買い出し
アレックスの朝は早い。
ベッドからむくりと起き上がると既に脳の中はすっきりしている。
目の前に広がるのは数多くのトレーニング器具。ランニングマシン、サンドバッグ、etc。
大きく背伸びをして体の凝りをほぐす。ベットに腰をかけたまま手を伸ばし床に落ちている15キロダンベルを片手で持ち上げると何かに納得がいったようでよし、と頷く。
「アレックス!起きてるか??」
確認にしては大きすぎる声の主——アレックスの父——に返答をする。
「話があるからこっちに来い」
棘のある声で呼ぶが怒っているわけではないことを知っているアレックスの返事は穏やかだ。
「わかったよ親父」
朝のトレーニングタイムを邪魔され少し不機嫌になるアレックスはダンベルを優しく地面に置き父親の元に行く。
「なんだよ親父、朝早くから」
「来週お前の行きたがってたパワードスーツの工場の見学に行くから予定空けとけよバーベキューの日に被らないようにしといたから」
それを聞いたアレックスの表情がみるみると笑顔に変わり一段と大きく明るい声をだす。
「わかった!空けとく!」
よっしゃとガッツポーズをしているがそれを尻目に話を続ける。
「それと今から仕事に行ってくるから家出る時は鍵を閉めろよ」
「あいよ」
気の抜けた返事をして部屋を出るとアレックスは日課のトレーニングを始める。
二時間ほどトレーニングをしたアレックスだが汗を一切かいておらず余裕の表情である。父親はトレーニングをしている最中に出ていき夜まで帰ってこず、母親は長らく家に帰ってきていなく、一人の時間が小さい頃に比べて増えていた。
「今日はちょっと少なかったかな」
指をグーパーして独り言を呟くとサンドバッグを力一杯殴りつける。
ボゴン!と形容しがたい音がして大きく弧を描きながら戻ってくるサンドバッグを受け止めると満足気な笑顔を見せる。
彼のパンチは実際に測ったことがあり去年の段階で400キロだったので今はもっと高いだろう。
着ていたタンクトップを脱ぎ捨てて新しい服に着替えるアレックスの頭ではどのに炭を買いに行くかでいっぱいである。
「前田炭…吉田炭…橋田炭…」
呪文のように唱えているのは炭屋の名前だがどれも対して変わらないため「前田炭だな」と一番近いところの名前を口にする。
普段は何本かネジが外れたような男だがやる事が明確な時はしっかりとしているため一時的にだけ集中力が増すことが多々ある。
(前田炭店まで十五分かかるとして帰ってきて十二時か…帰ってからたくさん筋トレできるじゃん)慈愛に満ちた顔でダンベルをさする。
「帰ってきてから沢山使ってやるからな」
・ ・
「いらっしゃい!!おっ、アレックスじゃねーか!」
気さくに声をかける真っ白の髭を短く刈りそろえた男——お爺ちゃんといい方が正しいが——の声は嗄れている。——その男こそ前田炭の主人である、無数の袋が鎮座していてその中の様子は窺い知れないが恐らく炭が入っているのであろう、その証拠に結ばれている口付近に煤のようなものが付いていた。
「おっす!前田さん!しばらくだな」
「今日はどうしたんだい?いつもの燃料用かい?」
燃料用とは、アレックスの家で扱っている庭の掃除用のロボットの燃料がこの店で扱っている油炭—ステラライトとも言われる燃やすと火球が垂れる性質を持つものを燃料として使うことがたまにあるためである。
「いや、今日はバーベキュー用の炭を買いに来たんだ」
「お?例のあの子かい?」
ニヤニヤしながら問いかける前田さんの言っている例の子、という言い方が気にかかり少し不機嫌になる。
「つぼみさんのことだろ?でも残念ながら違うよ」
「そうかー、アレックスもまだ童貞のままかー、もったいねーな」
早瀬 つぼみの名前が出てくることで顔が脳内に浮かび、頬を緩ませるアレックスだが、前田さんの余計な言葉にムッとした表情を向ける。
「童貞で悪かったな、俺は他の人とする気は無い!」
「言い切りやがった、顔はいいんだから選り好みさえしなきゃ卒業まっしぐらなのにな」
強がりとかそういう気持ちではなく、もっとシンプルに、単純な好意によるものだった。自分の好きな人に全てを捧げたいと思うほど心酔している、その気持ちは自分でも度を超えているとわかっていながらもこればかりは譲ることができなかった。
「誰でもいい訳ないだろ!俺はつぼみさん一筋だ。あー、護りたいあの笑顔。」
満面の笑みのアレックスを見て引いてしまうのは道理であろう。そのため前田さんは眉をひそめてうわぁー、と言っている。
アレックスは女性と手を繋いだことすらない上につぼみと出会って以来、一度も女性とお付き合いした試しがない。つまり簡単な話、一目惚れをしたのだ。
「あー、話がズレたな今日はなにを買いに来たんだ?油炭でもないならただの炭か?」
「バーベキュー用の炭を買いに来たんだ」
すると前田さんは、ニヤリと何かを察した様な表情をする。
「ほほーん、つぼみちゃんとかい?」
ニヤニヤとしているままの前田さんに「違う、他の友達だ」と答えると拍子抜けしたかのような表情をした。
てっきり距離を縮めて、出かける関係にまでこぎつけたと思っていた前田さんの心は焦燥感に支配された。距離を縮める努力をしているのかと本気で疑問に思いその疑問を言葉にした。
「お前ちゃんと仲良くしてるのか?」
その疑問に対する答えはシンプルかつ不安を増大させるものだった。
「全く、友達にすらなってないぜ!」
しばらくの間、沈黙が続いた。
・ ・
バタンという扉が閉まる音が室内に鳴り響く。
薄暗い部屋の中に入ると無言のまま扉にもたれかかる早瀬 つぼみは、その手をゆっくりと動かし部屋の電気をつける。
持っていたバッグを投げたし眼前のベッドに向かって小走りしそのまま前方に身を投げる。その体を優しく受け止めるベッドによってその身に受ける衝撃は限りなく少ないだろう。
パフっ、という効果音がした後。早瀬
つぼみは自身の体を強く抱きしめた。その頬は紅色に染まり、にやけ笑いを堪えきれずウフッと顔とベッドの間から漏れ出てくる。
「あーっ、久しぶりに会ったけどやっぱりカッコよかったな〜!」
先ほど会った榊 柊弥の事を思い出し下腹部に伸びそうになる手をハッと気づいて止める。
「ダメよ私、久しぶりだからってこんなことしていい訳ないわ」
冷静さを取り戻した彼女の顔には先ほどのような頬の紅潮は無くなっていた。
「それにしてもやっぱり雫ちゃんと柊弥くん仲良いいな〜」
ポツリと呟くと、少し哀しそうな顔をして「少し妬いちゃうな」と続ける。
ベッドから起き上がり周りを見渡すといつもの部屋が広がる、その中からある写真を手に取る。
小さい額縁に飾ってあるその写真には中学校の入学式の写真が入っている。機嫌悪そうな柊弥とはにかみ笑顔を送るつぼみの間に入学式と書かれたボードが立てかけてある、そんな写真を慈愛に満ちた笑顔で見つめるつぼみの頬は、先ほどのような紅潮があった。
「機会があったら柊弥くんをデートに誘わなきゃ」
写真を見つめながら決意を決めるつぼみの瞳には強い意志があり眼の奥で何かが激しく燃えているようだった。
「よーし、誘うぞ〜!」
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