第十七話 危機
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しばらく座っているとエレベーターを降りた男が真正面からやってくる。ファーストは立ち上がると、軽く会釈をして灰色の背広を着た男性を見る。
「あなたが刑事さん? イノセント・チャイルドでもあるとか」
「はいっす。イノセント・チャイルドについてもっと知りたいっすよ。施設を見させてもらっても?」
「えぇ、構いませんよ。私はシダールです。ご案内しますよ」
と言われファーストはシダールの後を追い、エレベーターに乗り込んだ。階数は十階まである。大きな研究所なことが分かる。それだけイノセント・チャイルドの研究にお金をかけているのだろう。
エレベーターは七階で停止して、扉が開くと水色のパジャマを着た者達や、頭をネット式のガーゼで包まれた者たち、車椅子の男の子は看護婦と思われる女性と話しをしている。
研究所と言うよりも病院の雰囲気がする。これがファーストの第一印象だった。そして歩き出すシダールの後を追い、隣の部屋に入ると透明な円柱の容器の潜深仮想機器が数台置かれてある。
「ファーストさんが、イノセント・チャイルドかどうか調べても良いですか?」
と機材を指差すので、ファーストは頷くと横になりダイブインをした。視界が暗転すると病院の中に立っていて、先程の無機質な部屋とは違って、茶色い絨毯に観葉植物が柱の前に置かれ、陽の光が差し込むと眼前には森が見えた。
後から遅れてくるシダールが合流すると、これは何に見えますかと質問をしてきた。一瞬だけ石像が見えたが観葉植物と答えると、驚いた表情を見せる。
「私は幻覚でここに石像を置きました。それが見えず観葉植物が見えたということは、イノセント・チャイルドということが分かりました」
流石、研究所なだけあって、あっさりと証明してみせたのだけど、ファーストは何か違和感を覚えていた。
「研究はどこまで行っているすか? 幻覚を見えるようになるとか……、ってか幻覚を使えないっすかね」
「我々の研究では、まだ幻覚を扱えるようにはなっていません。だから沢山の研究が必要なのですよ。だがイノセント・チャイルドにはなかなか出会えない。だから一般の人の脳で研究をしています。イノセント・チャイルドの脳を見るのは、ククッ、初めてですよ……」
一瞬にして寒気がして、無意識に左腕の生命証明機器を触ると腕から無くなっていた。急いで右上のダイブアウトを押しても反応しない。警察が使っている留置所と同じタイプのようだ。外部からじゃないと抜け出せない仕組みに、戸惑ってしまう。
「あぁ、そうそう左腕の機材は外させてもらいました――見たでしょう? 車椅子に乗っている子供たちや、頭に包帯を巻く大人たちを、あなたもそうなります。必要なのですよ、健康な人体の実験がね」
ファーストはやばいことになったと思った。幻覚を使うどころか歩けなくなるかもしれないことに、恐怖すら感じてきた。幻覚を見たことはないけれど、これが幻覚だったらいいのにと、おかしな願いを口にする。
ファーストは、はっと思いつきゲートコネクションを何処でもいいので開いた……。けれど、どの場所に接続しても移動してくれない。
「警察官なら分かりますよね。留置場と同じでここからは出られませんよ。もちろん通話も駄目です――あっ、そろそろですね」
ファーストは脂汗が出てきた。誰か助けに来てと願っても通話も遮断される。大声で助けてと叫んでも、仲間には届かない。
「綺麗な金髪ですけど、邪魔なので剃りますよ」
「こんなことしたら、逮捕っすよ。これから仲間が来るっす」
「ここに? どうやって来るのですかね……」
ここに行ったことはフェニクス警部補が知っている。側にいたマシュー警部補も、アビスも訊いている。だから様子見とかで来るかもしれないとか……、いやあり得ないかと否定した。
今頃は、髪が剃られているのだろうなと思うと、涙が出てきた。そして頭蓋骨に穴をあけて脳を見られてしまう。いや見るだけじゃなくって、切られたりとか……、機材を埋め込まれたりとか……、第二の脳と言われる心臓も、胸を開けられて何かされているかもしれない。
「現代医学をもってしても、脳の三十パーセントしかまだ理解してないのです。それには研究が必要なのですよ。あなたの脳も将来の子供たちの役に立つのですから、喜んだらどうです?」
「ふざけるなっす。絶対ぶっ飛ばすっすよ。そして逮捕するっす」
助かったらなんでもするからって神様にお願いしても、訊いてくれないのは分かっている。もうお終いなんだという言葉が脳裏から離れない。でもファーストはまだ諦めきれないでいた。
孤児院の子供たちに自慢した。警察手帳を見せて逮捕するぞと抱きしめた。子供たちの憧れになって、孤児でも夢は掴めるって教えたかった。
「ファーストさん。アルコールは平気ですか? これから頭を消毒するので……」
「かぶれるっす。超赤くなって腫れるすよ」
…………
「まっ、どちらでもいいのですけどね。しばらく研究対象になってもらうので……」
あたいの自慢の金髪が剃られてしまった。それだけで悲しくなって……、悔しくなって……、涙がぽろぽろと零れて、屈み込んでしまう。
「頭蓋骨に穴を開けるっすか?」
「いいえ、水平に切りますよ、電ノコで……。脳を見たいですからね。電気信号を流したり、切ったりします」
とその時だった。目の前が暗転し眩しい光に照らされて、肉体が動かない。だけど現実に戻れた気がする。
「ファースト、大丈夫か? ちょっと遅れたがギリギリセーフみたいだな」
「頭、切られたっすか?」
「いいや、頭は無事だ。だけど髪が剃られている。今、固定器具を外せる専門家を呼んでいる。そしたらここから出られるから、もう少しの我慢だ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、怖かったっす。もうダメかと思ったっす」
「研究所は包囲したから、もう誰も外に出られない。全員しょっぴいて幻覚の恐ろしさを味わってもらう」
すると白衣を着た者たちが入ってきた。それを見て震え出すファースト。
「もう大丈夫だ。機材を外すだけだからな」
目尻からぼろぼろと涙を流し、機材が外れると起き上がり、フェニクス警部補に抱きついた。背中を撫でてくれる大きな手が暖かくて、背広がぐしゃぐしゃになるまで泣いた。
「一課のバージルだ。関係者は全員逮捕した。それと被害者は全員救助した。病院へ運ばれて処置を施される。この子はどうする?」
「髪を剃られただけだからな、だが精神的に病んでいる。俺が四課へ運んで警察医のアーデルに見せる。それなら安心だと思うんだ」
「分かった。それじゃ奴らは一課で取り調べする。それが終ったら四課に渡す。それでいいか?」
「ああ、それでいい。仇は取らせてもらう」
フェニクスとファーストは建物から外に出て、白いセダンに乗り込むと警察署へ向けて走り出した。どこで情報を嗅ぎつけたのか分からないが、報道のドローンが空を飛び交っている。
サイレンの音が鳴り響き、その音が遠くに届く頃には、ファーストの呼吸は落ち着いてきたようだ。フェニクスはその左腕に生命証明機器を付けて、静かに外の景色を眺めていた。
「何で駆けつけられたっすか?」
「忘れたのか? 生命証明機器が死を検知したり、外したりすればアラートが鳴る仕組みになっている。そして場所も発信されるから駆けつけられる」
「これに助けられたっす」
◇◆◇◆
「こ……、ここは?」
「正真正銘の留置所っすよ。よくもやってくれたっすね」
ファーストは刀を強く握りしめ、シダールの元へ近づいていく――シダールが呼吸をした瞬間、その左腕が斬られ大地に転がると、血飛沫が舞い傷口を押さえている右腕も吹き飛んだ。
そして胴体を分断すると、上半身を無くした足から尿が滴り落ちる。
「これで終わりじゃないっす。リセットっすよ」
するとシダールは五体満足の状態で立っていた。自身の肉体を見てほっとため息をついたのも束の間――
「これを飽きるまでやるっす」
お読みいただきありがとうございました。
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