百合のタブー
百合。
それは女性同士による恋愛作品を指す言葉だ。
近年では愛好家もずいぶん増えて、百合を扱った漫画もゲームも数多くある。
描くテーマは千差万別。ひたすら女の子同士がイチャイチャするほのぼのラブコメもあれば、痴情のもつれを描いたドロドロものもある。
とはいえ、どんな百合を好むかは人それぞれ。
百合にはたったひとつを除いてタブーはない。タブーを犯さない限りすべて尊く、自由なものだ。
そのタブーというのは、もちろん――。
「やっぱ百合ってさ、その間に割り込みたくなるのが男の――げぶっ!?」
「くたばれボケが!」
うららかな日差しの差し込む教室にて。
早乙女伊織は一切の躊躇もなく、ふざけた腐れ野郎の脳天に渾身のチョップを振り下ろした。
カエルが潰れたような悲鳴が上がり、ほかの生徒たちがぎょっと目を丸くする。
この大月学園は食堂などの設備が豊富で、今現在のような昼休みともなれば、ほとんどの生徒がどこかしこに出かけてしまう。おかげでこの時間の教室は静かなもので、そのせいか先ほどの悲鳴はやたらと大きく響いたようだった。
「いっっ、てえ…………何すんだ伊織!?」
「それはこっちのセリフだ」
猛然と抗議するのは友人の春岡大地こと、ふざけた腐れ野郎だ。
それをジロリと睨むついで、伊織は彼に貸していた漫画本を奪い取る。
表紙に描かれているのは女の子ふたりだ。派手めの女の子とメガネの女の子。そんなふたりがシーツの上に横になり、指をすこし絡めて微笑み合う。
少女同士の恋愛を描いた、いわゆる百合漫画という代物だ。
「おまえ、今この漫画を読んでなんて言った?」
「えっ……挟まりたいって言ったけど」
「そう! それだよ!」
伊織は目をつりあげて吠える。
「百合に男が挟まるなんて言語道断! この子らの聖域に、そんな汚ねえものが入る余地はさらさらねえんだよ! 身の程を弁えろクズが!」
「汚いって……おまえも男だろ」
「百合少女に比べれば、俺なんか生ゴミにも劣るっつーの!」
「こ、こいつ堂々と言いやがった……」
げんなりしながら、大地は半眼を向ける。
しかし伊織は頑として譲れなかった。
百合。
それは女の子だけに許された秘密の花園だ。
そこに男が足を踏み入れるなんて……地獄すら生ぬるい。
「俺がこの世で許せないものは三つある。戦争、貧困、そして百合の間に挟まる男だ……!」
「スケールがでけえよ、百合の間に挟まる男」
俺は戦争や貧困と同レベルなのか……と大地は渋い顔をする。
しかしすぐ気を取り直してか、毅然とした態度で主張を始めた。
「おまえはいつもそう言うけどさあ。美少女がふたりもいるんだぞ。混ざりたいって思うのは当然だろ」
「百合にそういうのを求めるんじゃねえよ。それなら普通のハーレムラブコメを読めばいいだろ」
「いや、たしかにそれは言う通りなんだけどさ……」
大地はそっと視線を落とし、ため息をこぼす。
「ああいうのってほら、ヒロイン同士が主人公を巡って喧嘩したりするじゃん……俺そういうのダメでさ、女の子同士はふわふわと仲良くしてもらいたいっていうか……」
「なんでハーレムもので主人公じゃなくてヒロインたちに感情移入するんだよ」
とはいえ伊織もその気持ちは十分わかる。
「たしかに俺もああいうの見ると『君らが喧嘩して取り合うほど、この主人公はいい男か!? むしろ君らでくっついた方が世界が平和に回るのでは……!』って思うんだけど」
「それはそれで歪んでないか?」
「いやでも、大地のその視点は大事だぞ。やっぱり俺が見込んだ通りだ」
伊織は大地の肩をぽんっと叩く。
今年度、この二年二組になって初めて話すようになった友人だが、最初に覚えた直感は正しかったようだ。
「修行を積めば、おまえにもきっと百合の真髄が理解できるはずだ。さあ次はこの百合ラノベを読め……これは特別尊い一本だから、おまえは百合の間に挟まりたいなんてふざけた考えを捨てられるはずだ」
「なんか怪しい勧誘みたいだな……まあ読むけどさあ」
釈然としないような顔をしつつも、大地はラノベを受け取った。伊織はこっそり拳をにぎる。
(よし、さすがに次こそは刺さるだろ……とはいえ、この漫画も渾身のオススメだったんだけどなあ)
大地から取り返した漫画をパラパラとめくる。
内容は百合漫画としては王道のものだ。真面目系委員長とギャルがひょんなことから仲を深め、ゆっくりと愛を育んでいく。
ほのぼのとシリアスがちょうどいい配分で、感情描写も絶妙。あと、死ぬほど絵が可愛い。今、百合愛好家をもっとも唸らせる作品のひとつだ。
(やっぱりいいなあ、百合……)
ちょっとパラ見するだけのつもりが、そこそこ真面目に読んでしまう。
だから、意外な人物が近付いてきていたことにも、それに大地が目を丸くしていたのにも、声をかけられるまでまったく気付けなかった。
「ねーねー、それってなあに? 漫画?」
「へ?」
ハッとして顔を上げ、伊織は大きく息を飲んだ。
目の前に立っていたのは同じクラスの女子生徒だった。
一言で言い表わすとするなら派手めのギャルである。
肩まで伸ばした髪は明るい色に染まっていて、スカートは極限まで短く、露わとなった太ももがまぶしい。化粧もバッチリで目にはカラコン。しかしケバい印象はまったくなく、素材の良さが引き立ってキラキラとまぶしい。
「あっ、合沢さん……!?」
合沢明日華。
この学年でも指折りの美少女だ。
本日はあと二回更新します。