死の側
身体が重い。
康太の脳裏に浮かぶ光景は地面一杯に広がる真紅の花。その血塗られたカーペットの上に横たわる女性4人の姿。
真っ赤に咲いた先で嗤う男が二人、その姿が嘲笑う目線の先には胸に針の突き立ったアレックスが倒れ伏していた。
起こる感情は恐怖。そしてその周りを小さく飛んでいる感情は絶望、人間の死を間近に見た人間特有のそれだ。
僕はこのまま死ぬのだろうか。親しい友人達の顔が思い浮かぶ、死ぬ直前に見る走馬灯のようなものなのだろうか。
僕は本当に死ぬのか?家族を残したまま死んでしまうのか?その瞬間、脳裏に一つの、燦然と輝く光を見る。姉——スミレの姿だ。その外見は今よりも若くその横に立っている両親も心なしか若いような気がする。
————嫌だ。死にたくない。
そう強く思った途端、意識が海の底から全速力で浮上する、海の底からあの二人の手が伸びてくるような気がして。ゆっくりしていたら足を掴まれ引きずり込まれるのでないかという恐怖が浮かび上がる。背筋をぞわっしたものが走り——
「——うわぁぁあ!!!」
絶叫、悲鳴をあげて体が起き上がる。
息は上がっていて吸い込む喉は震えている。
未だ意識がぼんやりとする中、周囲を見渡す。
もしもあの出来事が夢でないのならあの橋の近くに寝ているはずだった。——しかし、康太が目覚めた場所は自宅だった。いつものベットの感触を確かめるように手に力を入れて沈める。
「なんで俺は、こんなところに…」
その瞬間、閃光のようにあの男の言葉が蘇る。
「眠れ、か。いったいどうなっているんだか」
頭が痛い。過度なストレスと長時間の睡眠によって引き起こされた頭痛に頭を抑える。
服は眠った時と変わっていないことに気づいた康太。
「ってことはあいつらが運んできたってことか?」
家の鍵はどうしたのかとかいろいろ思ったが結論はこういうことだ。「なんでもありかよ」と、苦笑しか出てこない自分の顔を叩いて気持ちを切り替える。
ベッドから出る気力が湧かない為、下を向いていた顔と視線を動かして窓の外の光景を見る。空は河原にいた時に比べて少しばかり夜闇が濃くなっていた。恐らくそこまで時間は経っていないだろう、そう思っていた。
しかし、机上に置かれている時計を見て驚愕する。
時間は19時34分。時間だけ考えれば少し時間が経ったくらいに思うだろう。だがその横に小さく表されてる日付は——
「丸一日…経って…いるのか…」
バーベキューをしていた日は8月1日。しかしそこには確かに8月2日と表示されていたのだ。
(あの後、柊弥とアレックスはどうなったんだろう)
特にアレックスは目の前で自分の同じ目に遭っているのでより一層の不安が康太を襲う。自分と同じで家に運ばれたのか。それとも…これ以上考えてもどうにもならないとこの先を考えることを放棄した。
丸一日経っているとしたらもうすでに姉は帰ってきていると思いすぐに話そうと思った。しかし、康太の視線は机の上に置かれていた小さい紙切れに釘付けになる。
「なっ…」
そこには〈口外したら殺す〉そう書かれていた。
口外するとは何を指す言葉なのか康太は瞬時に理解する、昨日と夕方あったことを。あの4人を殺害したことだと。この家に知っていて入れたということは既に監視されていてもおかしくはないということだ。
あまりに絶望的な状況に康太の口から震えた声が溢れ落ちる。
「詰んでいるじゃないか…」
恐らくだが、誰にも相談することはできないだろう。いや、できるとすればアレックスくらいだ。
アレックスに連絡をすると決めてスマホを取り出そうと体のあちこちを触る。
(えーっと、確か腰ポケットに入れてたはずだから……あ、あったあった)
取り出したスマホを開いて通話画面を開こうすると部屋の扉がノックされる。
「康太。起きてるの?」
一瞬身構えてしまったが間違いなく姉の声だと確信が持てる。
「うん、起きてるよ」
扉を開けて入ってくる人物が姉であることを確認して安堵の表情を湛える。
恐る恐る中を確認したスミレの表情は固いものだったが心配そうな眼差しで康太の事を確認すると大きく息を吐き出して胸を撫で下ろしている。
「あんた一体何があったの?丸一日起きなかったんだからね!どれだけ心配したかわかってるの?」
強い口調での叱咤は未だ、ガンガンと鳴り響く頭にはキツイものだったが。死ぬ恐怖を味わった今だと、こんな風に叱られるのも悪くないと思えて。思わず、笑いが溢れてしまった。
「ちょっと康太、何笑ってるのよ」
怒りの表情に困惑が混じり始めたスミレの顔を見るとより一層、巻き込みたくないと思えた。
「ごめん、姉さん。色々あったんだよ」
「なによ、いろいろって」
訝しげな表情をするスミレは「ご飯できてるから。早く降りてきなよ」と優しい口調で言う。
「……行った、か」
これから話す内容は絶対にスミレに聞かせることができないということもあり場合によっては嘘を吐かなければならないこともあるだろうと思考を巡らせると、罪悪感に苛まれた。
開いたままの通話待機の画面にはアレックスの文字が示されている。通話開始のボタンを押すとプルルルルという電子音が部屋に響く。
「どうした康太?なんか用か?」
2コールほどしたところでアレックスの声が聞こえてくる。声は鮮明で電子音らしかったり音が割れていたりなどということはなく限りなく肉声に近いものになっている。
(それにしてもアレックスなんでこんなに落ち着いているんだ?あんなことがあったのに普段と同じ、というか普段より呑気じゃないか?)
「あ、あぁ。昨日のことなんだけ——」
「そういえばよ!俺、変な夢見たんだよ。なんかよ、みんなでバーベキューに行ったらそこで友達になった女4人が全員目の前で死ぬっていう——」
(夢?まさかこいつ。昨日あったこと夢だと思ってるんじゃ)
「おい、アレックス」あまりに想定外の事態に思わず少しばかり嘲笑の色を含んだ声を出してしまった。「それ、夢じゃないぞ。現実だ」
暫しの沈黙の後、驚きを露わにしたアレックスの声が部屋中に広がった。
「えーっと。ってことは俺が夢だと思ってたことが現実だったってことか?」
流石にここまで説明に時間がかかるとは思ってもいなかった康太は疲労感が身体に広がっていくのを感じる。
「あぁ、そういうことだ。詳しいことはまた今度話すから。今は、頭の整理をしてくれ。それじゃあな」
返事を聞かずに通話を切る康太は大きなため息を吐き、部屋を後にする。
・ ・
「ご馳走さま」
「お粗末さまでした」
食事を食べ終わった康太は席を立とうとする。しかし、スミレに「待って」と言われ再び椅子に座りなおす。
コホン、とわざとらしい咳払いをしてスミレは、話を始める。
「それで?なにがあったの?丸一日寝てるなんて普通じゃありえないと思うんだけど?」
その真摯な眼差しを受けると本当のことを話せしたくなってしまう。
だが、現在の状況を考えるととてもじゃないが巻き込みたくないという思いがこみ上げてくる。それと同時に、その気持ち以上の罪悪感と共に。
「疲れてたのかな?ぐっすり眠っちゃってたみたいだね。バーベキューではしゃぎ過ぎたからかな」
こんな茶番、誰だって気づくだろう。それは家族であるスミレにとっても例外ではなく、とても信じられないような顔を湛えている。そう、嘘だー。である。
「はぁ、まああんたがそういうならいいけどさ。何かあったら、きちんと相談しなさいよ。あんただけじゃどうにもならないことでも、何か変化を与えられたりするかもしれないから。わかった?報告、連絡、相談!社会の基本よ!」
それは社会人のマナーだろ。などと思いながら頷く。
(相談…か)
姉に相談した結果、あの二人からの報復を受けると思うだけで口の中に苦いものが広がるようだった。
康太もスミレも読まないものの新聞をとっている。これは、両親が転勤先で新聞を新たにとるのがめんどくさいがために、帰ってきてから読む用となっている。もちろんその新聞をめんどくさがりの姉が取りに行くわけがなくその結果、毎朝康太が取りに行くはめになっている。今日もいつも通り、新聞が一冊入っているだけだと思っていた。
しかし、そこには一枚の紅色の封筒が入っていた。見るからに怪しい封筒だが見ないわけにはいかず、部屋に持って入る。
「ん?何それ」
部屋に入ってくる康太の手に持つ封筒に即座に気がつくスミレ。怪しい封筒を見て、スミレの出した答え、それは。
「ラブ…レター?」
「いや、違…う、と思うけど」
「まあそうだよね、康太が貰えるわけないし」
ケロッとした顔で口に出すスミレの顔をジト目で見ながら封を開ける。
そして、中に入っている一枚の紙を見て康太の顔はみるみると表情を変えていく。見開かれた眼が写す紙にはこう書かれていた。
〈不破 康太。貴殿のプログラミング技術を見込み、徴兵を命ずる〉
「詳しいことは後日、そちらに向かい次第説明する。って、一体なんだよこれ」
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