急激な変化
【8月1日午後4時15分】
眼下に広がる光景に感嘆の声を漏らす一行の目に移るのは、数少ない人と綺麗な森と清らかな川のみ。柊弥は鼻腔を震わせて新鮮な空気を臭う。
都心のような喧騒の一切ない光景——言葉で表すならば山紫水明や風光明媚だろう——が心に癒しを与えるだろう。
この場所からは見えるのはマンションだけでありビルなど心にストレスを与えるものの存在の無さは異常なほどだ。
空を突き抜けるかのようにそびえ立つタワーマンションの手前から二つ目が先ほどまでいた柊弥の家である。どのマンションもさほど見た目が変わっている訳ではなく、どれも似たような見た目のため場所を覚えていないと大変なことになる。
「この時期を選んでよかったね。人も少ないし」
康太は、目を砂原の端から端まで——見える範囲だが——を見渡し、人が少ないことに安堵する。
「あぁ、見たところ3組ってとこだな」
同じく見渡した柊弥の声は心なしか少し弾んでいる。男という生き物はどんな年でも子供であるのだ。楽しい時は楽しいし苦しい時は苦しい物事をハッキリと言える間柄であるという前提条件が必要だがその条件が揃えば童心に返ることができることを柊弥自身は、素晴らしいと思っている。
「なぁなぁ!何して遊ぶ!」
思いっきり声を弾ませるアレックスを確認しようと振り返るとそこにいたのは——水着を着てシュノーケルをつけ浮き輪を肩にかけたアレックスがいた。その体躯に見合う量以上の筋肉が盛り上がっており、贅肉の全くない引き締まった体は、さながら芸術品のようだ。
(確かにこの体で女に興味無かったらホモ扱いされるよな…)
哀れみの目でアレックスの体を眺める柊弥だがそれと同時によくここまで飽きずに筋トレを続けてきた、と感心の視線も混じる。
「川だよ、シュノーケル要らないでしょ」
薄く笑う康太の言葉を聞きシュノーケルを不承不承取り外す。
「それにまず色々とセットしないとダメだよ。アレックスの買ってきた炭も使うから早くそれしまって」
浮き輪を指差されこれまたしまうアレックスは、片手に持っている炭の入った袋を康太に差し出す。そしてそれを受け取る康太——だが、それよりも早く袋を受け取ったはずの腕がぐん、と下がり袋の底が地面に着く。
呆然とした表情のままピクリとも動かない康太と柊弥の二人が何が起こったのか理解できてないのに対しアレックスのみが平然としていた。
「おいおい、康太どうしたんだよ。ちゃんと持てよ」
その言葉にやっと手放していた意識を掴む。
「アレックス。こんなの持ってたのか」
質問とも疑問ともとれるそれにアレックスは返す。
「なんだよこんなのって。別に重くないだろ」
当たり前のことのようにアレックスは言うが。しかし、その袋は重すぎる。確かに康太はパソコンを扱っているが、それでもたまにだがアレックスと一緒に筋トレに付き合っていた。その甲斐あって片手で12キロ程度のダンベルなら上下に動かす事が出来るようになっていた。
そんな康太ですら持てない量を持ってきた事とここまで持ってきたことに驚愕する。
「充分すぎるくらい重いよ。流石だねこれをここまで持ってくるなんて」
「そうか?ありがとよ」
両手で持ち上げようと踏ん張る康太を一瞥する柊弥だが、その康太の視線がどこか別の場所に向いていることに気づく。
「どこ見てんだよ?」
そう言って康太の視線の先を追う。康太の視線が固定されていたものは、ビキニを着て川で遊ぶ4人の女性のグループだった。
そして康太は自身が二人に冷たい視線で見られていることに気づくとチラリともう一度見た後でこちらに向く。
「いやこれは、ね…?」
「ね?じゃねーよ」
しどろもどろしていて、手がわきわきと虚空を掴もうと動いているところから必死さが伝わってくる。
「いやー、脚が綺麗だったからつい」
頭を掻きながら自らのフェチを暴露する康太に引き気味に「そ、そうか」と返すと満足そうに一つ頷く。
少し興味を持ち、康太の視線に合わせて女子グループを見る。すると確かに頷きたくなるような綺麗な脚が——エイトパックの腹筋がそこにあった。
「どこ見てんだよ」と怪訝そうなアレックスの視線と変態二人の視線がぶつかる。憮然とした顔をする二人を見て困惑するアレックスだが、諦めたように康太が大きく息を吐く。
「もういいや、とりあえず準備しようよ」
いまだ憮然とした態度の柊弥も不承不承頷くと手伝いをするべく動き出す。
・ ・
「よし!後は焼けるのを待つだけだな」
目の前の太陽を反射し輝く金網の上には数多くの肉と野菜が乗っていてじゅうじゅうと食欲をそそる音を立てている。 アレックスに焼くのを任せた結果、金網に乗ったのは僅かな数のトウモロコシと大量の肉であったがその後でアレックスが喚くのを無視して野菜と肉のバランスをとっていた。
「あの〜、すみません?」
声をかけてきたのは女性の声だった。振り返りその姿を捉えようと首と視線を総動員する。そこにいたのは——先程、康太との会話に上がった女性陣だった。思わず口をあんぐりと開けている康太を無視して「なんですか?」と返答をする。
するとこちらを窺うように上目遣いで問いかける。
「厚かましいのは重々承知なんですが、食材を忘れてきてしまって…あの、えっと、その、お金、ちゃんと払いますので分けてもらえないでしょうか…?」
「はい!喜んで!」
弾かれたように答えたのは康太だった。顔は硬直しどこを見ているのかわからないほどだ。それに対して等の4人は、口を開けたまま何を言われたのか理解できていない様子だった。
その康太の首根っこを捕まえて声が届かないくらいの距離まで遠ざかる。
「おい!勝手に何言ってんだよ」
問い詰めるように聞くと口をへの字に曲げる。
「ごめん、でもさ。もしかしたら一緒に食べれるかもよ?」
その言葉で後ろ髪を引っ張られる感覚に陥る。
「その話を詳しく聞かせろ」
それからは康太の計画通りに動いた。
方法は簡単だ。アレックスがつまづいてレンタルしていたバーベキューコンロの脚を曲げる。その後に「あ〜、これは食材が溢れちゃうかもしれないから一緒の使います?」と言う作戦である。最初はこんな作戦うまくいくはずがないと思っていたが、どんどんと予定通りに進んでいく状況に驚愕を隠し切れなかった。
・ ・
【同日6時50分】
焼いていた食材も底をつきバーベキューコンロの片付けをしていた途中、ほのか——4人の女性の中の一人——が口を開く。
「それじゃあ私達そろそろ行きますね。今日は本当にありがとうございました」
その言葉から伝わってくる感謝は壊れた——壊した——コンロの代わりに一緒に柊弥達のコンロを使わせてくれた事と食材を分けてくれたことに対するものだ。
多少の罪悪感はあるもののまあ、しょうがないよね。と思うことにした。
「いやいや、俺達も楽しかったから気にしないでいいよ」
片付けをしながら柊弥が答えると4人同時に頭を下げて去っていく。
「楽しかったなぁー」
満足したような笑みをこぼしながら手を振り続ける康太にアレックスは「お前も手伝え」と一喝する。
アレックスがレンタルしたバーベキューコンロを返しに行っている間に片付けが終了する。康太が余った炭の袋を肩に掛ける。
「よし、じゃあ帰るか」
「うん、そうだね。アレックスとは橋の辺りで待ち合わせしてるか——」
「——キャアァァ!!」
何者かの悲鳴が聞こえた。この声を聞いたことがある康太は真っ先に叫ぶ。
「さっきの子の声じゃないか!柊弥!俺は見てくるからここで待ってて!」
悲鳴にも似た声を出して橋の方へ駆けて行く。
・ ・
駆けて行く最中こんなことを思った。なぜ自分はこんなことをしているのかと、なぜ本人かもわからないのに必死に走っているのか。
答えは簡単だ、知り合ってしまったから。知り合いになってしまったから。それだけの理由で康太は走る。好きだとかそんな気持ちは全くなく、ただ己の正義感に身を委ねている。
走っているうちに橋が見えてきた。——そしてそこには女性だったものがいた。
地面に倒れ伏し胸から血を流している死体が計4つ。そのうち一つの下半身には透明な水溜りができていた。血と、尿のアンモニアの酸っぱい濃厚な臭気に吐き気を催し「うっ」と声に出す。
死体の横に留めている黒い車の近くに二人の男がいた。そのうちの頬に傷を持つ男が口を開く。
「なんだこいつわぁ、どこから出てきやがったぁ!」
敵意丸出しの男を手で制してもう一人髪の毛を真ん中で分けている落ち着いた印象の男が口を開く。
「やめておけ、こいつは例のやつの関係者だ」
ちぇっと舌打ちをした男が康太の後ろを指差す。
「じゃあよぉ〜、あいつわいいのかぁ?」
その指の指す方向を見るとそこには呆然とした面持ちのアレックスがいた。
「おい、なんだよこれ。なんでこいつら倒れてんだよ。なぁ、死んでんのか」
その言葉は震えている。
真ん中で分ける男はもう一人に「あいつもだ」と言った後にアレックスに答える。
「君たちは知らなくていい。だから眠れ」
言い切った瞬間に康太の胸に鋭い痛みが走る。その視線の先——痛みを感じた場所に刺さる針を視認するのが精一杯で意識を失う。
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