はじまりの話
その日、とある王国の王女が他国へ嫁入りしようとしていた。太陽に反射して輝く金髪に、まるで夜空のように深い瑠璃色の瞳。ルアリシア・クレール・エルランジェ、それが彼女の名前である。ルアリシアが他国行きの馬車に乗るため城門から出ると、集まっていた民衆から次々と祝福の言葉が降りかかる。「ご結婚おめでとうございます、王女様!」「王女さまに祝福あれ!アルジュナ王国万歳!!」ルアリシアはその一人一人に視線を移し、丁寧に微笑んだ。小さな頃から王族としての礼儀作法を徹底的に叩き込まれたルアリシアにとって、民衆の心を引きつけるための笑顔を作るのは簡単だった。しかし、彼女の心は憂鬱な気持ちに包まれていた。
(今日で生まれ育ったこの国ともお別れなのね...。お父様やお姉様方にももうお会いすることはできないのだわ…。)
その時、ふとルアリシアの視界に見知った顔が映った。馬車の傍らに佇む黒髪の騎士。不安げに、哀愁の漂う表情で彼女を見つめている。
(ああ____)
ルアリシアはニコッといたずらな笑みを浮かべる。民衆に向けるものとはまた少し違った笑顔だ。
彼の姿を見た途端、不思議とルアリシアの心の不安は消えた。代わりに力強い眼差しを彼に向ける。
(自分で選んだ道だもの。自分で何とかしてみせる。さようなら、アルジュナ王国。さようなら、お父様、お姉様。...さようなら、×××。)
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アルジュナ王国___花と緑に囲まれた悠久の歴史を誇る王国...だったのも数年前の話。世界戦争(正確にはある帝国の侵略戦争なのだが)によって都は滅ぼされ、花と緑は焼けた。アルジュナ王国の3人の王子はみな戦争で命を落とし、王国に残されたは年老いた国王と5人の王女のみ。すっかり帝国の属国に成り下がったアルジュナ王国にもはや抵抗する手段は残されていない。そんな中、舞い込んだのが帝国の第4皇子エリアス・ジュレーク・アレスティウスとの婚約話だった。帝国はこれ以上アルジュナの領土と王室を侵さない代わりに、王国の王女のうち誰か1人を嫁がせることを国王に要求した。つまりは人質、ひいては政略結婚である。
第1王女、第2王女はすでに国内の貴族に嫁ぎ、第3王女は魔法の腕を買われ王都で魔術師として働いていた。
選ばれたのは第4王女リリアネ。ルアリシアの姉である。
「帝国の豚どもめ!!息子を3人も殺された上に今度は娘を献上しろだと?!なんという屈辱だ!こんなに情けないことがあろうか...。ああ、愛する娘たちよ。情けない父を憎んでおくれ...。」
国王の悲痛な叫びが王城に響く。
今にも気が狂いそうな国王を、2人の王女が諌めた。
「大丈夫よお父様。今まで大切にしてもらった恩こそあれお父様のことを恨んだりしないわ。私、お嫁に行きます。」
リリアネは目に涙を浮かべながら言った。
大きな琥珀色の目が赤く腫れている。
ルアリシアはその姿を見ながら、胸が締め付けられるのを感じた。
リリアネには愛を誓い合った婚約者がいたからだ。
バーデン公爵。器量はイマイチだがとても心の優しい好青年である。よく王城に遊びに来ていた彼は、庭園でリリアネと何気ない話をしながら紅茶を飲むのを何よりの楽しみとしていた。彼と一緒にいる時のリリアネの幸せそうな顔が忘れられない。
大好きな姉のそんな姿を見るだけでルアリシアも幸せだった。
だが、幸福な日常は今まさに壊れようとしている。
リリアネがいなくなったら、バーデン公爵はどうなるのだろうか?そして、自分は?親しい者が不幸になっていく姿を見るなんてとても耐えられそうになかった。それならば、いっそのこと自分が___
「私が行きます!!!」
国王とリリアネが驚いて振り返る。
「本気で言っておるのか?そなたはまだ16、第4皇子とは8つも歳が離れておるのだぞ。」
「そのくらいの年の差ならよくある話ですわ。」
「しかし...」
「私はお姉様と違って婚約者も想い人もいません。皇子様と結婚したって何とも思わないし平気ですわ。だから、どうか私に行かせてくださいお父様。 」
「駄目よ、ルアリシア。あなたが帝国で苦労する姿なんて見たくない。絶対に私が行く。」
「私だって、お姉様のそんな姿を見たくないから言っているのです!それに、お姉様にはバーデン公爵がいらっしゃるじゃないですか。彼、きっと悲しい思いをなさるわ。お姉様がいなくなって、このお城に一人残される私の気持ちも考えてみてください!」
「ルアリシア...」
リリアネは再び大粒の涙を零しながら、愛しい妹を抱きしめた。この子は自分の身代わりになろうとしている。その健気な心には感服させられたものの、どうして大切な妹を不幸な目に合わせることができようか。
何度も彼女を説得しようと試みた。しかし、ルアリシアの決心は揺るがなかった。
そして、ついにルアリシアと第4皇子との婚約が決まったのであった。
(つづく)