すことがあった。
最初は機械の故障だと思った。次にその人間特有の帯電体質などのありきたりなものだと思った。
気まぐれにその者の脳波に合わせて、同じ夢が見られるかと試したことが、人生の変わる切欠であった。同じ夢など見られないはずなのに見ることができた。
そして、それ以上の事も。その日を機会に他の世界の自分の人生が垣間見えた。はっきりとではないために幻覚かとも思って悩んでいたら、ある日魔法使いである自分の人生を見ることができたのだ。
その世界の自分はマナが失われてゆくことに気づき、その原因を調べていた。この世界の『次元動力炉』が原因であることも掴んでいたのだ。強大な力を持っており、この世界へと接続することに成功もしていた。
そのような存在のことを『支配者』という事も後になって知った。
その世界の自分は支配者という存在であったが、哀れなるかな。所詮は人間であった。小さな『魔溜まり』を作っていたが、この世界の人間たちに敗れてマナは枯渇して、世界ごと凍結させられた。
そして、伊崎が覗き見ていることに気づき、最後の力を使い自分に僅かだが力を送り込んだのだ。多元世界を元に戻してくれとの願いと共に。
伊崎は歓喜した。ほんの少しの魔法の力であった。意思の弱い人を操ることができ、他の世界を垣間見ることができる程度。事象を僅かに歪めること。
そして支配者という世界のマナを操作できる力。
この世界のマナもほとんど無く使える力は雀の涙のようなものだった。だが、それだけで充分であった。自分には化学と科学の力があった。魔法という力はたったそれだけの弱い魔法でも、自分を億万長者へと変えた。意思の弱い人間などいくらでも金持ちの中にはいたからだ。
もっとマナが手に入れば、もっと力を得ればどのようなことができるかは、以降の他の世界の魔法使いを見て理解していた。
力をくれた魔法使いの自分には感謝をするが、元の独立した世界に分離するなど、そんな願いを叶える気など毛頭ない。狙いは自身に全てのマナを送り込むこと。そのときに自分がなにができるか、想像もつかない程に素晴らしいだろう。
ひとえに、化学者の中では天才だとは自負はしていても、功績もなく他者に尊敬されることもない男が得たチャンスであった。
しかし、『次元動力炉』のあるこの世界に干渉することは不可能であった。この世界における同一存在である自分は既に死んでいたからだ。
ならば他の人間を操作すれば良いのだが……失敗した時のことを考えるとどうなるかわからない。下手したら、魂だけが死んでポッドに残るのは動かない肉体だけとなる可能性がある。
そこでとった方法が他の者をこの世界に送り込むこと。その際に自身のマナを混ぜておく。伊崎が転生に成功した者たちを後から操れるようにしておく。その前に連絡をとり、目的として『次元動力炉』に接触することを命令して。
この世界に来さえすれば、支配者として受け継いだ自分の力を使える。強き力であり、後はその力を使って『次元動力炉』を操作すれば良いはずだった。
アバターを操ることに関しては有能であるが、ただの力のないゲーマーたちを送り込むことにした。彼らの何人かがこの世界に辿りつけば成功になるはずだった。
しかし───。その思惑は妨げられた。なぜかはわからないが、誰にも連絡がとれなくなったのだ。鏡花を含む何人かとは一方的に指示を送ることはできたが相互通信は不可能であった。なにが起こっているのかさっぱりわからなかった。
鏡花がようやく『次元動力炉』に接続することができたことにより、ようやくその理由がわかった。
那月ヨミの仕業だった。元の世界からのマナの流れからそのことを理解した。
「悪辣な男だとは思っていたが……姪の命を救った私に逆らうとは……恩知らずという言葉があれだけ似合う者も見たことがありません。しかも私以外の魔法使いだとは……」
那月ヨミはどうやってか、他のプレイヤーと意識を繋げて保護していた。強弱はあれど誰とも伊崎が連絡をとれないように。
普通は命の恩は命で返すものであろう。仁義というものがないのだろうか。なぜ反抗するのか。たしかに目的を達したら魂ごと廃棄する予定ではあったが許容するべきではなかろうか。
上手くいかないことに業を煮やして、一ヶ月後にもう一人参加させて、ようやく連絡がついたと思ったらすぐに連絡が途絶えた。
「悪辣な行動はゲームの中だけだと思いきや、現実でも悪辣な男とはね。だが……後には引けません」
那月ヨミの仕業だとわかったが、既に元の世界に戻ることはできない。この世界のマナを手に入れて強大な力を手に入れるしか、次元を渡る方法は最早ない。
那月ヨミを殺して、『次元動力炉』を手に入れる。そのための一手を伊崎は指した。
いかに悪辣な男だろうと、胴元であるゲームマスターとも言える私には敵わない───。
「おい、孫モドキ」
「ん? 戻ってきたのか。どうしましたか?」
部屋に戻ってきたネネがしかめっ面で足早に近づいてくる。
「どうやら、先手を打たれたようだよ。奴ら、本家の離宮を攻撃しに来た。見たこともない兵器で攻撃しに来たらしい。『次元動力炉』の扉に向かっているそうだよ。曰く、天照鏡花の居場所がわかったからだとさ」
「は、な、なんだって! そんな強引な方法があるかっ! ま、まさか奴ら、扉を開ける方法が……。な、那月ヨミィィィ!」
真っ青になり、震える声で呟く。
那月ヨミのゲームのやり方は嫌というほど見てきている。
なにせ、彼のゲーム実況はお気に入りに入れていたので。小気味よい戦法を暇な時はいつも見ていたものなのだ。
あの男が表に姿を見せる時は決まっている。全ての準備が終わって───。
「畜生めっ! 私を狙わずに直接『次元動力炉』を手に入れるつもりか。そ、そんなことはさせるかっ!」
伊崎は椅子を蹴って立ち上がると、慌てて部屋から飛び出すのであった。




