出会い ④
甲板から放たれる紅蓮の火球が着地と同時に炸裂していく。
「ルカン! 隠れて!」
ハイリに手を引かれて小屋を離れたルカンは、二人して茂みの陰に身を潜めた。
「一体どこの船だ? いきなり物騒なことしてくるなんて、もしかして海賊か?」
「ううん、違うと思う。あれはエミリア王国の船」
「エミリア王国?」
「私が産まれた国。きっと私を探しに来たの……無理やり国に連れ戻すために。またあの暗いところに閉じ込められちゃう……」
怯えるハイリの説明を聞いて、ルカンはなんとなく事情を察した。
どうやら彼女は事情あって祖国から逃げ出してきたらしい。
船は更に島の岸に近づくと錨を落とし、ハイリが乗っていたものと全く同じボートで二名の人間が上陸してきた。
全身を白いローブで覆っているが、一見するとかなり手足が動きやすい構造のようで、その手には短い杖を携えていた。
一人は燃えるような紅い髪の女性で、もう一人の中年男性は上司のようだ。
王国の戦闘魔術師だ、とハイリはつぶやく。
バトルメイジの二人はゆっくりと小屋に近づきつつあった。
その間にルカンはハイリを連れて、裏手に広がる林の中へ逃れる。
出来れば海へ出たかったが、ハイリは当然ながら水中で呼吸は出来ない上に、彼女を乗せる船も王国の船の目があるので使えない。
だが、水中では無類の速さを誇るルカンも、陸上では見る影もない。
スタスタと小走りするハイリにさえ追いつくのがやっとという有様で、しかも長い鰭や尾が林の枝葉に引っかかって更に進むのが遅れた。
「あ~……肌が乾燥する……」
水気のない乾いた林の中を彷徨う二人だったが、背後に気配を感じ取った直後、飛来した火球が炸裂してルカンは吹き飛ばされた。
「ウオーッ!?」
地面に頭から落ちたルカンの身体には木の葉が纏わりつき、木々の間から追ってきた二人のバトルメイジがハイリの姿を確認するなり跪いて声を上げる。
「ハイリ様! ご無事でございますか!?」
厳しい剣幕で問う女性の声にハイリも気圧される。
「う、うん……でも」
「ハイリ様、無礼を承知で申し上げますが、あまり勝手なことをなされては困ります! ご自分のお立場というものを理解して頂きたい。ハイリ様は、我らがエミリア王国の聖女様であらせられ、伝説の神の国の扉を開く鍵なのです。もし万が一のことがあれば、国王陛下のみならず、国民の落胆はどれほどのものになるか」
「……ごめんなさい」
しゅんとするハイリに女性魔術師も言い過ぎたと口元を手で押さえた。
「失礼致しました。言葉が過ぎました。さあ、我々と一緒ならば安全です。ハイリ様を誘拐した魔物も退治いたしましたので、王国へ帰りましょう」
手を引かれたハイリはあからさまに落胆した様子で、力なく一歩を踏み出そうとしたとき、落ち葉に埋もれていたルカンが立ち上がった。
「ぶはぁ! ひどい目にあったぁ。というかいきなり攻撃した上に魔物だとか誘拐犯呼ばわりはあんまりだと思います!」
顔についた落ち葉を手で払い落とすルカンが不満を顕にすると、バトルメイジたちは反射的にハイリを背後に移動させて杖を構える。
「おのれ魔物め! まだ生きていたか!」
「シャーラ、ハイリ様を船までお連れしろ。コヤツは俺がやる」
「わかりました! アゾット隊長もご無事で! さあ、ハイリ様! お急ぎください!」
何度もルカンに振り返るハイリが、赤髪のシャーラに抱えられて船に連れて行かれていく。
そのときハイリが両手を組んで瞼を閉じ、口から音もなく息を吹いた。
息は細い風となってルカンの耳にふれると、脳裏にハイリの声が響く。
(タスケテ……)
確かにそう聞こえた。
「待て!」
しかし、追おうとしたルカンの前に、壮年のバトルメイジが立ちはだかった。
「俺が相手になってやる! 人の言葉を解するとは大したものだが、所詮は魔物だ。よりにもよってハイリ様を王国から奪うとはな。少しは楽しませてくれよ?」
「魔物じゃない! 善良な魚人種の漁師だ! 名前はルカン!」
「エミリア王国のバトルメイジ、アゾットだ。いざ!」
アゾットは先程まで火球を撃っていたシャーラとは違い、アゾットの杖からは、木々を揺らし葉を巻き上げる風が吹き荒れた。
吹き上がる土埃で視界を遮られたルカンが両腕を地面につけてこらえていると、アゾットの声が聞こえた。
「ゆくぞ! 我が暴風を受けろ!」
杖先をルカンに向けたとき、先端に緑色の閃光が迸るや、強烈な突風がルカンの身体を襲った。
風は鋭い刃となり、彼の身体を切りつけながら容易く太い木の幹に叩きつける。
「ぐはっ!」
大木に激突し、更に地面に落ちたルカンは苦しげな声こそ上げたものの、実のところ殆ど痛みらしいものは感じていなかった。
アゾットは目の前の魔物が相当なダメージを受けたと思って、余裕の笑みを浮かべている。
しかし、ルカンが立ち上がると目を丸めた。
「ビックリしたけど、全然効いてないもんね! 今度はこっちの番だ!」
ルカンが腕を掲げるとアゾットが身構える。
意識を集中させ、体内の魔力で水分を増幅させると周囲の気温がぐんと下がり、手のひらから溢れる水が徐々に銛の形を成していく。
ハイリが驚いたときと同様に、アゾットもまた目の前でルカンがやってのけた魔法に息を呑む。
「まさか貴様がこれほどの水魔法を!?」
「スキあり!」
凍てつく銛を真横に薙ぐと、アゾットは杖でそれを受けた。
如何に戦闘魔術師とはいえ肉体は人間のもの。
対して深海の大水圧で鍛え上げた魚人族の膂力は人間よりも遥かに強大だ。
結果としてアゾットは衝撃を受けきれずに弾き飛ばされ、宙を舞った彼の杖は地面に落ちる前にルカンが咥えた。
後頭部を擦りながら起き上がったアゾットの目に飛び込んできたのは、自慢の杖がいとも簡単に噛み砕かれる瞬間だった。
粉々になった杖を吐き出し、唖然とするアゾットの頬っ面に強烈な尾鰭の一撃を叩き込んで決着をつけた。
死んではおらず、気絶していることを確認してハイリのあとを追った。
ペタペタと急ぎ足で林を抜け、小屋がある丘を下っていると、ボートに乗せられて船に向かう二人の姿が見えた。
「ハイリ!」
彼女の名を叫びながらルカンは砂浜に向けて走る。
ボートは母船に接舷し、ハイリを収容したシャーラは砂浜に立つルカンを見て、アゾットがやられたことを察した。
任務を最優先すべきと判断した彼女は出航を命じ、船長が全速前進を部下に指示した。
船内にある動力炉には燃料である魔石が積まれており、火魔法で点火すれば機関が始動する。
両舷に備え付けられた外輪が力強く回転を始め、船は急速反転して島から離脱を開始した。
ルカンの心に葛藤が生まれる。
元々、自分は関わりのない話だ。
このまま見てみぬふりをすれば、今まで通りの平穏な日々を続けられるだろう。
しかし、それでいいのか?
ハイリは確かに助けを求めていた。
こんな得体の知れない姿の自分を頼ってくれた彼女の思いを、無視して許されるのか?
ルカンは空を見上げ、静かに呟く。
「神様、もしも貴方が僕をこの世界に連れてきたのなら……何の力も無かった人間に力を与えてくれたというのなら……あの子を助けるための力を、今使います!」
ルカンは四股を踏むように両足で浜を強く踏みしめ、氷で足首から地面にかけてを凍結させて身体を固定した。
尾びれを真っ直ぐに伸ばし、背筋を真一文字にし、両目でしかと目標である敵船を捉え、身体の奥底に眠る膨大な魔力を呼び覚ます。
白い冷気が四肢から吹き出し、全身が青白く輝き、尾から背にかけて真っ白な氷柱が生え、大きく口を開けると喉奥に光が集中していく。
その輝きは遠く離れた船上からも確認出来る程だった。
「何の光だ!?」
シャーラが誰にでもなく叫んだ刹那、ルカンの口から絶対零度の閃光が螺旋を描きながら撃ち放たれた。
波は固まり、飛沫は礫となり、数秒の間も置かずに螺旋の極冷は船体を直撃した。
木製の船体は瞬時に海面もろとも巨大な氷に閉ざされ、船体を押し潰そうとする圧力により到るところに亀裂が生じて海水が流れ込む。
こうなっては外輪も帆も役に立たない。
ルカンは自分が持つ力の程に身震いしながらも、海中へ飛び込んだ。