出会い ③
出かけた時と同じ航路を辿り、住み慣れた島の砂浜が見えた時、ルカンは異変に気がついた。
「……舟?」
浜に見覚えのない小型のボートが打ち上がっている。
どこからか漂流してきたものが島にたどり着いたのだろうか?
不審に思ったルカンは上陸してボートに近づき、中を覗き込んだ。
「女の……子?」
すると、ボートの中では一人の少女が横たわったまま眠っていた。
腰まで伸びた滑らかな髪は見事な翠玉色で、肌は少し不健康なまでに白く、玉や瑠璃などで飾り付けられた神秘的な衣も白と薄緑を基調としていた。
まるで聖職者のようだ。
しかし、それだけにみすぼらしいボートとミスマッチといえる。
とても一人で船旅をする出で立ちではない。
長旅をするための荷物も無いようで、傍らに身の丈ほどもある太陽を模した杖があるだけだ。
だが何よりも気になる点がある。
「い、生きてるかな?」
ルカンは指で少女の頬を軽く撫でた。
幸いなことに肌は温かく、微かに呼吸も感じられる。
ルカンに触れられたからか、少女の瞼がゆっくりと開かれた。
彼女の銀色の瞳がルカンの姿を捉えたとき、目の前に鋭い牙をびっしりと生やした得体の知れない魚人が覗き込んでいたのだからさあ大変だ。
「あ……あぁ」
ショックのあまり彼女は再び気を失ってしまった。
ルカンは大慌てで彼女を抱きかかえると小屋に戻り、少女を自分の寝床に寝かしつけた。
布切れを濡らして少女の額にのせると、ルカンは彼女が起きたときに備えて食事を作ることにした。
そこで一度小屋を出て海へ向かい、手頃な小魚を数尾と貝やエビ等を捕らえて戻る。
魚は水洗いをし、頭を落とし、内臓を取り出して3枚におろす。
その間に干した昆布を漬けておいた鍋で湯を沸かした。
エビの背わたを抜き、大きな壺状の貝殻を床に置く。
この貝殻の内部は細かいギザギザがあるのでちょうどよい摺り鉢代わりになるのでいつも重宝しており、魚の身を入れてすりこぎ棒でよく練っていく。
港で購入した酒や薬味などを入れれば臭味も消え、新鮮な魚の旨味を楽しめるだろう。
あとは鍋に貝とエビと魚の団子を入れて、海の幸の出汁と塩と酒で味を整えた。
味噌があれば言うことは無かったのだが、あいにくとこの世界に味噌はない。
新緑色の新鮮な海藻を加えれば色目もよくなる。
ついでに家の外に吊るしていた干物も焼いた。
香ばしい匂いに鼻をくすぐられた少女が、焦点の合わない視線をルカンの背に向けた。
「お魚が、お魚を料理してる……?」
か細い小さな声と視線に気づいたルカンが振り返ると、二人の目と目が合った。
「ああ、目が覚めた?」
「ここは?」
「大丈夫、僕の家だよ」
「な、何してるの? わ、わ、わ、私を食べる準備?」
にこりと笑うルカンの大きな口と牙を見て、彼女は自分がメインディッシュなのではないかと思ったらしい。
怯える少女がベッドの隅で縮こまっている姿には流石に苦笑してしまう。
「違うよ、君に食べさせる準備。お腹空いたでしょ? ほら、スープだよ? 特製の漁師鍋。美味しいから食べて食べて」
ヤシの実をくり抜いて作った器に注いで彼女へ差し出す。
はじめは警戒していたが、立ち昇る香りに胃を刺激されたのか、一口啜った後は小さな体型に似合わぬ見事な食べっぷりを発揮していた。
念のために骨を全て抜いておいてよかった。
ルカンもスープを啜りながら、焼いた干物を頭から丸かじりにした。
この牙と顎にかかれば太い骨も難なく噛める。
「美味しい……」
「そう? 良かった。君は僕の初めてのお客さんだから、おもてなししないとね。僕の名前は、ルカン。見ての通りの魚人。君の名前は?」
「私、ハイリ」
「ハイリ、か。よし覚えたぞ。ハイリは、その、人間なの?」
「うん。人間が珍しい?」
「あ、いや。いつも仕事で関わっているからさ。この近くの港だけど」
「そう……助けてくれて、ありがとう。ルカンのお仕事を教えて?」
「漁師だよ。海にいる魚とか貝とかを獲って、港で売っているんだ。いま食べているのも僕が獲ってきたものだよ」
「手で捕まえているの?」
「貝とかは手でも獲れるけど、逃げ足が速い獲物は銛を使ってるよ。といっても、下手な魔法で作ってるやつなんだけどね」
「魔法……見せて貰っても、いい?」
「いいよ」
ルカンは体内の水分を媒介にして、その手に漁で愛用している氷の銛を作り出した。
するとハイリはさも驚いたように目を丸め、食べかけのスープを傍らに置くや、ベッドから這い出してきた。
そしてルカンの銛を間近でまざまざと見つめる。
「すごい……こんなに完璧な成形は初めて見た……ちょっと、ごめんね?」
ハイリは更にルカンに身を寄せると、そのしなやかな指を彼の白い胸に這わせ、手のひらを押し当てる。
ルカンは何が何やら分からずにただされるがままだったが、一方のハイリはといえば、先程から終始驚きっぱなしだった。
「魚人族の魔力量がこんなに凄いなんて……」
「ね、ねえ、一体何に驚いているのさ?」
「ルカンの魔力量。こんなに膨大な量を制御できるなんて普通じゃないよ」
「そうなの? 自覚全く無いんだけど」
「もし私の国に産まれていたら、大魔導師の地位は確実。これだけの魔力があれば、もしかして……」
ハイリは暫く独り言を始めてしまった。
半ば置いてけぼりを食らってしまったルカンは自分に宿った力の程がわからず、ただジッと手を見つめる他にすべがない。
何気なしに使っていたものが、それほど凄いことだったのか。
食事も粗方終わって互いに程よい満腹感に浸っていたときである。
「ねえ、ルカン。神の国の伝説を聞いたことってある?」
「神の国? 天国のことかい?」
「ううん。ちょっと、お庭を貸してね?」
小屋を出て裏手に回ったハイリは、平坦な地面に両手を添えて瞼を閉じた。
直後、彼女の手が淡く白い光に包まれたかと思うと、平坦だった地面がうねり始めて徐々に起伏を成していく。
ルカンはその形に見覚えがあった。
中央に高い山々が連なり、その四方に大小の国があり、外には広大な海と無数の島々がある。
要する世界地図を地面に描いたわけだ。
地属性の魔法は初めて見たので、ルカンは感嘆の吐息を漏らす。
「凄いなあ。目からウロコだよ」
「魚だけに……」
「何か言った?」
「なんでもない。神の国……それは、このケルレダン大陸の中央にあるといわれているの。そこにたどり着いた者は、神様にあらゆる願いを叶えて貰えるんだって」
「あらゆる願いを、かあ。ハイリは信じてるの? その伝説を」
「うん。これは私のお祖父様から聞いたお話なの。お祖父様は、そのまたお祖父様から。私の家で代々受け継がれてきたお話。でも、まだ誰も神の国を見たことが無いの」
「ふぅん……もし本当にあるなら、行ってみたいなあ」
あらゆる願いが叶う地。
もし、そんなものが本当にあるなら、何を願うだろうか。
ルカンが空を見上げて思いを馳せていたとき、唐突に、ハッと何かを察知したハイリがルカンの手を強く引いた。
バランスを崩して地面に倒れたのとほぼ同時に、家のすぐ近くの地面が爆発して土塊が辺りに飛び散る。
「な、なんだ!?」
顔を上げて海を見ると、そこにはいつの間にか一隻の大型船が浮かんでいた。