そのモデルは美しくならない整形を決意する
「一乃さん! どこに行くの!」
マネージャーがわたしの手をつかむ。それを思い切り振り払った。
勢いそのままに、カメラマンやメイクさん、照明さんなど、モデルである一乃を撮るために集まった人たちを押しのける。
いきなりのことに、呆気にとられた人たちを差し置いて、わたしはスタジオを飛び出した。
心臓が色々な意味で跳ねに跳ねる。
こんなことをしたら、わたしに帰ってくる場所なんてなくなってしまうかもしれない。
この場所は、わたしにとって大切な場所だ。守らないといけない場所だ。
だけど、わたしは街中に飛び出し、全力で足を回転させる。全力疾走なんて、一体、いつ以来だろうか。
「あれ? 一乃ちゃんじゃない?」
「やば! 一乃ちゃんじゃん!」
「一乃ちゃん、マジかわいいんだけど!」
そんな声がそこかしこから聞こえるのを振り払い、ヒールを脱ぎ捨てて、素足で必死に駆ける。
「以上が、説明になります」
わたしはこれから行われる手術の最終的な説明を受けていた。手術といっても、病気というわけではない。目と鼻を美容整形する。
「……中野さん。中野一乃さん、聞いてますか?」
「あ、はい、大丈夫です。聞いてました」
「なら、いいのですが。準備がありますので、少々、お待ちいただいてもよろしいでしょうか」
わたしは立ち上がり、待合室の方に戻る。
一人掛けのふかふかの椅子に体を沈める。美容整形を行っているクリニックであるせいか、クリニック内はとても綺麗で清潔だった。どこかの高級ホテルに来たのかと見紛うほどだ。
それにしても、心臓が痛い。先生に心臓を診てもらいたいぐらいだ。
これでいいのだろうか?
頭の中に、何度も繰り返した疑問が浮かび上がる。
わたしは頭を振った。
これでいいんだ。
そう、自分に言い聞かせる。もう決めたことだ。今更揺らいでどうする。
深呼吸をしながら、天井を仰ぎ見る。
おしゃれなデザインのライトが、わたしじゃない別の場所、熱帯魚が優雅に泳ぐ水槽を照らしていた。
少し、恋しいと思ってしまった。
「ダメだなあ、わたし」
だからこそ、美容整形をしないといけない。顔を物理的に変える。わたしはこうでもしないと、一生、この問題に悩まされることになる。
自分の心が強ければ、こんなことをしなくてもいいのだろう。だけど残念ながら、わたしの心は弱い。
「中野さん。中野一乃さん、お待たせいたしました」
名前を呼ばれ、わたしは椅子から立ち上がる。
いよいよだ。いよいよ、断ち切る時が来た。
ふと、前を歩くスタッフの方がわたしの方に振り返った。
「こんなことを言ってはいけないのは、百も承知なのですが、本当に整形されるんですか?」
「ええ、はい」
「モデルもやられてるぐらい綺麗な一乃さんが、こんな整形をされるぐらいなので、何かご事情がおありなのでしょうが、なんというか、もったいないというか」
思わず苦笑が漏れた。まさか面と向かって言われるとは思わなかった。
「お話できないのですが、色々と事情がありまして」
「まあ、そうだとは思います。だって、とても印象的で魅力的な二重を一重にして欲しい。そして、鼻筋の通った、高い鼻を団子鼻っぽくして欲しいなんて、あまり、というか全く聞いたことのないオーダーでしたから」
わたしの行う整形手術は、美しくなるためのものではない。その逆だ。
自分で言うのも抵抗があるが、わたしは割と整った顔をしている方だ。モデルになったのも、街中でスカウトされたぐらいだ。
その顔を、わたしは整形し、今の顔の印象から大きく変えることが今回の整形の目的だった。
スタッフの方の疑問は、当然だろう。美容整形の本来の目的とは異なる使い方をしているのだから。
しかし、その理由は言えない。今回、担当する医師にも本当のことは言っていない。言えるわけがない。
わたしはそれ以上話す気がないことを、だんまりを決め込むことで態度に表す。
スタッフの方もそれ以上の詮索はしてこなかった。聞きたくて仕方なさそうにはしてたけど。
その時だった。
――ダ―ンッ!
受付の方から、巨大な風船が破裂したような、大きな音が聞こえてきた。クリニックにいた全員が一斉にそちらに目をやる。
受付には、カウンターに両手を着いて俯き、肩で大きく息をしている一人の女性の姿があった。髪は振り乱れており、全身から汗が吹き出している様子も伺える。息が整わないせいで声が出ないらしい。
わたしはその女性に訝しい瞳を向けた。そして、はっとした。
その女性は顔を上げ、受付に座るスタッフに声を張り上げた。
「一乃はどこですか!」
いきなりのことで硬直していたスタッフの表情が、一瞬にして驚きに、そして戸惑いに変わった。
「え? あ? どういうこと?」
受付が戸惑うのも無理はなかった。
「あ、あなたは一乃さん、ではありませんか? でも、あれ? 一乃さんってこれから手術のはずじゃ? え? 外出してたっけ?」
その女性の顔はわたしと瓜二つだった。
「一乃はどこですか!」
スタッフの戸惑いも無視して、その女性は声を再び張り上げた。スタッフの表情が恐怖に変わる。その女性の表情があまりに憤怒に満ちていたから。
わたしは全身から力を抜くように、大きな息を吐いた。
「すみません。少し手術を待ってもらえますか」
「い、一乃さん、危ないですよ!」
わたしを先導していたスタッフの静止を聞かず、わたしはその女性の元へと歩み寄った。
「わたしはここよ」
女性はわたしを見るなり、膝から崩れ落ちた。両手を顔に押し当てた。その隙間から、絶えず、涙が零れ落ちた。
「良かった……間に合った」
わたしは女性の背中を撫でた。
「今日は撮影だったはずでしょ? それなのにどうしてここにいるのよ」
そして、わたしは女性の本当の名前を呼んだ。
「二葉」
二葉はわたしの双子の妹だった。一卵性双生児であるわたしたちは、親でも間違える程、見た目はコピーそのものだった。わたしたちが知っている限りでも、ほくろの位置が数か所違うぐらいしか、見た目で見分けるポイントはない。それもお尻と胸のトップに近い辺りなので、服を着てしまえば、見た目での判別は不可能と言える。
一方で、性格は全く似なかった。わたしはかなり活発で、子供の頃は毎日服を泥だらけにしていた。
二葉は逆に、内向的だった。友達と話しているよりも、本を好むようなタイプだった。
見た目は同じ。性格は真逆のわたしたちだったが、姉妹の仲はとても良かった。両親にいたずらもして、よく怒られたものだ。まあ、言い出しっぺのほとんどはわたしだったけど。
二葉が両手を顔から放すや否や、わたしに抱き着いてきた。
「一乃、どうして整形なんてするの! なんで? なんでなの!」
二葉が怒るのも無理はない。わたしは整形することを二葉には言っていない。家族にも友達にも。これはわたしの問題だったから。
二葉にばれたのは、おそらく、ここにわたしが入ったのを誰かに見られたのだろう。誰か、は誰かわからない。一乃というモデルは一般人にも認知されている程、有名だから。
「わたしと同じ顔なのが嫌になった?」
当たらずとも遠からずだな、と思った。
「やめてよ、整形なんてやめてよ!」
わたしは二葉の背中を撫でてから立ち上がった。
「するよ、整形。これは決めたことだから」
「どうして! 理由を教えてよ!」
わたしは嘘を吐こうとした。でも、言い止まった。嘘を吐いても意味がなかった。恐らく、二葉はわたしの嘘を見抜く。ちょっとした挙動から、気が付く。
だから、わたしは本心を告げることにした。
「……辛かった」
「わたしと一緒にいるのが?」
「ううん、違う。二葉のことは大好き。もしも二葉が襲われたら、命を差し出すぐらいに好きだよ」
「それなら、わたしのお願いを聞いてよ! 整形なんて、やめてよ!」
「大好きだから、整形するんだよ」
「……どういうこと?」
二葉はわけがわからない、と顔で訴えてくる。
「元々、わたしがモデル活動してたよね。だけど、上手くいかなかった。ポージングとかが下手だったんだよね。ぎこちない、とか言われたり、カメラマンに首を傾げられることもが多かった。それで、自信を失くしたの」
わたしは一人で買い物をしている時にモデル事務所からスカウトをされた。モデルに憧れのあったわたしは、モデル活動を始めることにした。それは二葉にも相談したから、二葉も知っている。
でも、わたしの悩みは知らない。
「それでもモデルの仕事は続けてた。だけど、あの日、無理をしていたせいもあったのか、体調を崩した」
「あの日……わたしが一乃に初めて成り代わった日のこと?」
首肯する。二葉は渋ったが、わたしはお願いをし倒した。もしも一日でも休んでしまえば、モデル活動が終わってしまうような気がしていたから。
「これは二葉には言ってないんだけど、二葉に成り代わりをお願いした次の仕事に行ったときに、事務所の人とかカメラマンの人とかにすっごい褒められたの。一乃ちゃん、この間は最高だったよって。トップモデルにだ、って引けを取らないぐらいだ、って」
わたしはひどく傷ついた。二葉を下に見ていて、その二葉に負けた気がしたから傷ついたわけじゃない。単純に、敵わないと思ってしまった。何回も何回もカメラの前に立ったわたしじゃなくて、毎日毎日、雑誌を読んでポージングなどの研究を行っていたわたしじゃなくて、初めてカメラの前に立った二葉の方が優れていたから。
その日見せてもらった写真は、今でも脳裏に焼き付いている。
完璧だと思った。モデルの仕事である服の魅力をしっかりと引き出し、アピールできている。誰もが、この服を欲しいと思う。
それに加えて、二葉自身の存在感も輝きを放っていた。自然な笑顔の二葉は老若男女問わず、誰もが、恋に落ちてしまう。
実際、二葉が成り代わった日を境にして、仕事の量が目に見えて増えていった。
わたしは必死になって、二葉に近づこうとした。だけど、わたしは一乃であって二葉じゃない。たとえ双子であっても、一卵性の双子で見目形はコピー同然でも、同じ人間じゃない。だから、わたしはわたしの評価を上げられなかった。それどころか、わたしの評価は二葉の時の評価の高さのギャップから、失墜した。
わたしは二葉にモデルの仕事をお願いすることが増えていった。二葉は最初こそ渋っていたものの、次第に、二つ返事で受けてくれるようになった。
最近では、二葉のスケジュールを確認してから仕事を入れるのが当然になっていた。
二葉が成り代わるに応じて、一乃というモデルは雑誌の読者だけではなく、一般の人、それこそ老若男女に認知されるようになっていった。
「わたしは二葉に迷惑をかけたくなかったの。わたしはモデルという仕事で失敗を繰り返した。何でもチャンスをもらいながら、生かせなかった。だけど二葉はモデルで大成功してる。それなのに、わたしなんかがいたら迷惑になる。仮に同じ顔をしたわたしが、何かをやらかせば、それは二葉の芸歴に傷を付けることにつながる。それが嫌なの」
わたしが傷つくのは別に構わない。だけど、一乃というモデルを成功させた二葉に傷を付けたくなかった。二葉と同じ顔であるわたしのせいで、二葉に迷惑をかけたくなかった。
そして、わたし自身がそれに耐えきれなくなっていた。二葉を傷つけたくないあまりに、自分の行動に神経を尖らさなければならず、世間の目が気になって仕方なかった。
勝手に背負い込んだ重圧だと行ってしまえば、そこまでだ。だけど、重圧には変わりなかった。
顔さえ変えてしまえば、この呪縛から逃れることができる。だから、わたしは整形を決意した。見た目では絶対に二葉だとわからないところまで、整形する決意をした。
わたしは二葉から顔をそらし、背を向け、手術室へ向かおうとする。
だが、二葉がそうさせてくれなかった。いきなり背中に抱き着いてきた。
「一乃に整形なんて絶対にさせない。一乃がそういう考えなら、わたしにだって考えがある」
「考えって……」
「モデル、やめる」
その言葉に、わたしは思わず振り返った。
「やめるなんて言わないで! こんなに成功してるんだよ! 有名になってるんだよ! それを捨てるって言うの! 二葉が一生懸命に頑張って手に入れたものなんだよ! それを、わたしなんかのために、放りださないで!」
「ねえ、一乃。何を勘違いしているのか知らないけど、わたしがモデルをやってるのって、一乃のためなんだよ」
「……え? わたしのため?」
「そうだよ。正直、わたしはモデルになんて興味ない。家でのんびり本を読んだりしている方が好き。だけど、わたしが一乃に成り代わらないと、体調を取り戻した一乃が戻る場所が無くなっちゃうでしょ。だから、わたしは一乃の名前でモデルをやってるんだよ。一乃のいる場所を守るために、モデルをやってるんだよ」
今、思い知った。わたしは大きな勘違いをしていたことに。
「一乃、わたしは、一乃が好きだよ。一乃がお姉ちゃんで本当に良かったと思ってる。言ったことないけど、わたしは一乃に相当救われてるんだよ。何でも相談に乗ってくれるし、内向的なわたしのことも尊重してくれる。正直、一乃がいなかったら、不登校とかになってた可能性もかなり高い。だから、わたしは一乃の力になりたかった。モデルの成り代わりは、わたしがやっと一乃に恩返しができることだって思ったんだよ」
二葉はわたしを強く抱きしめた。
「一乃がモデルをやっていて苦しんでるのは知ってた。色々な雑誌を見たり、鏡の前でポージングの練習をしたりしてたのを見ていたから。わたしが一乃に成り代わることが増えて言ったのも、わたしの方が評判が良かったからだ、っていうのも、わかってる」
でもね、と二葉はわたしの胸に顔をうずめた。
「モデルをやっていた時、わたしは一乃をモデルにしていたんだよ。家族旅行で行った遊園地で破顔する一乃。浅瀬で足を滑らせて転び、舌を少し出して照れを隠す一乃。部活で優勝して泣き笑いをする一乃。わたしがしていたのは、わたしの知っている一乃を表現しただけ。あれは間違ってもわたしじゃない。全部、一乃なんだよ?」
……全部、わたし。
「一乃。もしも一乃がモデルをやる気がないのなら、わたしはもうモデルはやらない。だって、やる意味がないから。さっきも言ったけど、わたしは一乃が帰ってきた時の場所を守るために一乃に成り代わっているだけ。わたしはモデルなんて心底どうでもいい。一乃に笑っていて欲しいだけなんだから」
二葉が離れる。
「一乃はどうしたい? モデルを続けたい、それとも、もうモデルをやめたい?」
二葉からの問いかけなのに、同じ顔のせいか、まるで自分から問いかけられているようだった。
少し俯き、胸に手を当てる。
わたしはどうしたいんだろう?
その問いを聞いた時には、不思議と答えが浮かび上がっていた。
ああ、そうか。そうだったんだ。
「……一乃?」
わたしは自然と小さな笑みを浮かべていた。
「一乃、大丈夫?」
二葉が俯いたわたしを、下から覗き込んでくる。そんな二葉をわたしは抱きしめた。
「わたしがどうしたいのか。わかったよ、二葉!」
「ど、どうしたの急に!」
「わたしね、二葉とモデルがやりたい!」
一瞬、間が空いた。二葉が理解するのに時間がかかった。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
二葉が素っ頓狂な声を上げて、わたしから離れようとする。わたしはそれを許さない。
「ど、どうしてそういう結論になるの! 一乃がモデルに続けるか、やめるかって聞いたんだけど!」
「わたしは二葉にモデルをやめて欲しくない。だって、二葉のモデル姿はとても魅力的で素敵だから。それは世間が認めていること。でも、わたしがモデルをやめたら、モデルの二葉は失われる。それは嫌だ」
だったら、どうすればいいか。その答えは一つだ。
「だから、わたしはモデルを続ける。これで、二葉がモデルをやめる理由はなくなる」
「ちょ、ちょっと待ってよ! わたしは、一乃がモデルを続けるためにモデルをやってただけだよ? 一乃がモデルを続けるなら、わたしがモデルを続ける意味ないでしょ!」
「じゃあ、二葉がモデルをやめるなら、わたしもモデルをやめる! これなら、二葉はモデルを続けるしかない!」
「言ってること、めちゃくちゃだよ!」
二葉は眉間に皺を寄せた。二葉が困った時によく見せる表情だった。でも、わたしはこの表情を見て、安堵の息を漏らした。
二葉がこの顔を見せた最後には、二葉はわたしの提案を承諾することを知っているから。
「……まあ、一乃がめちゃくちゃなことを言いだすのは、珍しいことでもないか。モデルの成り代わりの件だってめちゃくちゃだし、整形の件だってめちゃくちゃだし。それに、あの時も、この時も、上げだしたら枚挙に暇がないよ」
二葉は大きなため息をついた。呆れと諦めを多分に含んでいる。
「わかったよ。一乃、わたしもモデルを続ける。今度は一乃としてではなく、二葉として、モデルをやる。それにはまず、事務所に本当のことを伝えて謝ってから、かな」
わたしは破顔した。二葉は完全に呆れかえっていたけど。
その後、クリニックで謝罪とキャンセルを行った。その足で事務所に行き、わたしたちの話と今後の方針について話をさせてもらった。まあ、こっぴどく怒られたけど。
でも、事務所は理解を示してくれた。わたしたちは晴れて一乃と二葉としてモデル活動をスタートさせることになった。
「一乃ちゃん、以前とは本当に見違えるほどだね! 二葉ちゃんがやってた一乃ちゃん以上でもあるよ! 二葉ちゃんも、一乃ちゃんをやっていた頃よりも全然いいね! 二人がそろうと、二倍、三倍……いや、それ以上に魅力が増すね! カメラのシャッターが止まらないよ!」
カメラマンからそう言われて、わたしと二葉は顔を見合わせて破顔する。
その時に撮られた一枚は、二人のモデル人生で初めて雑誌の表紙を飾った。
~FIN~