見知りの来訪者
勘違いだろうか、いや、勘違いであるはずがない。誰かと尋ねようと言葉を発する前に答えが返ってきた。
「もー!遅いよお兄ちゃん!お腹空いた!」
肩につかない程の長さのツインテールを揺らし小生意気な口調で言い放つのは、俺の妹、榊 雫だ。
「おいおい、なんで雫がここにいるんだよ」
「そんなん決まってるじゃん」
よいしょとテレビの前に置いてあるソファーから立ち上がり無い胸を張って誇らしげに言い放つ。
「ひまだったから!」
白い歯を見せながら満面の笑みで答える妹にもうダメだこいつと思うと新たな疑問が生まれた。
「そういえばなんで雫がうちの鍵持ってるんだよ」
「え?お母さんに貸してもらったからだよ」
なに言ってるのこいつ?とでも言いたそうに小首を傾げてキョトンとした顔を向けてくる雫のことを少しばかり可愛いなと思ったがその考えをすぐさま破棄した。
いくら長い間会っていなかったとしても兄が妹に対して抱いていい感情でないと思い至るとほぼ同時に。
「ほら!お兄ちゃん!ご飯早く作ってよ!可愛い妹が折角来たんだからもてなしてよ!」
「自分で言うなよ」
久しぶりということもありいつもよりもベタベタと腕に絡みついてくる雫を煩わしいと思いつつもにやけてしまう自身の顔を小さく叩いて台所に向かう。
「んで?なにが食べたいんだよ」
簡単な料理を言ってくれと心の中で願いながら尋ねる。
正直言って料理に自信なんてないのだが作れる料理がないわけでもない。自分の数少ないレパートリーの中ならば人に食べさせられる程度の物を作ることができる。さすがに調理したら爆発するとかそんな漫画みたいなことにならない…と思う…。
お兄ちゃんでも作れる料理かーと悩んでいる雫を尻目で見て冷蔵庫に向かう。
「おにぎりならお兄ちゃんでも作れるよね?」
優しく微笑む姿がまるで子供を宥める母親のようだったのが余計に腹を立てたが努めて鎮めた。
「当たり前だ、そんなもん猿でも作れるわ」
「いや、猿は、流石に無理でしょお兄ちゃん。」
意図して雫の頭に弱めの拳を落とす。
「痛いよお兄ちゃん!頭殴らないでよ!」
「いやー、ごめんごめんイラッときたからつい」
棒読みで答える俺に向けて 頬を大きく膨らませてポカポカと腹の辺りを殴ってくる雫を手で制しているとガチャリとドアノブが回る音がした。
「おじゃましま〜す」
思わぬ来客に雫の怒りも消えそれどころか驚いたような顔をした後にとても嬉しそうな顔をした。
「あー!つぼみお姉ぇちゃんだ!」
今にでも飛び跳ねそうな雰囲気で喜ぶ雫。
綺麗な黒髪にロングヘアでどこかのお嬢様のようだと感じてしまうような品のある女性、早瀬 つぼみだ。しかし彼女は、お嬢様ではなくただの俺の幼馴染で雫の姉ではない。だがその感想は、彼女を知る俺と雫でさえ抱いてしまうのだから仕方のないことだと諦めている。
だが雫曰く、「お姉ぇちゃんにしてもいいぐらい好きなの!」と言ってその呼び方で固定している。その証につぼみがうちの玄関に着いた頃には既につぼみの胸の中だ。
「あらあら〜雫ちゃん来てたの〜」
「つぼみお姉ぇちゃんこそどうして?」
未だにつぼみの胸の中でうわぁーやわらかーい、などと言っている。目のやり場に困るからやめてくれ。
「柊弥を一人にしたらコンビニ人間になっちゃうからご飯作りに来たの〜」
「あー、お兄ちゃんならなりかねないね」
ジト目でこちらを睨んできた雫に睨み返すがその視線に気づかずつぼみと話している。
「言っとくけどな簡単なやつなら俺でも作れるんだからな」
二人がこちらに振り向きまるで示し合わせていたかのように声を揃えて問う。
「「例えば?」」
「チャーハン…」
恐らく自分の作れる料理の中でまともだと思われた。しかし二人の反応は俺の心を抉るように感じさせるものだった。
雫は、侮蔑混じりの視線を送りつぼみは、悲しい目をしていた。
「そんな目で人を見るなよ、チャーハンだって奥が深い料理なんだぞ!入れる食材によって味わいが全然違うんだからな!」
「でも柊弥くんの作るチャーハンって入ってるの卵だけだよね?」
雫の視線がより冷たくなるのを肌で感じる。うわぁーっと言っているが聞こえない振りをしておくことにした。
つぼみの言う通り俺の作るチャーハンは、卵と米を焼くだけである。しかしそれはある苦い経験からくるもので——」
「そういえばお兄ちゃん、家にいるときにチャーハン作ってくれたけど中にチョコレート入れてたよね。あれはさすがにないと思ったよ」
言わないで欲しかった事を躊躇いもせず言われたことにショックを受け目を逸らした先でつぼみと視線がぶつかる。驚愕のあまりに瞬きを忘れていたのか。それとも違う感情なのか目の端に涙を浮かばせていた。
「これから私が作ってあげるからね」
幼児に言って聞かせるような口調で涙を服の袖で拭いながら言う。
雫があっ、と何かを思い出したような声を出す。
「そうだった!お腹が空いてたんだ!つぼみお姉ぇちゃ〜んご飯作ってよ〜」
甘えるような口調で頼む雫に「いいよ〜」と微笑むつぼみ。一瞬だけ本当の姉妹のようにも思えたそのやりとりを見ていると心が落ち着くようで心地が良く感じた。
「よ〜し!お姉ちゃん頑張っちゃうぞ
〜」
力こぶをアピールするようなポーズをとるがどこにも見当たらない。
その腕は、白く透き通るようでその絹のような黒髪と相まってとても魅力的に思えた。しかしそう思っているが故に俺がつぼみとの間に微妙な距離感を作っているのかもしれない。
「それじゃあ柊弥くん冷蔵庫とキッチン借りるね〜」
「わかった、好きに使っていいぞ」
調理をしているつぼみは、髪を結い上げていて普段と違う雰囲気——言うなれば主婦のそれに近い——が見てとれた。
そしてそれを見ている雫もニコニコとしていて機嫌が良く思えた。
「は〜い!完成だよ〜」
チェスをする手を止めると集中状態から解放され鼻腔を刺激する匂いに気がついた。
待ってましたとばかりに目を輝かせる雫は、涎をじゅるりと鳴らし席に着く。
この家の食卓は、四人掛けになっているがこれは、友達が来てもいいようにと言う配慮あってのことだ。
雫が真っ先に席に座りそれに続き雫の正面に腰を下ろす。
「は〜いめしあがれ〜」
目の前に置かれた料理は、牛肉の上と周りに乳白色のソースがかけられている食欲をそそるものだった。
しかし、雫はすぐに手をつけようとせずジッと見つめていた。
「どうしたの〜食べないの?」
料理に向けられていた視線をつぼみの方へと向け怪訝そうに見つめて閉ざされていた口を割る。
「これって……なに?」
俺も料理名を知らないため聞いてないフリをして気配を消すよう息を殺す。どうせ答えられなかったら使えないだの言われるんだろうな。
「ビーフストロガノフだよ〜。冷蔵庫の中に生クリームがあったから入れてみたの〜」
「ビーフ…ストロガノフ?」
相変わらずの視線を送る雫の眉間に皺が寄りつつあった。
「なんか、強そう…」
真剣な眼差しで呟く声が全員の耳に届く。
高校一年生の雫が小学生のような発言をした事につぼみと俺は、堪えきれず笑い声をあげる。
やはりみんなで食べる食事は美味しいと思いながら乳白色のソースのついた牛肉を口に運んだ。
「美味しかったー!」
げぷっ、と音を立てお腹をさする雫の顔は満面の笑みだった。
「お粗末さまです」
ニッコリと雫に笑いかけるつぼみを見たのは俺が実家を出る前ー二ヶ月ほどの間会っていなかっただけのはずなのに忙しかったからか長かったと感じさせるのには充分な時間であった。
「それじゃああたしお風呂はいってくるー」
「着替え持ってきてんの?」
「もちろんだよ!」
てててと駆け出す雫を一瞥する。
「ほんと二人とも仲良いよね〜」
羨望の眼差しを送るつぼみは、さっきまで雫の座っていた席に座る。
「そんなことねーよ。あー、ありがとな、夜飯まで作ってくれて」
「ううん、全然」と微笑むつぼみ。
「一人暮らししてみてどう?」
心配そうな顔をして聞いてくるつぼみに対する返答は、まだよくわからないけどと始まった。
「なかなかいいもん…かな」
「そっか」と立ち上がり荷物の整理をするつぼみを手伝う。
つぼみの家は、ここから電車で二駅ほどの所にある一軒家に住んでいて兄弟姉妹共におらず父親と母親の三人で暮らしている。
「それじゃあ私もう行くね、たまに遊びに来るから」
荷物の入ったトートバッグを肩に掛け手を振るつぼみを玄関まで見送った後、ソファーに身を投げ出す。
「ふぁ〜、気持ちかったー」
片手に棒アイスを持ち、頭にタオルを巻いて濡れた声を出し浴室から出てくる雫がちゅぽっ、とアイスをしゃぶる。
いったいどこから持ってきたんだか、てか冷凍庫の奥の方にあったのにどうやって見つけたんだよ。
「もうつぼみお姉ぇちゃん帰っちゃったの?」
悲しそうな顔で聞く雫に頷く。ソファーを立ちイスに座ると雫が残った棒をゴミ箱に投げ入れ対面に座りワザとらしく大きくため息を吐く。
「お兄ちゃんはさ、つぼみお姉ぇちゃんのこと好きじゃないの?」
いつものような無邪気なテンションとは打って変わっていて何処か大人びた雰囲気を醸し出していた。しかし雫から出た言葉は、俺の心に重くのしかかり頼りない声が出た。
「なんだよ急に…別になんとも——」
「——まだ、忘れられてないの?楓さんのこと。あたしはその人のことを知らないけどさ今更考えても遅いと思うし、きっと向こうは、違う人生を歩んでるんじゃないの?」
その言葉に答えることができずに、ただ、黙ってうな垂れることしかできなかった。そんな俺に雫が確信はないけどとはじまり耳元で囁く。
「(薄々気づいてるんでしょ?つぼみお姉ちゃんがお兄ちゃんのこと好きだって)」
「それじゃぁあしたもう寝るね」
立ち上がり和室に向かう雫の背中に母親の姿が透けて見えた。「似てきやがって」そう小さく愚痴をこぼすことしかできない自分を叱咤する。
「風呂は、明日にするか」
大きく息を吐き出しソファに横たわる。瞼が重く何も考えず意識を手放す。
最後まで読んでいただきありがとうございます!今回は、一気に3つほど投稿しようと思います。ので、小休憩でも挟みながら読んでてください!