犬猿のふたり
ハッとしてそちらを見ればひとりの女子生徒が立っている。
艶のある黒髪を腰まで伸ばした女の子だ。切れ長の目は日本刀を思わせる鋭さで、瞳は深い知性の光をたたえている。
飾り気は一切なく、一見すれば地味な少女なのだが……その容姿はぞっとするほどに整っており、命を得た人形と対峙しているような錯覚を与える。
百瀬宵子
明日華と同じく、このクラスの生徒でタイプの異なる美少女だ。冷え切った眼差しを伊織へ向けて、彼女は淡々と言う。
「伊織くん。あなた今日は日直よ。忘れてるでしょ」
「へっ」
慌てて黒板の隅を見る。日直を書く場所にはたしかに『早乙女』と書かれていて、伊織の肩がびくりと跳ねた。
「ご、ごめん……気付かなかった」
「いいわよ。午前中の仕事は全部私が代わりにやっておいたから。でも放課後は頼んだわよ」
「すんません……」
伊織は小さくなって頭を下げるしかない。
しかし宵子はそれ以上伊織を責めることもなく、次は明日華の方へ白い目を向けた。
「合沢さんも美化委員の仕事を忘れてるでしょ。花瓶の水を取り替えるの。早く行ってきてちょうだい」
「えー、それくらい百瀬さんがやっといてくれてもいいじゃんかー」
「嫌よ。あなたいつもサボってるでしょ。私、怠惰な人は嫌いなの」
「ちぇーっ、ケチだなあ。真面目ちゃんはこれだからねえ」
あけすけな物言いに、明日華はムッと唇を尖らせて宵子を睨む。もちろん宵子も負けじと睨み返し、クラスに言い知れぬ緊迫感が漂った。
自由奔放な明日華と、委員長キャラの宵子。
ふたりは顔を合わせるたびにこんな口論ともつかないやりとりを繰り返すような犬猿の仲だった。
クラス全員周知の事実で、伊織や大地以外の生徒たちもそっと目を見合わせるだけだ。
やがて明日華は盛大なため息を吐いて、頰をぽりぽりと掻く。
「仕方ないなあ、やるよ、やるやる。それじゃまたね、早乙女くん」
「うん、また……」
乱雑な様子で片手を上げて、明日華は足早に離れていった。それを見届けて宵子も自分の席に戻って行って――空気がようやくゆるんだ。
伊織は肩を落としてがっくりとうなだれる。
「うう……せっかく合沢さんとフラグが立ったと思ったのになあ……」
「いやでも合沢さん、彼氏いるって噂だぞー。最近付き合い悪いんだってさ」
「ぐっ……噂は噂だろ! フリーかもしれねーし!」
「まあ、万が一フリーだったとしてもおまえなんか遊ばれて終わりだと思うけどな」
大地はヘラヘラ笑って伊織の背中を励ますように叩く。
そうしてそっと声を潜め、席に着いて読書を始めた宵子をうかがい見た。
「俺はどっちかっていうと百瀬さんのがタイプかな。いいじゃんあのクールキャラ。なあおまえ、百瀬さんと幼馴染なんだろ。家も隣だっていうし、彼氏いるかどうか知らね?」
「さあ……幼馴染って言っても、最近ろくに話もしないしな」
大地の言葉は本当だ。
百瀬宵子は伊織のお隣さんで、生まれた頃からの付き合いでもある。
しかし小学校を卒業する頃から妙に距離が空いてしまい、顔を合わせてもすこし挨拶するくらいで接点もほとんどない。
(昔はメガネの地味っ子だったのに、変わったよなあ……)
ともあれそう説明すると、大地はわざとらしく肩をすくめてみせる。
「使えねーなあ……でもまあ仕方ないか。おまえは美少女とどうこうなるより、美少女同士でイチャイチャしてるのを見る方がいいんだから」
「そうは言うけど、俺だって彼女とか欲しかったりするんだからな」
「じゃあもし百合カップルの両方から告白されたらどうする?」
「腹を切って死ぬ」
「真顔じゃん、こわ……」
ドン引きで白い目を向ける大地だった。
しかしこのときの伊織は本気も本気で――のちのちこの会話を思い返すたびに頭を抱えるようになるなんて、まったく思いもしなかった。
続きは明日更新します。明日は二回更新予定です。
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