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第二十八話 『少女の名は……』

 一糸纏わぬ姿で柩に横たわっている少女の肌の色は、白磁器を思わせるほど滑らかで美しく、翡翠色の髪は腰の辺りまで伸びていた。

 瞼は閉じているが、睫毛は長く、相貌は女神のように美しい。

 身体全体に目を向けると細く、華奢で、今にも折れそうな腕。

 肉付きの薄い、繊細な硝子細工のような少女。

 小ぶりながらも確かな膨らみを見せている双丘は動いておらず、ピンク色の色艶の良い柔らかそうな唇からも吐息は感じられない。

 静かに眠るように横たわっている姿はまさに死体のようではあるが、微かに赤みを帯びた顔色からその可能性がないことは明らかだ。

 

 他に変なところはないかと視線を徐々に下にやる。

 少女は裸体の為、当然下半身もありのままの姿だ。

 俺の視線が、僅かに開いている足の間に差し掛かろうとしたその時――。


「――カーマイン!? いつまでジロジロ見てるつもりなのっ!!」


 耳を劈く金切り声に驚いた俺は、体ごと仰け反り、声のした方へ頭を向けると、そこには恐ろしい程に冷ややかな眼差しで俺を見つめるエルザの顔があった。

 その凍てつく表情は水の女神サラキアを彷彿とさせる。

 俺は能力の反動で身体中が痛いはずなのに、その痛みが何処かへ飛んでいってしまったかのように麻痺していた。

 身体中から冷や汗が流れ出る。

 

「エルザ! これは、その……違うんだっ!」

「ふ~ん。一体何が違うっていうのかしら?」

「それは……そう! そこに居る少女に異常がないか確認しようと思ってだな――」

「確認するだけなら、あんなにじっくり見る必要はないわよね?

 それに裸の女の子なんだから、私に任せるべきじゃないかしら?

 何か間違ったこと言ってる?」

「……いいや、全く以てその通りです。ハイ」

「じゃあ、後は分かるわよね?」

「……ハイ」


 俺は不義の関係がバレて問い詰められている男のように小さくなり、エルリックに支えられながら後ろに下がる。

 エルリックに苦笑しながら、「そういうところは本当にニブイな、カーマインは」と言われた。

 ぐっ……。

 別に性欲が、とかイヤラシイ目で見ようとか思ったわけでは断じて無いんだが……。

 そう、単純にこのような場所で眠っていた彼女を心配してのことで、今まで出会った女性よりも小さいなぁとか、毛が生えていないなぁなどと思ってたりは断じてしていない! 

 ――もう一度言おう、断じてないっ!

 しかし、そんな事を口にしようものなら墓穴を掘るだけなので、俺は心の中でジタバタしながらエルザが柩に近づくのを見守る。


 「興味があるなら私が見せてあげるのに……」と聞き取れないほどの小さな声が前方から聞こえた気がしたが、うん、きっと気のせいだろう。


 エルザが前に立つと、まず身につけていたマントを少女の身体に被せる。

 それから少女の身体に触れながら異常がないか確認していたが、暫くすると一つ頷いて俺達の方に振り返った。


「うん。特に異常はないようね。

 ただ……これだけあちこち触ったのに起きる気配がないのは変ね……」

「そうだな……。だがこのままという訳にはいかないだろ?」


 マントが掛けられた状態の少女の傍に近づき、手で顔に触れてみる。

 指先にビリッっという刺激が走った。


「ッッ!?」


 俺はその衝撃に思わず目を閉じる。

 時間にして一瞬の出来事だが、次に目を開くと今までとは変化があることに気付く。

 柩の中の少女の双丘が微かにだが上下しているのだ。

 少女を見ていた俺達は、その変化に大きく目を見開く。

 すると、今度は少女の目がゆっくりと開いた。

 髪の色と同じ翡翠色の綺麗な瞳からは感情といったものは感じられず、無表情のまま周囲に視線を投げ、そして俺の顔で止まった。


「貴方は……誰?」


 寝ぼけたようなぼんやりとした口調ではあるが、表情は変わらず、そこに敵意や猜疑心と言ったものは感じられない。

 

「俺か? 俺はカーマイン。隣にいる彼女がエルザで反対側にいるのが俺の兄でエルリックだ。

 後は妖精のリル」

「エルザよ。宜しくね」

「エルリックだ。宜しく」

「リルだよっ。宜しくねっ!」

「カーマイン……エルザ……エルリック……それと、リル……」


 エルザが寝ている少女をゆっくり抱き起こすと、少女は柩の前に立つ。

 ――身長はエルザより若干高いくらいか。

 彼女は俺達の名前を反芻するように呟いていたが、暫くすると俺たちの方を指差しながら名前を呼ぶ。


「――覚えた。カーマインに、エルザに、エルリックに、ちっちゃいのが、リル」

「覚えてくれて嬉しいよ。ところで……君の名前は?

 それと、どうしてこんな場所にいたのか覚えてるかい?」

「……名前は、アニエス。何でここに居たかは分からない」

「分からない? じゃあどこに住んでたんだい? 年齢は? ご両親は?」 


 アニエスと名乗った少女は表情を変えないまま、考えるような素振りを見せる。

 少しすると一言「……分からない」とだけ告げた。

 名前以外分からないとなると――考えられるとすれば、物凄く怖い目にあって記憶を無意識のうちに封印しているか、魔法によって記憶を操作、または消去させられているかだが……。

 前者だと名前以外の事を覚えていないというのはおかしいし、後者は相当高位の術者じゃないと使用出来ないはずだ。

 どちらも考えにくい。

 名前が大地の女神と同じアニエスと言うのも引っ掛かりを覚える。

 そこでリルに聞いてみることにした。


「リル。アニエスから大地の女神の力は感じるか?」


 するとリルは一瞬キョトンとした表情を見せるが、直ぐにアニエスを見る。

 リルにしては険しい表情で暫くアニエスを見ていたが、やがて視線を俺に戻した。


「うーん、アニエス様の力は感じられないよー」

「そうか……。大地の神殿で女神の気配を感じられないと言ってたからもしかしたら、なんて思ったんだけどな」

「カーマイン。いくら何でもそれは有り得ないわよ。

 確かにこんな場所だし綺麗な子ではあるけど、本当に女神様だったらもっと存在感というか神気というか、そういったものをリルじゃなくても感じるはずよ?」

「……そうだな。俺の考えすぎ、か」


 俺達は一斉にアニエスを見るが、彼女はボンヤリした無表情のままで、何を考えているのか全く分からない。

 名前以外何も分からないというアニエスだが、このまま放置するというわけにもいかない。

 俺達は頷き、アニエスに声をかける。


「アニエス。俺達はこれから王都に戻るんだが、一緒に来るか?」

「……王都?」

「あぁ。王都だ。そこでならアニエスの事が何か分かるかもしれないし、何より君をここに置いておくなんて出来ないしな。

 どうだ、俺達と来るか?」


 俺がそう言って手を差し伸べると、少しの間、アニエスは表情を変えずに俺の手を見つめていたが、やがてその手を取った。


「……カーマインについて行く」

「そうか。じゃあ一緒に外に出よう」


 今の状態で俺がアニエスを連れて行くには無理があるので、エルザに彼女を任せて外へ出る。

 外へ出ると待っていた皆が出迎えてくれた。


「お! 戻ってきた……な?」

「――その子はどうしたんだ?」


 トールが困惑の表情を浮かべ、イグナシオが皆の声を代弁してアニエスの事を聞いてくる。

 それも仕方の無いことだろう。

 整備された山道から外れた場所の、しかも洞穴の中から少女が出てきたのだ。

 俺だってその場に居なければ同じ表情をしていたはずだ。

 俺は外で待っていた全員に、洞穴の奥であった出来事を説明した。


「まさか、そんな事が……」

「俄かには信じがたいな……」

「ですが、アニエスがここにいるという事が何よりの証明です。

 ――王都に戻れば行方不明になった者の情報も何か分かるかもしれません。

 一緒に連れて行ってやりたいんです」


 俺の言葉を聞き、みんなは少しばかり冷静さを取り始めたようだった。

 俺は真剣な顔を作り、イグナシオに丁寧に話しかける。


「彼女の事は保護した俺達が責任をもって面倒を見ます。

 だから……駄目でしょうか?」

「ああ、分かった分かった。そんな顔をするんじゃねぇ!

 ったく、どのみち仮に俺達が反対しようと連れて行く気だろうが」

「あ、分かります?」

「はぁ……分かるも何も、お前はきっとそう言うだろうって皆思ってんだよ。なぁ?」


 呆れた声でイグナシオが周囲に問いかけると、全員が苦笑しながら頷く。

 何故かエルザやエルリック、リルまでもが頷いていた。

 ――何故だ? 俺は首を傾げるが思い当たることがなかった。

 アニエスはその間、一言も言葉を発することなく無表情を貫いていた。

 

 その後はキマイラと戦った場所まで戻り、討伐部位の採取を行う。

 採取が終わると次はバルドの埋葬を行った。

 流石にあの状態のバルドを連れて帰るのは不可能だし、放置して帰る訳にもいかない。

 土が柔らかそうな場所を探し、各々の武器を使って掘り下げる。

 人一人が入れそうな穴を掘ったところで、バルドを中に入れて土を戻していく。

 何か形見でも持って帰ることが出来れば良かったのだろうが、損傷が激しく装備品も酷い有様で持ち帰れるような物は何も無かった。 

 全て埋め終えた後に、近くにあった大きめの石を立て全員で祈りを捧げる。


「――バルド、安らかに眠ってくれ。

 ……たまには会いに来るからよ」


 トールが顔を上げて墓標から振り返ると、目に薄らと涙を浮かべていた。

 

 全てが終わり、さぁ今度こそ帰るぞ、となったところで大きな問題が発生する。

 ――そう、今の状態の俺では馬を操る事が出来ないのだ。

 誰かの後ろに乗せてもらうにも腕に力が入らない為、落馬してしまう可能性があった。


「――しょうがねえ。幸い携行食もまだ残ってる。

 今日はここで一晩過ごして、明日になったら馬で帰るとしよう。

 カーマインも明日になれば大丈夫なんだよな?」

「はい……すみません」

「いいから、謝るんじゃねぇ! お前が居なかったら誰一人生きて無かったかもしれねえんだ。

 一晩くらいどうってことねぇから気にすんな」

「……有難うございます」


 

 ――俺達は山中で一夜を明かし、俺の身体を【生命癒術】で動ける状態に回復してから、ウルス山を下りて王都へ戻った。


 

 

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